天使の楽園、悪魔の詩 9
9.
夏季休暇もそろそろ終わる頃になって、やっとアーシュとルゥが、エドワードの屋敷に来る事になった。
連絡をもらった俺は、一週間先の到着にも関わらず、あれこれと準備に勤しんでいた。
その様子を見て、エドワードが笑う。
「クリストファーの浮き足立った恰好は初めて見るよ。そんなに大事な友人なのか?」
「大事な親友だよ」
「嘘付け。その親友とか言う奴らのひとりはおまえの恋する相手なんだろ?」
「…違う」
「鏡で顔を見てみろよ。恋する者を待ち焦がれて心待ちにしている顔でしかなかろうよ」
わかっているなら、言うな。こっちはそれを言われただけで顔から火が出そうになる。
「まあ、楽しみにさせてもらおう。おまえに言う親友がどんなに美しいか…私より愛おしい男がどんな奴か、たっぷり拝ませて頂くよ」
「頼むから、エドワード。ふたりには手は出すなよ。まだ13にもならないんだからね」
「私も一応大人の貴族なのでね。身の程をわきまえているつもりだよ。もちろん向こうから頼まれたらその時はありがたく頂くがね」
「…」
改心したと思っていたのは僅かな期間で、エドワードは相変わらず手癖が悪い。それでも昔に比べれば、随分マシなのだが。
その日が来た。
駅まで使いを出し、車が着いたのは夕方近くだった。
俺は玄関先で車から降りるふたりを出迎えた。
ふたりとも慣れない長旅に疲れた様子だったが、俺の顔を見ると、たちまち相好を崩して、俺に抱きついてくる。
「アーシュ、ルゥ、よく来てくれたね。待ち遠しかったよ」
「ベル~久しぶり~、会いたかった~」
「ベルが居ないとなんかつまんないんだよね。宿舎に居てもぽっかり穴が開いた感じ」
「それ、どーいう意味だよ、アーシュ。僕じゃ君の相手に不足ってわけ?」
「揚げ足取るな」
「おい、ここまで来てケンカはやめろよ。いいから家に入ってくれ。エドワードも待ってる」
「わ、実に楽しみだ。アーシュは叔父さんを殴るんだよね~」
「セキレイのこういうとこ、子供っぽくて嫌になるよね、ベル」
「…そういうところがふたりとも子供だろ。エドワードはああ見えても武道も極めているから、非力なアーシュの腕じゃ、平手打ちどころか…」
「逆にベッドに押し倒されるってわけ?」
「それ、本人の前で言ってくれる?責任負わないからさ」
「「はは」」
相変わらずの三人であることに、俺は舞い上がっていた。
貴族の儀礼に則って、礼儀正しく挨拶をこなしたエドワードだったが、影でこっそり「ベルの恋わずらいの相手は黒髪の方だろ?私は断然白金の方だね。見ろよ、あの従順そうな顔とマッチしたプラチナブロンド。一度味わいたいものだね」と、好色をひけらかす。
「…」
始末に負えない輩ばかりだ。
「君達の部屋だけど…一緒がいいよね」
ふたりを二階のゲストルームに案内する。
「先にベルの部屋を見たいな」
「え?」
「ね、いいでしょ?」
ふたりに急かされた俺は、なんとなく嫌な予感のまま、自分の部屋に案内した。
「うわ、すげえ広いや」
「思ってた以上に凄い豪華だ。ベルってホントに貴族なんだね~」
「そうかな…」
「椅子もすげえ。黒檀のアンティークに金細工って、聖堂でしか見たことないもん。それに…ベッドも広いじゃん」
「そうね、三人寝ても充分過ぎるぐらい」
「と、いう事で、俺達の部屋ここでいいから」
「は?」
「ベルと一緒にこのベッドで三人で寝るのさ」
さすがにそれはないと焦った。だってふたりにいちゃつかれた姿を見せられたら、いくら俺だって、我慢できるものか。
「ちょっと待ってくれよ。君達…その…恋人同士なんだろ?俺が一緒に居たら邪魔だろ?」
「大丈夫だよ。ベルの目の前でセキレイとセックスしたりはしないよ」
「当たり前だろ、ばかアーシュ。聞いてよ、ベル。アーシュったらさ、僕をほったらかしてメルと寝たんだよ」
「…そう、なんだ」
やっぱりそうだったのか。あれは夢じゃなかったのか…
メルとセックスを試すとは事前にアーシュから言われていたから覚悟していたが、こうしていざルゥの口から聞くとズキズキと胸が痛んで仕方ない。
「それで翌日、何て言ったと思う?」
「…なに?」
これ以上、この話は俺にはキツイのだが、ルゥの方がもっと辛いのだろうと、俺は不憫に思った。
「『メルとのセックスはめっちゃ良かった。セキレイとは快感が違う』ってさ。照れもなく僕に言うの。ひどくない?」
「…酷いね」
さすがに俺もアーシュを睨みつけた。
当の本人は自重する気など無いらしく知らんぷりと決め込んでいる模様。
「黙ってないで何か言ったらどうなのさ!」
「うるさいな。何回も言っただろ。あれは俺の反省だったの。セキレイをもっと気持ち良くさせてあげたいから、メルとして、勉強になったって言ってるんじゃないか」
