アラツグ、車内で居眠をする。
1、アラツグ
「えー……御剣士団は、創立十年と比較的新しい団であるにも関わらず、優れた戦術と練度の高い団員によって、すでに世界中の都市国家政府のあいだに勇名を馳せております。また、平均値をはるかに上回る生還率を拝見するにおよび、ぜひ御剣士団で自らの剣技を発揮したいと思い、この度、入団を希望いたしました。……加えて、近年の暗殺分野に於ける御剣士団の目覚ましいイノベーションの数々を知るにつけ、十歳のころより人里離れた山に籠り研鑽を積んで参りました私の暗殺術をぜひ役立てたいと思った次第であります」
「お前、さっきから後部座席で何ブツブツ言ってんだ?」
御者席のローランドがアラツグに声を掛ける。
「聞いてりゃ、分かんだろ。採用面接のシミュレーションだよ。俺、明日から組合に通うからよ。就活のために」
「だからって、これからみんなで博物館見学に行こうって時に辛気臭い声でブツブツ言われると、せっかくのピクニック気分が台無しだぞ。だいたい、お前、何時から暗殺術の専門家になったんだ? アラツグお得意の剣術スタイルは正面突破のゴリ押しだろうが」
「うるさいな。良いんだよ。出まかせで。入団しちゃえばこっちの物だ。就活マニュアルにも書いてあったもんね。『基本、当たり障り無く、気の利いた言葉を挿みつつ、誠実さもアピールする。ちょっとだけなら、嘘も方便』……って」
「なんか、その就活本うさん臭いな。ちゃんとしたの買ったんだろうな?」
「たしか『丸暗記で内定確実! 業種別面接試験問答集(剣士団編)』って題だった。……『あの勇者ガリッドも実践していた! たった四百の習慣で人生を切り開く!』って本と……『妖精淫獄・ダークエルフ少女が落ちた罠』と三冊合わせて銀貨一枚だった。近所の古本屋で」
「高っ! しかも、変なのが一冊混ざってるじゃねぇか。いちおうブルーシールド家の血を受け継ぐものとして言わせてもらうけどな。お前、金の使い方もっと勉強した方が良いぞ」
「ああ、もう、うるさい、うるさい」
アラツグが後部座席で駄々を捏ねた。
「だいたい明日から就活だっていう、その前日に突然やって来て博物館に行こうって無理やり俺を馬車に乗せたローランドが悪い! なんで今日なんだよ? なんで博物館なんだよ?」
「明日から本格的な調査が始まるからな。そうすりゃグリフォン像は山ほどの計測器具に埋もれちまう。その前にアラツグに像を見せて置きたいと思ったんだ」
「グリフォン像ねぇ……そんなに凄いのか?」
「凄い。世界の至宝と言って良い。一生に一度は見ておいて損は無い……しかし、な。俺がアラツグにグリフォン像を見せたいと思ったのは、その美術的価値が理由じゃない」
交差点で馬車が停まっている隙に御者席の少年が振り向いた。
「なあ、アラツグ。お前は強い。飛び抜けて、強い。研ぎ澄まされた感覚、並外れた身体能力、野性的な勘……どれを取っても人間レベルじゃねぇ。現時点でも、この世界にアラツグに勝てる奴は居ないだろうさ。人間の中には、な……しかし、それじゃあ、まだ充分じゃないんだ。お前は、さらに上のステージへ行ける。もっと強くなる。……いや、強くならなくちゃいけないんだ」
「何だ、それ。お得意の妄想か? 俺が『英雄』になるとかいう……」
「とにかくアラツグ、お前がグリフォンを見れば何かを感じ取るかもしれない。その可能性が有ると俺は思っている。それが、アラツグが次の段階へ進む切欠になるかも知れない、とも。……まあ、俺の妄想だと言うのなら、それでも良いさ。今のところは、な。それとは関係なく、一度見ておいて損は無いぜ、グリフォン像。まるで生きているようなリアル感といい、翼をホール一杯に広げた迫力の姿といい、感動すること間違いなしだ。保証するよ」
「そこまで言うのなら、とくべつ嫌という訳でもないが。クリューシス町に来て一年経つけど博物館なんて行った事なかったし。ここまで来たんだ、話の種にそのグリフォンとやらを拝むのも悪くない」
アラツグは後部座席の背もたれに身を預け、高級馬車の天井を仰ぎ見た。
キルト加工を施された内張りの縫い目をしばらくボーッと眺める。
「ブラッドファングさん、ついに就職することにしたんすね」
助手席のメルセデス・フリューリンクが話しかける。
「私は、その事に感心しちゃったな。『もっと強くなる』とか、そういう話よりも。真面目にお金を稼ぐというのは、大事な事だと思いますよ」
「ありがとう、フリューリンクさん」
顔を助手席のメルセデスに向けて、後部座席のアラツグが答えた。
「いやぁ、フリューリンクさんは良い奥さんになりますよ。ローランドなんかには勿体ない」
「でも、どうして急に就職活動しようと思ったんですか?」
「……もともと、いつまでもゴロゴロしても居られない、いつか組合行かなくちゃ、とは、思っていたんです。最近、とくにその思いが強くなりまして……男として一人前になりたい、というか。ちゃんと自分の食い扶持は自分で稼ごうと。そして休日には、クラスィーヴァヤの森へ行く」
「クラスィーヴァヤって、お前……まさか」
「俺の住んでいるクリューシス町から一番近いエルフ居留地だ。スュンさんは、きっとそこに居る。いつか彼女に会って、もう一度だけ挑戦してみる」
前席の二人が顔を見合わせた。
「お前まだ、あのダークエルフの女を……」
