第21話
※途中残酷な表現が入ります。
一陣の風が天幕の中を吹き抜けていった。
気づけば成り行きを見守ってた天幕の外の兵士達も一斉に跪いている。
えっと……。
立っているのは自分とロボ君だけ(腰抜かしてるローゼルは除外)というひたすら居心地が悪い状態に、私は自分の腕を上げたり下げたりするばかり。
自分の不始末に自分でケリつけただけなのに、なんで?
プチパニックの私はこういうとき何て言えばいいのかちっとも思い浮かばない。
『お、面をあげい?』
……思ったことをつい声に出してしまう自分を呪った。
ペーターが一言一句バカ正直に通訳して、スルー検定一級の皆様が何事もなかったように顔だけをこちらに向ける。視線が痛いよママン。
『え~~~あの、今日はお騒がせしてすみませんでした。みんな疲れたと思うしゆっくり休んでくださいね。あと怪我した人がいなければ、私もそろそろ帰ろうと……』
そこまで話して、ん?と引っかかる。何か忘れてるような……?
眉間にシワを寄せ考え込む私に怪訝そうなフォルクマール達。
視界の端に無様なローゼルが映る。
あっ!
思い出した私はローゼルへと一足飛びに詰め寄る。
無意識の羽ばたきで何人か転げたし、ローゼルは「ひいぃ!」と慄くが無視。
静かだから忘れてたけど確かこいつも――!
「お許しください!命だけは、どうか命だけは!」
歪んだ顔で私を遮ろうと丸くなるローゼル。さっきまでの威勢の良さは欠片もなく哀れなほどだ。
この状態では私が手を伸ばしてもズボンを捲るなんて器用な真似は出来そうにない。
私は奴の下半身を睨みつけながら低い声で唸った。
『脱げ』
ローゼルにはもちろん通じない。ざわつく空気の中、反応したのはフォルクマールとペーターだ。
「は?神竜様っ?!」
「な、な!何をおっしゃられるのですかっ!」
『いいからとっととコイツのズボンを脱がしやがれ!』
さすがにこの状況では色っぽいことは考えなかったのだろう。
一瞬青ざめた顔で言葉を失った彼らだが、『早く!』と言う切羽詰った私の声にフォルクマールが素早く応じた。
「ローゼル、神竜は――下を脱げとおっしゃられてる」
全員が静まった。無理もない。だけど一刻を争うのだ。
『急いでっ!燃やすわよ?!』
「早くしないと俺が脱がせるがどうする?」
フォルクマール、それじゃ危ない人だよ……。時間がないのに、つい突っ込んでしまう。現に兵士の動揺は激しい。
周り同様ピキンと固まったローゼルに業を煮やし、ツカツカと近寄り奴のズボンに手をかけようとした所でフォルクマールはやっと我に返ったらしい。差し出した手をピタッと止める。
「――セウ、ナーダ。頼む」
「了解しました」
「はい。――――あぁ良かった」
セウは淡々と、ナーダと呼ばれた茶色に近い金髪の童顔美少年は小さく安堵しながら。
フォルクマールは片手で顔を覆っているようだが、そんな事どうでもいいから早く!とイライラする。こんなことならもう一度風精霊を呼べばよかったな。
2人は「失礼します」とローゼルを立ち上がらせると両手を拘束した。
「なっ!このような衆目の前で下劣な真似を!貴公ら私を辱めるつもりかっ!」
あんた空気読みなさいよ。へっぴり腰のまま怒りに顔を染め「やめろ痴れ者!」と身を捩るローゼルに、セウとナーダが嫌そうな顔をする。
「誰が男を」という彼らの心の声が聞こえてきそうだ。
だが、おふざけもそこまでだった。
ローゼルが強く身を捻った瞬間。
ブツン。
不吉な音がした。
間近で聞いたセウとナーダの動きも止まる。
「あ……?」
脅えた顔で自分の足を見下ろしたローゼル。両脇を抱えられた彼の右足は左足より確実に長く――靴の先がまっすぐ左を向いていた。
「うわああぁ!私の足がああぁぁぁーー!」
口から泡を飛ばしながらローゼルは絶叫した。
間に合わなかったっ。
『早く足をこっちへ!』
蒼白で叫んだ私の様子をやっと理解したのだろう。セウが素早くローゼルのズボンを切り裂いた。
布の下から現れたものに私達は息を飲み呆然と立ち尽くす。
ローゼルの右足はすでに付け根の部分まで黒い痣で覆われ、短いブーツを履いた足首が力なくブラブラと垂れ下がっている状態だ。剥き出しになった白い腱がプチプチと泡立ち弾ける足首。膝下は今にもぐずぐずと崩れた肉が剥がれ落ちそうで白い物が所々に見えている。大腿部の痣は歓喜しているかのように活発に波打ち、目に見えて侵食の範囲を広げていく。腐臭がしないのが不思議なほど醜く腐れ爛れた右足。
なんてむごい――!