「メルから学んだ性技で、僕を試すって、ホントにいやらしいんだから。どういう神経してるわけ?」
「そんなに意地悪言うのなら、他の奴で試すよ。それで君が後悔しても遅いんだからね、セキレイ」
「アーシュのバカ!」
ルゥはベッドの枕をアーシュに向かって投げつける。
アーシュは上手くキャッチして、呆れた顔を僕に見せる。
「メルと寝てから、セキレイはずっとご機嫌斜めなんだ」
「そりゃそうだろうね。恋人が他の奴に寝取られりゃ、誰だって怒るよ」
「だって…仕方ないじゃないか。どうしてもメルの力が必要なんだもの」
「『senso』の力がそんなに大事なの?アーシュは人を愛するって意味を判ってないんだよ」
半泣き状態のルゥは、そう言うとベッドの毛布にうずくまってしまった。
アーシュはそれを見て溜息を付き、カバンの中の服を出し、クローゼットに片付け始めた。勿論ルゥの分も。
俺はその場に居づらくなって、「片づけが終わったら、食事だから」と、言って、部屋を後にした。
ふたりが片付ける問題なんだから、第三者の俺が口出すことじゃない。
だけどアーシュがあそこまで「senso」に固執する意味が俺には理解できない。
ひょっとして、アーシュは本気でメルのことが好きなんじゃないのか?
あの男の胡散臭さと考えると、信用する気にはならないけれど、もしアーシュが彼に「恋」をしているのなら、誰にも止めることはできないんじゃないのだろうか…
ディナーはオートキュイジーヌで慣れないふたりはテーブルに並べられた銀食器にあたふたしていた。エドワードは「小さな貴賓客にはとっておきのワインを」と言い、上等なワインをふたりに薦めた。
ふたりとも酒にはめっぽう強く、あっという間に高級ワインを空にした。
それを見たエドワードは流石に「今時のガキはなんというか…」と、呆れて果てていた。
食事が終わり、別室でへ移動して、デザートを楽しむうちにアーシュたちもエドワードへの気兼ねもなくなったらしい。表情が柔らいでいる。
「侯爵はうちの学園の卒業生とお伺いしましたが…」
「エドワードで結構だよ。アーシュ」
「では、エドワード。あなたはアルトだそうですね。『senso』はご存知ですよね」
「アルトである者が『senso』を知らなかったら、よほど力のない者か、コピーだろうね」
「じゃあ、お聞きします。あなたは『senso』をどうやって学びましたか?あの学園は魔法使いを受け入れる学校でありながら、魔法を教えたりはしない。勿論勝手に学ぶ事を禁止しているわけでもないから、興味のあるアルトは色々と独学で学びますけれど、個人で学習するには難しいんです」
「そうだね…私は中等科から編入したのだけれど、それまで力を使ったことはなかった。だからその存在が怖くもあった。それを教えてくれたのは…『倶楽部』だよ。秘密結社のようなものだね。力を間違った方向へ使わせない為に集まった組織だ。学校側もうすうすは知っていただろうが、何しろ結束が固いから、表に出ることはないんだよ。その組織のメンバーが私を誘ってくれたんだよ。今も学園にいるんじゃなのかな」
「え?生徒として?」
「まさか。先生だよ。確か司書をしている。…キリハラカヲルは私の愛人だった」
「マジで~!」
素っ頓狂な声を出し、立ち上がったアーシュは持っていた紅茶を床に零してしまった。
「あちぃ!」
「アーシュ!」
「アーシュ!、大丈夫か!」
俺は慌てて、ハンカチでアーシュの服を拭く。
「だ、大丈夫だよ、ベル。ゴメン。上等の絨毯に染みを作ってしまった」
「そんなの気にするな。それより…手が…赤くなってる。水で冷やした方がいいんじゃないか」
「大丈夫だよ。こんなの」
痛みは隠せないのか、赤くなった右手をふうふうと息で冷やしている。
「アーシュ、痛いの?大丈夫?」
ルゥが心配そうにアーシュを見つめている。
「どれ、見せてごらん」
エドワードはアーシュの手を取り、赤くなった甲の皮膚に手の平を置いた。
エドワードが目を瞑る。すぐに手の平から淡い光が漏れた。
「あたたかい…」
アーシュが呟く。
しばらくして光は消えた。
「これで痛みは引いたと思うけど」
エドワードは覆っていた手を離した。
アーシュの右手の甲の腫れは綺麗になくなっていた。
「凄い…エドワード。こんなことが出来るなんて…今まで言わなかったじゃないか」
俺は初めて見たエドワードの力に驚いた。
「『イルミナティバビロン』。私はそこで『senso』を教えられたんだよ」
ニコリと笑うエドワードに、さすがのアーシュもお礼を言うのも忘れ、見惚れていた。
どっちへ転んでも、アーシュにとって俺への関心はエドワード以下らしい。