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浜辺

作者: 犬墓久司

 磯の香りがする。子供の頃よく嗅いだ懐かしい匂いだ。だがここは都会の真中、海があるはずもない。おそらく夢なのだろう。そこへ潮騒の音が響いてきた。ますます最もらしい。寄せては返す波の音が途切れることなく続く。

 ふっと視界が開けた。いつも見慣れた天井。どうも目が覚めたらしい。枕元の置時計で時刻を確認する。一時半。まだ真夜中だ。今日の仕事のことを考えてまた寝直そうとする。と、その時あることに気づいて愕然となった。

 聞こえる。確かに波の音が聞こえるのだ。慌てて窓を開け放つ。すると目の前には、さえざえとした満月の明かりのもと、綺麗な弧を描いた砂浜が浮かび上がっていた。(みぎわ)で波の砕ける音が聾するばかりに響き、磯臭さが部屋に充満する。

 ありえない光景だった。そこにあるはずのアパート、コンビニ、ドラッグストア、それらはみな消え失せ、海と砂ばかりが広がっている。

 俺はしばらく呆然としていた。それから思い出したように目をこすったり、頬をつねったりというお決まりの行動をとった。だが何も変わらない。夢ではない。完全に覚醒している。

 そうとわかると俄然好奇心が湧いてきた。調べてやろう、この奇態なからくりを。俺はTシャツにパンツを身にまとうと、スニーカーを履いて外に出た。

 首都圏の九月といえば夏だ。熱帯夜ほどではないが、半袖で充分なくらい暑かった。外に出た途端、幻のようにすべてが消え失せていた、などというシチュエーションが頭をよぎったがそんなことはなく、さっきと同じ景色が続いていた。  

 スニーカーで踏みしめる砂浜の感触は確かだ。海に手を入れると心地よい冷たさが伝わってきた。指先を舐めると塩辛い。見たところ何の変哲もない海岸だ。ただ果てが見えない。左右どちらを見渡しても、どこまでも砂浜が続いている。

 俺は波打ち際に沿ってしばらく歩いてみることにした。取りあえず左に向かってみる。


 どこまでいっても変化は無かった。浜辺は弧を描きながら消失点まで続き、見つめていると吸い込まれていきそうな感覚に襲われる。

 思わずあくびが出る。そういえば今は深夜のはずだ。家を出てからどれくらいたったのだろう。そろそろ飽きてきた。潮時だろう。

 俺はきびすを返し、帰ることにした。月明かりの中でなら足跡を頼りに戻れるだろう。そう楽観していたのだが……。

 しかし、無かった。跡形もなくきれいさっぱり消えている。まっさらな砂浜が続いているだけだ。さらに絶望的なのは俺の家など影も形も見えないことだ。俺は呆然としながらもとにかく歩きだした。

 そうやって単調な景色の中を進むのは酷なことだった。不安に苛まれ、身体より先に精神が参ってしまいそうだった。嫌でももう帰れないのではないかという考えが浮かぶ。迂闊(うかつ)にもスマホを持ってこなかったので、助けを呼ぶことも叶わない。足を運ぶのも億劫になってきた。つらい、苦しい……。

 とうとうへたりこんでしまった。身体も心もだるい。座ったままでいることも出来ず、砂の上に寝転んでしまった。すぐに睡魔が襲ってくる。砂浜は寝心地のいいベッドだった。心が落ち着き、海の底に沈んでいくような安らぎを覚えた……。


 ついうとうととしてしまったようだ。まだ身体がだるい。苦労して起き上がるとあたりを見回す。目覚めれば寝床の中ですべては夢だったという安直な結末を期待しないでもなかったが、状況は全く変わっていなかった。相変わらずの風景。見るだけで気が滅入る。

 急に喉の渇きを覚えた。しかしそれを癒すものはここにはない。これは深刻な事態だった。水を手に入れられなければ、やがて死ぬのだ。こんな所で。

 俺は目の前に満々と湛えられた水分を物欲しそうに眺めた。飲むことは出来ないと分かっていても自然と喉が鳴ってしまう。見ているうちに捨て鉢な気分が湧き上がってくる。どうせ死ぬのだ。それなら一時でも欲求を満たしたほうがましだ。

 俺はそろそろと波打ち際に這いよっていった。やがて腕が波に洗われるようになったところでおずおずと口を寄せる。眼前では海が誘うようにたゆたっている。一口(すす)った。途端に辛さと苦さが口の中に広がり、慌てて吐き出した。それでも不快感が残り、喉がひりひりと痛む。いがらっぽさに耐え切れず、激しくむせた。目に涙が滲む。それはまた慙愧(ざんき)の涙だった。

 俺は自分の迂闊さ、愚かさを激しく罵った。俺はふらふらと立ち上がると砂浜の方へ歩き出した。濡れた身体を引きずり、どこまでも歩いていく。行く当てはなかった。ただもう二度と海は見たくなかった。ただそのためだけに海岸とは反対側の直角方向に進み続けた。喉の渇きは酷くなったが気にも留めない。

 俺はどこまでも歩き続けるつもりだった。ぶっ倒れるまでいってやろう。死ぬ覚悟は出来ている。気力だけは充実しているはずだった。

 だが、いくらもしないうちに俺はあっさりとへたりこんでしまった。うつ伏せになったまま身動きも出来ない。唾液も涸れ果て、喉はからからだった。意識は朦朧となり、唐突にブラックアウトした。


「もしもし聞いてる。侵入者。セキュリティは何やってんの、早くかたづけてよ」

 これは夢なんだろうか。他人の声がする。うっすらと目を開ける。人影らしきものが見える。

「あんたじゃまなのよ。さっさと出てってよ」

 確かに人、それも女の声だ。と、その時俺の心を激しくかき乱す音がした。ストローで飲み物を啜る音。

「み、水を……」

 俺は無意識のうちにねだった。

「誰があんたなんかに」

 女はにべもなく断った。望みが叶えられなかったことで俺の気力は萎えてしまい、また気絶してしまった。

 

 あそこはもともとさる富豪のプライベートビーチだったらしい。今流行りのパーソナルスペースとかで特定の個人以外は入れないよう、人工的に空間を閉じているはずだった。

 だがたまたまあの夜、メンテナンスのためにシステムを解除した際、誤って俺の家のスペースと空間がつながってしまったらしい。そこへ俺が侵入したものだからシステムが誤作動を起こしてしまい、俺はあそこへ閉じ込められる格好になってしまったのだ。

 因みに足跡が消えたのはナノマシンによる自動修復機能のなせる業らしい。

 俺は明らかに被害者のはずだが誰からも同情されず、かえって顰蹙(ひんしゅく)を買うはめになってしまった。当の富豪はもとより勤めていた会社からまで、無断欠勤ということで叱責を受けてしまった。後日くだんのシステム会社から社員がやってきて、俺に型どおりの謝罪をした。さらにお詫びのしるしとして菓子折りと金一封を手渡されたがとても割にあうものではない。

 なにしろ俺は本当に死にかけたのだから。


SF(すこしふしぎ)



だいぶ前に書いた物を手直しして投稿したものです。こういったサイトに投稿するのは初めてなので、緊張しています。

よろしくお願いします。

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