第11話
おしゃべりは言いました。
檻の中には獣がいるんだよ。
獣は鳴くよ。
自由が欲しくて鳴くよ。
哀れんではいけないよ?
手を触れてはいけないよ?
食べられてしまうから。
だんまりは言いました。
檻の中には希望がいるんだよ。
希望は静かだよ。
そこにいたいから静かだよ。
欲しがってはいけないよ?
手を触れてはいけないよ?
飲み込まれてしまうから。
おろかものは言いました。
檻を壊してしまおうよ。
獣は殺してしまえばいい。
希望は捕えてしまえばいい。
僕が名誉を得るために。
僕が幸福を得るために。
どうして誰もそうしないの?
おろかものは檻に触れました。
それに触れてはいけないのに。
そうしておろかものは獣に噛み殺され深い深い絶望を手にしたのです。
<コンラドゥス・トラディサーオ 第3章 52節 >
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麗らかな晩秋の昼下がり。
柿が赤らむと医者が青くなる、サンマが出るとあんまが引込む。
美味しい物は美味しいうちに、モリモリ元気になりましょう、ってな訳でイスクで調達した菓子をいざ賞味!
「そういえばさ~、最近何か変なんだよね~?」
「……変、とは?」
「ん~。妙に怒りっぽいような気がするの。ホルモンバランスでも悪いのかなぁ。あ、あそこ足止まってる」
「ほるもん?向こうの言葉?ふ~ん、手を抜こうだなんて良い度胸ね。えいっ」
「……転んだの」
「痛そ。オリちゃ~~ん、厳しすぎるよう」
周囲の阿鼻叫喚な騒ぎを尻目に、私と実体化したオリちゃん、コーディはのん気にティータイムを楽しんでいる。
う~ん。この焼き菓子香ばしくて美味いです。トッピングされてる木の実がもう薫り高くてカリカリで絶品っ。
「主殿。…こちらも」
「あ、すごく甘いけどこのネットリとした食感がいける!なにこのピンクのマカロンみたいなの!」
「……カービィ」
「カービィ……まん丸だね……」
「丸なのが関係あるの?それより、マツリ。怒りっぽいのは元からじゃなくて?」
「うわ、オリちゃん失礼!私、向こうではマジで平和主義者でした…じゃなくてさっ!真面目な話、腹が立つと怒りが抑えられないというか」
オリちゃんが注いでくれた紅茶をグビリと喉に流し込む。
そう。もうちょっと私の沸点は高かった筈なのだ。なのにここ最近の血の上りっぷりは異常に思える。
ついでに動きの鈍くなってきた男達に癒しの魔法をかけといた。これで、まだまだ頑張れるでしょ。
「それに、すぐ元に戻ったけど怒ってるとき目が変になったりしたじゃん?私、もしかして竜に戻っちゃうのかなぁ。うう~~、不安だぁ」
「そういえばジジイの所で暴走してたときも瞳孔縦だったわね」
「嘘っ!」
「……精霊は嘘はつかぬ」
「いや、コーディ。そういう意味じゃないんだけどさ?」
悲鳴が聞こえる。ドボーンと派手な水しぶきが上がった。
コーディが無表情のまま指先を動かし、落ちた男を拾い上げる。お尻にプラプラ揺れるのは青緑の鱗が硬そうな巨大魚。
「ぅお、親父ーー!」という叫び声や「大丈夫ですかあぁ?!」って慌ててる声が響いた。
人が真剣に悩んでいるというのに。チッ。
「あう~~。せっかく手に入れた華麗なる人間生活、手放したくないんだけどな」
「そうよねぇ。マツリ生き生きしてるもの」
「まだやりたい事見たい事沢山あるの。やっぱり今は戻りたくない~~」
私は行儀悪くテーブルに突っ伏した。
急に人に戻ったのなら急に竜に戻ることだってあるだろう。そんな話を別れ際ラジェスとしたことを思う。
竜に戻ってしまったら仕方ないし、箱庭に帰るのは嫌じゃない。嫌じゃないんだけど……。
