斑模様のお堅いひと
部屋の前で深呼吸し、ドアをノックする。低く事務的な声が返ってきて、ドアを開けた。部屋の机で書類をまとめているのは、よく知った厳つい顔。鼻先の尖った丸い顔つきをし、頭の上には丸い耳がある。全身は黄色い毛並みで覆われ、細かく入った黒の斑模様が美しい。言うなれば、豹の獣人だった。
私の姿を見るなり、相手は鋭い目を細めて怪訝な顔をする。
「どうした、今日の任務は終わりだ。稽古場も閉まっている。それに私の仕事もじきに終わる。他に用向きがあるとは思えないが」
持っていた書類の端を整えてみせ、相手はため息を吐いた。この人は、私の所属する部隊の隊長だ。仕事があれば私たちを率いる立場であり、有事以外は部下に稽古も付けるほど熟達した剣豪でもある。だから日の沈んだこの時間では用がないと思われても仕方がない。けれど私には、あえてこの時間を選んだ大きな理由がある。
「隊長に、お願いしたいことがあるんです」
はっきりと伝えると、隊長は椅子に座り直した。言ってみろと短く答え、私の言葉を待つ。私は恥ずかしさで二の句を告げるのをためらった。だが、ここで何でもありませんでしたと帰る訳にはいかない。意を決し、こぶしをぐっと握りしめた。
「隊長、もふもふさせてください」
「……は?」
案の定、隊長はぽかんとしてしまった。斑模様の尻尾までもが固まってしまっている。やっぱり無理なお願いだったか。落胆しかけたとき、遠慮がちな声が聞こえた。
「その“もふもふ”とは、具体的にどういうことなのだ。どういう要求なのかさっぱりわからんが」
今度は私の方が固まる番だった。もしかしなくても、さっきの間は言葉の意味がわからなかったからなのだろうか。しかし“もふもふ”って、イメージはあるけどなんて説明すればいいんだろう。
「ええっとですね、つまり、ふわふわした毛に手櫛を通してなでなでしたり、ほっぺですりすりしたり、そんな感じです」
どうにかそれっぽく説明する。たどたどしかったが、隊長は一応納得してくれたらしい。隊長はジト目で私を見やる。
「お前、それ言ってて恥ずかしくないか?」
「……ものすごく」
めちゃくちゃ恥ずかしいです。できれば指摘して欲しくなかった。もうまともに隊長の顔も見られず、私はうつむいた。静かな部屋に、呆れたようなため息が聞こえてきた。
「しかし、何故私なんだ。引き受けてくれそうな人やそこらの動物でも構わんだろう」
「それでもいいんですが、隊員や知り合いの獣人は一通り堪能しました。あとは隊長だけなんです」
「もう手を出していたのか」
「はい、皆さん素晴らしい毛並みでした」
「もはやセクハラだな」
「違うんですよ!? ちゃんと事前に言いましたし無理矢理もふもふしてませんから!」
「もういい。お前に妙な趣味があるのはよくわかった」
顔を上げると、隊長は細目で私を見つめていた。その目はまるで私を変態扱いしているようだった。今までのリアクションで一番ひどい。私はがっくりと肩を落とした。相手はお堅い隊長様だ。そうそう許してくれる訳はないと覚悟はしていたが。
沈黙が流れた。外の音も聞こえてこない。静まりかえった部屋で、隊長が咳払いする。
「少しだけだぞ」
私は反射的に顔を上げた。隊長は頬杖をつき、仕方なさそうに耳を下げていた。
「少しの間、顔周りだけなら許そう。それでいいな?」
「はい! ありがとうございます!」
私はすぐさま返事した。少しとはいえ、もふもふさせてもらえるのだ。こんな機会は滅多にないに違いない。
私は椅子に座る隊長の傍に歩み寄った。失礼しますと一声かけて、斑模様の毛並みに手を触れる。激務のためか毛並みは整っていなかった。が、羽毛のようにふわふわと柔らかい。特に喉元の毛が一番柔らかかった。くすぐったかったのか、隊長はグルルと低く唸った。頬の辺りは短くて固く、ピンと張りだした髭がよく目立つ。さすがに髭を触ると嫌な顔をされた。大事な器官だからと咎められる。
丸い耳は短い毛で覆われ、内側には長く柔らかい毛が伸びていた。その耳を優しくつまんで撫でる。親指で外側に、人差し指で内側に触れながら、上下にゆっくり動かす。時折ぴくぴくと動くのが何とも可愛らしい。反対の手で耳の付け根を掻くと、ピンッと耳が立った。笑ってしまいそうになるのを押さえつつ、耳を弄る。
何か細く温かい物が脇腹に触れ、声を上げそうになった。見れば、隊長の尻尾が私に触れていた。ねだるようにくねって脇腹を撫でてくる。隊長自身は無意識なのかどうか、それはなまめかしく誘っている。斑模様の細長さを掴んでしまいたい衝動に駆られたが、ぐっと押さえ込んだ。許されたのは顔周りだけだ。尻尾は含まれていない。
その代わり、私はもう一度首の毛に触れた。白く柔らかい毛をかき上げて、間に指を滑らせ潜り込ませる。耳と尻尾が反応したのを肌で感じた。もう片方の手で耳を撫で、後頭部に顔を埋める。短い毛が頬に触れてくすぐったい。汗の混じった独特な匂いがする。両手の指と顔全体、それから尻尾の触れる脇腹。私は可能な限りもふもふを堪能していた。しばらくこのままでいいと思っていた。
「もういいか」
隊長のしわがれた声に、現実感が戻ってくる。名残惜しく感じつつも、私は隊長から離れた。正面に回ってぺこりと一礼する。
「ありがとうございました。堪能させていただきました」
これでしばらくは、触りたい欲求に駆られなくて済むはずだ。明日からの任務も乗り切れる気がする。気の抜けたような隊長の顔を確認してから、私は部屋を後にした。
残された部屋で一人、豹の獣人はため息を吐く。
「なんとも、調子が狂う奴だ」
彼女の隊長は立ち上がり、書類をファイルに入れた。まだ気になるのか、喉元に自分で触れる。
「よもやこの年になって、部下に甘える日が来ようとは」
簡単に片付けをし、部屋の明かりを消す。部屋を出た彼の厳つい顔は、ほんの少し緩んでいた。
Twitterからのお題で「老成した豹の獣人でモフモフされる話」でした。
「老成」には「年齢より大人びている」と「熟達している」の二つの意味がありますが、今回は後者で。
……最初考えていたものと主旨がだいぶ違ってしまったようにも思えますが
まあ、楽しく書けたので何でもいいです。
それにしても、ケモナーさんや人外好きの人は別に変態に見えないのに、どうしてケモナーキャラ(もしくは人外好きキャラ)にするとこうも変態臭が漂うのか……