第1話
「これが我らに伝わる創生の神話でございます」
そう教えてくれたのはセウだ。
今フォルクマールとオーガスタ達魔法組はこの先の川を渡る相談をしているはずだ。
「へ~、なんか素敵!面白いねぇ!それでルース神を信仰してるんだ」
「ええ。彼の方、ルース神は今も微睡んでいらっしゃるそうです。我が帝国にはルース神を祀る大神殿があると話しましたが、300年程前までは大神官が神の夢を読み、神託として国の政策に深く関わっていました。いつしかその技は失われ、神殿は権力を衰えさせましたがルース神への信仰心が薄れた訳ではありません。神殿は今でも私達の心の拠り所ですし、神聖魔法を使える者が多く属してますからね。国にとって重要な役割を果たしております」
真剣な口調のセウと並んで歩きながら私はしきりに感心していた。
さすがにフォルクマールの副官だけあってセウ自身も博識だ。
黙々と歩く退屈さに私はコンラドゥスの事を聞きたがった。そもそも箱庭の外ってどんななのか全くわからないし。
彼らの国コンラドゥス帝国は、箱庭の北西に位置するこの世界で一番大きな国だ。
現62代目皇帝アーダルベルド・オル・コンラドゥスの帝政のもと、小国を飲み込みながら発展を続けている。
丸い箱庭を中央にして三つの国が並んでおり、帝国の東は緑の国アゼルマ国、南は商人の国ラナン国が接している。
コンラドゥスは北に位置し山岳地帯が多いため、半年以上続く長い冬には広い国土の半分以上が雪や氷で覆われるらしい。なので農業や漁業より鉱業や林業が活発で、外交と軍事力を中心にその位置を確かなものにしたという。
特に軍事力では他の国の追随を許さない。皇帝は老いてもなお血気盛んで非情にして苛烈。清濁併せ呑むコンラドゥスは世界に名を馳せている。
おいおい。なんか冷たいっちゅーか物騒な国じゃないか?
私の眉間を見たセウが申し訳なさそうに「まぁ住めば都ですから」なんて言うから益々不安になってくる。
ナーダが「実力があって上に媚びれば生きていける良い国さ」と言ってセウに締められてたから、内情が昼ドラの如くドロドロなのは当たりなんだろう。
……これからお世話になって大丈夫なんだろか、私。
アゼルマ国は反対に国土の大部分が肥沃な土地で農業と畜産業が盛んだ。コンラドゥスとも輸出入で関わりが深い国だそうだ。
現王の素性も風貌も一切不明だが、その国政は飄々として揺るがず。コンラドゥスの次に大きな国だ。
有名なのは遊牧民。カンサオンと呼ばれるテントで生活をしながら広い草原を移動しながら暮らしているらしい。
聞いた時にはモンゴルの遊牧民とパオを思い出したよ。あんな感じなのかな?
セウが騎馬隊だけはアゼルマに適わないとちょっぴり悔しそうに言っていたのが印象に残った。
南のラナンは別名”常夏の国”。
砂漠あり、ジャングルあり、海ありの活気ある国で、どんな小さな街にもヴェラオのギルド以外に商人専用”タムカ”と呼ばれる大きなギルドがある。
この世界の貿易ルートのほとんどを”タムカ”は握っているらしく、”タムカ”に所属する人達には左の米神から頬にかけて奇妙な爬虫類っぽい刺青があるんだって。
常に頭を布で隠しているからわからないけど、髪を剃りあげているという噂も。これもナーダの話だから信用できないけどね。
”タムカ”のトップが議会で選ばれ、その人が王を兼任するらしい。ちょっと日本に似てる。
とにかく箱庭を取り巻くこの三国がフェリルースの三大国と呼ばれ、それ以外の数多の小国より勢いを持っている。
三国は百年もの間不可侵協定を結び、お互いに距離と均衡を保ちながら箱庭の利権を握ってきた。
4箇所ある箱庭の出入り口は北西・南西門をコンラドゥス、北東門をアゼルマ、南東門をラナンが管理している。
門といっても便宜上そう呼ばれているだけで扉があるわけではない。
険しく高い山に囲まれた箱庭にはそのルート以外では入れないのだ。
北東の入り口は細い峡谷の底の道。北西の入り口は山に穿たれた自然の洞窟。南東の入り口は水路だし、南西の入り口は吊り橋だったりする。
なので必ずそこには関所が置かれ、国から貰った通行証を持った者だけが行き来ができるようになっていた。
ヴェラオ達は門を行き来し一抱えの収穫をギルドへ持ち帰り、ギルドがそれを”タムカ”に卸し、全世界へ流通させる。
どこの国でも箱庭の貴重な物資は珍重され、高い値で買い取られるのだそうだ。
今まで上手く想像できなかった彼らの営みがそこにある。
フォルクマール達の帰国に同行する事になり彼らから話を聞くにつれ、想像していた箱庭の外の世界がより色づいていくのを私は実感していた。
まだ見ぬ世界に強く逞しく生きる人々。文化の違いはあっても人間としての生活に大きな違いはない。
一般の人達はどんな姿でどんな生活をしてるんだろう?どんな家に住んでいる?文字は?文化は?歴史は?
