悪党は無くならない
ある団地に、全員から煙たがられている老夫婦が住んでいた。
警察に捕まるほどの大きな犯罪は犯さないものの、二人は、つい眉を顰めたくなる真似ばかりしているというのだ。
例えば、割れたビール瓶の欠片を、わざわざ子供が遊んでいるような公園に置いていくとか。例えば、団地の階段で干しているだけの布団に、火の付いたタバコを押しつけていたとか。更に言えば、皆の共有スペースに生ゴミを置いたままにしているとか、その行為はかなり悪質なものであった。
それら犯行の現場を押さえられたのならマンションの管理組合にでも言えば良いのだろうが、この夫婦が悪質なのは、決して現場を目撃されるようなヘマはしなかったのだった。
ある時、どうしても我慢できなくなった一人の夫人が探偵を雇う事にした。これから自分は子供を産むので、それまでに決定的な現場を押さえて団地から追い出そうと考えたのである。薄気味悪い人が同じ所に住むのは我慢ならなかったのだ。
しかし、夫人から依頼を任された筈のは探偵は、数ヶ月後、丁寧な口調で今回の仕事は無かった事にしてくれと言い出してきたのである。
「どういう事ですか」
「申し訳ないのですが。勿論、費用の方は頂きませんので」
「そういう話しをしているのではありません。私は仕事を頼んだんですから、それぐらい、ちゃんと説明しなさいよ! 今日だってお土産だと言いつつ、老夫婦から不味いお菓子を渡されたんだから。対して親しくもないのに不気味で仕方ないわ」
夫人はビニール袋に包まれた未開封のお土産を地面に叩き付いてた。そう青筋を立てて捲し立てる夫人に気圧されたのか、渋々ながら、この探偵は事情を説明しだしたのである。
「……分かりました。しかし、後悔はしないでくださいよ。全ては仕方のない事なんですから」
「は? どういう事?」
「まず、悪い噂の耐えなかった老夫婦なのですが、実際には何もしていません。二人は昔から普通に暮らし、普通に住んでいるだけです」
「え。でも」
「ええ。昔から悪い噂は絶えなかった。それらの理由は団地の家賃にあると思います。この団地があった場所の一部に元々住んでいた事から格安で現在の部屋を購入したのが切欠となり、それを妬んだ住民の一部が陰口を叩くようになった。毎月の家賃を支払う度、老夫婦がズルをしていると思いこみ、二人が気に食わなくて仕方なかったんでしょう」
「……」
「そういう悪意は伝染するものです。そういう事をする人間が一人増え、二人増え、何時しかこの老夫婦は悪いモノに仕立て上げられてしまった」
「……で、でも、実際に被害が出ているわよ」
探偵はため息を吐いた。
「失礼ながら、それをしていたのは貴方が同行している団地グループの女性ですよ。私はずっと調べていたので証拠もあます。自分がしてしまった事をつい悪い噂がある人達に押しつけてしまった。実際は老夫婦はなにもしていないのに。そういう後ろめたさがあるので、余計に陰口を叩いたのでしょう」
探偵が説明を終えると、この夫人は顔面が蒼白となりヨロヨロと去っていた。真実を知って耐えられなかったのか、足取りは酔っぱらいそのものであった。その手には、先ほど叩き付けられた老夫婦からのお土産がギュッと握りしめられていたのだった。
側で黙ったまま立っていた探偵の新人が尋ねた。
「あの奥さん、どうしますかね」
「どうもしないだろ」
「でも、だって、さっきの夫人は老夫婦が何もしていないって真実を知ったじゃないですか。それなら悪かったって謝ったり、反省をしたりするもんじゃ」
「……おいおい、なんだ。まさか、そういうハッピーエンドを考えていたのか?」
「え」
「ないない。同じ団地のママさんグループの中に居れば、それなりに小さなうま味がある。わざわざ嫌われ者を守る事に利点はないだろ。きっと、あの夫人は今日の後ろめたさを隠すようにして、より笑顔で、老夫婦を一緒に攻撃するだろうよ」
「……」
「大人になって子供の時よりやる事は増え、中にはミスもあるはずなのに、自然と謝ってる回数は減っていく。皆、自分のプライドを守るためなら他人を攻撃するなんて屁でもない。大人が自分から謝れるのは、金を借りる時と失敗が見つかった時だけなのさ」
「……」
「老夫婦に対する悪意は、二人が死ぬまで消えないだろうね。実際に何をされたかじゃない、大人のプライドが傷つけられたからさ。それこそが悪党の印とも知らずにね……」