植物を愛でる彼女を温室に閉じ込めて、そして、彼は彼女を愛し続けた。
私は、鳥籠の烏。
黒い鳥。
私は、捕われた鳥。
烏籠の蔦に絡まって、過ごしている。
そこに全てがあるので、十分に幸せだ。
私は、飛ばない鳥。
もともと羽はないから、あたりまえ。
たとえ空を望むとも、そこに飛び立てるわけではない。
私は、蔦の絡む籠の中で、気ままに歌う鳥。
あなたは、籠の外から私を眺めているだけ。私はあなたに興味はない。
本当はあなたの方が、囚われている。
それは愛ですか。それは恋ですか。それは憧れですか。
それは狂喜ですか。
狂おしいほどに依存する。強く強く求めているが届かない。
小さなあなたはすべてで、世界のすべてはあなたなのです。
◆
だれも寄り付かないような村の外れに、一軒の家があった。
彼女をその花園で初めて見かけた時、まるで夢でも見ているかのように、世界は輝きはじめた。
「あぁ、これは運命だろうか」
異国の珍しい植物の茂る小さな楽園で、植物たちに語りかけるその笑顔、花を愛でるその姿。それは、妖精か、天使か、女神さまか。
ここは失われた楽園、そうにちがいない。
その髪は鴉の濡羽のようで、その瞳は黒曜石のようで。それは美しい娘だった。
長いつややかな黒髪を邪魔にならぬように後ろで1つに束ね、微かにのぞくうなじが、甘そうにそっと覗いている。熟れた白桃のようなそれを、味わいたいと、ほんの少し情欲する。
いつまでも彼女を見ていたい。名も知らぬ彼女を一人締めにしたかった。
「あなたは、だれ?」
風の光の中で、黒の瞳がとらえる。
その縞瑪瑙のような瞳の中に自分が映っているのを見て、ますます独占の欲望が高まるのを感じた。
これが欲しい。欲しくてたまらない。
なでたい、なでまわしたい。かわいがりたい。
これは、自分のもの、自分だけのものにしてしまいたい。
どうしようもない衝動が、心を精神を侵食していく。
「私に何か用? それとも、私の植物たちに?」
「あなたに用があります」
「なにかしら?」
彼女の表情、挙動、すべての1つ1つを焼き付けるように、食い入る。あなた以外に考えられないほどに膨れ上がる、この気持ち、この感情、情熱。
「俺と結婚してください」
すべてをぶつけ、ことばにする。
「は?」
突然のプロポーズに虚をつかれ、しばし瞳を見開いて、瞬きを数回。その後、まるで可哀想なものを見るように、冷たい目線を投げかける。
あぁ、そんな表情もできるんだね。
拒絶は、気にしない。それさえも、いとおしい。もっと、ころころ変わる君のすべてを見ていたい。
「その黒い髪、黒い瞳。世界を探しても、これほど美しい黒檀のような黒はない」
いかにその黒が美しいかを高らかに力説する。
◆
「うわぁ」
なんだかわからないけれど、その響きに鳥肌立った。
容姿をほめられるのは悪い気はしないのだが、ここまで称えられると逆にひいてしまう。この人は、いったいどんな幻想を見ているのかと。
男は身分のいい者なのだろう、よれていない綺麗な服を着ている。金色の髪もよく手入れされている。泥だらけの田舎男にはない気品と清潔感が漂っている。
悪くはない、見目は悪くはないのだが。
そうだ、これはあれだ。生理的に苦手というやつだ。
「ごめんなさい」
広い花園の奥へ逃げだした。これ以上、関わらない方がいいだろう。
ほんの数十秒の、ささいな出会い。お互いにすぐに忘れてしまうだろう。そう願いたい。
◆
「待て」
あっという間に逃げる小鳥は黒い鳥。
残された男は、心に決める。
「あれを、絶対に手に入れてみせる」
◆
「あぁ、怖かった」
しかし、あれは怖いというよりも、気色が悪いがといった方がいいだろうか。
自分はあんまり人に興味を持たない方だと思っており、好きも嫌いもあまり無かったのだが、ここまで苦手意識が沸き起こる、いわゆる生理的に苦手な人間がこの世に存在することに驚いていた。
村の外れで、植物に囲まれて暮らしているのは、あまり人と関わりたくないからである。植物は人と違って、いつだって優しくそこにいてくれる。だから、植物を育てているのだ。
「本当に何なのかしら」
あれは人のことを人としてみていない。愛でるための、愛玩の対象としかみていない目だった。
認めたくはないけれど、なんとなく同族のにおいがする。何かに執着しそうな人間の。
これはきっと同族嫌悪。
自分の嫌な部分を見ているような。
写し鏡の自己嫌悪。
家の中から、そっと外をのぞき見る。
「あぁ、まだいる。案外、ねばるのね」
明日もきそうな勢いだ。もしも、明日来るようなら、しばらく外出は控えたほうがいいかもしれない。野菜が裏の温室で育ててあるし、干し肉も缶詰もある。閉じこもってもしばらくは自給自足で暮らせる備蓄はあるのだから。