喉元にせり上がってくるものを感じ、私は顔を背けてえずく。
セウとナーダはいち早く立ち直ると、ローゼルの視界を遮るように手を翳し「ローゼル様、まずは横に」と地に彼を横たわらせた。
「私の……私の足がああ、足……痛みなど、足……」
相当なショックを受けたのだろう。壊れたようにブツブツと言い続けるローゼル。
フォルクマールとペーターも険しい顔で彼の隣に屈みこむ。
咳き込みながら何度か声をかけるがタマは答えない。私がやらなきゃ彼は助からないんだ。
怖気づく自分の心を奮い立たせ、口元をぬぐって真っ直ぐ視線を彼の右足に向ける。
陰の気を回収したとしても、失った骨や肉を再生することは出来るんだろうか。
カトルゼの時と違って、この足に口付ける勇気がなかなか出ない。
それでも震える口元をそろそろとローゼルに近づけようとしたら脳内で苛立った声が聞こえた。
『あああー!もうっ!このお人よしが!』
ハッと顔を上げると、ローゼルが地面ごと黒い穴に引きずり込まれていく姿が見えた。
その場を飛び退ったフォルクマール達の無事を確認してホッとする。
『タマ?!』
叫んでもタマは返事をしない。苛立つ感情を送ってくるだけだ。おまけに抗い難い睡魔が私を襲った。
タマ、何をする気なの?
何か不吉なことが起こる気がして心臓が痛いぐらい締め付けられるが、反対に瞼はどんどん下りてくる。
どうして、嫌だよ、タマ……。
それでもタマは答えない。
私に黙って何かをしようとしているタマに強い不安を感じながら、私の意識は闇に落ちていった。
**************
目覚めた私は、自分の寝床にいた。
傍らにはロボ君となぜかラジェスがいる。
『……ラジェス?ロボ君?』
『ああ、俺だ。目が覚めたか?気分はどうだ?』
『マツリ、シンパイシタ』
ペロペロと私の指先を舐めるロボ君と、心配そうに見つめてくるラジェス。
低血圧な私は寝起きはいつも頭が回らない。
だけど――。
ガバリと起き上がると辺りを見回す。
『フォルクマール達は?!ローゼルはどうなったの?!私眠らせてる間に、タマ何したのっ?!』
その問いかけにロボ君がキューンと鳴いた。
ラジェスがロボ君を労わるように撫でながら、冷静な声で私に言う。
『――マツリ、彼らはお前の神の罰を受けている』
寝耳に水とはこの事だ。固まった私は次の瞬間ラジェスに詰め寄っていた。
『なんで?!ローゼルだけじゃなくてフォルクマール達もって事?!何でそんなことになったのよっ、あのバカ!もういい、自分で聞くからっ。タマ来なさいよ!』
空に向かって吼えてもタマが来る気配がない。
それだけじゃなくいつも感じていたタマとの繋がりがひどく頼りなく薄かった。
ドクン。今までにない強烈な不安と喪失感に目の前がクラクラする。私の癇癪はラジェスに向かって爆発した。
『落ち着くんだ、マツリ』
『どうなってるの?!なんでタマ来ないの?!なんで私に関係あることなのに私だけ蚊帳の外なのよっ!』
臭いものには蓋をしろっていうけど、その場しのぎにしたってあんまりだ。
目覚めた私がこうなる事くらいあのバカ神はわかっていた筈なのに。
あれからどうなったのか彼らを心配する気持ちはある。だけどそれよりもどうしてタマの気配が消え入りそうなのか。
タマとの繋がりが希薄なことがこんなにも恐ろしい。
考えたこともなかった異常事態に私は我を忘れていた。
どこに行ったの?逃げたの?私を一人この世界に捨てて?
『タマいないのっ?!お願い返事して!』
そんな馬鹿なと祈るような気持ちでタマを呼ぶが、応じるのん気な返事はない。
なんでこんなに心が冷たくなるんだろう。傾ぐ体を支えられない。
捨てられた、と思った瞬間私は魂からの悲鳴を上げた。
『いやあぁぁぁー!なんでえぇぇー!』
『それは違う!マツリ聞けよ!』
ラジェスの言葉が耳に入らない。捨てられた。捨てられてしまった。
眠らされる前にタマは苛立った感情をぶつけてきた。私がすごく苛立たせるような事をしたからタマの愛想が尽きてしまった?