浮かぶのは笑顔。何故かふとした時に浮かんでくる。
次に竜になって箱庭に帰ったら――考えるだけで胸がキューッとなった。
落ち込む私の髪の毛をクシャリと崩すように大きな手が乗せられ、ゆっくり動かされる。
「……大丈夫であろ」
「コーディ……。……本当にそう思う?」
「ちょっと、ジジイ。適当な事言ってるんじゃないわよ」
「……外れていまい。主殿は引きずられているに過ぎぬ」
「引きずられるって?」
「……竜としての本能。元来竜は気性の荒い生き物故。人である主殿は御せていない」
「覚えがある筈」とコーディアラスの菫色の瞳がヒタと私を見つめた。
そういえば私の中に居る、力を強請っていたあの獣……。
「……あれが本能?」
「……そうとも言えるがそればかりでもない」
「どういう事?」
「……正しく答えるには主殿が、まだ足りぬ」
コーディアラスは目を細め、私の手の甲に口付けを落とした。精霊とはいえ彼も見目麗しい男。こういうスキンシップに免疫のない私は顔が熱くなる。
嫉妬深いオリちゃんがその光景を黙って見ている訳もなく――。
「変態臭いのもいい加減にしてよねジジイ!私のマツリに何してくれてんの?!」
「……愛ゆえに」
「よくも抜け抜けと!」
……むむむ、何か誤魔化された気が。でも、答える気はなさそうだしオリちゃんとじゃれ合い始めたのでこれ以上の話は無理だろう。
スコーンに似た菓子を口へ放り込みながら、私は辺りを見回した。
地下数十メートル。
陸上競技場程の広さを誇る大空間には光を発する大岩の魔石が天井に嵌め込まれている。
数箇所ある空気孔からは常に新鮮な風が送り込まれ、地熱を利用し快適な室温が保たれており、大広間から伸びる通路の先には簡単な竈と食料庫(台所)、澄んだ湧き水で出来た泉(風呂)、底の見えない穴のある個室、何箇所かの小部屋(寝室)、そして草木や花が咲き乱れる吹き抜け(パティオ)までがある。
不動産屋も自信を持って勧められそうな良物件だ。
その大広間の一画で私達は寛いでいた。
目の前の暑苦しい光景さえなければ、もっと美味しく食べられるのにと私は残念に思う。
躍動する肉体(必死)、飛び散る汗(涙と鼻水)、爽やかな笑顔(死に体です)。
先程からBGM代わりに流れる悲鳴はこの男達のものだ。
「…………可哀想に」
ポツリと零した言葉に返事が来た。
「そう思うなら、もう少し緩くしてやったらどう?」
「あ、ナーダ」
「何だよ、このえげつない仕掛け」
「だってセウが」
「……セウか」
セウの名前にお互い顔を見合わせ頷きあう。なら仕方ない。
オイハギーズ達はフォルクマールの元へ降ることを決め、晴れて”白き風”の見習い兵士となった。
トリブナル(お役所3合体所ね?)でどんなやり取りがあったのか、もはや彼らに逆らう気力はないようだ。
とはいえ渋々の決断であり、彼らには忠誠心もないし道徳心も薄い。おまけに実力が足りないのが現実だ。
せっかく、オリちゃんが地下にて強制連行という荒業をやってのけているのだ(地中で空間ごと引っ張って進んでるのだ、すげー)。その時間と環境を使わない手はない。という訳で道中地下空間での基礎体力訓練が始まった。
皆は2名づつ交代で地下へ降り、30名弱のオイハギーズの指導に当たった。しかし案の定手が足りない。頭であるクルドのヒゲ父ダルシアを筆頭に、誰も彼もが訓練に真面目に取り組もうとせず、魔法を使って手を抜く奴まで出始める。〆ても〆てもキリがない状況に困った部下達の報告を受けたセウは、そりゃあもう綺麗な笑顔で私の元へ来た。
「それにしても、やはり過酷です……」
