「触れたい」と思うことに理由なんてない
だってそうじゃない?
やわらかそう だとか
あったかそう だとか
気持ちよさそう だとか
それは単なる感想であって
単なるその対象物に対して自分の抱いた印象という情報でしかない
そこから行動が発生することは確かだけれど、
そういう行動を実行したいと思うのはまた別の次元の問題なのだ
だから、つまり、ひとことで言えば理由なんてないんだよ
あたしが、あなたを抱き締めたい、と思うことになんて
ただ、だっこしたいな、なんて
そんな単純な思いでしかないんだよ
本当に
*****
「なーーのーーにーー!なんなのよ、あいつ!!うぬぼれんじゃないってのよ、まったく!べつに何か反応がほしいわけじゃないんだから!だいたい反応がほしけりゃ、んなまわりくどいことしますか、この私が!!いったい何年付き合ってると思ってんのよ、いい加減そのくらい察しなさいよね、まったく!!!」
「………」
全国フランチャイズチェーンの居酒屋は、週半ばとあって満席というほどでもなかったが、それなりに賑わっていた。
その中で私の声はどのくらい響いていたろう。そのときはさして気にしていなかったけれど、後で思い返せば一瞬店内に静寂が訪れていたような気がする。
ちなみに相棒は我関せずといった風情で目の前の皿の焼き魚と闘っていたような気がする。
その相棒がぜいぜいと息を切らしている私に冷静な目線を向けて冷静な声をかけてくる。
「飲みすぎよ。そろそろ明日に差し支えるわ」
「平気よ、このくらい」
「いいから。今日はもうやめときなさい」
あくまで冷静に箸を今度は青菜のおひたしに向けながら彼女が言う。
「…なによお。今日はつきあってくれるてゆうてたやん」
いつもは好ましいことこの上ない相棒の冷静さが、今夜は恨めしい。感情のままに恨めしげな視線と声を向けるが、そんなものは彼女の不可視の隔壁を崩すことはできない。
「限度と常識を鑑みての判断です。仕事のパートナーとして忠告。もう今日はやめなさい」
ほんとうにこいつは常に冷静だ。――面白いほど。少なくとも見た目聞いた感じでは。
「だいたいね、プロとして失格よ。ここ数日の貴女。しゃべんない、眉間に皺を寄せる、笑顔を引きつらせる、目が笑ってない」
でも実は見た目だけの人間じゃない。そんな人間なら私の相棒は務まらない。私が選ばない。――大抵の人間は騙されてるけど。
「…そこまでいってる?」
「これでもかってくらい険悪オーラ垂れ流しながら何言ってるの。これで今月売り上げが落ちたら貴女の給料減らすわよ」
「…客は逃がしてないじゃんよ」
「やかましい。ここ数日この空気に曝されてる私の精神的苦痛への慰謝料を含めるわよ。ついでにカウンセリング代」
「……カウンセリングになってんの?」
「文句ある?」
「…はい。ありがとうございます」
「わかったね。明日はその空気とってから来ること。でないと本気で減給よ」
「………」
きっぱり言い切るとさっさと伝票を取り上げて去っていく相棒を、なんとなく呆然と見送るしかなかった。
「…あ、伝票持って行っちゃった」
******
わかってるんだよ、本当は。ただ単に八つ当たりしてるだけだってことは。不本意ながら。
でもさ、しょうがないじゃない?
誰だってあるでしょ?こう、絶対言われたくない言葉。絶対誤解されたくないこと。
誰にだっていると思うんだ。絶対こいつにだけは誤解されたくないって存在。
誰だって嫌でしょう?そんな奴がそういうことをしようもんなら。
一番信頼してる相手にその信頼を裏切られるなんて、そりゃあ例えようもないほどショックなんだよ。
そりゃあ、相手の言い分もわからないではないけど、それでも。
ねえ、言いたくもなるじゃない?
「―――いったい何年私に付き合ってんのよ、あんたは!」
一人ぶつぶつ言いながら夕暮れの街を歩く私は、相当やな感じだったんだろう。後で気が付いたことだけど、相当混んでるはずの街路を、私はまったくスピードを緩めることなく直進していた。
むかつくからそのまま街を歩くことにする。どうせ家に帰っても誰もいない。別に寂しくはないけど、こういう気分のときには気持ちのいいものじゃない。
「恋人つくればいいじゃない」
お気楽に言ってくれた友達の顔を思って、また少しむかついてみる。そんな簡単にいくもの、今はほしくなんかない。誰だっていいのなら今までだって苦労はしていない。軽く十人は下らない。
そんなの、今は欲しくもない。誰だっていいわけじゃない。
誰だっていいのなら、こんなに苦労しやしない。
…本当に、私って馬鹿だ。
とりあえず直進していた目に留まったゲームセンターに入る。
入り口付近でプリクラにたむろしている女の子たちを通り過ぎ、ダンスゲームの見物の群にまじり、格闘ゲームを後方から見学する。
「…ゲーセンって一人でいてもつまんねー……」
騒々しいほどに賑やかな店内。華やかなライティング。デジタル音声に歓声と笑い声。
「さみしい」なんてわけじゃない。間違ってもそんなこと思ってない。だけど、何か物足りない。つまらない。
結局ガンシューティングワンゲームで店を出た。
再び街の雑踏をずかずか歩く。妙にスピード感のある視界に、まだ煌々と明るいガラス張りの店が映る。
いつもの気に入りの雑貨セレクトショップはいつも通り木と香の混じった空気で迎えてくれる。
ちょっといびつな陶器のうつわ。軽くニス塗りされただけの籐や竹のカゴ。鈍く光るステンレスのプレート。
いつもなら使い途を考えたり、改良点を考えたり、頭の中でアレンジをシミュレーションしてみたり、そんなぼうっと過ごせる楽しい空間が、今日はなんだか空々しい。
