独りじゃない
昨日の宴から開けて翌日、早朝の人気がない時間帯にジン達はゲルドの葬儀に立ち会った。
葬儀はゲルドが盗賊に堕ちた事もあって目立たないように行われ、その墓に名は刻まれていない。しかし、そこにはゲルドの遺体と共に、ゲルドの持物の中にあった『怒りの巨人』のメンバーの遺品と思われる品々が納められている。名を遺す事は出来なかったが、それでもそこがゲルドの墓だった。
「それじゃあ、そろそろ行くよ」
葬儀を終え、街中まで移動したジンは『巨人の両腕』の面々にそう声を掛ける。やるべき事を終えたジン達はこの街を出発しようとしていた。
「ああ、色々世話になった。ありがとう」
ヒギンズが答え、それに続いて他の面々もそれぞれ別れの挨拶を交わす。短い間ではあったが、生死を共にした絆のようなものがそこにはあった。
「ありがとうございました。皆さんのこれからのご活躍もお祈りしています」
「此方こそ色々とありがとうございました。ベッソさんもお元気で」
葬儀にも参加していた男性ギルド職員、ベッソもジンと別れの挨拶を交わす。始まりは通信の取次ぎだったが、こうしてゲルドの葬儀の手配など、ベッソには色々とお世話になった。あの時もしゲルドの情報をもらっていなかったら、今ここにこうしている事も出来なかっただろう。ジンはこれまでの礼も含め、深く頭を下げた。
他の男達も自然とジンの周りに集まり、それぞれの形で別れを惜しんだ。その中でもザックはいつものどこか軽い印象は鳴りを潜め、昨日の事もあってか真剣な様子だ。
「ちゃんと誓いは守るよ。さっきゲルドさんにもそう誓ったしな」
ザックがそう言って拳を突き出す。
「おう」
ジンも笑って同じ様に拳を突き出し、お互いの拳をぶつけ合った。
一方少し離れた所では、何やら昨日の宴で急速に仲が良くなった女性陣が抱き合って別れを惜しんでいる。その理由はジンには見当もつかなかったが、それが同じ恋愛がらみで悩みを抱える女性同士の連帯感ゆえだという事は、分かる人には分かる話だろう。メリーは勿論、アシュリーだってお年頃の娘さんだったのだ。
そうしてそれぞれが別れを惜しみつつ、いよいよジン達がこの街を離れる時が来た。
「じゃあ行くよ」
ジンが馬車の御者台に座り、アリア達も馬車へ乗り込む。
「ああ、気をつけて行けよ」「またね」「また」
見送るザック達が最後の別れの言葉を口にするが、それは今生の別れではない。何時かまた会おうという、再会の挨拶だ。
「また会おう!」
ジンも大きな声で別れを告げ、そして馬車は走り出す。
見送る方も見送られる方も共に一抹の寂しさは感じていたが、その目に涙はない。
同じ冒険者なのだから、いつかまた道が交わる事もあるだろう。ジンは笑顔で馬車を走らせていた。
トロンの街を発った馬車は、街道を通らずに真っ直ぐリエンツの街を目指す。時々魔獣の襲撃はあるものの、特に問題なくその襲撃を退けて馬車は進み続けた。
トロンの街からリエンツの街までは、おおよそ4~5日といったところだ。行きと同じく日没と共に野営をし、日が昇ると馬車を走らせている。ただ、少しだけ違うのは、野営の準備を始めるのが行きの時より1時間ほど早い事だ。その早まった1時間は、周囲に人気のない事を利用して自主訓練の時間に充てている。
もちろん昼間の馬車での時間も無駄にしていない。
エルザやジンが主になって話す近接戦闘の心得や、アリアによる魔法の使い方や詠唱短縮の練習方法にレイチェルによる回復魔法講座など、それぞれの得意分野やスキルについて互いに教えあっている。今はアリアの立場に配慮して詳細なスキル構成こそ明かしていないが、お互いに自分の経験や知識は惜しみなく出し合い、各自のスキルアップに努めていた。
リエンツの街まであと2日となった今日も、ジン達の訓練は行われている。
アリアとレイチェルが見守る中、エルザの大剣から繰り出される猛攻をジンが捌き続けていた。
やる方が真剣なのは勿論だが、見る方もまた真剣だ。一つの動作も見逃すまいと、集中している様子が見て取れた。
「そこまで!」
ジンの号令と共にエルザの攻撃が止まる。エルザは荒い呼吸を整えつつ、悔しげに唸った。
「う~。やっぱ悔しいな。全然攻撃が当たらない」
「ははは」
エルザの発言に乾いた笑い声で返すジン。訓練用の木製武器などは持っていないので、使用しているのは以前使っていた鋼鉄製の武器だ。いくら傷つかない体とは言え、当たったらとんでもなく痛いので攻撃を喰らうのは遠慮したいジンだった。
「アリアとレイチェルもどうだった?」