ああ、早くこの目で世界を見たい。空気を感じたい。
箱庭を離れる寂しさや先への不安は確かにあるのだが、私はまだ見ぬコンラドゥスや周りの国々にウキウキと思いを馳せていた。
フォルクマール達が私以上に今後の不安を感じているのは知っていたのだが、一度湧いた好奇心は止められない。
「ねぇ、セウ!北西の出入り口は洞窟なんでしょ?まだ遠いの?」
「そうですねぇ……。何事もなければこの先の川を渡って二日でしょうか。洞窟を超えるのに更に二日。関所を通って街まで一日ってところですね」
「後五日か。ああっ、どうしよう楽しみなんだけど!」
「落ち着いてください、マツリ様。王都まではまだまだ掛かるのですから」
苦笑するセウに私は満面の笑みを見せ付けた。
セウもそんな私を見て諦めたように笑う。
「まるで子供のようですよ」
「仕方ないじゃん。ずっと箱庭の外へ行ってみたかったんだからさ。料理に風呂に布団にお菓子!夢見たものがもうすぐ手に入るんだわ!」
「ああ、回らないで下さい!ほら転びますよ!――まぁ、私も王都には早く帰りたいですけどね」
「そりゃゆっくり疲れを癒したいよね~。いろいろあったし長旅だしね!」
「ええ。ゆっくり出来るかはわかりませんが――妻が待っているのです」
「へ?……ええ?妻ーー?!セウ、結婚してるの?!」
「はい。私は平民の出ですし、妻も下級貴族の娘ですがマツリ様とは気が合うかもしれませんね。いずれ紹介いたします」
そう言って空を見たセウの顔がすっごく優しくて私はときめいてしまった。
うんうん、何歳がこっちで適齢期かは知らないけど25だというセウなら結婚しててもおかしくない。
奥さんとラブラブなんだと見てるだけでわかる。こんな顔を見ちゃうと結婚もいいなぁって思うよね。
どんな奥さんなんだろ?
聞いてみると、セウの口元がちょっと曲がった。
「それが……」
「おっちょこちょいの泣き虫のガキ」
「ナーダ!」
言い辛そうなセウに代わってナーダが口を挟んできた。
「なんだよ、本当のことだ。失敗してはビービーすぐ泣くし。見るか?出発の時にお守りだと貰ったんだ」
そう言って見せられたのは刺繍がされた小さな白い布だったのだが――。
「あ、うん。これ斬新、な花だね!」
「……違います」
低い低いセウの声に私は焦る。
「あ、じゃあ皆軍人さんだし盾か!そうだよね!守って貰うんだもんね!」
「それも違います」
子供のお絵かきのような黒くて丸っぽい中華風の図案に私は冷や汗を垂らす。
困った。お約束だがラーメンのナルトとかイカ墨シューマイにしか見えないんだこれ。
「はぁ……太陽です」
「え?イムリス?!」
このヨレヨレのラインは勾玉の形?だとしても何故黒と茶色と深緑の糸でグチャっと縫うのだろう。他の部分はカラフルだから尚更わからない。
「いえ、妻はこれでも一生懸命なのです。やる気が空回りするタイプなのです。泣きながら、指を刺しながらこれを縫ってた彼女に私が何を言えましょう。あの日だってそうだ。弁当だって彼女に悪気は……ああ、もうそれは特技か特技なのか。どうして卵が爆発するんだ。天井に包丁が刺さるってどうやって――」
そのままブツブツとボヤキモードに入ってしまったセウ。
「『料理は愛情なのよ!』だか何だか知らないが、たまに持ってくるセウの愛妻弁当は炭と危険物しか入ってない。いつかの時には大量の卵が爆発して厨房壊滅したらしいぞ?」
コッソリと耳打ちしてくるナーダに私は引き攣る事しか出来ない。苦労してそうだな、セウ。
しかしナーダは続けて「マツリ様とは気が合うかもしれませんね。のっぺりした顔もどこか似てるし」なんて言うから私は思わず裏拳を放った。
鳩尾にクリーンヒットし蹲るナーダを見ながら仁王立ちする。
「油断大敵って知ってる?」
「お前はそれでも女か!?」
お勉強になって良かったねって思ったのに、やはりナーダは噛み付いてきた。負け犬は良く吼えるってホントだ。
フフンと顎で笑ってやったら「この暴力女!!」と暴言を吐かれた。
その態度にもう一発いこうかと思ったら、立ち直ったセウが代わりにゴツンと鉄拳制裁してくれたからいいんだけどさ。
それにしても、と私は頭の中の情報を整理し始めた。
