その2
翌日、約束の時間に黒瀬がプレジデントホテルのカフェテリアに行くと吉川とその
友人は既に来て待っていた。
「先生。こちらです」
窓辺の席から吉川が迎えに出てきた。
「やあ」
「先生。ご多忙のところ申し訳ありません」
「別に気にしなくてもいいよ。吉川君の頼みだし、それに何時もの事だから」
黒瀬と吉川は友人の待つ席に行った。
「先生。彼が私の大学の時の友人の武田です。ゼミが一緒で、卒業後も時々会って、
よく呑みに行ったりもしています」
「武田です。宜しくお願いします」
「黒瀬です。こちらこそ」
「黒瀬先生。今回はご多忙のところ、ご相談にのって頂けるとの事で感謝いたします」
武田が言った。
「吉川君の頼みなので、断る訳にもいかないし。なあ、吉川君」
「は、はい。有難うございます」
吉川が恐縮して黒瀬に言った。
「吉川君から事情は聞いて貰っているとは思うが、私の本業は作家で、霊能者や心霊
評論家などではないから。心霊現象などの番組には一切出ないし、私の名前を出され
ても困る。そこの所はよく承知しておいて下さい」
「その事は吉川から聞いています。黒瀬先生には一切ご迷惑をお掛け致しません」
「それならいい。では状況を詳しく聞かせてもらいましょう」
武田が話し始めた。
「今回、心霊現象の特番を予定していました。それで、情報をネットで公募したとこ
ろ多くの情報が放送局に寄せられてきました。中には眉唾のような話も多く有りましたが、
その中で十件程信憑性が有るものをピックアップし、企画を組み、取材を始めました」
「その内の一件が今回の問題のところだね」
黒瀬が武田に言った。
「そうです」
「霊能者の何とかと言った先生も一緒だったのだろ」
「はい。今回の特番は山口千代先生に監修と出演をお願いしていました」
「それでは、君たちはその山口なんとかと言う先生に、事前に取材の場所が安全かどうか
の判断をして貰うとか、霊障を受けない護身法をして貰うとか、護符を貰うとかの指導は
受けなかったのかね」
「護符は一枚頂きました。料金は別に請求されましたけど。それは取材車の中に張っておき
ました」
「それでは駄目だよ! 護符は各自が持たないことには。それに霊障を受けない為の護身法
は欠かしちゃ絶対に駄目だ!死霊や怨霊には力の強いもの、弱いものなど千差万別だ。
霊障にしても霊の持つ力の強さや弱さで違ってくる。その山口先生が、どれ程力の有る
霊能者か祈祷師かは知らないが、事前に行く場所の霊障の強さを察知するのはその先生の
役割だ。その山口先生の持つ力より霊の力が強ければ、最初からその場所は避けるべきだよ。
その判定も出来ていない。それに、メディアの興味半分の取材などは特に霊の反発を招き安
い。単なる死霊、例えば自殺や事故死の場合は、祈祷をして成仏させてやればそれで事は治ま
る。霊障も取り除ける。しかしだな、怨霊となると話はまた違ってくる。強い弱いは有るが、
怨霊は怨霊なりの考え、執念を持ており、興味半分の者が領域に入って来ると、容赦なく立ち
向かってくる。こちらに力が無ければ、逆に命まで取られる事にも為りかねない」
「そうでしたか」
武田が蒼白な顔をして言った。
「霊能者や祈祷師もメディアにチヤホヤされて生活が派手になれば欲も色気も出てきて修行
が疎かになる。その山口先生とやらも、今は自分を守る事だけで精一杯なのだろう。私から
言わせれば、怠慢としか言いようがない。プロの霊能者として看板を出しているなら、それな
りの事をしなければ、周りを危険に落とし入れるだけだ。しかし、武田君の場合は最初だけ
霊障を受けただけで助かったようだが」
「はい。今の先生のお話をお伺いしていて、思い当たるところがあります。実は私は以前に
母から貰ったお守りと言うか護符と言うかを何時も持っています」
「そうか。それで君は最初に霊障を受けただけで済んだのだな」
「私の実家は自分で言うのはなんですが、千葉でも古くから続く地主の家系です。神棚と
仏壇は昔から有り、庭にはお稲荷様の外宮も有ります。代々、信仰深く、祖父母と両親も
毎朝丁寧にお奉りをしています」
「やはりそうか。それで君の場合は守護されたんだ。武田君の持っている護符はお稲荷様
の護符ではないかと思うが。霊障が始まったので、おそらくは稲荷の眷属が守護する為に