ジンは見ていた二人に尋ねる。
「はい。大分見えるようになってきました」
「私も同じくです」
アリアに続き、レイチェルもそう答えた。
この訓練はトロンの街を出てからずっと繰り返されてきている。目的は『足捌き』『受け流し』『武器防御』『見切り』『回避』などの守備系スキルの習得だ。このうち『武器防御』と『見切り』はゲルドとの戦いの中で習得したスキルだ。この他にも『精神耐性』『槍剣術』『格闘』といった新しいスキルを習得している。
では何故ジンがこれらの守備系スキルを選んだのか。実は前衛のエルザさえ、これらの守備系スキルを一つも覚えていなかったのだ。
それはこれまでの魔獣戦闘において、苦戦する事が少なかった事の裏返しかもしれない。エルザは獣人の中でも恵まれた身体能力と、かつてのパートナーであった魔術師のシーリンの存在が大きかっただろう。アリアは元々魔法がメインという事もあったし、レイチェルにいたってはジンと共に冒険するようになってから、武器を振るった回数自体が少なかった。そうしたパーティメンバーの状況に危機感を覚えたジンが、生存率を上げる為に最優先で習得すべきスキルとして守備スキルを挙げたのは当然の流れだろう。
だが、残念ながらジンは元々は運動音痴のインドア派だ。アクション映画や武術は好きだったが、残念ながら理論にはあまり詳しくない。だからまずはジンがどうやって攻撃を捌いているかを見てもらい、次にそれを実践してもらっているのだ。
さっきはエルザが攻撃役だったが、今度はアリアでその次はレイチェルの番だ。万一攻撃が当たってしまう事を考えて、受け手はすべてジンだ。そして木製の武器がジンの木剣しかない都合上、エルザ達が攻撃を捌く練習をする時の攻撃役もジン一択だ。見稽古をしている二人も気を抜いていないとは言え、かなりジンの負担が大きい訓練だ。しかもジンの木剣は、実は打撃武器としてかなりの高性能を誇る事もあって扱いには神経を使うのだ。だが、これはこれでジンの訓練にもなって有意義ではあった。
こうして集中した約一時間の訓練が終わり、次は楽しい夕食の時間だ。ジンが作った料理を皆でつつき、たわいのない会話を楽しんだ。
だがこれで一日が終わる訳ではない。休憩後に訓練が再開される。
レイチェルはアリアに習った『詠唱短縮』の練習を、アリアは『基礎魔法』の出力を調整する事で『魔力操作』習得の練習に入るのだ。一方ジンとエルザは、比較的明るい焚き火の近くで再度守備系スキル習得の為に訓練だ。特に前衛であるエルザには早急に必要になるスキルということもあり、少々の暗闇は気にせずに行われていた。
そして、これらの訓練を終えてようやく就寝となる。今夜は先にアリアとレイチェルが休み、ジンとエルザが前半の見張り役となった。
静寂な空気に包まれる中、時々パチパチと音を立てながら焚き火が燃える。その焚き火を挟むようにして、ジンとエルザは向かい合って座っていた。
遠くの方でかすかに虫の声が聞こえるが、近くで聞こえないのはジンが所持している『虫殺し』のスキルのせいだろう。こうした野営につきものの虫に悩まされる事がないのは嬉しいが、若干風情に欠けるなとジンは独り苦笑した。
「なんだよ、ジン。何思い出し笑いしてるんだ?」
そんなジンの様子にエルザがつっ込む。
「いや、そんなんじゃないよ。ちょっとね」
見られていたのかと、気恥ずかしく思いながらジンがごまかす。既にこのスキルについては話してあったが、だからと言ってわざわざ説明するのも無粋な気がしたのだ。
しかし虫の鳴く声も良いが、満天の星の下でかすかに響く焚き火の音も悪くない。素直にそう思ったジンは、それ以上何も言わなかった。
「ふっ、まあいいか」
エルザも笑って流し、また静かな時間が訪れる。再び焚き火の音だけが響き、しばらく二人だけでその音楽を鑑賞する贅沢を味わっていた。
「なあ、ジン」
長く心地良い沈黙がしばらく続いた後、ふと思いついたようにエルザがジンに話しかける。だが、エルザの視線はジンではなく焚き火を見つめたままだ。
「ん?」
「私はさ、……強くなれるかな?」
ジンが聞いたエルザの声は、ただひたすらに静かだった。
「ジンは凄い力を持っているよな。それは分かってる。でもジンだけじゃない。アリアさんは『詠唱短縮』が使えるし、レイチェルは『加護持ち』だ」
エルザはそこで一呼吸置く。その視線は変わらず焚き火に固定されていた。
「……でも私には何もない」
エルザは静かにそう呟くと、再び沈黙した。