界を渡ることが出来る自由奔放なタマ。私に飽きて行ってしまったのならもう後を追うことは出来ないだろう。
限界まで見開いた両目から迸る虹色の雫。私は無意識に自分の胸を掻き毟っていた。爪にヌルリと赤いものが付く。
それでも望んだ存在の反応はない。一縷の希望も打ち砕かれた。あまりの絶望感に血まみれのその爪でギシリと両腕を抱え込む。
『放さないって言ったのにいぃー!あああああぁぁぁぁー!』
私の深い慟哭は大気を震わせ、強い風を巻き起こし、地を揺るがせた。
黒い大量の陰の気が私から溢れていくのがわかる。
私を中心に爆発するように、黒い陰の気が撒き散らされ周囲の動物や精霊達を巻き込んでいった。
巻き込まれた者達は苦しみのた打ち回り、徐々にその姿を凄惨で凶暴なモノへと変貌させていく。
空は妖しい黒い雲に覆われ雷鳴が轟き、地が割れる。禍々しい力に溢れた風は箱庭中を駆け巡った。
『くっ!言われた通りかっ。ロボ!手筈通りに!』
『ワカッタ!』
ロボ君は風のように森の奥へと駆け去った。
『おい!マツリ!話を聞けっ!』
『ウアアあああああああああぁぁぁぁぁぁー!』
止まらない慟哭。止められない力。
引き摺られた禍々しい者達の耳を劈く声が私の悲鳴に重なってゆく。
目を見開いているのに、私の目の前は闇に塗りつぶされ何一つ見えなかった。
『このっ!強情娘が!人の話を、聞けといってるっ!!』
自分の周りに小さな結界を張ったまま陰の気の中にラジェスが飛び込んでくる。
結界に押し寄せる膨大な陰の気を完全に抑えることは出来ず、私の力はラジェスの体を軋ませている。
それでも怯まないラジェスは悲鳴をあげ続ける私の顔の前に降り立った。
私の目からは濁った赤い雫がポタリポタリと落ち続けている。ラジェスは荒い息で舌打ちした。
何も見えない真っ暗闇の中ポツリと小さな光が浮かんだ。暖かそうなあの光はなんだろう?
陰の気が手を伸ばすけれど、何故か寸前で弾かれてしまう。
『ハァ、ハァ……。まったく面倒な女だな』
目の前に力なく浮かぶ小さな光。
そう言うとラジェスは躊躇なく私の口に自分の唇を合わせてきた。
それは男女の色っぽさなんてサラサラない、ただ口を押し付けるだけのもの。
遠くで誰かに名を呼ばれた気がした。最初は聞こえなかった声がかすかに聞こえてくる。
触れ合った口から流れ込んでくる暖かい気配は神気。
これ、タマの……。
タマだと理解した瞬間、パキーンと劇的に目の前が明るくなった。意識が浮上しクリアになっていく。
『マツリ、戻れ』と名を呼ぶ声が聞こえる。この声ってラジェスだよね?
果たして視界を取り戻した私の目の前には白茶の髪を乱し鋭い目で私を睨むラジェスがいる。
やっぱりと思う一方、ラジェスの睫毛までくっきり見える状況になんかこれ異様に近くね?とか思ってしまう。
私の大きな口に感じるほのかな暖かさと口元に添えられた暖かい手の感触。パチパチと瞬きしたらラジェスもパチリと瞬きした。
うわ、バサリと音したよっ睫毛なげぇ……って。
『うぎゃああぁぁーーーっ!?』
私はむんずとラジェスの体を鷲掴みにして顔から離す。ウッと呻いた彼をバシッと力いっぱい地面に投げつけた。
な、な、なあぁ!何をしてるんだこの野郎は!
『何しやがるとは、こっちのセリフだ』
ゆっくり立ち上がった土や葉っぱまみれのラジェスは憤怒のオーラを纏っている。
どうやらまた思った事が口から出ていたらしい。
『助けてやった俺にする仕打ちがこれか?お前の礼儀は随分なものだな』
そりゃ私だってもう大人ですから礼には礼を。TPOを弁える分別くらいは、って違うっ。
『い、今何をあんた――』
『とにかく落とし前は後だ。まずこれをどうにかしろ』
アウアウと口を開閉していた私だが、そう言われてハッとする。
森が、箱庭が陰の気にまみれている。私とラジェスのいる位置はかろうじて結界で半円形に覆われているが、そこから先は暗闇で見えなかった。
『うわっ!ナニコレ?!』
『お前が出したものだろうが。いいからほら、これ額で割って入れろ』
そう言ってラジェスが懐から取り出したのは拳くらいのガラス球。
顔をしかめた私に『お前の神から預かった。神気と瘴気の払い方を仕込んでるそうだ。死にはしないから一気にやれ』とラジェスは言う。
彼の口からタマの名前が出てきたことで、一連の説明を聞きたくてウズウズするが周りの状況を見ればそんな場合じゃないことは一目瞭然な訳で。
ガラス球は中心から輝いており、随分とガラスの層が厚い。これ額で割ったら流血するんじゃ……とゴクリと息を飲む私にラジェスはとっととしろと圧力をかける。
タマめ。絶対嫌がらせだ。
切羽詰った状況や、どんどん危険なものを孕むラジェスの視線の手前やらない訳にもいかず、渋々私は額の神石にガラス球を叩き付けた。
ゴイン、バリーンッ、バーカ
物凄い痛みとともに、雪崩れ込んでくる神気と知識。
うずくまって痛みに悶えながら、最後のありえない擬音にタマの天井知らずの鬼畜さを噛み締める。
額から煙を立ち上らせ、血を垂れ流す私にラジェスはドン引きだ。
お前もやれって言っただろうが!
私はやり場のない怒りと恨みをラジェスにぶつけるべく、射殺すように無言で睨みつけるのであった。
男2人が茉莉に振り回される回でございました。