王都まではまだ日数がある。
それまでに、もうちょっとこの世界の事を知って皇帝様の前でちゃんと挨拶できるようにしとかなきゃ。
こっちの世界は淑女の世界のようだから、素に戻らないよう気をつけねば。
事情を知る皆で相談した結果、私は”神竜の神子”を名乗る事に決定した。
額に輝く神石がある以上、ずっと魔法で隠すってのもバレた時が面倒だし一般人も装えない。
だからと言って「自分、竜です」って言ったって胡散臭いだけだろう。
証拠見せろって言われても竜にどうやって戻るのかわからないし。
それに、タマの存在って決して広言できないらしいの。
この世界は唯一神ルースを信仰している。
他にも神が居るって事実はこの世界の人間にとって根底を揺るがす一大事だし、下手すれば全世界で暴動や宗教戦争が起きる。
ルース神以外の神は全て排除。邪神扱いなのだ。それを踏まえるとタマはモロ邪神。実際やったこと鬼だし。
なので邪神の神竜ってだけで胡散臭さ倍増で私は石持って追われる立場なのだ。
そこで捻り出したのが、”ルース神の加護を受けた神竜の神子”という長めの肩書き。
これなら私は、無理なく手放しで歓迎されるだろうってのが皆の結論だ。
……そう上手くいけばいいけどね。
私は肩をすくめた。
もし途中でタマが戻ってきたらなんて言うか。想像は出来るが現状ではそれ以上の案も出ない。
自分の思いに関係なく、どんどん立場が複雑になっていくのは気のせいかな?
考えてみて欲しい。この世界に来てから自分の思い通りに物事が進んだ事など一度もない。
今回だって、あれよあれよという間に旅立ちが決まって流されまくってココにいる。
疑い深くなったって仕方ないと思うのだ。
だけど嫌な予感を感じつつ、人里の誘惑が捨てられないのは事実。
私は足の先の小石をコツンと蹴った。
「ま、なるようになるか」
楽観的に結論付けて私は大きく頷いた。
いざとなれば逃げてやる。表の立場が複雑になろうと、私は私。
それに私は1人じゃないから人間達の間でだって隠れて生きてく事には問題ない。持つべきものは友達なのだ。
「何が”なるようになる”なんだ?」
独り言に返答があって、私は顔を上げる。
「あ、おかえりー!フォル!」
ガツッ。
途端、嬉しさに駆け寄った私の頭を腕を伸ばして押さえられてしまった。
「マツリ、飛びつくのはやめろ」
「アハ!そうでした!」
悪びれない私の笑顔にフォルクマールは苦笑していた。
「でも場はわきまえるから大丈夫だって!」
チョキチョキとピースサインを動かす私にフォルクマールが呆れた顔をする。
「いつでも装えるようにならねば駄目だ。訓練もサボるなよ?」
「は~い」
「よし」
ワシワシと頭を撫でられウットリしつつ『これって女扱いってより愛玩動物扱い?!』って少しだけ不満だ。
「ねぇ、フォル。なんかこれって犬みたい。私レディなんだけど?」
「ああ、見た目は一応女か?卵だがな」
「女やめたこと一度もないんですがっ!も一つ言えばとっくに成人してるよ!」
「何とでも。中身も大人になったらそれ相応の扱いをしてやる」
「意地悪だ!フォル、意地悪になった!」
「”神子”がそれでは困るだろう?」
私はグッと詰まる。フォルクマールに勝ち誇ったように見下ろされるのがイライラする。
私がこうなってから、どうしてかフォルは意地が悪くなった。
やはりあの事を根に持っているのかもしれない。
「人前では上手くやれるもの」
「ほう。一応期待してる」
「後で吠え面かかないでよね?女は千の顔を持つんだから!」
「そりゃ多いな」
大笑いの彼に力強く頭を掻き回されたら、頭上で結い上げてた髪の毛がバサリと落ちてしまった。
「ちょっと!あ~~もうっ!――――ね、やっぱコレもうちょっと切らない?面倒なんだよ」
「「「駄目だ(です)」」」
こんな時ばかりピタリと揃う『白き風』御一行様に私はため息をついた。
サラサラした光輝くこの髪は鑑賞するには良いだろうが、持ち主泣かせの逸品だ。
目の前に髪がかかるのが鬱陶しくて嫌いな私は、そうそうに前髪を切って肩ぐらいに切ろうとしたのだが彼らに「「もったいない!」」と必死に止められてしまった。
シークエンタなんて「罰当たりな!」だよ?