「なあ、ローランド……あの日、あのデモンズって食堂で言っただろ、男の方のエルフ……確か名前は……ヴェルクゴン、だったか……そのヴェルクゴンってダークエルフと取引してる、って。お前、今でもそいつとコネあんのか?」
御者席のローランドは、しばらく答えない。
「どうなんだよ、ローランド」
「……実は、な。あのあと、数日後にエルフと取引きをした。ヴェルクゴンは来なかったよ。別のエルフが来ていた。さりげなく聞いてみたら……そのヴェルクゴンってダークエルフ、行方不明なんだと」
「行方不明?」
さすがに驚いてアラツグが上体を起こす。
「ほんとかよ?」
「嘘言ってどうする。こんな事は前代未聞だって、代理のエルフも言ってたよ」
「ゆ……行方不明か」
さすがのアラツグも言葉が出ない。
「それから、もう一つ。お前の意志を挫くつもりは無いが、クラスィーヴァヤの森ってここから馬車で丸一日かかるからな。二連休を取っても、行って帰ってくるだけで終わるよ」
「ま、丸一日!」
はあっ、と溜息を吐いて、再び背もたれに身を預ける。
「俺なんだか、どっ、と疲れが出たわ。昨日、あんまり寝てないし。博物館に到着するまでの間、しばらく寝てて良いか?」
「どうぞ」
「どうぞ」
御者席のローランドと助手席のメルセデスが同時に答えた。
やがて後部座席から、すぅすぅと寝息が聞こえてきた。
2、メルセデス・フリューリンク
後ろでパタン、と、何かが倒れる音がした。
助手席のフリューリンクが後部座席を覗くと、アラツグの上体が倒れ、ベンチタイプのシートに横向きになっていた。
赤子のようにすやすやと眠っている。
「よっぽど疲れていたんですね。昨日夜遅くまで勉強していたというのは、あながち嘘ではないかも知れない」
「まあ何にせよ前向きに一歩踏み出そうと思ったなら、良い事さ。ただなぁ……その動機づけがエルフの女では、なぁ……」
「まあ、無理でしょうね。必ず振られます」
「振られるだけならましさ。エルフっていうのは傲慢で自分勝手な種族だからな。俺たち人間の尊厳や命を何とも思っちゃいねぇ。こいつが『特別な存在』だと気づいたら、良いように利用することを考えるだろうな。ましてエルフの女に惚れてるなんて分かったら……」
「特別な存在? ブラッドファングさんが? それは一体どういう意味ですか?」
「ああ、いや、何でもない忘れてくれ」
メルセデスは、もう一度振り返って黒髪の少年を見た。
さっきと変わらず気持ちよさそうに寝息を立てている。
「ブラッドファングさんの寝顔って、魅力的ですね」
「寝顔が良くたって意味ないだろ。起きてる時の顔が、あんな間抜け面じゃあ」
「あら、男性の寝顔は大切ですよ。一日の最初に見るのも夫の寝顔、一日の最後に見るのも夫の寝顔ですからね」
「メルセデス、お前なあ。毎回毎回……夜は夜で、俺より早くサッサと寝ちまうし、朝は朝で、遅くまでグーグー寝ているくせに良く言うよ。お前、俺の寝顔なんか見たことないだろ。たまには早起きして俺のために朝ご飯つくってくれよ。俺の嫁さんになるつもりならさ」
「今、言ってはいけない事を言いましたね。減点一ですね。メモしておきます」
「何だよ、それ。本当の事だろ」
「本当だろうと嘘だろうと、言ってはいけない事もあるのです。とくに女に対しては。私、結婚したら『減点法』で夫を評価しますから、覚悟してください」
3、エルフの馬車
「もう直、博物館ですね。ブラッドファングさんを起こしましょうか?」
メルセデスが尋ねる。
「いや、いいよ。ぎりぎりまで寝かせて置けよ」
「はい」
通りの角を曲がると、公立博物館の正門が見えてきた。
門を抜け、正面入り口前のロータリーへ。
入口周辺が何やらざわついている。
真正面に豪華な馬車が停まっていた。
ローランドの乗る魔法馬車も相当な高級車だったが、目の前の馬車は明らかに『格』が違う。
機械馬の美しい姿といい、車体を飾る金銀の緻密な装飾といい、一品ものの特注品に違いない。
御者らしき服を着た男が後部座席の扉を開けて待っていた。
野次馬が遠巻きに見守る中を歩いて馬車に乗り込んだのは……女エルフの二人組だ。
一人は人間で言えば二十代後半くらいの背の高い女。髪の毛から、瞳から、全身の皮膚から、全てが緑一色。
緑のエルフだ。
そしてもう一人。
剣女の服を着て、腰から銀剣を下げた、ダークエルフの少女。
メルセデスが息を呑む。
ローランドにも見覚えがあった。
……あれは、デモンズで会った女……一目見てアラツグが恋に落ちた……スュンとかいう名の……
「メルセデス……」
ローランドが低い声で言う。
「アラツグは寝かせて置いてやれよ……奴は疲れているから、な」
助手席の婚約者が頷いた。
「はい。わかりました」
やがて、エルフの女たちが乗った馬車の扉が閉まり御者が前席に収まると、絢爛豪華な在サミア・エルフ公使館公用車はゆっくりと動き出し、ロータリーを周って博物館正門の向こう側に消えた。
「……ふう」
BMWの手綱を握るブルーシールド家の息子が、大きく一つ溜息を吐く。
生え際から冷汗が垂れた。
助手席の少女が鞄からハンカチを取り出して、未来の夫の額を拭う。
「ありがとう」
ローランドは大きく一度深呼吸をした後、後部座席で眠る少年の顔を見た。
「おいっ、アラツグ、起きろ。博物館に着いたぞ」