君を取り囲んだのだろう」
「そうでしたか。今もそれは持っています。何でしたら、先生にお見せしましょうか」
「いや。それは止めとこう。もしそれが秘符の場合、人に見せて効力が無くなるといけない
から。無闇やたらと人には見せない方が良い。これからも大事に肌身離さず持っていなさい」
「はい。分かりました」
「それと、実家に帰る事があれば、必ず神棚、稲荷の外宮、仏壇に今回ご守護頂いた事に
感謝をしなさい。これからも守って貰えるよ」
「はい。先生、そうさせて頂きます」
「おそらく、霊障が始まり、稲荷の眷属が君を取り囲んだ時は、その山口なんとかと言う
先生は怖くて震え出したんじゃないかね」
「いやあ。震えかどうかは分かりませんが、顔が真っ青になっていました」
「そうだろう。稲荷の眷属が本気になると凄まじいからな」
黒瀬が納得したように言った。
「それで、その山口先生から君の三人のスタッフには、その後フォローは有ったのかね」
「山口先生の話では、あれから毎日自宅の祭壇で祈祷をして下されているとかで、三・七、
二十一日は必要とおっしゃられていました。しかし、もう既に二十一日も過ぎていますが、
スタッフの様子が一向に良くなる気配が有りません。それで今回、思い切って吉川に相談
した次第です」
「その山口先生、祈祷もしていなんじゃないかね。最初から、太刀打ち出来ない霊障なの
だろう。迂闊に祈祷をしようものなら自分が霊障を受けるので諦めてしまっているのでは
と思うが。その後、その先生には連絡したのかね」
「連絡はしましたが、助手の方の話では多忙との事で、直接ご本人とは話が出来ていません」
「逃げているね、その先生。ところで、どのような症状と言うか霊障かね」
「私が受けた症状と全く同じなのですが、最初に目が痛くなりました。度の強い眼鏡を長らく
掛けているような感じです。その次に頭、特に前頭葉が痛くなり、その後に後頭部から首筋に
痛みが出てきて、吐き気がしました」
黒瀬は武田から現象を聞いて暫く考えていた。
「そうか・・・。その現象は、おそらくは怨霊によるものだな。それも、かなり昔から居る
強い怨霊だ。相当に手強い相手の様だな」
「先生。どうすれば良いでしょうか。早く三人の霊障を取り除いてやりたいのですが」
黒瀬は困った表情をした、そして思い出したように吉川に言った。
「あ! その前に吉川君。君にこの護符を渡しておくので、肌身離さず持っていてくれ。
と言うのは、君は今回の話の仲介者になる。場合によっては仲介者に霊障が出てくる事がよく
有る。霊障を受けないためにも。この中で護符を持っていないのは君だけだから」
「先生。有難うございます。頂きます。でも脅かさないで下さいよ」
「吉川君。別に脅かしてはいない。霊障は場所や距離などは一切関係ない。電話で話しをする
だけでも相手の霊障を受ける事もある。注意に越した事はない」
「は、はい。肌身離さず持っています。有難うございます」
吉川は恐縮した様子で黒瀬に言った。
「吉川君。君にもおかしくなられては困るからな。君だけだから。原稿が締切りを過ぎても待
ってくれるのは」
黒瀬の言葉で、張り詰めていた雰囲気が一瞬和やかになった。
「ところで、霊障が起きた場所と状況についてもっと詳しく話して下さい」
黒瀬が武田に聞いた。
「はい。場所は高知県東部の徳島県との県境に近い村です。ネットの投稿者は二十五才の青年
です。四駆で四国を旅行中に高知から徳島に抜ける計画で国道五五号線から県道二〇七号線に
入り徳島に向けて一時間程走ったところで急に睡魔に襲われたとかで、事故を起こしては不味
いと思い県道沿いの小さな村に入る細い吊り橋の手前で車を止めて仮眠を取り始めたとの事で
す。時刻は午後十一時過ぎ。すると、夢の中で小さな神社が見えてきて、その石段を登って行
き、途中でお社を見上げると、赤い幟のような、旗のような物がお社を囲むように沢
山見えてきて、突然お社の扉が開いてお札のような物が見えて、それには“維高大明神”と書
かれていたとの事です。青年はそこで目が覚めて、時計を見ると午前〇時三十分を過ぎていた
とか」
「それが心霊現象かね」
黒瀬が口をはさんだ。
「先生。まだ続きが有るのです。目が覚めたその青年は車を止めていた反対側を見ると山の斜
