スュンとオリーヴィア、辺境の村で茶を飲む。
1、スュン
大森林の中を縫うように走る馬車道を抜け、平原へ出た。
道の両側に広がる放牧地に点々と羊の群れが見える。
前方、馬車の進行方向に視線を移すと、遠くに鈴掛の木々と田舎家の集まる場所があった。人間の村だ。
(……『戻って』来てしまった。人間の住む、領域に)
スュンは、視線を隣に座る上司に向けた。
「オリーヴィア様」
「なに? スュン」
「あの……人間の村が近づいています。擬態魔法を使って、人間に化けなくても良いのでしょうか?」
「誰が見てもエルフ専用の特注馬車に乗っているのに、人間に化けるも何も無いでしょう」
オリーヴィアがニヤリと笑う。
「我々はクラスィーヴァヤの正式なエルフ代表として、これから人間の都市国家へ行こうとしているのよ? 今はエルフのままで良い。変に人間なんかに化けて、こんな金ピカ銀ピカのエルフ専用車に乗っていたら、かえってそちらの方が不自然だし周囲の注目を集めてしまうわ。……それに、我々の体内にある魔力だって無尽蔵ではない。どんな魔法でも、使わなくて済むのなら使わない方が良いのよ。魔力を温存するためにね。少し、気負いすぎではない? スュン? 肩の力を抜きなさい」
「そ、そうですね。愚かな質問でした。申し訳ありません」
「それにしても、きれいな景色ねぇ」
窓の外に視線を戻して、年上のエルフが呟く。
「クラスィーヴァヤの森に帰るたびに、葉擦れの音や鳥の囀りを聞いて心が安らぐのを自覚するけど……森の中には地平線まで見通せる場所が少ないからねぇ。せいぜい、山の頂から山裾の森を見下ろすか……浮遊魔法を使って梢を超えるか。まあ、それも悪くないけど、何か『違う』のよね。この目の前に広がる大草原とは。……故郷の森から人間の土地に戻る時にこういう大草原を見ると、こんな場所で……つまり人間の田舎で暮らすのも悪くないかも、なんて思っちゃうわね」
スュンは窓の外を見る。
青い空、流れる雲、降り注ぐ太陽の光、緑の大地。
視界を遮るものは何もない。
たしかに、鬱蒼と木や下草の生い茂る森の奥とは違い、明るく、開放的で、それでいて心安らぐ景色だった。
クラスィーヴァヤの森から人間の村へ向かう一本道を、機械式馬車が走る。
村が、少しずつ少しずつ大きくなって行く。
「あの村で……メッツァラヤ村で一休みしましょう。少し喉が渇いたわ。それに手も洗っておきたいしね。ペーター、村へ入ったら、リトマンの店へ向かってちょうだい」
「かしこまりました」
2、リトマン
小さな辺境の村にしては、あか抜けた店構えだった。手入れも掃除も行き届いて、店主の几帳面さが良く表れている。
「リトマンの喫茶店」
小さな木の看板が入口の上に掛かっていた。
その入口の前にエルフの女ふたりだけで立つ。御者のペーターは、馬車の中で彼女たちの帰りをじっと待っている。
「スュン、開けてみなさい」
扉の横で、オリーヴィアが言った。
スュンの手元を見つめている。
試されているのだと分かった。
「はい」
言われた通り扉の前へ立って、取っ手を掴んだ。……いや……掴む「振り」をした。
傍目からは掴んでいると見えるように指を折り曲げるが、その実、指と真鍮製の取っ手の間には僅かな空間がある。
自分でも不自然だと思うくらいにゆっくりと手首を回した。それに合わせて魔法の力で取っ手を回転させる。
扉が開いた。ほっと息を吐く。
「緊張しすぎだって」
上司が言った。
「形状は色々だけど、扉なんてどれも原理は『訓練小屋』と同じなんだから、もう少し然り気なく開けなさいよ。たかが扉の開け閉めにいちいちそんなに緊張していたら、かえって人目を引くわ」
「申し訳ありません」
スュンの横を通ってオリーヴィアが店内に入る。
中は思ったより狭い。
奥のカウンターに人間の老人が一人。
毛一本生えていない、つるりとした禿げ頭。
寿命の短い人間族の中では、高齢の部類だろう。
しかし、しゃんと伸びた背筋といい、身のこなしといい、顔から受ける印象ほど肉体は衰えていないのだと、スュンは直に気が付いた。
「いらっしゃい……ああ、これは、これは、オリーヴィア様でしたか。美しいお姿は、いつまでも変わりませんな。この老いた両目にも視力が甦 るというものです」