この世界で女性の髪が長いのは常識だし、女性の髪には運が宿ると彼らは信じているのだ。
「これに?ナイナイ」と笑い飛ばして今にも切ろうとする私を最後に止めたのはラジェスだ。
『竜に戻ったら鱗の一部が剥げてるかもしれないぞ?』
髪の毛の色=鱗の色だ。鱗が髪に変化したのなら、その線はアリかもしれない。みすぼらしいハゲ竜の姿が脳裏に浮かび私は髪を切るのを断念した。
とはいえ、このままじゃ歩けない。
不器用な私は文明の利器がないとお団子にまとめるくらいしか出来ない。だがその出来栄えは「……徹子?」だったし。量多すぎ。
何度やっても指を零れ落ちる髪に半べそをかいていたら、見かねたフォルクマールが綺麗にまとめ上げてくれた。
賞賛の目で拍手する私に怯んだ彼は、それから毎日私の髪結い係だ。
意外に器用なんだよな、フォルクマール。面倒見が良いフォルクマールは文句を言いながらも毎日違う形に結ってくれた。
王子にやらせているという申し訳なさはあるが、他に出来る人はいないから甘えてしまっている。
……女としてどうなんだろう……。
そうなんだ。彼らの話で実感したのがもう一つ。
コンラドゥスは由緒ある世界最古のルース大神殿を抱える特別な国としても常に周りの国から一目置かれてるんだって。
その特別な国の王子で将軍なフォルは随分と有名で偉い人な訳で。
そんな人に対して私がした事といえば……。
美容師扱いでしょ?へそ出しでしょ?ロシアンケール(ケールの中にそっと口が曲がるほど苦くて体に良い青汁もどきを注入してみた)でしょ?微動もせず寝てるフォルクマールが怖くなって、息を確かめようとその辺で引き千切った葉を鼻に当ててかぶれさせたでしょ?
勿論その時は嫌がるのを押さえ付けて舐めて治しましたがね?ってセクハラじゃん!そういえば酔った勢いでチューも奪っちゃったしなぁ。
指を折って数えてみても碌な事をしていない。
コンラドゥスに着いてすぐ牢屋に入れられたりしないよね?
皆に休憩を告げるフォルクマールをソロリと見上げる。
私と目が合った彼は不審そうな顔をしたけど、手招きで私を呼ぶと目の前に座らせて髪の毛をまとめ始めた。
いつもながらの優しい手つきに口が自然と緩んでしまう。
「髪……いつもありがとね、フォル。感謝してるよ」
「大した事じゃない」
「大した事だよ。私出来ないもん」
「開き直りか?ほら、動くな」
クイっと髪の毛を引かれ姿勢を正す。
「やっぱり不思議なんだけど。フォルなんで上手に出来るの?」
「……たまたまだ」
歯切れの悪い返答にモヤっとする。まさか女とか?やだ!フォルクマールって女たらし?!
「違うっ!母の髪をまとめた事があったんだ!」
――また声に出てたらしい。
「お前は俺を何だと思っているのだ!」と怒りながら手を動かすフォルクマールに私は「ごめん」と笑った。
やっぱりいいな。同じ目線で笑うことが出来るって。
コミュニケーションの基本よね?目を合わせて話すっていうの。今までは見下ろしてたからなぁ。
ちょっと前までの視点の違いを思って私はしみじみしていた。
「よし。いいぞ」
「また!」
ポンと頭を小突かれてムッとした私が勢い良く振り返ると、フォルクマールの顔が物凄く近かった。
ピシリと固まる私と違い、フォルクマールは素早く体を引いた。
「――失礼した。あまり暴れるなよ?」
その言葉にハッとして「暴れないよ!」と怒鳴り返すと、フォルクマールは笑いながらセウの所へ行ってしまった。
……なんだかなぁ。やっぱり裸見られたのが原因だろうか?あの日からフォルクマールと接近すると妙にドギマギしてしまう。
フォルクマールが普通通りにしているのがなんだか悔しいくらいだ。
別に顔を赤らめて欲しいとは思わないけど、少しは動揺してくれたって罰は当たらないだろうに。
「ムッツリスケベ」
背中に呟いた一言は、お互いにとって幸いなことに彼には届かなかった。