27:Bibamus, moriendum est.
「おい、正気に戻れランス」
「うぅう……」
「そんなに酒ばっか飲むな。お前みたいな無駄に顔がいい男はな、酔って前後不覚になってる内に何処の馬の骨とも知らぬ女に襲われて認知迫られたりするって相場が決まってるんだよ。だから酔いつぶれるほど飲むな阿呆」
「もうどうでもいい」
「どうでもいいってお前……」
「誰に襲われて誰に認知迫られてもどうでもいい」
「馬鹿かお前」
一体何だって言うんだ。ユーカーは呆れていた。
「お前の実家も山賊に奪われた。明日からまた戦うことになるかもしれないんだぞ?二日酔いなんかなったら……」
「ユーカーにはどうせ俺の気持ちなんかわからないんだ。いいよ、俺はトリシュと飲むから」
「はぁ!?」
今まで介護してやった恩も忘れてあいつトリシュに泣きつきやがった。
「もうお前なんか知らねぇ、勝手にしろよ」
与えられた部屋に戻って寝台に寝転がる。まだ苛立ちが消えない。何かとてつもなく苛々する。
「だぁあああああ、うっせーっ!」
飛び起きると何やら物音がする。部屋の窓、その外から小石がぶつけられているのだ。
文句言ってやろうと窓辺に立てば、階下には……半分泣いたような顔のアルドールがいた。
「何やってんのお前」
しかも濡れ鼠。
「訳あって外に出たら入れなくなったんだ」
「阿呆か!」
ピシャリと窓を閉めれば窓の外が五月蠅い。
「助けてくれユーカー!お前の部屋しか覚えてないんだ!あとここの階なら何とか引き上げて貰えるだろ?」
「ったく……おらよ」
確かにここは二階だ。なんとかなる。手を伸ばしてやれば嬉しそうに馬鹿が俺の手にしがみつく。
室内に引き上げた時にこっちに抱き付いて来やがって。俺も部屋も水びたしだぞおい。
「寝てるのかなと思ったけど他に頼れる奴いなくて、ほんとありがとうっ!もうお前大好き愛してるっ!後宮入る?」
「入らねぇよ。つか別にお前に好かれてもな」
「またまたー照れるなって」
「無駄口叩く暇あるなら床掃除手伝え」
「はい、ごめんなさい」
やっぱこいつルクリースの弟だ。軽口叩くとよく似てる。そう思うとあのメイド女を思い出してなんか微妙な気分になる。あそこまで俺に無遠慮な女は初めてだった。こいつもこいつで無遠慮っちゃ無遠慮なんだが。まぁ、素直に謝るところは他の奴と違ってこいつのいいところなんだがな。神子よりは余程マシだ。あ、あの神子もう神子じゃなくなったんだっけ?教皇呼び面倒臭い。
それはともかくそこの馬鹿。雑巾を渡せば自分の身体を拭いた後、床掃除を始める馬鹿。ああ、もう、見てらんねぇ。
「掃除は俺がやるからびしょ濡れのまま歩くな!雑巾で拭いた身体で俺の部屋に居座るな!ちゃんと着替えて来い!」
「あ、うん」
タオルと着替えを渡して部屋から追い出し水道の方へと追いやれば素直にアルドールは出て行く。
「はぁ……なんでカーネフェリアの男はみんな俺に懐くんだ」
お陰でこんな夜中に床掃除させられるハメになった我が身を呪うぞ俺は。窓を見れば溜息を吐く顔が、少し笑っているのに気が付いて嫌になる。こんな風に突然やって来る無遠慮な客は、ランスとアルトのおっさんの二人だけだった。アルドールが少し、あの人に似ているなんて一瞬でも思った俺も馬鹿だ。
(俺にはもう必要ない)
大事な物はもう作らない。増やさない。アルドールなんかどうでもいい。
「ああ、そうだ。俺はアルドールの阿呆が死んでも泣かない。よってあいつはどうでもいい」
言い聞かせるように呟くと、すぐ近くで軽い調子の声。
「えええ!酷いなーそんなに怒ってた?」
「うぉっ!いつ入ってきてたんだよお前!ノックしろ!」
「したよ?」
「返事してから開けろよ馬鹿」
「まぁ、でも俺はユーカーが死んだら泣くけどね」
「は?」
いきなりなんなんだこのガキは。夜だからって変なテンションなってないか?
