4.Mission.1 日向家に潜入せよ。
日曜の夕方。
私は今、課せられた任務を遂行するため一人住宅街の中を歩いている。
先ほどから冬の冷たい雨がポツポツと降り始めてきたため私の他に歩行者はいない。
むぅ。しまったな、まさか降り出してくるとは・・・。
一応トランクの中には折りたたみ傘が入っているのだが、雨除けもない中では開けることができない。
「雨足が強まってきたな・・・。」
私は暗雲が立ち込める空を見上げながらフゥとため息を吐く。
雨で濡れた衣服が着実に私の体温を奪っていく。
これでは体調を崩してしまい任務遂行に支障が出てしまう。
・・・まぁ、それも要らぬ心配か。
そこまで考えた私は建ち並ぶ家屋の一つの前で歩みを止める。
「これが私の標的となる日向隼人の家か・・・。」
降り注ぐ雨の中、私は目の前に建つ二階建ての比較的大きな家を眺めながら呟いた。
組織に仇なす者、日向鷲の家宅への侵入及び情報収集、及び危険因子であるその実子、日向隼人の暗殺。
これが私に課せられた初めての重大任務だった。
何も知らない少年まで殺すのは正直心が痛む。
しかしこの任務を見事完遂することができなければ異国の地で身よりもなく路頭をさまよっていた私を拾い、ここまで育てて頂いたあの方に申し訳が立たない。
「やるしかないのだ!」
私は意を決して家門を通り抜け、玄関先へと向かう。
『ピンポーン!』
そして家のベルを鳴らす。
日向鷲は全世界を駆け回っているため、現在この家には日向隼人しかいないとの通達だ。
よって手薄となったこの日向家への潜入が決行されることとなった。
そんなことを考えつつ、私は日向隼人が出てくるのをじっと待った。
シィィィィン
しかしいくら待っても一向に出てくる気配はない。
「・・・・・・?」
留守か・・・?
いや、休日のこの時間帯に部屋の明かりが点いている。
その上外は雨、そんなハズはない。
『ピンポーン!』
私は疑問を抱きつつも再びベルへと手を伸ばした。
シィィィィン
しかしまたしても出てくる気配はない。
・・・どういうことだ?
まさか作戦がヤツの耳に入ったのか?
だから姿を現さず、こちらの出方を窺っているのか?
・・・いや、それはない。
この任務は私があの方から直々に仰せつかった、内部でも幹部しか知らない完全極秘の重大任務だ。
情報が漏洩することなどまずありえない。
・・・ではなぜ出てこないのだ?
居留守を使っているのか?
ならば何のために?
疑念は膨らむばかりだが考えるだけでは始まらないため私はベルを鳴らし続けた。
しかしいつまで経っても日向隼人が姿を現すことはない。
「チィ・・・。」
私は静寂を破ることのない扉を睨みつけ舌を鳴らす。
空から降り注ぐ雨は弱まることなく、時が経つ程に強まっていく。
「えぇい!なぜこの家の庇は壊れておるのだ!!」
お陰でびしょ濡れだ!
これでもし本当に体調を崩してしまったらどうするというのだ!!
『ピンポン!ピンポンピンポピンポーン!!』
私は遂にしびれを切らし、力の限りボタンを連打する。
「あー!濡れる!!」
ガチャ
「今は女体以外新聞も宗教もダイエット食品も学習用品も要りません。なので取りあえず帰って下さ・・・。」
私の体温を奪い続ける雨を生み出す雨雲を睨みつけていると家の扉が開き、中から男が出てきた。
どうやら私を何かの勧誘者と思い居留守を使っていたらしい。
一瞬変なことを口走っていたように思えたがそんなことはどうでもいい。
「あっ、やっと出てきよっ、出てきてくれた・・・。」
私はこれで雨を凌げるという安堵感からフゥと胸をなで下ろす。
しかし危なく地が出てしまう所であった。
この任務ではあくまでも普通の女の子として振る舞い、決して相手に疑念を抱かせることは許されない。
そしてコヤツが私の任務の一つである標的の・・・。
「日向隼人さんですよね?」
呆然と私のことを見つめているこの男に尋ねる。
「は、い・・・。」
ふむ。やはりコヤツが日向鷲の実子、日向隼人か。
しかしあの方は『日向隼人は危険人物だ。美羽のような小さな女の子にとっては特に、だ。気を引き締めてかかれ。』と言っていたが・・・。
私は目の前で心ここに在らずといった感じで立ち尽くしている隼人を見やる。
髪には寝ぐせがつき、頬にはよだれの伝った跡があり、今もこうして惚けているようなこの男の何に気をつけろと言うのだ?
