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マネゴト
作:渡辺薄志


       ◆  
 いつの間にか手のひらにびっしりと汗をかいていた。
 俺は滑らないように『ソレ』を握り直す。
 これが終わった頃には――成功したにせよ失敗したにせよ――俺は晴れて犯罪者の仲間入りだ。
 だが大丈夫。
 これ以上失うモノなんかないんだ!
 初めての犯行。手が震えるのは仕方が無い。
 ぐっと手に力を入れ、気合を入れなおす。
 ……もうヤルしかない!
 ……もう後戻りは出来ない。
 握られた『ソレ』は俺の手にしっかりと収まる。

 俺の人生なぞ初めから腐ってたんだ。
 高校を中退した俺は毎日豪遊していた。幸い俺の両親は金持ちだったので、俺は親の口座からいくらかの金をちょろまかしていればよかった。両親はとうに俺に見切りを付けていた。それでも俺はろくに働きもせず、酒に博打に女に……とにかく毎日遊んで暮らしていた。
 だがその自由も儚いものだった。
 両親がいつの間にか口座を移していたのだ。これではもう金を下ろせない。遊ぶ資金を得るためにバイトを転々としたが、所詮バイトはバイト。労働時間の割りにろくな収入にならない。何とか楽して大きく稼ぐ方法はないか? 俺は普段使わない頭をフル稼働して考えた。
 そして出た結論と言うのが――。

 そぉら見えて来たぞ。
 標的ターゲットの姿が。
 一歩一歩、標的が近づいてくる。
 その一歩ごとに俺の心臓が脈打つ。
 一歩。一歩。一歩。
 標的はもう目と鼻の先。
 俺の鼓動の音が最高潮に達する!
 …………最後の一歩が踏みしめられた。
 そして――。
 俺は――――。


       ◇
「どちらまで?」
「――まで頼む」
 タクシーに乗り込んだ俺はできるだけ人通りが少ない目的地を告げた。直後、タクシーが動き出す。見る見るうちに先ほどの『現場』が遠ざかり、夜の街灯が次々と後方へ流れていく。その景色に溶け込むように、タクシーの窓ガラスには嘲笑している自分の顔が映っていた。
 よし、今回もちょろいもんだぜ!
 たった今罪を犯した人間が、まさかタクシーに乗って逃走しているとは考えまい。
 俺は鞄のジッパーを少しだけ開き、隙間から中を見る。
 金。金、金。金金金、金金カネカネカネカネ――。
 俺の鞄の中には今、多額の現金が入っている。もちろん正攻法で稼いだ金じゃない。汚れた金だ。だが金であることには変わりない。
 これでしばらくは遊べるだろう。
 足りなくなったらまた『仕事』をすればいい。
 くははは! 真面目に働くなんざクソ食らえだっつーの!
「お客さん、何かいい事でもあったんですか?」
 タクシーの運転手がバックミラーを覗き込みながら話しかけてきた。帽子を深くかぶって、さらに口にマスクをしているので顔がよく見えない。声の感じからして歳は俺と近いようだ。
「……何故そう思うんです?」
「いえ、私の目にはお客様が笑っているように見えましたので」
 どうやら俺は無意識のうちに笑っていたらしい。とりあえず怪しまれないように適当に話をでっちあげるか。
「はは……『仕事』の方が上手くいったもんでね」
「それはそれは。喜ばしいことですね」
「えぇ。……ところでそのマスクは? 風邪ですか?」
 俺は良い人を演じる。
 いい印象を与えておけば、万が一の時の保険になるかもしれないしな。
「はは、そんなところです……。っとすいません。ラジオをかけてもいいですかね?」
「どうぞ」
 運転手がラジオを付ける。ノイズの後に交通情報が流れ始めた。
 交差点に差し掛かる。
 運転手は左にハンドルを切った。大通りを離れてタクシーは人通りの少ない道へ入っていく。
「あれ? そこは右じゃ?」
「そちらの方は混雑してるみたいなんで」
 ふーん、まぁいいか。こういうのはタクシー運転手の方が詳しいしな。
『交通情報は以上です。それではニュースを続けます――』
 ラジオは交通情報を終え、ニュース番組へと変わっていた。
『――市内で連日コンビニ強盗が相次いでおり、警察による捜査も進んでいますが犯人の足取りは未だ掴めていません――』
 その時、俺の耳に気になるニュースが飛び込んでくる。それは俺に吉報を伝えた。
 俺の足取りはまだつかめていないようだ。国家権力が聞いて呆れるぜ。
「いやーこの辺りも物騒になりましたねー」
 運転手は言いながら空調のスイッチを入れた。ファンにくくり付けてある瓶は何だ? 流行のアロマ何とかって言うやつか。
「……そうですね」
 あぁ、全くだぜ。まさかあんたの後ろにその元凶がいるとは夢にも思うまい。
 その後はしばらく俺も運転手も黙っていた。ラジオでは相変らず世の中の暗いニュースを延々と報道していた。俺はしばらくの間ラジオに耳を傾けた。だが特に注意を引くニュースはなく、退屈なので窓の外を見る。街灯の数も減り、そこは仄暗い闇に包まれていた。その闇の中をタクシーのヘッドライトが切り裂くように進んでいく。
 ――ガタンガタン。
 ――ガタンガタン。
 断続的に続く揺れが心地いい……。
「何か……眠くなってきた、な」
 気だるい眠気がゆっくりとやってきた。
「着きましたら起こしますので、お休みになるといいでしょう」
 そうするか。しばし、心地よい揺れに身を預ける事にしよう。俺は瞼を閉じる。
 ラジオの音声が徐々に遠ざかっていく。俺の意識は睡魔によって……次第に、薄れて……。
 ……。
 ……。
「着きましたよ、お客さん」
「ん……あぁ」
 どうやら少し眠っている間に目的地についたようだ。
「えっと……」
 俺は料金メーターを確認しようとしたが、しかし見当たらない。料金メーターがないタクシーなんて普通あるのか?
「いくらになります?」
 仕方なく俺は運転手に尋ねた。すると、運転手は予想もしない請求額を述べた。
「料金はいりませんよ」
 俺は耳を疑った。料金を取らないだって? おいおいどんな間抜けだよ? それじゃ商売にならないんじゃないか?
「今日はサービスデーなんですよ。この距離内なら無料です」
 運転手は微笑みながらそういうサービスなのだと言う。まぁいいか。タダより安いモンはないしな。
「道中お気をつけて。最近は物騒ですからね」
「えぇ、そうですね」
「それでは――毎度あり」
 タクシーの運転手が笑みを浮かべて走り去っていった。
「……」
 ある程度の逃走費は覚悟していたが、まさかタダで済んでしまうとは……。こりゃ次もあの個人タクシーを利用するべきだな。
 くくく……。だがそれよりも今は今回の稼ぎの確認だ。この作業が一番楽しい。稼ぎの成果ってのはつまりそのまま俺の自由に繋がるのだ。
 俺ははやる気持ちを抑えながら鞄を開ける。
 ほぉら、そこには今回稼いだ多額のカネが……、
「…………は?」
 入っていない?
 ひっくり返しても、縦に振ってみても、カラッポ。俺の金がキレイサッパリ消えていた。
「そんなバカなああぁあぁ?!」

