WINTER COMES AROUND
季節がめぐる。
冬が来る。
日が昇れば沈むように、それはごくあたりまえに、この町に訪れる。
冬などいらないといったら、君は悲しむだろうか。
*
「冬の女神様が、消えてしまったんだよ」
どうして冬が来ないのかと尋ねる僕に、ジェシーは仏頂面でそういった。
少なくとも、『女神様』を語る顔じゃなかった。クロスさせた紐で赤ちゃんを背負って、さらに衣類かごを抱えているのはわかってたけど、僕は食い下がる。
「そうじゃないよ、女神様がどうしていなくなっちゃったのか、それが知りたいんだ。ティーチャーがいってた、昔はこの時期は一面の雪景色になったって。本に書いてあるのだって、いっぱい知ってる。冬の女神様は、この町が嫌いになったの?」
「黙りな、キッド」
ジェシーが僕を睨みつける。キッドじゃない、といおうとしたけど、すんでで飲み込んだ。このひとをこれ以上怒らせるわけにはいかない。平気で夕飯のパンを減らすんだ。
「そういうことは、オトナになればわかるのさ。いいからお勉強して、早く稼げるようにおなり。──大体ね、この町を見捨てた女神様なんて、どうだっていいんだよ。春がないと困るがね、冬なんて寒くて、雪が邪魔なだけだろう」
僕は、それ以上反論しなかった。ジェシーは衣類かごを持ち直して、わざと足音を大きく鳴らして階段を上っていく。もう夕方なのに、外に干すのだろうか。僕のような子どもを十二人抱えるこの家で、ジェシーの仕事といえば、ひたすらに料理と洗濯の繰り返しだ。
夕飯まで姿を消したところで、どうせだれも気がつかないだろう。いっそ、夕飯にもいないほうが都合がいいぐらいだ。僕は薄手の外套を羽織ると、外へ出た。
もうすぐ年が変わる。十二の月を数え終わるまで、あと少しだ。町はどこか落ち着かず、慌ただしく人々が行き交う。一の月に開催されるフェスタの準備に追われているのだろう。年に一度の大祭だ。始まりを迎えられることを神様に感謝する、プレアフェスタ。
この町は、神々に守られている。目に映る何もかも、草花や風や光でさえ、すべてが神様によって与えられている。
季節だって例外じゃない。
花々の香る春も、緑が深みを増す夏も、風が旋律を奏でる秋も、神様が届けてくれる。
でも、冬は来ない。
ずっと昔に、冬の女神様がいなくなってしまったから。
「……なのに、お祭り」
僕はつぶやいた。なんだかやるせない気分だった。
笑顔の溢れる通りを抜けて、赤い葉の揺れる広場も追い越して、さらにその奥にある廃屋に足を踏み入れる。
レンガ造りの屋敷跡。といっても、壁と柱がほんの少し残っているだけだ。もうとっくに主人を失って、いまでは僕の秘密基地になっている。
僕はこの場所がたまらなく好きだった。
誰からも忘れ去られてしまった場所。僕だけが、大切にしている場所。
「……え」
けれど、今日は違った。
僕は思わず、間の抜けた声を出していた。
欠けたレンガの壁の前に、白い服の女の子。
それは、赤と黄と茶の世界には、あまりにも不似合いな白だった。透き通るような、っていうのは、こういうときに使うんだと思う。素肌をのぞかせている手足の、なんと白いことだろう。服のそれと相違ないほどの。
暗くなりかけた空から残り少ない光が差し込み、長い髪を照らす。白銀の髪が、ほんのり赤みを帯びて見える。
僕は完全に、見入っていた。
夢を見ているようだった。そこにいて、息をしているとは思えない、現実離れした美しさだったから。
女の子が、こちらを向いた。
何も悪いことはしていないのに、急に恥ずかしいような気持ちになった。僕は慌てて両手を前に突き出した。
「ご、ごめん!」
いってしまってから、何を謝っているんだと自問する。けれど、なんだかわけがわからない。
女の子は目を丸くしたが、すぐに笑顔になった。声をたてて、無邪気に笑った。
「こんにちは。ここ、あなたのおうち?」