「まさかお前まで酔ってやがるのか?」
「そんなことよりさユーカー、ランス何か言ってた?」
「なんかって?」
「この湖のこと」
「いいや、皆無。何も」
「ええ!?ユーカーにも話せないとなるとそこまで思い悩んで」
思い悩むには悩んでいたがどうにも話が噛み合わない。
「何の話だ?」
「ユーカーには言ってなかったかもだけど、ランスのお母さんの亡骸がこの湖の何処かに眠ってるんだよ」
「あの糞蠅死んだのか」
「いや、ヴィヴィアンさんじゃない方。本当のお母さんの方」
「本当の……?……ああ」
王妃様じゃなくて、名前だけの母親か。アルドールなんかにこぼしたら大変だった。油断しないようにしないと。
「俺もさっきフローリプ見つけて、それで……」
胸に抱えたその箱は、あの娘が入っているのか。見れば小さな箱だ。小柄な子供はこんなものかもしれないが、こいつにはまだ納得できない現実なんだろうな。箱入りはお前の方だって話だもんなアルドール。
「軽いよな、意外と」
「え、うん……」
「お前本の虫なんだろ。それなら黒死病が生み出した文学も知ってるか?」
「ええと、黒死病を逃れるために缶詰になって話をする話とかあったね」
「それじゃねぇよ。三番目の凱旋だ」
「三番目の凱旋……ああ、死の凱旋か」
人は死を恐れる。得にその惨い死に様に人は恐れ戦いた。アスタロットが最期に見た景色がそんな物だったと思うと俺はやるせない思いに駆られるものだ。
実際に見たわけでもない死は想像の死だ。俺達はこいつにあの惨状は見せなかった。それどころでもなかった。だから必要以上に美化したり、必要以上にグロテスクに想像してしまうものだ。それと目の前の小箱が一致しないから、こいつは……
「四番目は解るか?」
「……名声」
「ああ。そうだな」
「ていうかユーカー、意外と本読んでるんだ」
「昔は俺も部屋から出られない生活ってのやってたんだよ。それで暇だって言うと爺やがいっつもいろんな本読んで聞かせてくれた」
「でも詩集を読む爺やなんて面白いないいなー。うちの爺やなんかいっつも俺のおやつくすねて食べてたろくでもない奴だったよ」
「馬鹿言え俺の所の爺やの方が最低だぞ。油断してるといつの間にか官能小説を朗読し始めるんだから」
ってそんなことは良いんだよ。脱線させるなとその頭を一発ど突く。
「……その、な。お前は王だ」
「うん」
「あいつらは王じゃない」
「うん」
「だからあいつらには名声なんて物無いかも知れない。だが、死んでも無くならない物、消えない物ってのはあるだろ」
「……うん」
「じゃあ、それを忘れるな。五番目の凱旋然り、忘れるってことが一番許されねぇことなんだからな」
「ユーカーは、だから今でもアスタロットさんが好きなの?」
「…………さぁな」
どんなに大人になりたいと思っても、結局藻掻いたところでガキはガキ。ちょっと剣の才能があったくらいで、現実は何も変わらない。頭で考えられない分、大人達に利用されるだけ。かと言って大人になったつもりでも、心はまだまだ余裕が無くてガキのまま。いつからどこから大人なのかなんてわからない。事実、俺より年上で俺より大人げない奴もいる。人間ってそういう下らない生き物なんだ。最初から最後まで。それを取り繕うかそれをしないかの違いだけ。
「でも……ろくでもない大人になるくらいなら、一つくらい子供のままの心があっても良いじゃねぇか」
親父も叔父もろくでもない大人だ。あんな大人になるくらいなら、俺は俺のままでいい。
「……ユーカーは、イグニスと同じなんだな」
「はぁ?」
「優しい人だねって言ったんだよ」
「何でそうなる」
「だってさ、自分のことより何処にもいない子のこと考えてる」
「……?」
どこにもいない子。それはアスタロットではないだろう。こいつのことだ。そんな目に見えた地雷には突っ込まない。それじゃあそれは誰?