(…ほんと、馬鹿みたい)
いつもなら何かしら買って店を出るのに、今日は店内を一周半してそのまま出た。
更に何度か街路を曲がり、駅が見える辺りまで来ると、まだデパートが開いていた。進行方向を60度ほど修正してまっすぐ店内に入る。ずかずかと店内を闊歩してエスカレーターを乗り継いでとりあえず六階まで上がる。そこはなじみの本屋と文房具のフロアーだった。
(そういえば最近カッターがなくなっちゃったんだっけ…)
文房具のスペースをぼんやり歩きながら、ふと最近見当たらなくなっている、かなりお気に入りだったカッターナイフのことを思い出す。
シンプルなフォルムのスチールのカッターナイフだった。別に何が凝っていたわけでも特別な思い入れがあったわけでもない。でもたまたま入った文具店でたまたま見つけて一目惚れして即購入したものだった。その後色々な店で見てみるが、同じ物を見つけたことはない。多分あの時見つけなければ一生出会えなかった。
きっとそんなものなんだろう。出会いというものは。
全体として俯瞰で見たとき、もし選んだ道が間違っていたり遠回りだったとしても、それは決して無駄になることはない。私はそう思う。
何故ならその道で出会った人やもの、経験したことが私の中に蓄積されて全体として現在の私というものを作り上げてきたのだから。そして他の道を選んでいた場合、決して出会うことのないものがその道には少なからずあって、それが自分にとって他に代え難い存在となる場合も多いだろう。
きっと私のなくしたカッターがそうだし、今の仕事がそうだし、その仕事での相棒であり数年来の親友だってそうだし、そして―――
「……あれ、お前…」
「………」
どうして、こんなとこで会ってしまうんだろう。ていうか、
「…何してんの、こんな時間に」
「お前こそ」
「ここは私のテリトリーだもん」
「そりゃおれもだ」
「だからなんでこんな時間?」
「お互い様だろう」
不毛なやり取りをしながら、思う。
(―――少女漫画でもないぞ、今時こんなシチュエーション)
思っていた相手と街中でばったり偶然出会ってしまうなんて。想う相手と同じ行動とってしまってるなんて。これがキラキラ目の少女漫画の主人公なら「きっとこれは運命!!」とかって背後に星とか薔薇とか集中線とかを背負うシチュエーションなんだろうけど、でも。
(――なんか、間抜け――)
現実なんてこんなもんだ。
「――お前、酔ってる?」
近づいてきたそいつが軽く鼻を鳴らして眉を顰める。
「失礼な。軽く四、五杯呑んだだけよ」
「…充分だろ、普通はそれで」
わざとらしくため息をつくのに、わざとらしいしかめっつらで応える。事実、私は酔ってはいない。
「誰かさんのおかげで酔っ払う気分じゃないもんで」
「…やっぱお前酔ってる」
深くため息なんてつきながら言うから今度はじろりと白眼でにらんでやる。そんなもの、こいつに効くとは思えないけど。
「帰るか?送ってやるよ」
「結構。一人で帰れる」
「たまには送ってやるって」
珍しく強引だと思いながら、それ以上抵抗はやめて腕を引かれるまま店を出た。
******
月に群雲花に風。日中の陽気に咲き匂う春の花々が強い風にあおられてはらはらと闇夜に舞う。
「きれーだねー」
首が痛くなるくらい見上げながら両手を天に差し伸べてみる。小さな花弁に指が触れそうで、届かない。追いかける腕がくるくると宙をもがいて。
「…こけるなよ」
まるで私は花吹雪に酔ったよう。ふらふらとぎこちないダンスのような足取り。
花は好きだ。というか、美しいものは好きだと思う。
詳しいことなんて知らなくていい。今このとき、それが美しいと、きれいだと、好きだと、そう思えるのが楽しい。詳しいことなんて、好きなら後からわかってくる。知りたくなる。そのとき知ればいい。
「桜ももうすぐかな」
「だな」
「今年は早いよね」
「ああ」
「花見、予定繰上げしてるんだって、みんな」
「らしいな」
「千尋のところは?花見の計画とかは?」
「まだだな。一応例年通りらしいから」
「…散っちゃってるんじゃない?」
「…空しいな」
くすくす、笑ってみせると奴もやっと笑いを見せる。
もっと笑えばいいのに、と思う。
いつもわざとしかめっ面して、いつも無感動です、なんてカオ表情してないで。
笑えば、笑えれば、それだけで見えるものも違ってくるのに。本当は笑えることとか、楽しめることが好きな人だってことを、知っているから。だから思う。もっと笑っていようよ。笑ってみせてよ。
――そんな、気持ちを、伝えたいと思う。
するり、無防備な腕に腕を絡ませてみる。
コート越しに笑ってる私が伝わればいいと、そっとその腕に顔を押し付ける。
――ああ、そうだよ
そうなんだよ
改めて認識するけど、
私は、あなたを抱き締めたい、と思ってしまうんだよ。
いつも、
あなたを見ていると。
あなたと一緒にいると。
私に言わせれば、私に、そう思わせるあなたの方にこそ問題があるわけで。
「…悪かった」
「…何?トートツに」
穏やかな声の謝罪の言葉に、私は眉を顰めて顔を上げる。
「…こないだは、言い過ぎた」
「―――…」
「…――――そういうことで」
何が、「そういうこと」なんだか。
謝ってるわけじゃないし。
どうせ私が怒った本当の理由なんて、きっとこいつはわかってない。
――そう考えるとまたちょっとムカつくけど。
――でも、多分もう私は許してしまっている。
―――つくづく、私って馬鹿だ、と思う。
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