挨拶回り
翌日は朝から自宅の大掃除だ。
たった二週間と少しとは言え、誰も住んでいない状態の家というのは意外と汚れやすいものだ。水を絞った雑巾でたまった埃を拭き上げ、家を元の綺麗な状態へと戻す。
それに旅の間に溜まった洗濯物もある。村に寄った時にいくらかは洗濯して貰っていたが、それでも結構な量の洗濯物が残っている。普通なら荷物を減らす為に使いまわしや着たきり雀で通すものだが、『無限収納』で大量に着替え等を持っていけたが故にこうなったのだ。まあ、その分道中は快適だったので許容するしかない。
そうしてジン達は手分けして掃除や洗濯に励み、何とか午前中の内に終わらせることができた。
「それじゃあ、夕方までには帰ってくるよ。申し訳ないけど洗濯物の取り込みとかは頼むね」
昼食後、ジンはエルザとレイチェルにそう断ると、自宅を出て挨拶回りに向かう事にした。孤児院と神殿を回って挨拶と複製ポーションの回収を行い、最後にガンツの鍛冶屋に寄る予定だ。
また、エルザは冒険者ギルドに行ってメリンダと会い、レイチェルは診療所の手伝いの予定だ。
このように今日から数日間はジン達は依頼を受けるつもりはない。各々が訓練や休養にあてる等、それぞれの判断で行動するつもりだ。というのも、アリアがギルドを辞めるのに若干の引継ぎがあるので四日ほどかかるからだ。
ジン達はアリアが戻ってきてから一緒に冒険を再開するつもりだった。
こうしてジンは自宅を出るとまず孤児院に向かい、元気に走り回る子供達を見てしばしほっこりした気分に浸った。その後ヒルダと面会し、丁重な礼を受けたジンだったが、話はアリアの事にも及んだ。
実は今日の朝早くにアリアが帰還の挨拶に訪れ、ギルドを辞める事やジン達のパーティに加わる事などをヒルダに話していったそうだ。
「その後ミントちゃんに見つかった時も、いつもだったら逃げるように帰っていくのに今日は一緒に朝食の準備をしたりして……。ふふっ、ちょっとおっかなびっくりだったけど、なんか雰囲気も優しくて可愛かったわ」
そう嬉しそうにヒルダが語るその光景は、ジンにとっても嬉しいものだった。実際、以前に比べてアリアが笑顔を浮かべる事が多くなったのは、ジンも実感している事だ。
「ジンさん、ありがとう。これからもアリアの事を宜しくお願いね」
改めてヒルダからアリアの事を頼まれ、力強くジンが頷いたのは言うまでもないだろう。
普段なら少しぐらいは子供達と遊ぶところだが、今日も何かと忙しい。孤児院を出たジンは、次の目的地である神殿へと向かった。
神殿へと到着したジンは最初に神像の前へと向かい、まずは帰還の報告と様々な感謝の祈りを捧げる。
ジン達が今回の旅で目的を果たして無事に帰ってこれたのは、勿論ジン達や周囲の人々の努力の賜物ではある事は間違いないが、同時にそれだけではないとジンは思っているのだ。
信仰とは少し違うが、こうして感謝を捧げるのはジンにとって自然な事だった。
「お帰りなさい、ジンさん」
ジンがお祈りを終え、振り向いたところにクラークから声をかけられた。今回図らずもジンの顔が売れた事もあり、ジンの来訪に気付いた神官の誰かが気をきかせてクラークに知らせたのだろう。
「お久しぶりです、クラークさん。何とか無事に帰ってこれました」
一日遅れではあるがジンも帰還の挨拶を返し、その後は内密の話をする為に二人でクラークの執務室へと移動した。
「改めておかえりなさい。そしてありがとうございました」
執務室に着くと、クラークはそう言ってジンに頭を下げた。他人の目があるところでは巷に流れる噂を肯定する事になるので、クラークは気を使って今まで待ったのだ。
「いえ、それはこちらも同じ気持ちです。今回子供達全員が無事だったのは、紛れもなくクラークさん達のおかげです。おかげで私もまた子供達の笑顔を見る事が出来ました。本当にありがとうございます」