 

       ◆
「――毎度あり」
 私は男を下ろし、タクシーを走らせる。見る見るうちに先ほどの『現場』が遠ざかり、夜の街灯が次々と後方へ流れていく。サイドミラーには獰悪な笑みを浮かべている自分の顔が映っていた。
「へへへ……私は既に料金をいただいていますのでね」
 ワタシは『ソレ』を握りながら、達成感に酔いしれていた。
 オレの手元には今、多額の現金がある。
 もちろん正攻法で稼いだ金じゃない。汚れた金だ。だが金であることには変わりない。
 これでしばらくは遊べるだろう。
 足りなくなったらまた『仕事』をすればいい。
「へ……真面目に働くなんざクソ食らえだっつーの」
 喋り方が、タクシー運転手の演技のそれから素の状態に戻る。
 ――『何とか楽して大きく稼ぐ方法はないか?』――。
 俺がいつだったか普段使わない頭をフル稼働して考え出した結論、それは――

「……」
 標的の男が後部座席で船を漕ぎ始めた。流石は睡眠薬と言ったところか。
 睡眠薬を空調で車内に充満させ、男を眠らせる。私は男が寝入ったのを見計らい、空調を切る。続いて私まで吸い込まないようにと付けていたマスクを外す。まだ車内には薬品の匂いが漂っていたが、免疫が出来たのかこの程度では全く気にならない 
 男が眠っているのを再度確認する。……よし、大丈夫。私は男の鞄を開けた。
「これはこれは……」
 中には多額の現金が入っていた。なぜこの男がこんな額の現金を持ち歩いているかは知らないが。
「くっくっく……今回の標的は大当たりでしたねぇ」
 私は興奮を抑えながら中の現金をコンソールボックスへ移していった。

 ――眠らせた客から金品を奪うと言うものだった。
 これまで犯行を何度か繰り返しているが未だ警察にはマークされていない。
 それもそうだ。なんたって足が付かないように犯行の度に塗装を塗り替えているからな。
 とにかく今回もうまく行った。やはり俺には犯罪の才能があるんだな。
「……次の標的はあれか」
 しばらくタクシーを走らせていると、前方に片手を上げる人影がぼんやりと見えた。
 俺はその人影から少し離れた路肩にタクシーを止める。
 俺は滑らないようにソレ――ハンドルを握りなおす。
 握られたハンドルは俺の手にしっかりと収まる。
 そぉら見えて来たぞ。
 標的の姿が。
 一歩一歩、標的が近づいてくる。
 その一歩ごとに俺の心臓が脈打つ。
 一歩。一歩。一歩。
 標的はもう目と鼻の先。
 俺の鼓動の音が最高潮に達する!
 …………最後の一歩が踏みしめられた。
 そして――標的がタクシーの扉を開く。
 俺は――――いや、私は言うのだ。
「どちらまで?」














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