「怖いよね。俺も怖い。凄く嫌だ。だからユーカーの傍にいるとほっとする」
ソファーに座る俺の隣にやって来て、勝手に俺に持たれるアルドール。
「女の子が怖い。誰かを好きになるのが怖い。裏切りなんだって思ってしまう。だから俺はずっと一途でいられるユーカーが凄いと思う」
アルドールは俺を眩しそうに眼を細め見る。俺はお前のペットじゃないんだと目で訴えても俺の髪を弄るのを止めない。お前はランス二号にでもなるつもりか。一人でも身が持たないのに御免だぞ俺は。
「俺も好きな子、いたんだよ。だけどその子は生きているはずなのに会わせて貰えない。それって本当に生きているって言えるのかな。その子か俺が、生きているって言えるのかな……本当に」
「……どうだかな」
「俺は揺らいでる。その子は何も悪くないのに、あんなに好きだったのに、今はそれを恋愛感情とは呼べなくなってる」
「……道化師の所為か?」
「うん。凄く凄く、大切だった。だけどその子の顔でその子の声で俺は多くを失って……それが彼女じゃないと言い張っても、そういう気持ちが歪んでいくんだ」
「そいつは、その女が生きてるからだろ」
「え?」
俺とお前は違う。状況も境遇も異なる。だからそんな風に一緒くたで話しても意味はない。お前の参考に俺はならない。それを説明してやれば、アルドールは大人しく耳を傾ける。
「俺の場合は死んでる。だから仮にアスタロットの顔した人間がランスを殺したとしても俺はそいつを殺せるし憎める。お前がそんな風になってるのは本人に会えてないからだ」
「……うん」
「会えば全部解るんだろ?じゃあ待てよ。落ち着いて時間が取れるようになれば神子も会わせてくれるだろ」
「うん……」
アルドールは小さく微笑み、背中を預け、俺に全体重で寄り掛かる。これはもはやのしかかりだ。ソファーに倒れ込んだ俺を見て、悪戯成功とせせら笑う様はどう見てもガキのそれだった。怒るの馬鹿馬鹿しい。
本来のこいつってのは、案外こういう普通に嫌な感じの糞ガキなのかもな。唯色々状況があって、周りとの関係もあって、おっかなびっくりの挙動不審になっている。
「つか、お前なんでここに来たんだ?」
城に入りたかったのは解る。だが戻ってくる必要はなかったはずだ律儀に。そして改めてお礼を言いに来たわけでもなし。
「ユーカーにお別れを」
「は?」
「都取り戻してタロック追い出したらさ、セネトレアとの戦争になるってイグニスが言ってた」
「へぇ」
この瀬戸際でもう勝利の先の話とは、あの教皇はろくでもなくてとんでもない。勝つ気でいるってのはいいことだが足下掬われたら堪らない。先読みで勝利が確定してるとも信じられないが、策はあるってことなのか。
「それで俺がそれまでに死ぬって?」
「違うよ!その時ユーカーとパルシヴァルにはカーネフェルの守りを任せたいんだ」
それは攫われたパルシヴァルをもう取り戻した前提での話。ぶっとんでやがる。
「……本当はみんなに来て欲しいんだけどさ、みんな連れて行ったらカーネフェルがまた奪われちゃうだろ?」
「ランスを連れて行くのか」
あいつは喜ぶだろうな。そう思っているとアルドールが小さくごめんと呟いた。
「別に怒らねぇよ。お前があいつを死なせたなら俺がお前の敵に回るってだけだ。その時は俺は俺の願いのために行動する」
「いや、そうじゃなくて……ユーカーは心配だろ、ランスのこと」
「馬鹿かてめぇは」
「え?」
俺はアルドールの頭を一発小突いてやった。
「この国一の騎士捕まえて何が心配だ。心配なんかお門違いだ。あいつは強ぇよ。お前がジャンヌを連れて行くんなら数札のあいつだって本領発揮出来るだろう」
そうだ。俺とパルシヴァルを置いていくってことは神子とジャンヌを連れて行くってことなのだろう。
「お前のお守りなんかもう懲り懲りだ。留守番の方が俺も助かる」
アルドールはあの人と違って未熟。だからこそ剣でしかない俺ではなく、何にでもなれるランスが必要。その未熟さが、あいつにとっての救いになってくれればと俺も思うんだ。もし仮にランスが心底満足して満ち足りた表情のまま死ねたのなら、……俺はアルドールを斬られるかどうか。あいつが命懸けで守りきった者を果たして俺は……