「え?」
今度は僕が目を丸くする番だった。なにかの冗談だろうか。屋根だってないのに。
「ち、ちがうよ」
「そうなの、よかった。でも、大切な場所なのね。こちらこそごめんなさい」
女の子は慣れた仕草で頭を下げた。なんと返せばいいのかわからず、僕は黙ってしまう。スクールでだって、女の子と話すことなんてめったにない。同い年ぐらいの女の子、ましてやこんな綺麗な子に対してどんな態度を取ればいいのかなんて、わかるはずがない。
自分の思考に、あれ、と思った。この町では、僕らぐらいのこどもはみんなスクールに行くことになっている。でも、こんなきれいな子は見たことがなかった。
「君は、他の町から来たの?」
瓦礫を乗り越えて、女の子の近くに行く。僕が座ると、彼女も初めて気がついたみたいに、レンガの上に腰を下ろした。
「そう、ね。そういうことになるかしら」
ちょっとはっきりしない答えだ。でもそれで、充分だった。
「ね! じゃあ、君の住んでいる町に、冬ってある?」
「冬?」
そう聞き返して、数秒。どういうわけか、女の子は瞳を伏せてしまった。
そのまま、口を閉ざしてしまう。ない、ってことなのだろうか。居心地の悪い沈黙が訪れる。
けれど、たっぷりの間の後、予想に反して、女の子はうなずいた。
自分でも、顔が一気に紅潮するのがわかった。僕は彼女の白い手を握りしめていた。
「すごい! ねえ、聞かせてよ! 冬って、どういうの? この町には、冬って来ないんだ。僕、どうしても冬が知りたくて──けど、オトナは教えてくれない。あのさ、冬はとっても寒くて、雪が降って、ぜんぶが真っ白になっちゃうって、本当?」
女の子は驚いたような顔で、じっと僕を見つめてきた。
僕は慌てて手を離す。恥ずかしかったけど、目を逸らしてしまうのもなんだか悪いような気がした。心臓がどきどきいってる。どうしよう、なにか、いけないことをいってしまったのだろうか。
「────!」
僕は、息が止まるかと思った。
女の子の大きな黒い目から、涙がこぼれたのだ。
「ど、どうしたの。ごめん、僕、なにか──」
「ちがうの、ちがうの、ごめんなさい」
女の子は、両手で顔を覆ってしまった。それでも、どんどん涙が流れ出しているのがわかって、どうすればいいのかわからなくなってしまう。
どうして泣いているんだろう。
もしかして、なにかつらいことがあって、それでひとりでこんなところに来ていたのだろうか。
それとも、この町に冬が来ないことにショックを受けたのだろうか。
女の子は、声を押し殺して泣いていた。
うちにいる妹たちは、いつだって町中に響くぐらいの大声で泣くのに。目の前のこの子は、肩を震わせて、一生懸命声をたてないように、苦しそうに泣いていた。
僕は思わず、手を伸ばした。
触れてしまったら、どうしようもなく震えているのがわかってしまって、腕に力を込める。同じぐらいだと思ったのに、僕よりもずっと華奢で小さな女の子を、壊してしまわないように抱きしめた。
「ねえ、泣かないで。君が泣いてる理由はわからないけど、だいじょうぶだから、泣かないで。泣いちゃうとね、喉が渇いてもったいないって、いっつもジェシーがいうんだ」
腕のなかで、女の子が少しだけ笑ったのがわかった。僕はほっとして、腕の力を緩める。
ぬくもりを実感して、大それたことをしてしまったのだと気づいた。急いで手を離して謝ろうとしたけど、彼女は気にしていないようだった。自分からゆっくりと離れて、涙を拭った。
「あなた、冬が好きなの?」
涙に濡れた顔で、かすんだ声で、そんなことを聞いてくる。
そんなの、聞かれるまでもなかった。
まだ、出会ったことのない冬だけど、でも、こんなにも焦がれてる。
「大好きさ! 季節を嫌う人間なんて、いるもんか」
女の子が笑った。
頬がほんのりと赤くなっていて、心からの笑顔なのだとわかった。