ん・・・?
寝ぐせ・・・?よだれの跡・・・?
もしやコヤツ居留守を使っておったのではなく寝ておったのか!?
そこまで考えた私の心の中に沸々と殺意が湧き上がってきた。
しかし今はこの感情を押し殺すしかない、私の優先すべき任務はあくまでも情報収集、暗殺はことを終えてからでないと日向鷲に悟られかねん。
「実は私隼人さんの親戚の冬次美衣という者です。」
大丈夫。しっかり暗記した。落ち着いてやればボロは出ない。
私は気を取り直し、初の重要任務を失敗しないよう、自分に言い聞かせ、予め用意しておいたセリフを話し始める。
「・・・・・・。」
そんな私の言葉を隼人は無言で聞いている。
「今まで両親と三人で暮らしていたのですが、両親が少しの間仕事で海外に行くことになったんです。当初は私も一緒について行く予定だったのですが、諸事情により一人日本に残らなくてはならなくなったんです。一人暮らしは不安も多いということなので、隼人さんのご両親にも承諾を頂きましたし、」
私は淡々とセリフを語って行く。
よし、ここまでミスはない。
「今日から隼人さんのお宅に居候させて貰いに来たんです。」
「・・・・・・。」
私がふと隼人の方を見やると隼人は依然として無言のまま固まっている。
ホントに聞いておるのだろうな・・・?
「というわけにゃので・・・。」
〜〜〜〜〜〜っ!!
くっ・・・。そんなことを考えてしまったから噛んでしまったではないか・・・。せっかくここまでミスはなかったというのに・・・。
「というわけなので今日からよろしくお願いしますね。」
しかし私はそんなことなど微塵も顔に出さず隼人に向かって微笑んだ。
「・・・・・・。」
しかし隼人からは何の反応も返って来ない。
「あの・・・。隼人さん・・・?」
私は疑念を抱き隼人へと問いかけた。
その言葉でハッと我に返った隼人は口を開く。
「俺と少子化対策して下さい!!」
「・・・ふぇ?いや、あの・・・。」
隼人の突然の、またまったくもって意を得ない発言に私は間抜けな声を漏らし困惑した。
少子化対策?どういうことだ?
確かに昨今の日本は出生率の低迷に頭を悩ませていると聞くが、それが今どうしたと言うのだ?
しかしそんな社会問題について真剣に考えているということは父親と違って心優しき者なのか?
私はそんな純な少年を殺さなければならないのか?
いや、でも今はそんなこと考えている場合じゃない。
「話聞いてました・・・?」
私は頭の中にひしめく様々な念を隅に追いやり、話を元に戻すため隼人に問いかけた。
「・・・え?」
すると隼人はこの問いが余程意外だったらしく、呆気にとられた表情を見せる。
聞いて、おらなかったのか・・・。
私の胸にまたもやささやかな殺意が湧き始めた。
「いや、ごめん・・・。噛んだ所しか・・・。」
そう言って隼人は申し訳なさそうに頬をかく。
「・・・・・・!!」
ボンッと私の顔が赤らんでいくのがわかり、うつむいた。
なぜよりによってそんな所を!!
