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企画小説の『第二回場所小説』参加作品です。
場所小説で検索されますと、同じお題で書かれた方の作品も読めますので、是非読んでみて下さい。
市民プールにいらっしゃい
作:椎名 奎


 空には輝く太陽、足元には青くきらめく水、弾けんばかりにはしゃぐ若いカップル達、なんと活気溢れる光景であろうか。なのに小林の横には、海パン姿のオッサンが、爽やかな笑顔を讃えて座っていた。
 遡ること二日前、小林は会社のエレベータに運悪く社長と乗り合わせて、突如として王様ゲームの命令を受けたのである。
「小林君、今度の日曜日、あいてるかね?」
 接待ゴルフかと思えば、接待市民プール。いや、相手は社長だけなので、接待ではなく、ただの遊戯だ。
 社長と小林(二十八歳、只今彼女募集中)は、大人専用の底の深いプールサイドに、肩を並べて座っていた。
「いやあ、迫力ある滑り台だった」
 社長は余程楽しかったのだろう、丁度若いカップルが、二人乗りのゴムボートで滑り降りてきたウォータースライダーに、目を細めながら呟く。だが小林にとっては、思い出すのも憚る悪夢でしかなかった。
 前に小林が座り、後ろに社長がぴったりくっついて座る。背中に社長の胸を感じつつ、両脇に伸びるすね毛の足。ノーマルな小林には、記憶から消し去りたいトップテンに入るほどおぞましい光景であった。
 小林がうんざりしていると、顔に水しぶきが盛大に飛んできた。どうやら社長がプールに飛び込んだらしく、監視員の注意の笛を少しも気にする様子もなく、笑顔で手を振っている。小林とのライフポイントの差を見せつけるようだ。
「小林君、わたしはこれでも水泳の全国大会を目指していた事があってね、皆からは海老サマと呼ばれていたものだよ」
 なぜ海老、と小林がつっこむより先に社長は勢い良く泳ぎだした。周囲が道を作るほど豪快なバタフライなのだが、息継ぎの際に、ヨガかと思うほど必要以上に海老ぞっている。よく背骨が折れないなと感心すると同時に、小林は海老サマのあだ名の由来を理解した。
 喧噪な周囲とは対象に、小林は足だけを水に浸して小さな水しぶきを上げる。
 本当はプールになど来たくはなかった。小さい頃から水関係には恥ずかしい思い出しかないのだ。

 1.足がつって溺れる(多数)。
 2.教室で、パンツを落とした奴だれだーの後、先生に名前を呼ばれる。
 3.好きな子に良い所を見せようと泳いで溺れる。
 4.ライフセーバーの怪しいお兄さんに人工呼吸(しかも初キッス)される。
 5.ウォータースライダーで滑り降りて海水パンツが脱げる。
 6.急いで履いたけれどお尻に穴が空いているとも気付かずに過ごした。
 7.得体の知れない何かに足を引っ張られて溺れる。
 8.水に当たって腹を下す。
 9.部屋の天井に消えない水の染み(広がりつつある)がある。
 10.ウォータースライダーの二人乗りゴムボートでオッサンと滑る。