ジンは昨日の食事前にやってきたオルトから聞いた話を思い出していた。
今回『魔力熱』にかかった子供達の中で一番心配だったのが、わずか4歳で『魔力熱』にかかったアイリスと孤児院の二人の子供達だった。だからこそオルト宅と孤児院に複製ポーションを預け、万一の事態に備えていたのだ。
だが心配していたのはクラークも同様で、毎日必ず神官が様子を見に訪れていたそうだ。これはアイリスだけでなく、孤児院でも同様だったとヒルダに確認済だ。
そんなクラーク達の努力があったからこそ、こうして今自分は笑顔でいられるのだと、ジンは深く感謝していたのだ。
「ジンさんにそう言っていただけると神官達も喜ぶでしょう。当然の事ですが神官達の中には子を持つ親であるものも多く、今回の噂を聞いて治療法を見つけてくださったジンさんに直接お礼を言いたいという者も多かったのです。それを私の一存で控えさせていましたが、彼らには私の方からジンさんの言葉を伝えさせていただきますね」
「ありがとうございます。噂についてはもう諦めていますが、お気遣いが嬉しいです」
此方の目立ちたくないという想いを酌んだクラークの対応が、ジンにはとても嬉しかった。
昨日の商店街での出来事もあり、「ジンという名の冒険者が病気の解決法を見つけた」という噂は既にほぼ確定した情報となりつつあったが、嬉しく思う気持ちに変わりはない。
ビーンとの会話でも見られた光景だが、ここでもお互いが感謝の気持ちを交わしていた。
そうしてしばらく旅の話や現在の街の状況などをお互いに話したが、その中で一つだけジンが言っておかなければならない事があった。
「そうですか、聖獣様と……」
ジンが話す聖獣の姿に、クラークは感慨深げに呟く。勿論ジンは聖獣とのやり取りの詳細は話していないが、グレッグに話したのと同様に助言を受けたこと等は伝えていた。
「対外的には今回の治療法は私の思いつきという事にしており、聖獣の存在を知るのは極めて限られた人だけです。今回の治療法を広めるにあたって神殿のお墨付きもいただいている以上、もしかするとクラークさんのところに何らかの探りが来る事も考えられますが、守るべきは聖獣の存在だとお考え下さい。恩を仇で返すような真似は絶対に避けなければなりませんから」
そこまで真剣な表情でジンは語り、クラークはジンを気遣うような表情を見せる。だが、ジンはここで一転して表情を緩めた。
「なあに、私の事なら大丈夫です。幸い誰が思いついても不思議ではない治療法でしたし、この程度で何らかの行動に出るところもないでしょう。それに『魔力熱』自体もメジャーな病気でもないですから、そこまで気にする人もいないでしょうしね。とりあえずはこの街限定で名が売れただけですので、あとは私がその名に負けないような実力をつけるだけです」
あえて楽観的に語るジンへ、様々な想いを込めて深く頭を下げるクラークだった。
そうしてクラークとの会合を終えたジンは、最後の目的地であるガンツの店へと向かった。その『無限収納』の中には、預けていた複製ポーションが全て収められている。
オルトからは昨日の夜に、ヒルダとクラークからは今日返却されたものだ。幸い治療法が伝えられたのが早かった事もあって、使用されたものは一本もなかった。また、その効果を知りながら一本たりとも欠ける事無く返却され、さらに誰からも譲渡の相談さえなかったのは流石と言える。まさにジンの信頼に信頼で応えた形だった。
実際もし使用されていた場合は従来の薬の概念を覆す奇跡の薬として捉えられかねなく、『魔力熱』の治療法よりも目立つ事になる可能性が高かった。勿論薬を預けた人物から漏れるとは考えられないが、もし使用していた場合は第三者の耳目に触れる可能性がある以上、ジンにとってより深刻な噂が広まる事は避けられなかっただろう。