くっ・・・。なんて様だ・・・。
「・・・もうっ!どうしてそんな所しか聞いておら、いないんですか!?」
私の体を包み込む羞恥心を振り払うように私はクッと顔を上げ叫んだ。
「だから私は隼人さんの親せ」
「・・・・・・。」
「あ〜!またぼ〜っとしてる〜!ちゃんと話聞いて下さい!!」
私は再び説明を始めようとするもまたもや隼人が惚けていることに気づき、グッと隼人に詰め寄った。
「・・・ふゃ!聞いてる聞いてる!すんごい聞いてる!!」
「本当ですか〜?」
動揺したように飛び退き、間抜けな声を漏らした隼人に私は訝しげな視線を送る。
「ホントホント!すっげぇホント!・・・で何の話だっけ?」
「やっぱり聞いてないじゃないですか〜!」
コヤツは私のことをおちょくっているのか!?
「だから私は隼人さんの親戚の冬次美衣という者で、今まで両親と暮らしていたんです。」
私は湧き上がる怒りと殺意を押し殺しながら再び説明し始める。
「でも両親が少しの間海外に出張することになって、一人暮らしは不安が多いということで、隼人さんのお宅にしばらくの間住まわせて欲しいということなんです。」
本の文よりかなり短く要約してあるが、あの長ったらしいセリフを二度も話す気にはならない。
「一応隼人さんのご両親にはご連絡を入れさせてもらったのですが、何も聞いていませんか?」
何も聞かされておらぬことなど百も承知だが、私は最後にそう締め括り、隼人を見やった。
「って隼人さん?」
すると隼人は俯きプルプルと震えている姿が目に映った。
また話を聞いてなかったのか・・・?
「よ・・・。」
「え?」
隼人の口から何かが漏れ聞こえてきたが良く聞き取れず、私は隼人の方へ耳を近づけた。
しかしこれが間違いだったのだろう。
「よっしゃぁああ!!」
次の瞬間、隼人は突然大声を張り上げ、鼓膜が破れそうな程の音量に私の思考は停止した。
「と、とととにかく、は、はは入って!そ、そそそのままじゃ、か、かか風邪ひいちゃうでしょ!?」
「・・・ふぇ?あっ、は、はい!」
隼人の突然の咆哮にしばらく呆然としていた私は隼人の言葉に間抜けな声を上げ、誘われるまま扉の中へと歩み始めた。
未だ耳がキンキンと鳴っているが、とりあえずこれで日向家への潜入という第一段階はクリアしたことになる。
「これからよろしくお願いしますね、隼人さん。」
扉をくぐりがてら私は標的となる隼人に向かって微笑みながら言った。
キュッ
「ふぅ・・・。」
私は蛇口を捻ってシャワーを止めた。
「案外隼人は気が利くな・・・。」
あのように濡れた格好では本当に風邪を引いてしまう所だった。
雨で濡れた私をすぐに浴室に連れてきてくれたことには感謝するしかあるまい。
しかしそれと任務とは全く関係ない!
情によって揺らぐような甘い意志で私はこの任務を引き受けた訳ではない。
あの方のご恩に報いるためにもやるからには完璧にこなしてみせる!
「・・・そう言えば私の荷物を隼人に預けて大丈夫だっただろうか?」
あの中には組織のメンバーズカードと指令状が入っているのだが・・・。
私は体を用意されたバスタオルで拭きながら考えた。
いや、大丈夫だろう。
あのトランクには鍵がしっかりかかっている。
それも組織が独自に開発した物で一般販売されているソレとは比較にならない程複雑だ。
一流の鍵屋でも開けることはまず不可能な代物だ。
それに万に一つもないことだが仮に破られたとしても見つけることはできないだろう。
メンバーズカードと指令状は私の胸当ての詰め物の中に隠してある。
普通の人間であればまず発見することはない。
「まぁ全て有り得ないことだがな。・・・ん?」
・・・しまった。
体を拭き終えた私は服を着ようとし、あることに気がついた。
着替えはトランクの中であった・・・。
どうするか・・・。
また濡れた服を着るのではいたちごっこになってしまう。
かといって裸のまま彷徨くわけにはいかぬし・・・。
「うーん・・・。ん?」
私が打開策を見いだすべく思案を巡らせていると『ネグリジェ♪』と書かれた紙が折り畳まれた衣服と下着の上に置いてある姿が目に映った。
どうやら隼人がこの事態を見越して用意したものらしい。
ねぐりじぇとはどういう物かわからぬがここは有り難く頂いておくとしよう。
「アヤツめ。味な真似しおっ・・・。」
私は下着を手に取って広げた所で言葉を失った。
何だ、これは・・・?