「まずは目先のことに目を向けろ。そういう先のことは神子とランスに任せておけばいいんだよ。お前はどうせ無理なんだから。これ以上足引っ張るな……明日に備えてさっさと寝ろよ。パー坊迎えに行かねぇといけねぇんだからな」
「うん」
俺の言葉に小さく笑って、アルドールはぱたぱたと部屋から出て行った。
それを見送り、今更ながらどっと疲れがやって来る。俺は寝台に寝転んで天井をじっと見つめて息を吐く。
「とは言ったものの……パルシヴァルの奴……無事だろうな」
俺のため息は尽きない。こっちが落ち着けばとたんに向こうが心配になる。レクスが最後の砦だが、レクスが最大の問題でもある。あいつはあれで紙一重な男だ。ていうかかなりぶっ飛んでる。悪い奴じゃないのは理解したが、良い奴だとも言い切れない。言ってはならない。倫理的には不道徳過ぎるぞあの男。俺の弟分が襲われてないと良いのだが。今になって向こうに着いていけば良かったという思いがないでもない。
眠るに眠れないのは俺の方じゃないか。酒をもう一杯呷ってくるか。ふらりと部屋を出た所でエレイン……いや、マリアージュに出会した。
「よう、まだ起きてたのか」
ガキには過ぎた時間だぜ。そう言ってやるが鼻で笑われた気がする。
「って余計なお世話だったか」
「そうでもありませんわ。この姿で居るということは、身体は子供その物。夜更けは確かに眠いです」
ふぁあと彼女は手を口に当て欠伸。
「……俺に用ってわけか」
「もうじきこの姿での仕事もお終いです。だから義兄様にお礼をと」
「礼を言われるほどのこと、俺はしてねぇよ」
本物の義妹ならそんなことを俺に言わない。ああ、やっぱり彼女は死んでしまったんだなと実感させる一言だった。
「ランスに本当のことを教えるのか?」
「それは兄様とアロンダイト卿にお任せします。私はこれから一足先にアロンダイト領に向かいます。そこで一仕事あるんです」
「……そうか」
そこで自分が死んだことにするのだろう。如何に釣った魚に餌をやらないランスでも、盗賊共に婚約者が殺されたとなれば、相手の殲滅を本気で図るだろう。あいつは騎士の鏡だから。
「それでは。短い間でしたが楽しかったですわ」
「おい」
「何か?」
立ち去ろうとしたマリアージュ、そのまま見送ることが出来なくて……俺は言葉を投げかける。振り向く顔はアスタロットとはそんなに似ていない。それでも俺の婚約者の妹には、よく似ていた。どんな数術を使っているのか解らないが、その顔は俺の現実逃避を幾らか手伝ってくれていた。これはそれに対する礼に過ぎない。
「お前の足じゃ時間が掛かる。足は要らねぇか?」
*
「一体何なんだ君は、ランス」
何をいきなり飲んだくれる必要があるのだ。トリシュも飲まずにはいられなくなる。
友人があまりに絡み酒過ぎて。今日ようやく目覚めたかと思ったら昼間からずっと飲んだくれていたらしい。それに付き合わされていたユーカーも等々痺れを切らしたとかで。
「君の所為でほろ酔い気分のイズーの酒に惚れ薬を混入するという私の計画が流れてしまったじゃないか」
「ほえぐふりは……。ほんな物に頼ふのわ邪道らろとりしゅ」
「愛の前に邪道も王道もあるものか」
そう返した後に、友人のあまりの呂律の酷さに僕も呆れる。
「というか彼酒に強すぎる、半日飲んでて何故無事なんだ。君だってそこそこ強いのに」
そんなに飲んで忘れたいことなんてあったのか?今日一日で一体何があったというのだ。この男に限って、戦に恐れ戦くような姿を見せるはずもない。
「……まさか君は、領地に残ったというお父上が心配で、こんなにも……」
これまでそれに思い至らなかった自分が恥ずかしい。僕は我が身を振り返り、友に謝罪をしようと顔を上げた。
「ランスっ、僕はっ!」
「へ?とうはん?……あんな男」
何それ。そんな嫌そうな顔をしないでくれランス。ああ見えて師匠は勇敢にも敵に立ち向かい領地へと残り……今も山賊と戦っている最中かもしれないんだよ?如何に勇猛な将とは言え、彼も人間だ。君の親だ。何かあってからでは遅い。そうだろう?