数日も閉じこもっての研究なんて、なんて久しぶりなのかしら。
外の男のことなんて忘れて、植物の研究に没頭した。
◆
「気がつきましたか?」
男の声がする。
「あれ、ここは?」
こんなふかふかの布団は知らない。天蓋のあるベットなんて知らない。絨毯の敷かれた床なんて知らない。何よりも巨大な鳥籠のような檻の中にある部屋なんて知らない。
見覚えのないその部屋に、頭が混乱する。
「ここは俺の家です。そして、ここはあなたの部屋です」
「は?」
わけがわからない。
「乱暴なまねをしてすいません、お嬢さん」
数日間、見かけないから、心配になってつい侵入してしまった、といきさつを語る。
「……」
深く眠らせる薬を持っていったあたり、完全に故意犯だ。
3日ほど眠っていたらしい。
「このまま、起きなかったらどうしようかと思いましたよ」
触ろうとしてくるので、枕を投げた。
「来ないで」
「おびえなくて、大丈夫ですよ」
やさしく声をかける。
「とにかく、あっちへいって」
ぬいぐるみ、毛布――花瓶、は花がかわいそうだから、やめておいて――、水差し、コップ、盆等々。周囲にある、投げられるものを、一通り投げ拒否する。
「わ、わかりました、ここは一旦引きましょう。何かあったら、このベルを鳴らせばあなた専属の侍女が来る。彼女らに色々頼むと良い」
「……」
まぁ、侍女ですって。しかも専属の。そんな人をほいほい雇えるなんて、すごい身分なんですね。
「また来ます」
「もう、来なくていい」
追い出すことに成功した。
しかし、今あわてても、特にできることはない。
重力に任せて、ベットの上に倒れこむ。
視界に入る天蓋つきの豪華なベット。薄いレースの布で覆われている。
「天蓋……天井から落ちてくる単なるほこりよけ」
豪華な家は、天井が高い。天井の掃除ができないのだ。だから寝具を汚さないために天蓋があるのだ。
「……何言っているんだろう」
どうでもいい雑学を思い出すなんて、よっぽど現実逃避がしたいのだろう。
「これからどうなるんだろう」
ここは巨大な鳥籠の中。
悪趣味である。
考えても仕方がない。
日差しが気持ちがいいので、眠ることにした。
◆
「あぁ、愛してる」
例外なく、二言目には愛してると彼は言う。
「勝手に入ってこないでよ。ノックは? ノック!」
そっぽを向く。
「声をかけても入れてくれないだろう?」
「そうだよ。あなたなんかに会いたくはないもの」
「つれないね」
「つれないよ」
「さて、戯れはこのくらいにして本題です。あなたの家のものは、ここに運ばせました。さきほど、その作業が終わったのでお知らせします」
男はカーテンをあけ、指をさす。その方角には壁に囲まれた中庭がある。
あぁ、確かに庭で育てていた植物たちが丁寧に植えてある。しかも、珍しい外国の植物まで、追加で植わっている。
「ちょっとした植物園ね……」
「その扉から、直接庭に行けるから、好きに使うといい」
あの扉は何だろうと思っていたら、そうだったのね。
この鳥籠と、向こうの庭はつながっている。
「……庭見てくる」
そう、これは現実逃避だ。
「お供しましょう」
「一人になりたいの!」
至福のときを、知らない男と二人で過ごしたくはない。
「……わかりました」
願わくば、部屋から覗き見してにやにやしているのも、やめてほしい。
動物園の愛玩動物な気分がとってもする。
しかし、今のところは私は自分の愛しい植物たちが無事であったということに安堵しよう。
彼は無視だ。虫でいいや。もはや害虫だ。つまみだしてつぶしたい。
……ていうかこの服はやっぱり動きつらいな。
「脱いじゃおうかな」
おしゃれなドレスは脱ぎ捨てて、作業開始。下着とはいえ、普段着ていた服よりも上等だ。
「……なぜ脱ぐ」
肩や膝など普段は目にしない肌の露出は、毒である。
「動きにくかったから」
本人は堂々としており、色気も何もないのが非常に残念ではある。
「お前に羞恥心は無いのか」
見てもいいのか、悪いのか、目のやり場にこまってしまう。
「着飾る方が恥ずかしい! 着せられる方の身にもなってみろ!」
ついつい乱暴な言葉使いになってしまう。
「……」
互いの価値観が違いすぎた。
「ここは一応『自分の』部屋。どんな格好をしていてもかまわないでしょう。それに、なぜここにいる」
「愛しているから」
「出てけ」
◆
「ここは天国か、楽園か」
植物に囲まれて、毎日を過ごしている。
もとより研究所にこもりっきりの生活をしていたのだ。この檻となんら変わりはない。
むしろ、この監禁生活のほうが充実しているかもしれない。ご飯とか掃除とか、メイドさんが基本的なことしてくれるし、頼めばある程度、外の植物とか持ってきてくれるし。
至れり尽くせり?
