その8
今井の家に着くと、維高大明神のお札は居間の神棚に置かれた。
黒瀬は今井の家で明け方まで休ませて貰うことにした。疲れたと思った。
本当に疲れた。でも、まだ黒瀬にはやらなければならない大事が残されていた。
京都に行き、これらのお札を納めなければならない。納めてこそ、全てが成就する。
それまでは、まだ気が抜けない。この先、どのような妨げが有るかも知れない。
維盛、六代と郎等の霊が都に戻るのを喜ばない、何らかの強い力。白い幟の亡霊、
怨霊。彼らは決して許さないであろう。その為には、これから黒瀬に様々な妨げを
仕掛けてくる事は十分に予測出来る。命の危険も有る。もし、黒瀬が役目を果たす事
が出来なければ・・・・・・・。
場合に依っては事の成り行きを観ながら今は静かにしている平家の郎等の亡霊が暴れ
出し、怨霊同士の戦が始まる可能性も有る。黒瀬には荷が重過ぎると思った。
何故、このような役割を背負わされたのか。何故、神仏はこのような役割を私に与えたのか。
疲れが更に増した。
「黒瀬様。この度は、大変お世話になりました。村の代表としてお礼を申し上げます」
今井が言った。
「これも、縁あって大事を仰せつかった者としての当然の役目です」
「風呂も沸いております。汗をお流し下さい。奥に床も敷いてあります。汗を流された
後は十分にお休みください」
「有難うございます。それでは、そうさせて頂きます」
「黒瀬様。その前にお願いがあります」
「何でしょうか」
今井は少し話し辛そうにしていた。
「この老いぼれを一緒に京都までお連れ下さいませんか」
黒瀬もお札を納めるに際して、今井に京都まで同行を願へればと考えていた。
「わしには、最後までお札が納められるのを見届ける責任があります。黒瀬様のお力
を信じていないのでは有りません。決して誤解なさらないで下さい」
「それは、十分に分かっております。今井様が村の長として、今回の事を最後まで
見届けたいとのお気持ちは当然でございます。実は、私も今井様に京都に同行頂き、
今井様自らのお手で、お札を納めて頂ければと思っておりました。それが、今まで
ご先祖様方を守ってこられた村の長としての役割であり、筋と思います。不都合で
無ければ、是非そうして下さい。私からお願いします。そうして頂ければ、
私も心強いです」
「そうでしたか。有難うございます。それでは、そうさせて頂きます。宜しくお願いします。」
更に今井が言った。
「黒瀬様にお願いしたのには、他にもう一つ理由があります」
「私が京都まで無事に着く事が出来て、お札を納める事が出来るかとのご心配ですね」
「実は、そうです」
「私もそれは案じております。これらの方々が、都に戻るのを喜ばない者も居るはずです。
道々、どのような妨げをしてくるかも知れません」
黒瀬は神棚と床の間に置いてあるお札を見ながら話した。
「私は、その事を一番心配致しております。今、ここに居られる方々は我々の御先祖様方
です。仲間です。それ故、我々や縁者に対しては、例へ怨霊と言へえども、維盛様、
六代様が付いておられる限り、我々には害を為しません。しかし、この方々を妨げ
ようとする者達は違います。凄まじい怨念の力で黒瀬様の命までも取りに来るやも知れ
ません。源氏方の・・・」
今井が心配そうに言った。
「私も、それは感じております」
「黒瀬様も矢張りそうでしたか。道々、何処で白い幟が立ちはだかるやも知れません。
今は我らの御先祖様方は皆様落ち着いて静かにされておられます。しかし、何らかの
妨げでお札を納める事が出来なくなれば、今度は収まりのつかない大変な事態に成り
かねません」
「私もそれを心配致しております。今井様には、何らかの思案がお有りなのでしょうか」
「じつは私の甥で、いざなぎ流の太夫がいます。その者を私と共に同行させて頂きたいのです」
いざなぎ流はその昔、高知の物部地区を中心に修験道・陰陽道などあらゆるものを集約し、
独自に発展を遂げた、ある種の祈祷集団である。いざなぎ流の太夫は自らを博士
と呼ぶのであった。元々は高度な知識を持った平家の落人が始めたとの説も有る。
「そうでしたか。願ってもない事です。ましてや一族の血筋の方であれば」
黒瀬が言った。
「それでは、これからその甥に連絡を取ります。黒瀬様には今日は十分にお休み頂いて、
出発は明朝と言うことにして下さい」
「それでは、お言葉に甘へ、そうさせて頂きます」
「甥には明朝、高知駅に来るように申し伝えておきます」
「宜しくお願いします」
黒瀬はそう言って、床に付いた。
黒瀬は少し安心した。縁者のいざなぎ流の太夫に同行して貰えれば、こちらの力も倍以上
にはなる。流石に疲れていたのか、直ぐに熟睡した。しかし、夢の中で白い幟を見た記憶
が残った。黒瀬が目を覚ましたのは昼もとっくに過ぎた頃であった。黒瀬は東京の事が気
がかりになり吉川に携帯で電話をしてみた。
「吉川君か。黒瀬だが。そちらはどうかね」
「旨く行きました。スタッフの三人は今日の朝、霊障も取れて全員回復しました。投稿者
からは未だ連絡が有りませんが、武田が確認を取るようにしています。有難うございました」
「それは良かった」
「先生が東京に戻られたら、武田が一席設けるとの事です。楽しみにしていて下さい」
「分かった。それでは東京に戻ったら、こちらから連絡をするよ」
「それと・・・・・」
「それと、なんだね」
「原稿の方も宜しく」
「分かったよ。それじゃ」
黒瀬は原稿の事を言われて、むっとして電話を切った。吉川は、昨晩からの出来事や、
これから起こるであろう事などは知る由も無かった。
今井が黒瀬の声を聞いたようで、部屋の外から声を掛けた。
「黒瀬様。お目覚めですか。お部屋に入って宜しいでしょうか」
「構いません。どうぞ」
今井が部屋に入って来た。
「つい、寝過ぎてしまったようです。面目有りません」
「とんでもありません。十分に休養をお取りください。まだ、お疲れが取れないのではと
心配いたしております」
「いや。もう大丈夫です」
「ところで、甥には先程連絡をしておきました。明日の午前十時に高知駅で待ち合わせを
する事になりました」
「有難うございます。お二人にお供頂ければ、これ程心強いことは有りません」
「黒瀬様、お一人でも大丈夫とは思っております。しかし、何分根が深く何が起こるやも
知れません。事が起きた時に黒瀬様のご負担を些かでも軽く出来、お役に立てればと願う
次第です」
「ご配慮感謝します。それでは今井様に怨霊除けの護符をお渡ししておきます。肌身離
さずお持ちください」
「黒瀬様、有難うございます」
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