「君には僕のようにはなって貰いたくないんだランス。僕は」
僕だってシール叔父さんをちゃんと父親として慕えていれば、支えられていれば……彼がタロック側に下ることもなかったはずだ。
「僕は僕が不甲斐ない……」
「とリしゅ、ほれ……何の話?」
「はぁ!?君が飲んだくれていたのは彼が心配だったからではないのか?!」
「ひや、全然」
もう嫌だこの酔っぱらい。僕でもいい加減絶交したくなってくるぞ。
「温厚な僕でもそろそろ怒るぞ!いい加減飲むのを止めるんだ!」
「あははははははっ!と、とりひゅがおんこうってひひひひひひ!」
「それは笑うところじゃないっ!もういい加減にするんだ!」
酔っぱらいを引っ張って、僕はユーカーの所まで行く。とてもじゃないがもう僕にも面倒見切れない。後はこの飲んだくれの取扱説明書たる彼になんとかして貰うしかない。
「イズー……?」
扉を叩き返事がないことを知る。僕は躊躇った後にドアノブに手を伸ばす。鍵は掛かっていなかった。そこにユーカーの姿はない。
「ランス……君が飲んだくれているから彼が逃げてしまったじゃないか」
「なら、もろってのみなおひょう」
友人に文句を言うけれど、まだ飲み足りないと彼は文句を言っている。面倒臭い酔い方しているな、今日の彼は。
「仕方ない……」
もうこの人はここに置いておこう。ここ二人部屋だし
「なんらろー、ひょれひゃらここでのみなおひょうーよとりすー。うーかーがいなひならここにとまっれひひゃひょ」
「誰が君みたいな酔っぱらいと同じ部屋で寝られるか。僕まで二日酔いにさせる気か?」
下らないと皺一つ無いシーツの上に彼を降ろして、振り返る。そこには使われた形跡にあるもう一つの寝台が。
(はっ!ちょっと待て)
ここはユーカーが寝泊まりしていた部屋だ。相部屋になっていたが、相方であるこの男は病室に寝泊まりしていた。
「と、と言うことは……彼方はイズーが使った」
泊まっていけという有り難いお言葉もある。甘えてしまいたい!だがしかし!もし万が一、イズーが帰ってきたらどうなる!?僕がいることにも気付かず添い寝とか!翌日それで互いに酔っていたんだとか言って話を上手く持っていくことだって出来るんじゃないのか?
それは実に美味しい話だ。
(いやいやいや!僕も騎士だ!そんな真似は流石に出来ないっ!だがしかしっ!)
しかし友人の頼みを無下にするのも、果たして騎士としてどうなのだろう?そう!これは友の頼みっ!もう少しこの僕と話がしたいだけなのだこの男は!
「し、仕方ないな!友である君がそこまで言うんだ。僕はあまり気が進まないが僕はそこまで薄情ではないからな!酒は駄目だが愚痴になら付き合ってやろう」
水をグラスに入れてやりランスに手渡す。その後何食わぬ動作で空いた方の寝台に腰を下ろす。
(ああ、ここがイズーの寝泊まりしていた部屋。寝泊まりしていた寝台……)
寝台に寝転がるとそれだけでイズーの清らかな花のような清潔な香りが……って何か違う。もっと香ばしい香りが。
鼻を啜り確かめてみると空腹になる香りがする。寝台の下を覗き込めば手作りの酒のつまみが置いてある。何ともタレの香りが堪らない焼き鳥だ。しかし何という色気の無さ。
(だがこれはおそらく……)
この飲んだくれが帰って来たらこれで我慢しろと与えるつもりだったのだろう。或いはそのために迎えに来た。が、この飲んだくれが飲んだくれだったためくれてやるのが惜しくなったのだろう。そう思うとこんな色気の無さも愛おしい。惜しむらくはそれが僕のために用意された物ではないということくらいか。
「ランス、どうやら君にらしいぞ」
ふて腐れながら僕が皿を寝台間の小棚の上に置いてやると、ランスもそれを見る。
「僕のイズーが作ってくれていたようだ」
「ユーカー……」
酔いも醒めてきたのだろうか。少し沈んだような表情のランス。
酔っていたとは言え酷いことを言ってしまった。そう思っているようだ。
「……明日謝れ。それでいいじゃないか」
「……ああ、そうだな。ありがとう、トリシュ」
二人でそれをつまみに水を飲み、寝床に入る。明日からまた戦いだ。今はしっかり身体を休めて……そんな事を考え目を閉じる。その時、扉がギィと鳴った。ランスはもう寝ているのか気付かない。騎士の癖に物音で目を覚まさないなんて、どれだけ飲んだんだあの男は。内心舌打ちしながら僕は寝たふりをする。敵か?いや、そいつは此方に向かってくる。足音、床を踏む体重。忍び足……しかしそれはそこまで重くはない。
(も、もしやイズーが……?)