「・・・ヒモ?」
これでどうやって隠すべき所を隠すというのだ?
しかしこの形は間違いなく下着なのだろう。
これでは穿くも穿かずも変わらないではないか。
私はそのヒモ、もとい下着を見つめながら考える。
しかしさすがに何も穿かずにいるということはできない。
他に穿くものもないので仕方なく私はそれを穿くことにした。
グッ
ビクッ
「んにゃ!」
・・・一つ学習した。
このタイプの物は強く引き上げるべきではないということを。
「・・・しかしこれで下着として成り立っているのか?」
私は洗面台の鏡に自分の姿を映し見た。
かろうじて主要部位は隠されているが、これは・・・。
こんな姿人に見られでもしたら恥ずかしさで死んでしまう。
「まぁ上にこれを着るからいいか・・・。」
そう言って私は折り畳まれた衣服(恐らくこれが'ねぐりじぇ'なるものだろう。)に手を伸ばす。
異様に肌触りがいい。
「ほう、これはワンピースタイプなの、か・・・。」
ねぐりじぇを広げた私は先ほどと同じように言葉を失い、唖然とした。
ねぐりじぇは形から見れば至って普通の寝巻きだ。
しかし普通じゃないのはそこじゃない。
私はじっとねぐりじぇを見つめた。
向こうの壁がキレイに透けて見えた。
「・・・こ、これでは着る意味がないではないか!!」
こ、ここ、こんなものが・・・!
私はねぐりじぇをくしゃくしゃに丸め、大きく振り上げた。
「こんなものが着られ・・・!!」
しかし床にたたきつけようとした瞬間、私は固まった。
━━異様に肌触りがいい。
・・・・・・。
バサッ
結局私はねぐりじぇの上にバスタオルを羽織ることにした。
バタン
浴室を出た私はさすがにこんな姿で隼人の下へ行く訳にもいかず、自力で自室となる部屋を探すことにした。
ここからは運が良かったとしか言いようがない。
ガチャ
当てずっぽうに最初の部屋を開けた所、私のトランクが中央に置いてある姿が目に映った。
どうやらここが私の部屋らしい。
最初に入った部屋が自室だったおかげで隼人と出くわすことはなかった。
「とりあえず着替えねばな・・・。」
慣れない下着では気持ちが悪くてしょうがない。
事が順調に進んでいることと、この不快感から解放されることに安堵した私はふぅとため息を吐きトランクの鍵を開ける。
ガサゴソ
「・・・・・・?」
トランクの中を探っていた私はふと手を止める。
「・・・パンツが、ない?」
確かに入れたと思ったのだが・・・。
ガサゴソ
しかしいくら探せども一枚も出てくることはなかった。
「・・・・・・はっ!」
もしや隼人が嗅ぎつけたのか!?・・・と思ったが、しかしカードと指令状は無事だった。
よくよく考えて見れば下着を盗むことなんて何のメリットにも成りはしない。
「・・・組織に忘れて来たのか?」
私は呟きながら頭を捻った。
むぅ・・・。子猫のパンツまで置いて来てしまったとは・・・。
気に入っていたのに・・・。
しかし今考えることはそこじゃない。
いくら私でも下着なしで生活することはできない。
明日新しい下着を買いに行くとしても今日は・・・。
「・・・仕方ない。今日はこのまま寝るしかあるまい。」
そう言って私はベッドに横たわった。
この時私はまだ気づくことができなかった・・・。
━━隼人の危険性に。 |