その14
出町柳に着き、改札を出た所で待っていると、直ぐに山本の車が到着した。
作務衣を着て首に大粒の水晶の念珠を掛けた格好で、自ら車を運転してきた。
既に、護法をしているのであろう、少し顔つきが普段よりはきつく感じられた。
「黒瀬さん。お久しぶりです」
「山本さん。ご厄介をお掛けします」
黒瀬は今井と徳広を手短に紹介し、山本の車に乗り込んだ。
「大分と匂いますね。かなりの数の怨霊のようですな」
山本が言った。
「ご推察の通りです。油断していました」
黒瀬が言った。
「黒瀬さんもご存知のように、目から頭に入られた怨霊を抜くのは至難の技です。
弟子に準備はさせております。寺に着きましたら、直ぐに護摩焚きを始めましょう」
「有難うございます」
黒瀬と徳広が言った。
「護摩焚きの後、ご本人には酷かも知れませんが水は被って頂く必要があります。
井戸端で少なくとも桶に二十一杯は・・・・」
「私もそう思います。護摩焚きの後に滝で打たれるのが一番なのですが・・・・・」
黒瀬が言った。
「黒瀬さん。お互い神仏に仕える身。これも人助け、修行ですかな」
「そうですな。山本さん」
車が寺に着くと、山本は弟子を呼んで今井を本堂まで連れて行かせ、ご本尊である
不動明王の前に座らせた。黒瀬と徳広も本堂まで行き、山本が法衣に着替える間、
寺のご本尊に仏説聖不動経を上げ、真言を唱えて加護を願った。
暫くして、法衣に着替えた山本が本堂に来た。
宗派の正式作法に則って護摩壇の前に座り、印を組み、九字を切り、更に印を組み、
読経を上げ、護摩壇に火を放った。山本も真言は不動明王火界咒を唱えた。
今井はご本尊の前に座り、肩を落としてぐったりしていた。弟子が気を利かせて座椅子
を持ってきて今井に座らせた。
黒瀬と徳広は山本の両脇に座り、共に不動明王火界咒を唱え続けた。護摩木をくべ続け
二時間程した頃、護摩壇の炎が勢いよく上がり不動明王の姿になったかのように見えた。
その瞬間、山本は前に置いてあった宝剣を抜いて今井の両肩と頭に軽く当てた。そして、
弟子に命じて、今井を下穿きだけにさせて、井戸端まで抱えて行かせた。
山本は井戸端で九字を切り、龍神の御真言を三回ずつ唱えながら、今井の頭から桶で
二十一杯水を掛けた。
オンソラソバテイエイソワカ
オンソラソバテイエイソワカ
・・・・・・・・・・・・・
水を掛け終わると、再び宝剣を抜いて、今井の頭から肩にかけて、不動明王火界咒を
唱えながら軽く叩き始めた。すると今井の頭の上部から白い煙のようなものが出て行く
ように見えた。山本は素早く白い煙に向かって九字を切った。
「抜けました」
山本が言った。
弟子が今井を直ぐさま抱えて、風呂場に行き、暫し体を温めさせた後、客間に用意された
床に寝かせた。
「山本さん。有難うございました。お蔭で助かりました」
黒瀬が礼を言った。
「山本さん。本当に有難うございました。叔父に成り代はり、お礼を言わせて頂きます」
徳広も礼を言った。
「いや、何の。護摩焚きの間は、しぶとく抵抗して来ましたが、さすが宝剣を抜くと
観念したようです」
「山本さんの力は相変わらずですな。いや、以前より更に研ぎ澄まされて強くなっています。
あらためて感服させられました。修行を怠り無く続けておられるようですな」
黒瀬が山本の力に感心した。
「僧籍にある身。生臭ですが、一応はプロですから」
山本は笑いながら言った。
「私などは、娑婆にどっぷり浸かっていますので、山本さんの力には到底及びもしません」
「いや。いざとなれば黒瀬さんの力はたいしたものです。那智熊野では、よく拝見させて
頂きました」
「私などは、作家との二束の草鞋で、中途半端でいけません」
「黒瀬さん。謙遜なさる事はありません。ところで、ご本人が体力を回復されるにはもう
暫く時間が必要と思います。今日は黒瀬さんと徳広さんもご一緒にこの寺で泊まって
いって下さい。久しぶりに一杯やりましょう。明日は愚僧が車でお送りいたします」
「有難うございます。それでは、お言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
三人は山本の寺に一晩泊めてもらう事にした。