きっと彼もどこかで飲んできたのだ。それで酔っている。ここに僕が寝ていることを知らないで。うわ。入ってきた。背中に触れる震える手。こ、これは不可抗力なのではないだろうか。
「い、イズー……っ!」
僕が寝返りを打った時、そこで見たのは彼ではなかった。
「助けてくれユーカーっ!」
小声で、それでも悲痛な表情で僕の身体を揺するのは……私の仕えるカーネフェル王。
「あ、アルドール様!?」
「あれ?トリシュ?ユーカーは?隣?」
「いえ向こうはランスで、あの、そのこれは……その!如何なさいましたか!?」
「せっかくイグニスと同室になろうって行ったのに追い出されたんだ!どうしようっ!」
アルドール様は情けなくも涙目でいらっしゃる。
「もうトリシュでもいいや!俺ここで寝かせてっ!駄目なら俺野宿するっ!」
「落ち着いてくださいアルドール様。一体何が?落ち着いて……」
「イグニスが、部屋開けてくれないっ……!寝る場所無いって言ったら、今日からジャンヌと同室になればいいとか言って来るんだ!いくら戦友とはいえ女の子と同じ部屋で寝泊まりだなんてっ!」
それはまぁ、年頃の少年としてはもっともな言葉。しかし何を言っているんだろうこの人は。聞くところによれば、女性を囲ってカーネフェルまで旅をしてきたのではなかっただろうか。
「アルドール様、ジャンヌ様を女性扱いする方が失礼なのでは?」
「頭では解ってるんだけど……なかなかそうも行かなくて、それに追い出されるなんてきっと……俺またイグニスに嫌われるようなことしでかしたんだ!どうしようっ!」
「なるほど、そういうことですか」
ジャンヌ様を女性扱いしているのは特別視してるということなのではと、ロマンスめいた香りがしましたが気の所為ですか。これはイグニス様に追い出されたことに狼狽えているようにしか見えない。それで他に頼る相手がいないので、次に親しい間柄であるユーカーを訪ねたと。
「落ち着いてください。お怒りならばちゃんと話し合えば良いだけです。私も一緒にイグニス聖下に謝りに行きますから。……とりあえず今日はここを使ってください。私は病室に戻ります」
こんなチャンス二度と無いかも知れない。しかし私とて騎士。アルドール様のためなら泣く泣く寝床を譲りますとも。けれど泣いたのはアルドール様の方だ。
「俺もそっち行くぅうう!」
泣き出したのは隣で寝てるのがランスだと解ったかららしい。そんなに彼が苦手なのだろうか。確かに翌日状況説明に困りそうな相手ではある。その労力を考えるならそりゃあ誰だって彼と同室は嫌だろう。よく考えたら僕も嫌だ。
「いえいえアルドール様!従僕に過ぎない私めが主と同じ部屋で寝るなんて恐れ多い!」
「それを言ったらランスもだろ?」
「彼はもう寝ているので仕方ないです!ではそういうことでっ!」
「やっぱりトリシュも俺のことが嫌いなんだ」
「はいっ!?」
もしかしてこの方まで飲んでたりしないか?見ればうっすら顔が赤らんでいる。こっちの飲んだくれも面倒臭くなったからイグニス様も追いだしたのだろう。誰だこの方に酒なんか飲ませたのは。
「イグニスも俺を追い出すし、ユーカーも俺の気配を察して逃げ出すし、トリシュも俺と一緒が嫌って言うし」
泣き上戸かこの人は。アルドール様はランスが寝ていることもお構いなしにわんわん泣き始める。そうやって並べられると自分も酷いことをしているように思えるが、そしてそんな貴方はランスと同室が嫌だとか言ってましたよね。さり気なくアルドール様も酷いですよね?