その事態を半分覚悟して薬を預けていたジンではあったが、結果として「使う必要がなかった」という最上の形で終わる事ができたのは喜ばしいことだった。
「………………」
横に寝かせた大剣を至近距離で眺め、かと思えばハンマーで軽く叩いて音を聞く。ガンツの顔は真剣で、同時に活き活きと輝いていた。
ガンツへ帰還の挨拶とグレイブや防具のおかげで命拾いをした事を伝え、上機嫌のガンツにメンテナンスを頼んだまでは良かった。だが鑑定の機会を逃して『無限収納』に入れっぱなしだったゲルドから譲り受けた大剣を、専門家の目で見てもらおうとガンツに渡してからずっとこの調子だ。
見た目から黒鉄製の業物だとは思っていたが、今までにないガンツの食いつきにジンは驚きを隠せなかった。
「こいつは凄い。ジン、お前これを何処で手に入れた?」
ようやく大剣から顔を上げたガンツが、ジンにそう尋ねる。
ジンはゲルドとの遭遇と撃退、そして最後に譲り受けたと経緯を話した。
「そうか……」
ジンがゲルドを殺した事を聞き、神妙な顔つきになるガンツ。そしてそのまま大剣について話し出した。
「こいつは一見黒鉄製に思えるだろうが、実際は黒鉄じゃあない。いや、正確に言うと元は黒鉄だったと言うべきか」
そう思わせぶりにガンツは一旦言葉を切り、そして続けた。
「こいつは『黒魔鋼』だ」
それはジンが初めて耳にした言葉だった。戸惑うジンにガンツが黒魔鋼とは何かを説明し始めた。
この世界には鉄や鋼鉄といった馴染み深い金属と共に、黒鉄やミスリルといったファンタジーな金属も存在する。他にも伝説に謳われるオリハルコン等もあるが、これらは現在では存在が確認できておらず、詳細は不明だ。
だが黒鉄やミスリルは、鉱石として発見される希少ではあるが普通に存在する鉱物だ。それなりの値段はするものの、誰もが入手可能な金属と言える。
しかし、『魔鋼』は違う。
この世界では魔力溜まり等の様な濃密な魔力が突然発生する事がある。それらに長期間さらされた金属が魔力を取り込んで変質したものが、『黒魔鋼』を始めとした極めて希少な金属『魔鋼』だ。変質した金属のうち、鉄が変質したものが『魔鉄』、鋼鉄が変質したものが『魔鉄鋼』、黒鉄が変質したものが『黒魔鋼』だ。ミスリルは元々が魔力を通しやすい性質がある為に変質した金属は確認されておらず、現在のところはこの『魔鉄』『魔鉄鋼』『黒魔鋼』の三つだけが魔力で変質した金属として認識されている。
ガンツの考えではミスリルは元々魔力に反応しやすい銀が変質したもので、変質にそこまで濃い魔力を必要としない為に比較的量も多く採れると考えていた。実際ミスリルは別名を『魔銀』とも呼ばれており、それなりに信憑性は高い話だった。
「この『魔鋼』ってのは滅多に見つかるもんじゃないが、見つかるケースには二種類ある。一つは鉱石の形で発見される事だ。だが想像しても分かるようにこいつは可能性としてはゼロではないが、実際見つかったという話は聞いた事がない。まあ、俺が知らないだけで、実際はあるのかもしれんがな」
確かに通常地下に埋まっている各種鉱石が、地表に出来ると考えられている魔力溜まりとかぶる事は考えにくい。ジンは頷き、グレッグも話を続ける。
「そしてもう一つが、遺跡や迷宮で発見されるケースだ。この場合は鉱石ではなく武具の形だな。遺跡ってのは少なくとも1000年以上は昔の代物で、比較的魔力も溜まりやすいらしくてな。そんだけ長い事そこに保管されていた武具の中に、たまに見つかることがあるみたいだ。迷宮も似たようなもんだな。迷宮の中にはもう何百年も存在しているものがあり、迷宮で力尽きた冒険者たちの武具が同じく長い年月をかけて迷宮の魔力で変質するようだ。だがそれなりに古い迷宮で、しかも深い階層にしか存在しないと言われているので、これも滅多に見つかるもんじゃないがな」
