第4話
外はイムリスが真上にあり、冬に向かうこの季節でも暖かな光を地上へ降り注いでいた。
だが、その部屋の中は異常なほど暗い。そして寒い。窓は3方向にあるのに、光を遮るかのように暗闇が広がっている。部屋の片隅で凝った闇が身じろぎをした。
「来ます」
男は何がとは聞き返さなかった。既に知っているからだ。
「如何なさるのですか?」
涼やかな声には抑揚が無く、何の感情も宿らない。
男は両の足を小さく繊細な造りの円卓に放り投げた。ギシッという円卓の軋む音がやけに大きく響く。
フッ。
男が唇を三日月の形に開く。艶やかな赤い唇に縁取られた三日月。髪で隠れた男の目の奥には周りと同じ暗い闇が広がっていた。
笑い声は徐々に大きくなり、肩を震わせて笑う男に問いかける声はもう降って来なかった。
「如何する?」
質問を質問で返したような言葉。
「如何してやろう?」
男は歪んだ唇で淡々と言葉を紡ぎ、白い指先でソッとグラスを傾けた。たぷんと揺れる赤い水面が三日月の中へ吸い込まれていき、次の瞬間には飛んだグラスが壁面で砕け散る。
男は笑みを浮かべ円卓の上の足を組みなおした。苛立っている。だが。ゆっくり優雅に頬杖を付くと優しく微笑んだ。
「まずは一石」
男の静かな笑い声が闇の中へと落ちていった。
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ひんやりとした洞窟内からは湿った匂いと何かの独特な匂いが漂ってくる。
想像していたよりも大きく、ツルッとした、複雑な地層が浮かぶ岩肌の洞窟。私は頂上の見えない岩山の大壁と洞窟の高い天井をホケーッと見上げていた。天井までもがツルッとしていて丸い。これは洞窟というよりトンネルではないのか?
「マツリ?」
「いやむしろトンネルだよ看板あったら完璧だよ、って、ごめん。ビックリしてた」
「とんねるとは何だ?」
「私の世界にあった人工の構造物でね?山とかに機械で穴を開けて反対側まで掘ったりするの」
「きかい?」
「えっと、人が作った道具でカラクリみたいなもの。人間の手じゃ難しくて出来ない事を出来る様にって考えて生まれたのが機械かな?」
「想像が出来ない。そんな物がお前の世界にはあるというのか?」
「うん。人間の努力と知識の結晶だよ。生活のあらゆる所で利用されてるの。こっちは魔法があるからそういうのない?」
「ああ。魔法で全て補えるからな。」
「そうか~。魔法の有る無しで、かなり違ってくるんだね~」
知ったかぶってウンウン頷く。
「それにしても不思議。どうやって穴掘ったんだろ?普通、洞窟ってもっと狭くてゴツゴツしてるものだよね?」
「ああ。魔法でもこれほど綺麗に岩を抉る事は難しいというのに、ここは発見された当時からこんな様相だったらしい。4つの出入り口にはどこか説明の付かない”不思議”があるんだ。だから箱庭は余計に神の領分だと言われてきた」
「なるほどねぇ」
自然の中で不自然な姿は目を引く。まして人が住めないなんて理があるんだもの。先人達がそう思うのも無理はない。
「よし。これから洞窟を進む。準備はいいか?」
「「「はい」」」
「マツリ。俺達の真ん中を歩け。ここからはヴェラオが行き交うし、危険があるかもしれない。心構えはしておいてくれ」
「わかった」
先頭はセウ。その後ろがシークエンタで、最後尾にナーダとオーガスタ。真ん中を私とフォルクマールが歩き、その周りを他の兵士さん達が囲んだ。
皆、物凄く緊張した面持ちだ。中には露骨に不安そうな人もいる。隣を歩くフォルクマールもいつもより表情が硬い。
「ルーレス」
シークエンタの掲げた杖の先に明るい光が灯る。
ピリピリを通り越してビリビリした雰囲気に私は眉を寄せた。警戒してるのはわかるが何か変。皆、どうしたんだろう?と考えて思い出す。ああ、そっか。
私は両手を広げて目を閉じ、自分の魔力に方向性を与えた。私から放出された力。
イメージ通りに皆の周りに暖かな光が纏わり付くのを確認して微笑む。
「これは……!」
「ん。加護みたいなもの、かな?」
「温かい……」
「でしょでしょ?」
ほのかに光る自分の体に驚き、動きを確かめてる彼らに私は笑った。
イメージしたのは安らぎだ。体と心、どちらにも通じる癒しを。
「大丈夫だよ。あの時とは違う。私も一緒に居る」
ハッとして目を向けてくる彼ら。
過酷な体験をした彼らにとって、洞窟は辛い記憶を呼び覚ますのだろう。
キュッと隣のフォルクマールの手を握った。冷たい手の平にビックリするが顔には出さない。
「フォル。そうでしょ?」
繋いだ手を左右に振って、ニカッと笑う私。
「――ああ。そうだな」
苦笑いしたフォルクマールが私の手を握り返してくれる。
「それじゃあ、レッツラゴー!」
「れっつらごー?」
繋いだ手をブンブン振り回しながら私は洞窟の奥へと足を進めた。
ここを抜けたら広がるのは外界。ぶるると体が震える。怖いんじゃないよ?武者震いだよ?さぁさ、いざ尋常に!