 まだありそうだが、数え上げるときりがない。きっと水難の相があるに違いからと、今までプールは疎か海や川や池、とにかく水が関わるような場所には、近づかないよう気をつけてきた。たとえ彼女(想像上の)に『海に行こうよ〜』と、アニメ声で強引に腕を引かれても、断固として阻止するだろう。
 だが社長は駄目だ。平サラリーマンには権力者の言動は逆らえない。ましてや課長に良い印象を持たれておらず、でも経理に気になる女の子がいて絶対辞めたくないとあれば、小林に断るという選択肢はないに等しい。
 既にオッサンと二人でウォータースライダーをしたのだ。これ以上な屈辱はありはしないだろう。そう小林が安心しかけたときだった。突然頭にこつんと何かが当たってから、軽い音を立ててプールに落下した。
「おじちゃん」
 二十八歳只今彼女募集中に向かっておじちゃんとは何事かと、小林が勢いよく振り返ると、小学校低学年くらいの女の子が、泣きそうな顔で立っていた。
「サンダル投げられて、落ちちゃって……」
 少女の背後の離れたことろに、いかにも悪ガキ風の少年達が、これまたいかにも俺たちがやりました、と言わんばかりに腹を抱えて笑っている。
 そういえば子供の頃、同じような体験をしたなと小林は思い出した。違うとすれば、サンダルではなく脱げた海水パンツだった、というところだろうか。
 なんだか少女が他人事のようには思えなくなって、なけなしの正義感で悪ガキ達を叱りつけてやろうかと思った。けれど、少女はそんなことよりもサンダルの行方が気になるらしく、脇を泳いで離れ行くサンダルを目で追っていた。
「大丈夫、オレがとって来てやるから」
 小林は少女に笑顔で親指を立てると、そろそろとプールに身体を浸し、右往左往するサンダルを平泳ぎで追いかけた。太陽に焼かれた皮膚が、冷たい水に囲まれて心地良い。人の立てる水音がダイレクトに耳に木霊し、誰のものともしれない水しぶきを顔に浴びる。
 社長は、来て早々にウォータースライダーをチョイスしたので、プールを泳ぐのは、今が何年かぶりだった。もう泳げないだろうと思っていたが、身体は覚えていたようで、手と足で抵抗する水をかき分けると、難なく前へ進んだ。
 泳ぐこと自体は嫌いではなかった。初めて泳げたときもやはり平泳ぎで、まるで大型船にでもなったかのように、体力が許す限り泳ぎ続けたものである。そして疲れると、仰向けに浮かんで、水の音を聞きながら空を見上げるのだ。
 そんな懐かしさに僅かに浸りながら、小林はたゆたうサンダルを手で掴んだ。と次の瞬間、忘れていた何かを思い出させられた。
 そう、小林には水難の相があるということを。
 左足に激痛が走り、動かせられなくなった。必死で右足で浮かぼうとするが、その右足を何者かが掴んで水中へ引きずり込もうとする。何者かって何!?と考える間も与えられず、焦る小林の口から泡が漏れてゆく。
 小林の脳裏に、今までの人生が走馬灯のようによぎった。オレの人生は市民プールで終ってしまうのかよと、良くも悪くもない人生につっこむ。
 諦めの感情が全身を包み、手足の動きを止めた。全身の力を抜き、胎児のように身体が曲がる。僅かな水中の動きで身体がゆらゆらと揺れ、まるで海藻にでもなったようだなと、こんな非常事態だというのに小林はおかしくなった。
 少し離れたそこかしこに、男女の水着が動き回っている。誰も異変に気付く様子はない。
 いよいよ息が苦しくなってきたので、最後の光を見ようと、小林は顔を上に向けた。
 銀色の水面が柔らかく揺れて輝いていた。自分を苦しめ死に至らしめる水なのに、綺麗だなと思った。神に触れるように、或は神に導かれるよう、光に手を掲げた。
 これが死というものか、そう思った時だった。
 力一杯手首を掴まれた。そして引きずられるように浮上させられ、眩しい太陽と優しい大気の下に、小林は顔を晒した。鼻と口から水を吐き出し、変わりに肺一杯に空気を吸い込む。
 目の前にいたのは、鼻髭から雫を垂らした社長だった。
「……社長」
「大丈夫かね小林君。てっきりわたしの泳ぎを堪能しているのかと思ったら、水死体みたいに漂ってて驚いたよ」
 社長は鼻髭の雫を人差し指で弾くと、笑みを浮かべた。
「でもまあ、無事でなによりだ。夜の歓迎会がおじゃんにならずにすんでねえ」
「歓迎会?」
「君の入社歓迎会がまだだったろう。社の皆と相談して、今日の夜に、この近くの居酒屋ですることになったんだよ。で、その前に気分をオープンにできればと思ってね、君を市民プールに誘ったのだけどね」
 そう言うと社長は周囲に目を向ける。そこには地位や名誉や年齢に関係なく、まるで子供のようにしゃぎ遊ぶ人々がいた。どの顔も楽しそうで、家に帰ればそれなりの立場のある人にはとても見えない。
 小林はやっと、社長の言わんとした言葉を理解した。中途採用の小林は、社では浮いた存在だ。おまけに課長と反りが合わず、仕事も思うようにはかどらなかった。きっと死にそうなくらい、暗く沈んだ顔をしていたに違いない。このある種平等な場所で、一番緊張を強いられる自分に慣れれば、他の皆にも打ち解けられるのではないかと、社長なりに気を使ったのだろう。
 小林は息を吐き出し、水面に仰向けになって浮かんだ。くぐもった水の音に耳を傾けながら、柔らかそうな眩しい白い雲に目を細める。
 ふと、左手に掴んでいるものに気付いて、小林は苦笑した。
「もうサンダルをとられるなよ」
 小林から手渡されたサンダルを少女は受け取り、小さく「ありがとう」と呟いて、えくぼをつくった。
「社長、オレ」
 小林は赤くなった手首を摩りながら、久しぶりに心からの笑みを浮かべた。
「好きになりそうですよ」
 災難続きの水は嫌いだった。けれど今日初めて、悩んでいた自分を洗い流すような、良い思い出ができた。きっとあの少女も、ほんの少し親切な男に出会って、ほんの少し良い思い出ができただろう。
「こ、小林君!?わ、わたしはそういった趣味は、ななないからね!」
「え、何?ち、違いますよ。ちょ、なんで遠ざかるんですか。違います、違いますって社長!あ、海老サマ泳ぎ」
 彼等の声は、市民プールの喧噪に吸収され、やがて平等という名の一塊の音になって、高い空にのぼっていった。


初めての企画参加で、随分苦悩しましたが、すごく勉強になりました。多分場所小説にはなっていないでしょうけれど、次に企画に参加する時は、趣旨に沿うように書きたいと思います。













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