以前同室だったときに余程嫌な思い出もしたのだろうか?あの色男、実はいびきが酷かったとか、歯ぎしりが凄かったとか、寝相が悪くて何故か翌日全裸になっていたとか、その状態でこっちの寝台に入ってきていたとか。いやまさか。あの男に限ってそんなことは。そんな噂は終ぞ聞いたことがない。
いやでもこの男の陛下コンプレックスは酷い。アルト様亡き後、アルドール様に仕えることが出来たのが嬉しくて舞い上がったのかも知れない。
「いえ、アルドール様。私は別にそのようなことは」
「嘘だぁっ……きっと俺から庶民臭がするとか思ってるんだ。それか俺が気付いていないだけで実は俺が汗臭いととか足が臭いとか口臭がきついとかそれで避けるんだろ」
何という被害妄想。この人精神的に駄目になるととことん駄目だ。僕には些か荷が重い。こんなのの世話をしてきたなんて、イグニス様とユーカーは器が大きい。
「いえ、あの、アルドール様……確かに言われてみれば生臭いですけど、あ、いえ!何か心当たりは?」
「俺ちゃんとシャワーあびたもんっ!やっぱり俺何か体臭があるんだ、うわああああんっ」
「いえ、そうではなく生臭いというか、これは血生臭い……?怪我でもなさったんですか?」
「え?怪我?二回湖に落ちただけだけど」
「湖に?まさかタロック軍の連中……湖に何か……水葬なんてしていませんよね」
何気なく漏らした言葉に、アルドール様の顔が青ざめる。かと思えば彼は隣の寝台へとジャンプし、ランスを叩き起こそうとした。
「え、あ、アルドール様!?」
流石の酔っぱらいも主君相手だと気付いたら、先程の酔いなど何のその。取り繕ったような顔で衣服を整える。この無駄色男め。
「襲撃ですか?」
「お前っ、会いに行ったか!?」
「はい?」
酔ったようなアルドール様はランス相手にも気後れをしていない。先程までびびっていたのも忘れたように。
「湖にお墓参りっ!行ってないならさっさと行く!今日一日一体何やってたんだよ!」
「も、申し訳ございません」
飲んだくれてましたからねこの人。今日までずっと寝ていて城の修理も手伝わなかったのに。いや、それは僕もだけれども。
(……って、水葬?)
話がよくわからないまま、僕は酔っぱらい二人を放置も出来ずにアルドール様に従い窓から外に出た。
「俺がさっき落ちた辺りに臭いの原因があるなら……こっちだ」
アルドール様に連れて行かれた湖の畔。僕たちを待ちかまえていたように……暗い水面から浮かんでくるものがある。
それは二人が予想していた物とも違ったようで、二人は顔を引き攣らせて震えている。一体あれがどうしたっていうのか。
ランス。アルドール様なら兎も角君は死体の一つや二つに動じる男ではないだろう。月明かりに照らされた小さな小柄な身体は確かに目も当てられないほど酷い有様。水にふやけて、魚に食べられて……それは確かにおぞましい。それでもその衣類からそれが少女の物なのだと解る。
「何をして居るんだランス、君も埋葬を手伝え。君も騎士なら小さなご婦人にこれ以上醜態を晒させるわけにはいかないだろう?」
そう言っても動かない友人に呆れた僕は湖へと入り、その哀れな亡骸に手を伸ばし……僕もまた、戦慄した。
「エレイン……様?」
見るも無惨な亡骸は、アロンダイト領で僕らを迎えてくれた……そしてこの城に逃げてきたはずの少女の物だった。
*
「エレインっ!何処にいるっ!何処に居るんだっ!」
ランスは叫んだ。この眼に移る物全て。何もかもが信じられなくて。
婚約者が寝泊まりしていると聞いた部屋。飛び込んだ先には誰もいない。悪い夢でも見ているように。
けれどその声に隣の部屋の扉が開く。そこから出て来た白い寝間着のイグニス様。俺は怒りにも似た声色で彼女を呼んだ。
「イグニス様、あれはどういうことなのですか!?」
何もかも知っている。見えて居るんだろう貴女は。そう決めつける俺の視線を僅かも悲しむでもなく、彼女は小さく嘆息するだけ。
「こうなってしまった以上話すより他ないですね」
俺に遅れてやって来たトリシュとアルドール様。二人も室内に入ったところで彼女は扉をそっと閉める。
「精霊と呼ばれる者は大概血の穢れを嫌います。おそらく貴方の養母様がここに彼女の亡骸を送ったのでしょうね。或いは貴方にそれを見せたくなかったからかも知れません」
「それでは、彼女は……死んでいたと言うんですか!?では今日まで俺が見ていた彼女は……」