ゲルドは遺跡の探索中に仲間を失ったという話だったが、この大剣はもしかするとその遺跡で見つけたものなのかもしれない。ジンはそう思いつつガンツに確認する。
「それでこれがその『魔鋼』と?」
「ああ、しかも最上級の『黒魔鋼』だ。伝説を除けば最高の武器と言えるだろうな。良いもんを受け継いだな」
ガンツがジンを見る目は優しい。命を懸けた戦いの中、殺した相手に自らの武器を贈られる等、普通では考えられない結末だ。だが、だからこそガンツはジンを気遣った。例えどんな結末であれ、人を殺したジンが平気なはずもないからだ。
ガンツに言葉を受け、ジンはしばし考え込んだ。自分がこの大剣をどう扱うべきか悩んだのだ。
「しかしどうしたものでしょうか。ゲルドさんから受け継いだ武器ですので私が使うべきなのは重々承知しているのですが、正直ガンツさんと作り上げたこのグレイブに慣れていますし、木剣の存在もあります。エルザならこの大剣を預けられると思うのですが、肝心のエルザには断られましたし……。ゲルドさんの遺志を無駄にしたくはありませんが、どうするべきか……」
エルザが大剣を使っている以上、ここでジンが同じ種類の武器に換えるメリットは少ない。自分が認めるエルザが使うのであればゲルドの遺志を違える事にはならないとジンは考えたが、エルザはあくまでジンが受け継いだものとして承知しなかった。かと言ってこのまま死蔵するのは問題外の選択だと、ジンは大剣をどう扱うべきか悩んでしまう。
だが、ガンツが軽く言い放った。
「グレイブに打ち直せばいいじゃないか」
「は?」
既に出来上がっている大剣を全く違うグレイブに打ち直すと言われ、ジンは思わず気が抜けた返事をしてしまった。
「ははっ。おいおい、ジン。お前も少しは鍛冶を学んだだろ? 魔力の性質を持つと聞いて何かピンと来ないか?」
「(鍛冶? 魔力の性質を持つ金属……物……素材?!)」
ジンはすぐに思い当たった。
「……ああっ! 魔獣素材と一緒だ!」
そう、魔獣素材は言ってみれば『魔鋼』と近い性質を持つ。魔力を帯びた皮や甲殻が魔獣素材だ。魔力を帯びているから強く、そして『鍛冶魔法』が効き易いのだ。
「そういうことだ。魔力を帯びた素材だからこそ『鍛冶魔法』が最大限に活用できる。ただ、魔力が馴染むのに結構な時間がかかると思うし、ちょいと技術もいる。だが、俺に任せてくれればキッチリ仕上げて見せるぜ!」
滅多にない素材を前にして、ガンツは張り切ってそう請け負った。
武具の形を一から変える事は、いくら鍛冶魔法の助けがあっても簡単な事ではない。しかしガンツはゲルドという人物の想いを無にしない為にも、必ずやり遂げる気だった。
「宜しくお願いします!」
ガンツの提案はジンにとって願ってもないものだった。ジンはこれでゲルドの遺志を無にする事もなく、そして自分の罪と誇りを忘れずにいられると考えていた。
こうしてゲルドの大剣は姿を変え、グレイブとして甦る事になった。だが、その姿をジンの前に見せるのは、まだしばらくの時間を必要としていた。
一日遅れですみません。
予定より話が進みませんでしたが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
また、いつも感想や評価をありがとうございます。
誤字修正の報告でしか返信は返せていませんが、いつも楽しみにさせていただいております。
宜しければ今後ともどうぞ宜しくお願いします。
次回は9日か10日を目処に頑張ります。
ありがとうございました。