主を亡くした館
「助けて助けて助けて助けて助けて助けて……」
妖精を追いかけていたのに、気付けば幽霊に追いかけられていた。
みなさんはそんな経験ないだろうか? はい、ないですね。
「だから妖精なんていないって言ったでしょ!?」
「アンジュ前! 前見て!」
「うわあ!」
なぜ私たちが幽霊に追いかけられているのか。
その事の発端は、今私の横を走っているメリーにある。
「妖精がいた?」
「うん! 学校の裏に使われていないマナーハウスがあるでしょ?」
「あー、あの気味悪いところね」
「あそこ覗いたらね、綺麗な金髪の妖精さんが飛んでたの!」
無邪気に笑うメリーに、開いた口が塞がらなくなる私。
もう十四歳にもなるというのに、メリーはいつまでも空想めいたところがあった。
確かに私たちの国、イギリスには妖精伝説はたくさんあるけれど、まさか本当に信じているとは。
「でね、一人じゃちょっと怖いからアンジュちゃん、ついてきてほしいの!」
「へ? あんたまさか確かめに行く気?」
「うん!」
このやり取りをしたのがつい二日前。そして今日は日曜日。教会での礼拝を終え、早速二人で例のマナーハウスにやって来たのだけど……。
「お邪魔しまーす」
「本当に入って大丈夫なのかしら?」
「大丈夫だよアンジュちゃん!」
根拠ないメリーの大丈夫にいささか疑問を持ちながらもそっとドアを開けた。前に先生に聞いた話によれば、このマナーハウスは私たちが住むコッツウォルズ地方の中でも比較的小さいほうらしい。田園風景の中に、はちみつ色をした石を積み上げて作った小さな家が並ぶこの町は、毎年たくさんの観光客が訪れ、街の様子を撮影したり、フライフィッシングをしたりして楽しんでいる。この自然豊かで美しい街並みを愛しているのは今の人だけではない。
中世の頃、このコッツウォルズを愛した貴族や権力者たちが、荘園として建てたのがこのマナーハウスなのだ。現在、主人を失ったマナーハウスは改装され、ホテルとして使われることも多い。幽霊が出ると噂のマナーハウスもあり、心霊好きなイギリス人を始めとする好奇心旺盛な人々が勇敢にも泊まっていくこともあるという。
「あちゃー、蜘蛛の巣だらけね。メリー、スカート気を付けて」
「う、うん。あ、すごいこのランプ可愛い」
「ほんとだ、ほこりまみれだけど綺麗にしたら使えそうね」
そんな中、今来ているこのマナーハウスは小さすぎてホテルとしては使えず、かといって所有者がはっきりしていないため壊すことも出来ずに、そのまま残っている。
珍しく女性が建てたマナーハウスだそうで、内装やインテリアには女性らしさが溢れていた。メリーが見つけたランプも、丸みを帯びたフォルムとバラの彫刻が刻まれているのが特徴だった。
「その妖精って、部屋で言うとどこらへんなの?」
「学校の教室から見たから多分、二階だと思う!」
「あ、ちょっと待って!」
エントランスの右側にある螺旋階段に向かって進むメリーに、あわててついていく。黒い手すりもまた、蜘蛛の巣がかかってる。ギシギシと階段が軋む音に不安を覚えながらも、なんとか二階にたどり着き、メリーが見た妖精がいるとされる部屋に足を踏み入れる。
そこは、大きな食堂だった。大きな白い大理石のテーブルと、赤い布を張って金色の縁と足を持つ椅子がいくつも並べられている。テーブルの中央部にはこれまた大きな蝋燭が、もう二度と灯されることのない火を、待ちわびているかのようにポツポツと置かれていた。
小さいマナーハウスだと言われているが、食堂を見る限り、主人は十分な裕福層だったということが感じられる。
「すごい……圧巻ね」
「今にも食事会が始まりそう」
あまりの迫力に、私もメリーもしばらくその場に立ち尽くしてしまった。
やがて来た目的を思い出し、食堂の中をくまなく探す。
机の下、椅子の下、蝋燭の中、探せど探せど見つからない。
やっぱり見間違いだったんだと思ってあきらめようとした、その時だった。
「ああー!! 見つけたー!!」
「何!? ほんと!?」
「うん! ほら! あそこにいる!!」
「どこ!?」
妖精なんて信じていないはずの私も、メリーの見つけたという声いは正直ドキドキした。彼女が指さす方向に視線を向ける。それは、かつてこの食堂を照らしていたとされる、シャンデリアのほうだった。
「ね? いたでしょ?」
「あ、ああ、う、うう……」
ほらいたでしょー? と誇らしげにニコニコするメリー。
私は、妖精とやらの姿を確認すると、絶句してしまった。
シャンデリアに足をかけるような形でぶら下がり、金色の長い髪と青白くて細い腕がダラリと垂れている。
瞳孔が開ききった目は私たちを見下ろし、、口元からは血が垂れている。そしてボロボロの布きれのような服を身にまとう女性と思われる何かが、そこにはいた。
食堂を見てすごいだのなんだの思っていた時からずっと監視されていたのだと思うと一気に背筋が凍った。
「きゃああああああああ!!!幽霊えええええええええ!!」
「え!? 幽霊!? どこ!?」
「馬鹿メリー!あんなの妖精じゃないわよ幽霊よ!!」
「ええ!?」
言い切ってしまうのが先か、走るのが先か。ぽかんとしているメリーの手をつかんで無我夢中で食堂を出る。ちらっと振り向くと、先ほどの女がシャンデリアから落ちるようにして地面に着地、ボロボロの体を引きずりながらこっちに向かっている。
「助けて助けて助けて助けて助けて……」
「いやああああ追いかけてくるよおおおおお!!!」
鼻水と涙で顔がぐちょぐちょになっていたが、拭く余裕なんて当然ない。一瞬でも隙を見せたら追いつかれる!