「変なお世辞は良いから。ああ、リトマン、紹介するわ。彼女はスュン。私の、まあ、付き人みたいな娘。よろしくね。スュン、こちらは、メッツァラヤ村で一番美味しいハーブ茶を淹れる店の店主、リトマンよ」
「一番も何も、この小さな村に喫茶店はここ一軒だけじゃありませんか……スュン様、お初にお目にかかります。よろしくお願いします」
カウンターの老人は、意外にも、左手を胸の前に挙げ指を揃えて手の甲を見せる、エルフ式の挨拶をした。
その事に少し驚きながら、スュンもエルフ式の挨拶を返す。
「ハーブ茶を二つ」
オリーヴィアが店主の正面のカウンター席に座って言った。
「さあ、スュンも座りなさい」
自分の隣の席を、ポンポン、と手のひらで叩く。ここに座れという意味らしい。
言われる通り、スュンがその席に座る。
店主が「かしこまりました」と言って、手際よく茶を淹れる準備を始めた。
「ところで、リトマン」
緑のエルフの女が、店主に尋ねる。
「何か、面白い話は無いかしら? 人間たちの間で、最近、噂になっているような話は……」
「噂話ですか……さあて……わたくしも『現役』を退いてこの片田舎に引っ込んでから、随分と経ちますからなぁ。最近、耳も遠くなってしまって……」
老人は、カウンターの向こうでティーカップを並べながら考え込む振りをする。
「……ああ、そうそう。つい二日ほど前、村にやって来た行商人の男が面白いことを言うておりましたわ。都市国家サミアで、最近、変な噂が立ち始めたと」
「ほう?」
「オリーヴィア様は、確か、サミアの公立博物館に公開展示されている『ある彫像』に大変ご興味を示されていましたなぁ? 三千年前の神殿の遺跡から出土したという『グリフォンの像』に」
それを聞いて、エルフの女の、エメラルド色の瞳が鋭い光を帯びる。
「ええ。まあね。その博物館に展示してある『グリフォンの像』が、どうかしたの?」
「近頃サミアの住人たちの間に妙な噂が立っておりましてな。そのグリフォンの像が『動いた』と」
「動いた?」
「噂ですよ。あくまで噂です。しかも、それが非常に微妙な話でして……数日前に比べて、首の角度がほんの僅か右を向いているだの、黒目の位置がちょっと動いて、視線が変わっただの……その程度の事なのです。そう言われてみれば、そんな風にも見えるし、動いていないと言われれば、全く動いていないようにも思えるし、というわけで、誰も証明できないのです。まあ、学生やら若い連中が暇つぶしにでっち上げた与太話の類だとは思うのですが、この機会にオリーヴィア様にはお伝えしておいた方が良いかと思いまして」
「うーむ……」
しばらく俯いて考え込んだ後、緑のエルフは銀貨を二枚取り出して、カウンターの上に置いた。
「面白い話を聞かせてもらったわ。リトマン。やっぱり、経験豊かなご老人のお話は、ひと味ちがうわね」
「ご冗談を。お忘れですか? 私は、年下ですよ」
言いながら、エルフの出した銀貨を懐に仕舞う。
「ああ、そうだった。初めてあなたと出会った時のことは、今でも思い出すわよ。ほんと、可愛い男の子だった。まさに『美少年』って感じで」
「勘弁してください」
老いた店主が苦笑する。
「ちょっと失礼」
オリーヴィアが立ちあがって手洗いへ向かう。
「スュンも、できる時にしておいたほうが良いわよ。これから都市国家サミアまで、馬車の旅はまだまだ続くのだから。途中で我慢できなくなったら、大変よ」
3、都市国家
オリーヴィアの後、言われたとおりスュンも手洗いへ行った。
その後、二人でハーブ茶を飲んで店を出る。
店の前に路上駐車していた馬車からペーターがサッと降りてきて、馬車の扉を開けた。
二人のエルフが後部座席に乗ったのを確認して、扉を閉め、自分も御者席に乗り込んで発車させる。
「あの老人は何者ですか?」
馬車の中でスュンが尋ねた。
「もと『協力者』……つまり、裏の世界で金で雇われて、エルフのために情報収集をしていた人間……『情報屋』よ。まあ、だいぶ前に引退してるけど。我々エルフへの貢献度が高かったから『退職金』は弾んであげたわ。その金で故郷の田舎に喫茶店を開店して、ああして、のんびり客商売をしているという訳」