別に何かと勝負する訳ではないのだが、私の気分は若干好戦的になっていたのかもしれない。
だからその気配に一番に気づいたのも私だった。
「――えっとさ~、フォル」
セウの話では洞窟を抜けるのに2日、だっけ?出口はまだまだ先だ。ここに入って3時間。広いながらも洞窟の内部は曲がりくねっていた。
初めに聞こえたのはガシャンという金属音。奥の奥から聞こえてきた。
もしや、第1村人発見か?!
よく考えればヴェラオしかいないんだろうけど、その時は一般人かも?!と、緊張しつつも、ワクワクだったのだ。気配を探る。見通しが悪くても私の聴力に問題はない。
なのにさ~……。
――――暇だな。
――――いつまでもこんな所にいちゃあ、腕が腐るだろうがよ!
――――馬鹿野郎!待つのも仕事じゃねぇか!
――――ハハハ!お前、顔に似合わず真面目じゃねぇか!
――――おい聞いたか?”疾風のランドルフ”も行方不明だとよ。
――――嘘だろ?!あのクソ野郎Aランクだろ?!
――――噂は本当なんだろうよ。相手は”竜”だ。武器がなけりゃどうにもならねぇよ。
――――ギャハハハ!運の悪い奴!
――――そう言うなよ。運が悪い奴も居れば運が良い奴もいる。運が良い奴がいなきゃ俺らも飯が食えねぇんだからな。
――――ククク。違いねぇ。とっとと終わらして早く美味い飯にありつきてぇな。女も抱きてぇしよ。
――――はああぁぁ。獲物に良い女いれば、なぁ?
――――泣き喚く女か、ソソルよな、って期待させんなや!
――――おっ!おめぇ起ってんじゃねぇ?!
――――止めろ。出ちまう。
――――ガハハハハハ!!今日からお前の二つ名、”瞬殺のクルド”な!!
――――テメェら、ふざけんな!ぶっ殺すぞ?!
「……」
もうね?ガッカリ。萎えまくり。
ゲラゲラ笑ってる不特定多数のやる気(?)満々な”ガラ悪ぃ”皆さん。
意識して耳を傾けたのにこんなん聞かされるとは……。今すぐ地中深くに埋めちゃっていいですか?