面に石の鳥居が有り、夢で見たのと同じ石段が有ったので、車から降りてその石段の所まで行
き上を見上げると暗くて何も見えなかったので、一旦車に懐中電灯を取りに戻ってからその石
段を上ったとの事です。石段の幅は2メートル程で、お社の有る最上段までは十数メートル位
ではなかったかと。石段の中程まで上って行くと、社の回りが薄明るくなったような感じで、
やはり夢の中で見たのと同じ赤い幟のような、旗のような物が社の回りに沢山見えたとかで」
「その青年は夜中に一人でそんな所に行って怖くないものかね」
黒瀬が言った。
「その青年は空手の有段者とかで怖い物知らずで、最初は狐か狸が化かしに来たのかと思った
らしいです」
「ははあ・・・・成程な」
黒瀬が納得したように言った。
「しかし、石段を中程から更に上ろうとしても足が動かなくなり、私達スタッフと同じように
目から頭が猛烈に痛くなってきたので、石段を下りようとして躓いて下まで転げ落ちてしま
い、やっとの思いで車に戻った途端に意識を失ったとかで、気が付いたら午前七時を過ぎてい
たと言っていました」
「最初から全部夢だったのじゃないのか」
黒瀬が言った。
「いや。そうでもないのです。目が覚めると足と腕に擦り傷があり、懐中電灯が鳥居の石段の
手前に落ちていた、と言っていました。そして未だに目の痛みと頭痛が取れないようです」
「それで、私たちもその神社の有る村に取材に行った訳なのです」
「その村の人からは取材中に何らかの話を聞けたのかね」
黒瀬が武田に聞いた。
「はい。村の長老に会う事が出来ました。そして、聞いたのですが、『そんな馬鹿な事はな
い。狐か狸に化かされたか、酔っ払っていたのでは』と笑われました。そしてあの問題の神社
は『村にとっては先祖代々伝わる神聖な場所で許可無く足を踏み入れる事は一切してはならな
い』と言もわれました」
「それで、君たちは長老の許しを得ずに神社へ上ろうとしたのだな」
黒瀬が武田に言った。
「はい。長老に取材の許可を申し出たのですが、許して貰えなかったもので。夜中に再び戻っ
てきて・・・・」
「無茶をするものだな。そして、その時の様子は・・・・」
黒瀬が呆れたように武田に言った。
「はい。私とスタッフ三人が神社の石段を上りました。そして、石段の中程まで来たところ
で、矢張りお社の上に赤い幟の様な物が何本も見えました。妖気と言うか、生暖かいと言う
か、血の匂いのようなものも。それからです、私とスタッフ三人が猛烈に頭が痛くなったの
は。私の場合は暫くして収まりましたが、三人のスタッフの症状がひどくて、ビデオも回せな
い状態でした。それで、仕方なく、スタッフを順番に私が抱えて車に戻しました。全員が車に
戻り、暫く車の中から様子を伺っていましたが、三人の状態が益々ひどくなってきたので、私
が車を運転して急遽ホテルに戻った次第です」
「その時、山口先生はどうしていたんだね」
「取材を始める前に、一緒に神社に行って頂くようにお願いしました。しかし、山口先生は車
から除霊の為の霊気を送るからと言われまして、ずっと車の中に居られました。そして私とス
タッフが車に戻ると、真っ青な顔をされて口が利けない状態でした」
「そういう事か。山口先生とやらはそこで大変なものを見たのだろうな。自分の力の及ばない
何かを」
黒瀬はさらに言った。
「先祖代々からの言い伝えとか、それに関連した神聖な場所などはそれなりの理由が有るのだ
よ。君たちメディアはその隠された秘密を知り視聴者に知らせたいのだろうがね」
黒瀬が少し怒ったように武田に言った。
「軽率でした」
「彼らには彼ら也に、先祖代々伝わった、守らなければならない、仕来りが有るんだよ。今の
時代になっても」
「申し訳ありませんでした」
武田が神妙な顔をして言った。
「私に謝られても困るよ。それで、その村の長老にお札に書かれていた維高大明神についても
聞いたのかね」
「はい。聞きました。すると長老は突然怒りだして、『わしはそんなのは知らん!』
と言って、私たちを家から追い出しました」
「その時、霊能者とか言う山口先生はどうしていたのかね」
「長老に取材の許可を貰う交渉の時は車の中で待っていて貰いました。車の中では何か呪文の
ようなものを唱え続けていましたが。そう言えば、山口先生はあの村の取材では車から一歩も