「奴がいなければ、だけれどね。奴がいない時は、何をしていても邪魔するものはいないけれど。奴が邪魔をしてこなければな。この環境を作ってくれているのは奴なんだけれど、少しは感謝してもいいような気はするんだけれど」
うつぶせで床に倒れてみる。絨毯が柔らかである。
床の癖に、昔のわが家の寝床よりも滑らかな肌触りである。
「今日も愛らしいね」
絨毯のさわり心地を楽しんでいたのに、不快な声が聞こえてくる。
「……」
「愛してるよ」
「……」
完全無視をきめこむ。
「俺を見てよ」
「君の顔を見ているより、この絨毯の毛1本1本見ている方が有意義」
「絨毯になりたい」
「うわぁ、その絨毯には近寄りたくない」
変態には、何をいってもダメなのかもしれない。
◆
夜更け。
彼はしのびこむ。
布団をかぶり丸くなって眠っている。それを見ていると、自然に笑みがこぼれてしまう。
「あぁ、たべちゃいたい」
そっと毛布をずらし、頬に手を添え、口付けを……
「……うー」
彼女は、寝ぼけて触ってきた違和感を払いのけようとする。それは偶然にも思いっきり彼の顔面に直撃した。
「いたたた、眠っていても、俺のことが嫌いなのか……」
ものすごくへこむ。
「……うん、嫌いだね」
「起きていたのか?」
「今、起きた。こんなに騒がしいのだもの」
なぜ痛がっているのかはわからないが、自分には関係ない。どうせ大したことではないだろう。
「じゃあ、目覚めのキスを」
「やだ」
布団にもぐって断固拒否。
「キスくらいいいだろう?」
「自慢じゃないけれど、犬だろうと猫だろうと顔を舐めようとする生き物の行動は大嫌いなんだよ」
あの湿りっけが気色が悪いのだ。
「向こうへ行けよ」
威嚇する。
「あぁ、まるで猫のようでかわいいよ」
「猫は構いすぎると、嫌われるぞ」
本当に猫か何かだと思っていただいて、放っておいていただければ、さらにありがたい。
「だから布団をはぐな、顔を近づけるな」
ドスっ! (急に殴る)
「なんていうか、殴りたくなるじゃないか。殴られたくなかったら、向こうへ行け」
「……もう殴っているよ」
「ちなみにそういった行動に関しては、口より先に手が出るから、気をつけてね」
寝ているときもそれを行っていることを彼女は知らない。
言い合ううちに、だんだん頭が働いてきた。そして気がついた。
こんな時間に来るなんて!
危険信号、受信!
「……まさか寝込みを襲いに来たの?」
身を固くする。
「そんなに怯えなくてもいいよ。嫌がる女を抱くのは趣味じゃない」
「嫌がる女はさらう変態だけれどな。それにこんな夜更けに部屋に侵入してくる」
「ここは俺の部屋だ」
「でもこの籠の中は私の領域、縄張りだ」
「縄張りって動物じゃあるまいし」
「……私は気まぐれ猫。この檻にいるのは人間ではなく動物。動物は、気ままだから君の話など聞かない。縄張りに入ってくるものはゆるさない。ほら、だからあっちへ行け。にゃーにゃー、にゃーにゃー(棒読み)」
「……どうして、俺を見てくれない? こんなに愛しているのに?」
「私が君を見ていない、だって? それは、君が私を見ていないからだろう? 恋は盲目と言うけれど、まさしくその通りだな。そんな盲目な眼で私を見て何を見ることが出来る? 君は何も見えていないじゃないか。私を見ていないじゃないか。それで愛しているだって? そのようなモノは愛ではなく単なる憧れ、恋心でしかないよ」
それを恋心と言ってあげるやさしさくらいは、もっている。
「でも、だからといってその感情は否定しない。それもまた、すばらしい生命の育みになるからな」
タデ食う虫も好きずき。いろんな趣味の人がいるから、生命は絶えず繁栄する。
「どうせ数ヶ月もすれば、飽きるでしょ? 珍しいペットもそのうち当たり前になって、いつしか忘れるものだ。飽きたら森にでもぽいって捨ててしまってかまわないよ。むしろ、今すぐにでも捨ててもらってかまわない」
「そんなことはしない」
「まぁ、どうでもいいけれどね、私の飼い主さん。わかったら、回れ右、向こうへ行く!」
「俺は諦めないからな」
「はいはい」
非日常が、日常的に。
これが、繰り返し。
毎日の変わらぬ風景に。
これが、日常。
見慣れれば、見慣れるほどに、どこか微笑ましい。
――どこか似たものどうしの彼ら。
しかし、二人の愛の方向性は程遠く、交差するには、まだまだかかりそう――