「最初はちょっとしたいたずらだったの。困らせてやろうって」
僕はその笑顔に見とれてしまっていて、彼女のいっていることの半分もわかっていなかった。ただ、うん、とうなずく。
「けどそのうちにね、だれもわたしなんていらないんだって、思うようになったのよ」
「……? どういうこと?」
「ありがとう」
僕の質問なんか聞こえていないみたいに、女の子はそういって、もう一度笑った。
「冬はきっと、きれいね」
その言葉が、ひどく嬉しかった。僕も満面の笑みになる。
いつかきっと冬が来るから、と僕はいった。ただ、励まそうと思った。
だから一緒に、雪が見られたらいいね──って。
「ねえ、君はずっとここに──この町に、いるの?」
「ええ」
微笑んで、女の子はうなずいた。
「もうどこにも、行かないわ」
翌日の同じ時刻、またここで会う約束をして、僕らは別れた。
約束といっても、僕が一方的にいっただけて、彼女はちょっと困ったように笑っていたけど。
あの笑顔の意味を、考えるべきだったんだ。
翌日の朝早く、ジェシーの怒号で起こされた。
窓の外は真っ白になっていて、僕らこどもたちは、声もなく、その光景に釘付けになった。
何もかもが、白で覆われていた。
雪、という言葉にしてしまうのが、もったないほどだった。
冬が来た。
女神様が、帰ってきたんだ──!
「ぼさっとしてないで、急いで薪を割りな! まったく、冬が来るなんてね、この程度の薪じゃあ冬なんて越せやしない。今日はスクールも休みだよ。あんたたち、いつもの倍服を着て、さっさと働くよ!」
ジェシーはそういって、全員の尻を叩いた。こどもたちがばたばたと散るなか、残ったジェシーが足を止めるのが見えた。窓の外を眺めて、目を細める。
「きれいだねえ」
ほら、やっぱり。冬が嫌いな人間なんて、いないんだ!
僕はとにかく嬉しくて、飛び跳ねるようにして家を出た。真っ白の雪は、思った以上に柔らかくて、歩くのにも一苦労だ。けど、そんなことはたいしたことじゃない。冷たいのだって、気にならない。
その日の僕らは、フェスタの準備どころではなかった。薪を割ったり、買い出しに出かけたりと、仕事に追われた。町の人たちは慌ただしく、それぞれに悪態をつきながら、それでも楽しそうだった。
丸一日働いた日の夜は、いつもよりずっと早く訪れた。
十一人の子どもたちが夕食にありつこうとするなか、日が暮れてしまう前に、僕はこっそりと抜け出した。パンを二切れカバンに突っ込んで、広場の向こうの廃屋に向かう。
あの子と会う約束をした、あの場所。
僕を待っているだろうか。
今日は、昨日よりもっと、笑っているだろうか。
この雪を見ているはずだ。
この寒さを、感じているはずだ。
弾んだ足取りで辿り着いたけれど、そこには誰もいなかった。
彼女がいた場所には、雪の塊が落ちていた。その上に、枝で掘ったような、ありがとうの文字。
呼ぼうとして、名すら知らなかったことに気づく。昨日のやりとりを思い出して、嫌な予感が、よぎった。
冬はきっときれいねと、いっていた。
きれいだね、と答えるつもりだった。
たくさんの言葉を用意していた。
名前はなんていうの?
どこから来たの?
どうして、泣いていたの?
「きれいだよ」
雪を握りしめて、つぶやいた。
それはすぐに溶けてしまって、刺すような痛みを残して、僕の手からこぼれ落ちる。
「こんなにも、きれいだよ」
涙が温かいことも、初めて知った。
心が痛くなることも、初めて知った。
*
そうして、季節がめぐる。
また今年も、冬が来る。
日が昇れば沈むように、それはごくあたりまえに、この町に訪れる。
心から、冬を愛している──その気持ちはいまだって、変わらないけれど。
どうか君が、どこかで、笑っていますように。
読んでいただき、ありがとうございました。
今作は、TMオマージュ小説企画に参加させていただいたものです。