「助けて助けて助けて助けて……」
「霊媒師じゃないから無理だよおお!! むしろ私たちが助けてほしいくらいよおお!」
走り回っているせいで耐震の概念なんてないマナーハウスが揺れまくる。
途中で古くなった木材も上から降ってきた。
「アンジュ前! 前見て!」
「え? うわあ!」
メリーの声がなければ危うく木材の下敷きになるところだった。
間一髪でかわし、なんとか屋敷の玄関までくる。
急いでドアノブに手をかけるが、震えているせいか上手く開かない。
「どうしよう開かない、開かないよおおお!」
「アンジュ、変わって!……!?おかしい、鍵がかかってるわ!」
「そんな!」
「助けて助けて助けて……」
幽霊はもうすぐそばまで来ている。このままでは私たちは殺されてしまう。
幽霊の手がこちらに伸びてくる。ぎゅっと目をつぶり、死を覚悟する。
ああ、遊び半分で廃墟なんて来てはいけなかったんだ……。
「迷える魂よ、眠りたまえ!」
「きゃあああああ!!」
いくらたっても、幽霊の手はこちらに届かなかった。
その代り、断末魔のような声が耳に届く。
「な、なに……」
そっと目を開けると、黒いタキシードを着た背の高い紳士が立っていた。
あの恐ろしい幽霊と対峙している。
「勝手にこういうとこ来ちゃ、だめだろ?」
「お兄様!」
「え!? メリーのお兄さん!?」
確かに青い大きな瞳、イギリス人の中でもひときわ高く、すっと通った鼻筋、薄い唇。
今はロンドン市内の大学に通っているため、めったに会うことはないが、間違いなくその人はメリーのお兄さんだった。
「このマナーハウスはな、邪悪な霊気が感じられるってことで誰も手を出せなかったんだ、よっ!」
苦しそうにしながらなおも襲い掛かってくる女の幽霊をよけながら、素早く幽霊の懐に潜り込んだ
「ほら、もう大丈夫だから。成仏しな」
お兄さんが幽霊の心臓部分に手を当てる。白くまぶしい光を放ちながら、幽霊は断末魔をあげる。光が消えると、先ほどの迫力はどこへやらすっかり普通の女性の姿になり、涙を流しながらすうっと消えていった。
「お兄様! 怖かったよお!」
「よしよし、二人とも怪我はないか」
「はい」
緊張が途切れたのか、メリーが大きな声で泣き始めた。
あやすようにお兄さんが頭をなでる。
「アンジュも大丈夫か?」
「はい……」
「よし、いい子だ」
今度は私が頭をなでられた。
お兄さんの話によると、先ほどの幽霊はここの女主人であったマリアという女性らしい。マナーハウスで休暇を楽しんでいた夜、押し入ってきた強盗に殺され、シャンデリアに括り付けられるというむごい最期を遂げたという。しかも警察がここに来た時には、マリアを縛り付けていたヒモが重みに耐えきれずにちぎれ、マリアの遺体はあの食堂のテーブルに落ちた状態だったそうだ。
「そんなことが……」
「使用人にも見捨てられたようだからな。相当なショックだったんだろう」
メリーのお兄さんは昔から霊感があったようで、大学で勉強をしながら霊媒師としても活躍してるらしい。
「これに懲りて、二度と妖精がーとか幽霊がーとか言うなよ?」
「はーい。ごめんなさい、お兄様」
「わかればよし!」
その後、あのマナーハウスは取り壊しが決定した。
今日も解体作業が続けられている。
あの可愛いインテリアも一緒に壊されてしまうのは惜しい気もするが、これでよかったと思う。
ようやく、マリアとともに眠りにつけるのだから。