「変身数術ってご存知ですか?」
「……概念だけなら。しかし本来それはあり得ないとも聞いています」
「そうですね。僕だってあれをやろうものなら死ぬかもしれません。まぁ、概念として確立されているのは確かで、確かに存在する式ではありますが……現実問題扱える人間はいない。禁術の一つですよ。奇蹟に対して代償が高すぎる。それなら視覚数術と触覚数術の応用の方が遙かに低い代償で同じものを装える」
「……彼女に、別の人間が成り代わっていたと!?」
「ええ……僕の部下にはその変身数術のみに才能を特化させた子がいたんです。彼女は他の数式を一切扱えない。その代わりに情報さえ集めれば殆ど代償無しに変身数術を扱える」
にわかには信じ難い。それでもこの眼で見たもの。それを裏付ける話ではある。
「しかしイグニス聖下。何故貴方はエレイン様の死を隠されたのです?」
トリシュが口を挟む。それは俺も聞きたいことだ。イグニス様は渋る様子もなくそれに答える。
「それを知ればランス様。貴方とお父上の溝が決定的な物になると知っていたからです」
「どういうことですか……?」
「立派な騎士で在りすぎる貴方は、それを知ればお父上を許せない。明日から始まる戦争さえ、貴方は本気で戦えますか?領地を守るお父上を救うことが出来ますか?」
「あの人と、彼女のことに……何の関係があるって言うんです!?」
もったいぶった女教皇の言葉に俺も苛ついてくる。
「エレイン=シャラット様は確かにお亡くなりになられています。先の戦争で貴方が北部に赴いていればそれを知ることになったでしょう」
「ユーカーが……知ってて俺に黙っていたと!?」
「彼に言えるはずがないじゃありませんか。彼は貴方に、自分と同じ思いをさせたくなかったのですランス様」
その一言に、頭から冷水を浴びせられたようだった。彼は度々俺に問うてきた。俺はそれを思い出していた。
カルディアで再会した日にまずエレイン。ローザクアで再会した日にまたエレイン。アロンダイト領で彼女を冷たくあしらう俺に、それでもエレイン。どうして俺にそこまで彼女を押しつけたがるのか。その理由がようやく知れた。
「無くしてから大事だと、気付くのは遅すぎる。それは取り返しの付かない過ちですよ、ランス様」
「俺は、あいつとは違います」
俺はユーカーとは違う。彼女の死を悼む心より、騙されていたという事実に怒り狂う心の方が強いのだ。果たしてそれは彼女を愛していると言えるのだろうか?言えるはずもない。
俺がこんなことにも気付かない男だと。婦人一人守れない男と知られれば。ジャンヌ様は俺をどんなに情けない男だと見るだろうか。
嗚呼、エレイン。俺が思っているのは彼女ではなく俺自身じゃないかそれでは。
(俺は、哀れな君のためにすら泣けない、非道な男だ)
今頬を伝う物は俺自身への慰め。彼女の死を悼む気持ちはこれっぽっちも浮かばない。
ユーカーを斬ってそれでも、平気だった俺なんだ。そんな俺が彼よりもどうでも良い女一人のためにどうして泣けるというのだろう。俺は仮にユーカーが死んだとしても、彼のために泣けるか怪しい物だ。そんな自分自身に腹が立ち、俺の涙はあふれ出る。
そんな俺を見て、トリシュもアルドール様も俺が彼女のために泣いていると。やはり優しい男なのだと評価する目を向けるのだ。それは違う。違うんですアルドール様。解ってください。俺はそんなに出来た男じゃない。最低な屑です。
俺の心の懺悔の言葉。それに一人気付いてくれたのはイグニス様だ。この浅ましい俺を知り、それでも許すように彼女は頷いた。ああ、この屑になら真実話しても問題無さそうだ。そんな顔にも見えた。
「僕の集めた情報によれば、エレイン様は湖に入水自殺を図ったようです。その理由を僕から語るのは彼女の本意ではないでしょう。ですからランス様。この先はお父上にお尋ね下さい。彼は全てを知っています」
話を聞くまでは死なれては困る。そう思わせることで彼女は俺に戦いを望ませた。上手いあしらい方だった。
「でもイグニス、それならエレインさんをやってたイグニスの部下って子は?」
「変身数術というのは厄介な物なんだよアルドール。演じるって言うことはそれだけ難しいことなんだ」
何かを哀れむようなその言葉の真意。それに気付けるほど俺は、出来た人間ではなかった。俺がそれを後悔するのは……翌日のことだった。