出ませんでしたね」
「そうか・・・・。困ったな。君のところの三人のスタッフはおそらくこちらで除霊や祈祷し
ても無理だな。そしてその今回の投稿者も」
黒瀬はかなり厄介な情況だと思った。
「黒瀬先生。それではどうすれば良いのでしょうか」
武田が困った表情をした。
「一番の方法はその村に行き、長老に事情を話して、誠心誠意詫びて許可を貰い、その神社の
鳥居の前で護摩を焚いて、鎮魂の祈祷をする事だな。それ以外に方法は無いと思うね。触らぬ
神に祟りなしだよ。君たちはそれを触ってしまった。だから、詫びを入れてお鎮まり願う方法
しかないよ」
「先生。もし長老から許可を得られない場合は」
武田が心配そうに聞いた。
「とにかく、君たちが事情を話してその長老から許可を貰うしかないだろう。鎮魂の為の摩焚
きと祈祷だから許して貰えると思うが」
「先生。それでは護摩焚きと鎮魂の祈祷は」
武田が黒瀬に懇願するように聞いた。
「困ったな・・・」
黒瀬が言った。内心、黒瀬は本当に困ったと思った。今の話を聞いただけでも、強い力を持っ
た怨霊である事は想像出来た。黒瀬自身の行者として持つ力が、今回の怨霊にどれだけ通用す
るかは、今の段階では全く判らなかった。それ故、迂闊に引き受ける事が出来なかった。
「先生!」
武田が再び懇願するように言った。
黒瀬は迷った。
「先生。是非、お願いします」
吉川と武田が口を合わせたように言った。
「護摩焚きと祈祷は私がするしかないか」
黒瀬はポツリと言った。
山口何某の先生にしても、昔はそれなりの修行と経験は積んでいるはず。それが、太刀打ち出
来ないとなると、普通の事故死や、自殺者などの死霊や恨みの霊とは全く違う。ましてや、神
社に神として祀られる程の怨霊となると、この世での位も高く、並大抵の怨霊ではない筈。嘗
て、菅原道真を天神様として北野天満宮に祀ったのは、怨霊と化した菅原道真を神として祀り
怨念を鎮める為であった。力を持った陰陽師、行者、祈祷師が如何なる呪術を尽くしても、封
じ込める事が出来ない程、怨霊の力が凄まじく強いのである。それ故、怨霊に神としての位を
授け、崇め祀る事によって、お鎮まり頂くのである。同じ様な、怨霊を鎮める為に造られた神
社は日本各地に沢山存在する。あの村の神社もそれか・・・・・・・・・・。
村の長老を説得しても、状況によっては許可しない事も有りうる。たとえ長老が許可しなくて
も何らかの方法で護摩焚きと鎮魂の祈祷をやらなければ成らない。でも護摩焚きは密かに行う
事は不可能である。どうしても長老の許しが要る。
黒瀬は暫く考えていた。
「それでは、一度現地に行ってみるか」
黒瀬が言った。
「先生。有難うございます」
武田が平身低頭して礼を言った。
「それでは・・・、出発は九日後にしよう。直ぐに、現地で行う護摩焚きの準備を始める。明
日から七日の間は私の所で祈祷をして様子を見てみよう。七日間の祈祷で何らかの現象や知ら
せが有るはずだ。私も君のスタッフの為には出来るだけの事はしよう。しかし、現象や知らせ
の内容によっては、出発を延期する可能性もある事は承知しておいてもらいたい」
黒瀬は心を決めた。これも修行かと思った。
「先生。私も一緒に行くのでしょうか・・・・・・」
吉川が恐る恐る聞いた。
「勿論、そうだよ。護摩焚の助手が要るからな」
「でも、会社が」
「君の社には、吉川君は私の取材旅行に同行する必要が有るからと言っておくよ」
「分かりました。でも先生。大丈夫でしょうか・・・」
吉川は不安そうに言った。
「大丈夫と思ったから、君は私に相談を持ちかけたのだろう」
「ああ、そうでした」
「それと、当日の航空券と宿泊先の手配を忘れずに。旅費と宿泊費はそちらで頼むよ」
黒瀬が武田に言った。
「先生。それは勿論です。それと山口先生は一緒に行って頂く必要は有りますか」
「いや。全く必要無い。返って足手纏いになるだけだ。例え言ってもあの先生は何らかの理由
を作って来ないだろうよ」
「分かりました。それで、当日は現地のネットワーク局の知り合いに車を手配させます」
「余り大袈裟にならないようにな」
黒瀬が武田に注意した。
「はい。先生」
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