黒瀬と徳広は今井の休んでいる部屋に様子を見に行った。少し、ふらつくようであったが
意識はハッキリとしていた。
「叔父さん。お加減は如何ですか」
「もう大丈夫です。私の不注意で皆様方には大変ご迷惑をお掛けしました。申し訳
有りません」
今井が詫びた。
「何も、気にされる事はありません。今日はこの寺でお休み下さい。鞍馬には明朝行く
事にします。この寺の住職は私とは旧知の間柄です。ご心配は要りません」
「重ね重ね、有難うございます」
今井が礼を言った。
暫くすると、山本の弟子が今井の食事を運んで来た。そして、黒瀬と徳広に食事の仕度が
出来たので別室に来るようにと伝えた。
「今井様。それでは食事をされてから、暫くお休み下さい。明日の大事の為に体力を
十分に回復させて下さい。私たちは、これから住職と一緒に食事を致します。何か
有れば何時でも呼んで下さい」
黒瀬はそう言って、徳広と別室に行った。
別室では山本が既に座って二人が来るのを待っていた。
「山本さん。今日は色々とお世話になりました。感謝致します」
黒瀬が再び山本に礼を言った。
「黒瀬さんと私の間柄です。何にも気になさらずに。遠慮も無用です。さあ、一杯
やりましょう。どんどん呑んで、召し上がって下さい」
山本は黒瀬と徳広に酒を勧めた。山本は酒を呑みながら今日の一件を話し始めた。
「黒瀬さんから大体の事情はお伺いしておりましたが、今日の怨霊どもは凄まじかった
ですな。命を取る勢いでしたからな。もう少し遅ければ、あの方の命も持って行かれて
しまったでしょう。お不動様のお導きが有ったのでしょう」
「そうだと思っております。あの時、鞍馬の駅で無心で不動明王の真言を唱えました。
すると、山本さんの事が頭に浮かび、電話させて頂いた次第です。これもお導きです。
不動明王は修験道の行者にとっては、中心的存在ですから」
黒瀬が言った。
「正に、中央に大日大聖不動明王、化像界大日如来之浄土あり・・・・・ですな。
この寺のご本尊様も不動明王様ですが」
山本は微笑みながら黒瀬に話した。
「不動明王を念じ、不動明王に救われました。これもお教え、お導きです」
「黒瀬さんと徳広さんは、その道のプロで良くご存知でしょうが、京の町は平安の昔
から様々な怨霊が住んでいます。怨霊の町です。事と場合によっては、それらの怨霊
が新たな怨霊を京の町に呼び込みます。これからも十分に注意してください」
「ご忠告、有難うございます」
黒瀬が礼を言った。
「しかし、怨霊や亡霊が多い故に、我々のような者の役割もあるわけですが」
山本が笑いながら言った。
「先々、何処で予期せぬ力を持った怨霊や亡霊と出くわすかも知れません。その時に
備えて、普段からお勤めと修行は怠ってはいけませんな」
黒瀬が自分に言い聞かせるように言った。
「しかし、黒瀬さんは、今回大変な事をお引き受けなされたようで」
「いやはや、最初は除霊だけと思っていましたが、意外な方向に進んで行きました。
成り行きと言うか、神仏の御指示か、ご先祖の因縁かは良くは分かりませんが」
「でも、黒瀬さんは良い事をされておられます。羨ましいですな。最近愚僧などは
この寺にいると葬式とか法事ばかりで、正直退屈していたところです。ああ、
これは失礼な言い方でしたかな。酒の上の話でお許し下さい」
「いやいや。しかし、行者の世界は命懸けです。何時、命を取られるかも知れません」
黒瀬が言った。
「黒瀬さん。それは大丈夫です。神仏のご守護とご加護が必ず有ります。今日の事に
しても、お不動様のお導きで、この寺に来る事になられた訳ですから」
「確かにそうだと思います。助かりました。いや、助けられました。有難い事です」
「今日の怨霊は最早手出しは出来ません。完全に封じておきました。しかし、寺の周り
を飛び交っている別の怨霊もまだ多く居るようですな。寺は結界を張っておりますので
安全ですが、明日からは、くれぐれも注意を怠たらないようにして下さい」
「山本さん。有難うございます。それはもう肝に銘じております」
その後、那智熊野での千日行の話や、徳広を交えて、いざなぎ流の話をし、
夕食のひと時を過ごした。
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