疲れた顔でやって来たオーガスタにナーダと私は前を向いた。
延々と走り続ける男達。
セウに頼まれたのは魔力の遮断と決してサボる事のできない環境だった。
彼らから与えられた正式な仕事(役割)は初めてで、私は嬉しかったんだよ、とっても!だから張り切った。頑張った。
その結果。
体力向上に走るのは欠かせないよね!というコンセプトから始まったコース作りは、そのうち、どうせなら腕力も鍛えたい、腹筋も、いややはり肺活量アップでしょう!などとアレンジにアレンジを重ね、ついには一般人では決してこなせないような過酷なものが出来上がってしまった。
しゃーないじゃん。オリちゃんもコーディも監督役ノリノリだったし(ノリノリトップはぶっちぎって私)。
砂で出来た足場を走る山あり谷ありのコースは、超えられない奈落で囲まれ決してコースアウトが出来ない。
そこをグルグル回る大掛かりな障害物競争的な代物で、後ろからは岩塊やら凶暴魚入りの水溜りが迫るため決して足は止められない。
100Kg以上の重い扉や、深く水に潜らないと進めない水場や、落ちたら底なし沼が待つ飛び石、断崖絶壁、ターザンロープなどなど。同じコースをグルグル走るのじゃつまらないだろうから1周ごとにランダムで障害物の内容は変化させた。
そんなトレーニングコース、別名”お前らの命預けんかい!”コースは大変セウに喜ばれた。
オイハギーズも涙を流して喜んだと彼から聞いている。
訓練初日はオーガスタが魔力切れで倒れるほど怪我人が出たらしいが、さすがにヴェラオと言うべきか。
彼らはセウの狙い通りメキメキと力をつけてきたらしく、こうして見に来た今日も見苦しさはあれど全員がコースクリア出来ている。
「よし休憩だ!」
ナーダの号令で、岩塊と凶暴魚の水溜りが消えオイハギーズはへなへなと地に倒れ伏した。
私は差し入れ代わりにもう一度癒しの魔法を彼らにかける。
……マツリ様、その魔法をかけるたび、彼らの地獄が長引くのですが。
やるせなさを滲ませた呟きが横から聞こえたような?気のせいか?
私は、悲鳴の聞こえなくなった空間で最後の菓子を嚥下し、ゆっくり紅茶を飲み干すと立ち上がった。
「さて、皆が頑張ってる姿も見れたし戻ろうかな。思ったより生活が快適そうで安心したよ。何か足りないものがあったら言ってね?」
「……彼らは足りない等と気づかないでしょうね……なんせ夢を見る暇もないそうですから」
「そっか、充実してるなら良かった」
全員からの違うだろ!という無言の抗議に気づかない私は、のほほんとダルシア達に手を振る。
「皆ーー!この後も頑張ってねっ!君たちならやり遂げられる筈さーー!」
死んだように動かない彼らは返事をしない。
そうだよね、せっかくの休憩時間邪魔しちゃ駄目だよね?私は少し考えてからそっとコースに新しい障害物を加えた。
応援しか出来ないんだから、せめて、ね?疲れたときには甘い物でしょ!
彼らにグッドラックと指を立てると私は地上へ転移した。
その後、訓練を再開した彼らは愕然とする。
白い粉に埋もれた飴を口で探さないと先に進めないという新たなトラップに。
大粒の飴を口に入れたまま激しい運動をしなければならない彼らは喉を詰まらせる者が続出し、飛び散る白い粉に呼吸や視界を奪われたりと散々な目に合う。
クルドの「余計な真似すんじゃねーよ!」という叫びが空しく地下へ響いたらしい。
後日顛末を聞いた私が「ならパン食いにしてあげた方が良かったかなぁ?」とパン食い競争の何たるかを説明したところ、
「お願いですからもう食べ物は止めてあげて下さい!」と涙目のオーガスタに説得されることになった。楽しいのになぁ。
長いのと毛色が違う話になったので2分割。