霊能作家・黒瀬圓の事件簿、維高大明神の巻(13/16)縦書き表示RDF


霊能作家・黒瀬圓の事件簿、維高大明神の巻
作:平惟茂



その13


 午前六時過ぎ、黒瀬と徳広が殆ど同時に目を覚ました。今井は既に起きていて、
出発の準備を済ませていた。
「今井様、お早うございます。昨晩はよく眠れましたか」
「お蔭様で良く眠れました。でも年寄りは朝が早くていけませんな。五時にはもう
目が覚めてしまいました」
「叔父さん、良く眠れて良かったですね」
徳広が言って、黒瀬と顔を見合わせた。
今井は夜中の出来事には全く気付いていなかった。
外は寒く、三人の吐く息で窓が曇り外が良く見えなかったが、三十三間堂の屋根の
郭が望めた。
徳広が窓を見て、黒瀬に言った。
「黒瀬様。窓に字のような物が」
黒瀬がよく見ると、息で曇ったガラスを指でなぞったように書かれていた。
鞍馬寺にて我が嫡男の供養を願いたし
九郎、静
やはり、義経と静御前か!
三人、はこれを見て感極まった。
外が明るくなり、日が当たり始めると、息で曇っていた窓の表面の文字が水滴と共に
徐々に消えて行った。
「我が子を思う親の気持ちは昔も今も変わりませんな。切ない事です」
今井が言った。
黒瀬は字の書かれていた窓に向かって南無九郎判官義経と二十一回唱へ、一切引き
受けた旨を伝へた。そして、般若心経、妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五、
妙法蓮華経陀羅品第二十六、そして最後に大悲心陀羅尼を上げた。
三人は朝食を済ませ、三十三間堂に向かった。
昨日と同じように、黒瀬が先頭に立ち、間にお札を持った今井、後ろに徳広が続い
て歩いた。徳広は南無九郎判官義経を念じ、鞍馬山尊天秘密真言を小声で唱え続けた。
黒瀬もこれからの大事の成就を願い、大悲心陀羅尼をあげた後、千手観世音菩薩の
御真言を唱えながら歩いた。
強い視線、妖気、殺気は昨日と同じに感じていた。しかし、それ以上の妨げは無いよう
にも思えた。三十三間堂の門を入ろうとした時に黒瀬と徳広には、赤子のむずかる声が
微かに聞こえた。
黒瀬は心の中で「義経殿・・・・」と言った。
境内に入り、門主の計らいでお札を無事に納める事が出来た。
黒瀬と徳広はご本尊の前で経文を上げ、平家一門の供養を行い、千手観世音菩薩の
ご守護に感謝した。
残るは鞍馬寺だけであった。これで全ては成就する。最早、白い幟の亡霊どもの妨げは
無いのであろうか。このまま鞍馬寺に順調に行けるのか、と黒瀬は自分自身に問うた。
三人は七條通りからタクシーで出町柳まで行き叡山電鉄鞍馬線で鞍馬まで行く事にした。
出町柳で電車に乗り鞍馬に近づくにつれて安堵感が満ち溢れてきた。
黒瀬もこれで責任が果たせると思っていた。しかし、電車が岩倉駅に着いた頃、今井の
様子が普通でないのに徳広が気付いた。
「叔父さん、どうしました」
「気分が悪くて・・・」
「乗り物酔いですか」
徳広が更に聞いた。
「頭が割れるように痛く、吐き気がして、それに体全体が焼けるように熱い」
「護符はどうしました」
黒瀬が聞いた。
「さっきから探しているのですが、見当たりません。どうも三十三間堂で鞄からお札を
取り出した時に落としてしまったようで」
黒瀬は今井老人の顔を見た。すると、今井老人の顔には何人もの髪を振り乱し、傷だらけ
の血に染まった武者の顔が幾重にも重なり浮かび上がってきた。さらに、両目の瞳の中
に白い幟が翻っていた。
「しまった!」
と黒瀬は思った。護符を落とした隙に今井の目から怨霊に入り込まれてしまったので
あった。目から頭の中に入り込まれると、技に長けた行者や霊能者でも抜き取るのは
至難の業である。
程無く電車は鞍馬駅に到着し、暫く駅のベンチで今井を休ませる事にした。
「油断していました。申し訳ありません」
徳広が言った。
今井老人は苦しみで唸り、まともに言葉を発する事が出来ない状態にまでなっていた。
「徳広さん。誰の落度でもありません」
「黒瀬さん。私がここで叔父を看ていますので、鞍馬寺には、お一人でお札を納めに
行って頂けますか。それで事は成就します」
「いや。それは出来ない。お札は、今井様自らの手で納めて頂かなければなりません。
それより早く怨霊を抜き取らなければ命に関わります」
「直ぐそこが鞍馬寺なのですが・・・・」
徳広が悔しそうに言った。
「護摩焚をしてから滝に打たれるのが良いのですが、今の状況とお年からして無理
な事です。別の方法を考えましょう。とにかく徳広さんは南無九郎判官義経を念じ、
鞍馬山尊天秘密真言を唱え続けていて下さい。この隙を見て、怨霊どもが何を仕掛けて
来るかも知れません」
「分かりました。叔父の事、宜しくお願いします」
黒瀬は考え続けた。しかし咄嗟の事で頭の中が混乱し、考えが纏まらなかった。
黒瀬は心を落ち着かせる為に、体の力を抜き無心になり、念珠を繰りながら不動明王の
中咒を唱え始めた。
ノウマク・サンマンダ・バサラダン・センダマカロシャダヤ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・・・・・・・・・・・・・
中咒を唱え始めて念珠が一回り終えた頃に、那智熊野で修験道の修行をした仲間で、
今は京都の向日市で寺の住職をしている者が居るのを思い出した。それも平家の末裔
と聞いていた。
「そうだ! 彼のところは密教寺院で護摩壇も有る」
黒瀬は携帯で直ぐに電話をした。
「龍岩寺さんですか」
「そうですが」
「東京の黒瀬と申しますが、山本雲斎さんはご在宅でしょうか」
「東京の黒瀬様ですね。暫くお待ち下さい」
「もしもし、山本です。黒瀬さん、お久しぶりです」
「山本さん。此方こそ、ご無沙汰いたしております。実は・・・・・・・」
黒瀬は今までの状況を詳しく説明し、山本に協力を頼んだ。
「黒瀬さん。分かりました。私の力の及ぶ範囲で出来るだけの事はさせて頂きます」
「山本さん。有難うございます」
「それでは直ぐに車で迎えに行きますので、鞍馬駅で待っていて下さい」
「いや、電車で一本ですので、私達は出町柳まで戻ります。ご足労掛けますが、
出町柳まで来て頂ければ・・・・」
「そうですね。その方がお互い、早いかもしれません」
黒瀬は、これで何とか今井を助ける事が出来るかもしれないと思った。
徳広に向日市の寺に行く旨を話し、出町柳まで戻る事にした。黒瀬と徳広でグッタリ
している今井を抱えながら電車に乗り込んだ。
黒瀬は出町柳に着くまで、念珠を今井の額に当て不動明王火界咒を唱え続けた。
しかし、黒瀬はこれが唯の気休めでしかない事は重々承知していた。黒瀬と徳広だけが
車内に充満した血腥い匂いと妖気を感じていた。












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