試しに『オリちゃ~~ん?』って呼んでみるけど返事がない。どうやら緊急事態とはまだ判断してくれないようだ。
「マツリ?」
言いかけて黙ってしまった私をフォルクマールが振り返る。
私は答えず辺りの精霊を探っていた。土精霊と闇精霊。少しの風精霊と水精霊って所か。声をかけると近くまで寄ってきてくれる不可視の彼ら。問うと、奴らはこの洞窟に最近巣くいだした追い剥ぎらしい。やっぱり。
ため息を吐いてフォルクマールと視線を合わせた。
「フォル。この先に追い剥ぎがいる」
「何?」
「30人ぐらい、かな。武器の音もする。精霊達からも聞いたから間違いないよ」
私の報告にフォルクマール達の表情が引き締まった。
「関所を通り抜けるには許可が要る。その者達もヴェラオですね?」
「ああ。ヴェラオの間でも噂は広がっている。箱庭に入らずにここで待ち伏せ、か。悪知恵が働くな」
「なるほど。対策を取っておくべきでした」
「しかし、ここで横取りとは……。かなりの混乱が広がってるということでしょうな」
「この分だと間違いなく物価が高騰してますね。箱庭の品は持ち帰るだけで良い稼ぎになる」
「ここで出会ったのが運の尽き。ヴェラオの恥知らず共なんてさっさと捕まえましょう」
どうやら奴らを捕まえる方向で話は纏まったらしい。私も人になって初めての戦闘に顔を引き締めた。が。
「マツリ。お前は何もしなくていい」
「へ?」
「俺たちだけで十分だ。巫女が戦えるという情報も極力漏らしたくないからな」
「へ?ちょっと待って!」
「何だ?」
「ちょっと位、戦ったって大丈夫じゃない?巫女ならさ、何もしないってのも、何か不自然な気がするけど?」
「魔力の制御しながら魔法が使えるか?まだ慣れてないだろう?」
「そうだけどさ~」
「俺達に守られておけ」
そう言いながらフォルクマールがニヤリと笑う。このシュチュエーションに、普通の女の子ならドキッとして赤い顔を伏せたりするんだろうけど、あいにく私は普通じゃない。
どうしよっかなぁ。
私がいかにしてフォルクマール達にばれないよう参戦するか考えているうちに、両者の距離は近づいていった。
しばらくした後。最初に見えたのは光だ。
シークエンタと同じように杖先に光を灯した男が数人と松明を持った男が数人。
「うえ~っ」
誰にも聞こえないように舌を出す。ヒゲ面のむっさいオッサンと目つきの悪い野郎ばかりの小汚い集団だ。こいつらが女がどうのと言ってたかと思うと眉間に深くシワが寄る。
強盗も強姦も犯罪だ。今までそんな事を繰り返してたのかと思うと許せない。
私達の行く手を阻むように、奴らは広がって武器を弄んでいた。
「何の真似だ?」
セウが落ち着いた低い声を出した。おお!クールに悪役に対峙するヒーローみたい。
そっと見回せば自然体で立っているのにフォルクマール達に隙はない。
「な~に。あんた達が持ってる荷物を置いてってくれれば何もしねぇよ」
ニヤニヤ笑いながら前に出た1人の男が黄色い歯を剥く。嫌な笑いだ。どこの世界でも犯罪者はこんな笑い顔をするらしい。
「あるだろ?箱庭から戻ってるんだからさ?さっさと全部出せ」
下品に笑う男たち。私の耳は「優男ばかりかよ」とか「おぼっちゃま達が頑張ったね」とか聞きたくない小さい言葉も拾うからムカムカする。
相手の力量すらわからないのか、コイツラは。人数の差で有利に思ってるのかもしれないが、フォルクマール達は強い。
情報通りの30人位の犯罪者集団を少し離れた最後尾から観察してたら、一人のオッサンと目が合ってしまった。
「お!女がいるじゃねぇか!!」
……ありがちな展開ですね。
「おい、あの女……」
「白銀の髪だ。変わった顔立ちだが上物だ」
「体つきも良いしな。売ろうぜ」
ちなみに額には目くらましをかけているから、奴らに神石は見えない。
私を隠すように前に立つフォルクマールが舌打ちをした。舌打ちしたいのは私だ。と言っても変わった顔だの体つきだの言われたからで、見つかった事はむしろ笑い出したい位にOKだ。
これで私に奴らが向かってくれば、参戦出来る。文句は言わせないよ?
「ここに居ろ」
小声で言ったフォルクマールがセウに向かって歩き出す。変わりに1人の兵士が私の傍に付いた。
「何だ、兄ちゃん?」
「お前が頭か?」
「まぁな。なぁ、その女も置いていけよ。大事に可愛がってやるからよ。そうしたらお前らの命だけは見逃してやる」
「――断ったら?」
「断らせねぇ。荷物もあの女も俺達が貰う」
下卑た視線で私を捉えた男の前で、フォルクマールが笑った。
ここからでは顔は見えないが、背中から怒りのオーラが漂っている。初めて聞いたかもしれない。冷ややかな声が聞こえた。
「断る。交渉決裂だ」
男達の怒号が洞窟を揺らした。