「店内でお茶を飲んでいる間に、客は一人も来ませんでしたね。我々以外は」
「商売なんて、本当はどっちでも良いんでしょ。人間の年寄ひとり位、どうにか死ぬまで食べていける程度には『退職金』も残っているはずだし。喫茶店なんて、暇つぶしに営業しているだけよ」
「グリフォンの像というのは、何でしょうか」
「それは、おいおい、説明してあげるわ」
二人が話している間も、馬車は田舎道を都市国家サミアへ向かって走る。
牛や羊が草を食む牧草地、麦畑、いも畑、小さな村々が、次から次へと馬車の前方へ現れては後ろへ去っていく。
小さな村は、やがて小さな町になり、サミアが近づくにつれて、通り過ぎる町の規模は少しずつ大きくなっていった。
結局、都市国家の外周を守る城壁に到着したのは、午後遅く、太陽が西の地平線に沈む一時間前の事だった。
ペーターが城門で治安衛兵に通行手形を見せる。
衛兵は、直に『通れ』という合図を送ってよこした。
銀の機械馬に引かれた豪華な黒塗りのエルフ専用車が、ゆっくりと城門をくぐって都市国家内に入る。
(人間が造った……都市国家……)
サミアに来るのは二度目。潜冥蠍の一件を報告しにエルフ公使館を訪れて以来だ。
馬車が行き交う道路は全て石畳できれいに舗装され、道の両側の一段高くなった歩道を、人々が足早に歩いて行く。
数え切れないほどの、人、人、人。
夕暮れの赤く染まった光が建物の窓にギラッと反射して、車内から見上げるスュンの目を射た。
思わず目を細めて顔をそむける。
オリーヴィアが反対側の窓から都市の建物群を見上げて呟く。
「私は、人間の街で暮らすようになって何年にもなるから、もう慣れちゃったけど……最初、目の当たりにしたときは、さすがに『凄い』と思ったわ。……『都市』なんてものを……こんな巨大なものを、人間は、よく作ったものだ、てね。何万、いいえ、何百万という人間が、力を合わせて作り、生活し、消費し、人生を終えて死んでいく都市という名の巨大な『巣』。蟻塚の中の蟻だって、ここまで過密な状態で生きては居ないでしょう。まったく何を考えているんでしょうね。人間という生き物は」
道の両側には、四階から五階建ての建物がびっしりと並んでいた。
こうして道路を走る車内にいると、まるで、奇怪な岩の並んだ谷底を走っているような感じがする。
「全部、石造りなんですね」
スュンが上司に尋ねた。
「建物のこと? これだけ高い密度でびっしり建っていると、一番恐いのは『火事』なんだろうな、っていうのは容易に察しが付くわ。だからでしょうね。都市の建造物は全て石造りか、または煉瓦造り。私が知る限り、木造家屋は一軒もない。いや、貧民街の違法建築は別か……私は行ったことが無いけれど」
「あれは何でしょうか……あの、空中を走る棒状のものは」
初めてサミアに来た時から気になっていた物だった。
いまは、見上げる形だが、浮遊魔法を使って空から都市国家に侵入した時には見下ろす格好だった。
都市の中心点から放射状に延び枝分かれするその線状の物は、まるで空中から覆い被さる巨大な蜘蛛の巣のようにも見えた。
「あれは『空中上水道』……縦半レテム横半レテムの四角断面で、中は空洞の『水道管』よ。それを柱で支えて、五階建ての建物のさらに一レテム上の空中を、都市の中心から城壁近くまで網の目のように張り巡らせてある」
「水道管……ですか?」
「水道管というのはね、文字通り水を運ぶ管のこと。遠く川の上流で取水した清らかな水を、地底水道を通して都市の中心まで運ぶ。都市の中心には『貯水塔』という巨大な建物があって、そこに一旦貯えられた水は、浄化され塔の頂上部まで汲み上げられて、四方八方に延びる『空中上水道』を通じで都市中に行きわたるというわけ」
「何故わざわざ、そんな無駄な事をするのですか? 井戸を掘れば良いのではないですか?」
「それが案外、便利なのよ。スュンも直に理解することになるわ。人間が何故、これほど複雑な仕組みを作ってまで『欲しいときに何時でも、欲しいだけ水が出る』という事に拘ったのか」
「いつでも……水が、出る?」