エルザにとって、それは単なる事実だった。自分にはない、希少なものを持つ三人。だが、それはそれで頼もしい仲間だし、負けずに頑張ろうとずっと思っていた。ゲルドの強さを目の当たりにし、何も出来なかった事で挫けそうになったが、それでもジンと一緒に、皆と一緒に強くなろうと思った。
ずっとずっと、今の今までそう思ってきたエルザだったが、この静謐な空気が心の奥底にあった不安をこぼさせたのだろう。
だが、それは決して悪い事ではない。弱音をこぼすという行為も、時には必要な場合もあるのだ。
「そうか……」
ジンは一言だけ呟くとおもむろに立ち上がり、そのままエルザの真後ろに移動した。
「な?」「お邪魔しますよ~」
ジンはうろたえるエルザに構わず、エルザと背中合わせになるように座った。
「お、おい」「ん~やっぱ鎧があるからイマイチだな」
エルザは再び文句をつけようとするが、それを無視する形でジンは体を背後のエルザに預ける。
何気ない風を装っているが、ジンは内心ドキドキだ。
「おい、ジン!」「なあ、エルザ」「……ふぅーっ」
さすがに声を荒げようとしたエルザだったが、まったく意に介した様子を見せないジンの呼びかけに毒気を抜かれてしまう。エルザは大きくため息をつくと、諦めて体の力を抜いた。その体勢は腰の辺りから頭まで、お互いに軽く寄りかかっているような形だ。
ジンが何を考えてこうしたのかはエルザには分からなかったが、少し落ち着くとジンと密着しているという現状に気付いた。
「なんだ」
その照れくささを誤魔化す為か、答えるエルザの声は必要以上にぶっきらぼうなものに聞こえた。
「大丈夫だよ」
エルザの不安に対して、ジンが出した答えがこれだった。エルザのすぐ傍で聞こえるその声は、エルザの不安など何でもないことの様にいつも通り自然で、いつも通り優しかった。
「エルザなら大丈夫。皆もいるし、俺もいるしね」
ジンは方便ではなく、心底そう思っていた。
確かに自分が持つ才能スキルは規格外のものだし、レイチェルの加護やアリアの希少スキルである『詠唱短縮』も珍しいものだろう。現状ではアリアが一歩先んじていると思うが、それでもジンはエルザの能力が劣っていると感じた事はない。ジンはエルザにもレイチェル達と同じ様な何か光るものを感じていた。
それにそれがもしジンの気のせいだとしても、ジンがここでいう言葉は変わらない。だとしても、エルザは独りではないのだ。自分と一緒に、皆と一緒に強くなればいいだけの話だからだ。
確かに才能というのはある意味残酷だ。特にこの世界においてはそうだろう。
元の世界で挫折も経験し、自らの才能の無さに嘆いた経験を持つジンだったからこそ、エルザが抱えている不安がどんなものかは容易に想像がつく。その不安を払拭する為に、ここで万の言葉を費やして安心させる事も不可能ではないかもしれない。しかし、ジンにそんな事をするつもりは無かった。
「良く弱音を吐き出せた」「独りで抱え込む必要は無い」「俺はエルザが強くなれると信じてる」「一緒に頑張ろう」その他、色々な言いたい言葉を飲み込んでジンはただ「大丈夫、独りではない」とだけエルザに伝えたかった。
こうしてジンから発せられた言葉が、背中に感じる重さと体温と一緒にエルザの心と体に染み込んでいく。だからと言って完全に不安が消える事はないだろうが、その小さくなった不安を抱えた上で負けなければいいのだ。
「本当に大丈夫かな?」
エルザがジンに確認するが、既にその声に不安の色は薄い。
「大丈夫」
ジンの答えが更にエルザの不安を薄くし、逆に安心を与えていく。
「本当に?」
「本当に」
「本当にほんと?」
「本当にほんと!」
まるで言葉遊びのように問答は続けられ、自然と二人の顔は笑顔になっていく。背中合わせなのでお互いの顔は見えないが、二人は声や雰囲気でそれを感じていた。
「本当に本当にほんと?」
「本当に本当に本当に、ほんと~に、ほんと!」
最後に大きくジンが断言し、そして次の瞬間にはお互い同時に吹き出した。
「「ぷふっつ」」
そして二人は肩を震わせて笑い、その笑い声が星空の下で響き渡る。その声は決して大きくは無かったが、背中越しに聞こえるお互いの声は良く響いた。
こうしてひとしきり笑った後、ジンは最後に一言だけ言葉を付け加えた。
「独りじゃないって、凄い事なんだよ?」
「ああ!」
エルザは笑顔で力強く答えたが、そこにもう不安の色は見えなかった。
お待たせしました。
若干予定がずれましたが、次回はほぼ頭からリエンツの予定です。
次回は19日前後の予定です。
ありがとうございました。