その6
黒瀬は一時間程車を走らせ目的の村の入口に着いた。周囲を山に囲まれた川の側に有る戸数が二十戸ほどの小さな集落で、如何にも落人の伝説に出てきそうな雰囲気のする村だった。
確かに、村の入口の反対側の山の斜面には鳥居が有り、神社に上る石段が有った。石段の上を
見上げると社の天井だけが見えた。
鳥居の手前には「村の者以外は許可無く立ち入りを禁ず!」と書いた立札が立っていた。
「これか」
と黒瀬は思った。すると同時に、体全体で非常に強い殺気と妖気を感じ、頭が強い力で締め付
けられた。
「見られている。強い、余りにも強すぎる」
黒瀬は小さな吊り橋を渡り村へ入り、武田が書いた地図を頼りに長老の家を探した。長老の家
はすぐに分かった。高さが一メートル程の垣根で囲まれた百坪ほどの敷地の中に有る茅葺屋根
の古い大きな家だった。
黒瀬は門を入り玄関の前まで来た。表札を見ると確かに今井と書かれていた。黒瀬が呼鈴を押
そうとした時、庭の角に有る納屋の戸が開いて、年は八十歳前後の日焼けした顔であったが、
気品を漂わせた一人の年寄りが出てきた。
「今井清隆様のお宅でしょうか」
「私が今井清隆です」
「東京から来ました黒瀬と申します。じつは・・・・・」
と黒瀬が言いかけたところで、今井が黒瀬の言葉を遮るかの様に言った。
「黒瀬様ですか。お待ちしておりました」
黒瀬は予想外の言葉に一瞬戸惑った。
「私が今日こちらにお伺いする事を、ご存知だったのですか」
今井は穏やかな顔をして言った。
「実は、昨晩と言うか、今日の午前四時頃に千手観世音菩薩様を背にされた、紫衣を召された
六代様が、わしの夢枕に立たれまして、『今朝、訪れる者の指示に従うように』と申された」
今井は更に続けた、
「そして、こうも申された、『その者の労により、我が父と我は郎等を伴い京の都に戻る事が
出来る。都で我が父と我で郎等どもの怨念を鎮め、平家一門の霊を弔う』と」
「そうでしたか」
「六代様はさすが仏様にお仕へなされたお方。清盛様と同じく情け深いお方です。この長い年
月の間に彼岸に到達なされたのでしょう」
今井が穏やかな顔をして言った。
黒瀬はこの村に来る事になった経緯を説明し、これからの手順を今井に詳しく説明した。
「今日の午後十一時から護摩焚きを始めさせて頂きます。護摩壇に使う組木は車に積んであり
ますので、暫くの間、川に沈めておいて下さい。護摩木も用意してありますので、村の方々に
お配りし、御先祖様方の名前を出来るだけ多く書いて貰って下さい」
「委細は承知いたしました」
今井が物静かに言った。
「護摩焚きは私と今井様だけで執り行います。そして護摩焚きの間は外部の者の目につかぬよ
うに鳥居の周りを大きな幕で囲って下さい。儀式の間は村の方々には外部の者が近付かないよ
うに見張ってもらうようにして下さい。護摩焚きを始める前に川で禊をします。この二月の寒
い時期に大変申し訳ありませんが今井様にも禊をして頂きます。何卒お願い致します」
「寒かろうが、暑かろうが、私は一向に構いません。御先祖様方の役に立つ事であれば。また
それが将来、村の者達の為にもなるのであれば私はそれで本望です。村の者には重ねて指示致
しておきます」
黒瀬は更に続けた。
「護摩焚きが終わりましたら、お社の中に納めてあるお札を私がお預かりし京都に持って行き
八坂神社にお納めします。そして、別に新しい木札を二枚ご用意下さい。それには“南無六代
妙覚自在天”と同じに墨で書いて下さい」
「黒瀬様。その二枚のお札はどうされるのですか」
「一つは蓮華王院即ち三十三間堂、もう一つは鞍馬寺にお納めさせて頂きます」
「そうでしたか。これで六代様も自在天様に昇格されて、京の都で千手観世音菩薩様の庇護の
下で心置きなく平家一門の供養が出来るのでありましょう。誠に有難い事です」
「私も、それを願っています」
「ただ、心配が有ります」
今井が不安げに言った。
「察しは付きます。あそこに居る郎等全てが付き従うかどうかでしょう」
「その通りです。源氏は壇ノ浦の戦の後、平家を根絶やしにしようとし、婦女子に至るまで殺
戮し、胎内の子までも腹をかっさばいて殺めています。郎等の中には源氏方に妻子を殺された
者達も大勢います。今でも彼ら郎等の恨みが強い怨念として残っております」
「今回は維盛様と六代様にお任せし、神仏の加護を信じ、執り行うだけです。今井様と私はそ
のお手伝いをさせて頂くだけです。その為に、私がこの村に来る事になったのです。必ずや良
い結果が出ます」
「黒瀬様。有難うございます。良く分かりました」
今井は安心したように言った。
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