明日を待つ
「ありがとうございました。明日もまた宜しくお願いします」
一階に戻ってきたジン達は、そう言って男性職員に別れを告げる。とりあえず明日の午前11時くらいまでは自由時間だ。やるべき事は全てやったので、後は焦らず待つしかない。
「むう? 腹が減ったな」
明日の通信を待たなければ確定ではないとは言え、一仕事終えた安心感があったのだろう。
ジンは忘れていた空腹感を覚え、お腹をさすりながら言った。
時刻はまだ三時にもなっていないが、ここまで急いでいた為に休憩は最小限しかとっておらず、まだ昼食をとっていなかったのだ。
「どこかで昼飯を食ってから、宿を取るか?」
「そうだね。どっかいいところがないか、訊いてみようか?」
エルザの問いにジンが答えたところで、聞き覚えのある声が再びジンの鼓膜を叩く。
「ここで食えばいいじゃねえか。なあ?」
そこには通信前にジンに絡んで来た、ギルド職員からザックと呼ばれた男がいた。
待ってたぞと言わんばかりの、ニヤニヤ笑いだ。
「こんにちは。ザックさんでよろしいですか? ここの食堂は美味しいんですか?」
だが、そんなザックに対して、ジンはにこやかに返事を返す。最初の時とは状況が違い、通信を終えた今なら相手をする余裕もあるのだ。
「お、おう。ここは安くて美味いぞ」
そんなジンの反応に毒気を抜かれたのか、ザックは普通にジンの質問に答えてしまっていた。
「安くて美味いはいいですね。皆もここでいいかな?」
「ああ、いいぞ」
エルザが代表して答えるが、アリアやレイチェルも苦笑いで了承する。正直に言えば絡んでくる酔っ払いが居るところは願い下げなのだが、こういう対応をするからジンなのだという気もするのだ。
大分ジンに毒され……慣れてきたということなのだろう。
「ちなみにお薦めとかとかありますか?」
「あ、ああ。俺は鳥腿肉の丸焼きが好物だな。皮目がパリッと香ばしくて、中は肉汁たっぷりで美味いぞ」
ザックは絡む気満々だったのだが、普通に話してくるジンのペースに巻き込まれてしまっている。
「おお、それは美味しそうですね。ありがとうございます、早速注文して食べてみますね。では、失礼します」
「お、おう」
そうしてジン達は別のテーブルへと移動した。最後までジンのペースに巻き込まれっぱなしのザックだったが、彼も首をかしげながら再び仲間達のいるテーブルに戻った。
いくら酔っ払いといえども、普通に会話してしまった後に難癖付け直すのは簡単ではない。無論そこに悪意があれば話は別だが、幸いな事にザックはそういうタイプの人間ではなかった。
ジンがそれを分かってこういう対応をしたのか、それとも単なる天然なのか。だが、いずれにせよジン達は、その後絡まれる事は無かった。
ザックお薦めの丸焼きは、香辛料をたっぷりとすり込んだ骨付きの鳥腿肉をフライパンでしっかりと皮目を焼いた後、仕上げにオーブンでじっくり焼いて香ばしく仕上げた一品だった。
鳥から出た油が香辛料と混じり、それがソースとしてかけられて確かに美味い。ジン達は一杯だけビールを注文し、とりあえずの祝杯を挙げた。
こうしてジン達は鳥腿肉の丸焼きを始めとした美味しい料理に舌鼓を打ち、久しぶりの開放感を満喫していた。
「ザックさん、お薦め美味しかったです。ありがとうございました。では皆さん、お先に失礼します」
食事を終えたジンはザックとその仲間達にお礼と別れを告げ、それからギルドを出た。
ザックのみならず、同じテーブルにいた彼の仲間たちも奇妙な顔で反応を返したが、それは無理の無い事かもしれない。
ギルドを出たジン達は近くの宿屋に部屋を取り、貴重品類をジンが『無限収納』に預かった上で公衆浴場に向かった。
風呂の後はしばらく自由行動で、夕方にジンの部屋で合流してミーティングを行う予定だ。
旅の汗を流し、湯船に肩までじっくり浸かりながらジンは独り言をこぼす。
「ちゃんと話さないとな……」
ジンは両手で湯をすくって顔を洗う。だが、いくら顔を洗ったところで、そこから僅かな不安の色を消す事は出来なかった。
ペルグリューンとの応対では、ジンは自分の『祝福』など全てを正直に語った。
それは相手が自分より上位の存在であり、戦っても勝てないという事実から生じた対処法ではない。
寧ろ知らなかったとは言え、番人の役目をしていた魔獣を倒してしまったのはジン達だ。にもかかわらず理性的に接してくる相手に対し、そんな攻撃的なことをジンが考えるはずもない。
ペルグリューンに対し誠意を持って対応する事は、ジンにとっては自然で、ごく当たり前の行動だった。
だからジンは秘密を暴露したとは言え、自分がとった行動を後悔してはいない。あの時の自分の選択が100点とも思わないが、仮にやり直せたとしてもジンは同じ行動をとるだろう。
しかし、自分の傷つかない体というものが、『無限収納』や『地図』以上に異質なものである事はジンも自覚していた。
ペルグリューンと別れた後、ジンは自分の『祝福』などについてアリア達に話さなかった。
問われなかったという事もあるが、まずは魔力病の解決を優先するという事で、彼女達には落ち着いたら話すと自ら伝えたのだ。
その事に文句も言わず、これまで通り接してくれている彼女達にジンは感謝していた。彼女達なら、全てを話しても受け入れてくれるのではないかという、確信に近い期待もある。
しかし、どうしても一抹の不安は拭えなかったのだ。
だが、いつまでも先延ばしにしていい事でもない。
誠意には誠意で、信頼には信頼で応える。
ジンは今日のミーティングで、全てを話すつもりだった。
アリア達との待ち合わせは夕方で、まだまだ時間がある。公衆浴場を出たジンは、ぶらぶらしながらトロンの街を見物する事にした。
既に気持ちの整理はついており、ジンにはそうするだけの余裕が出来ていた。
このトロンの街にも大通りが存在し、リエンツ同様に屋台が立ち並んで活気がある。そこまで遠方という距離にある街では無い為か、リエンツの街と建築様式や食生活等に明確な違いは見受けられない。
それでもジンにとっては、いつも慣れ親しんだリエンツの街とは違う風景だ。それは新鮮で楽しいという感覚だが、それでいて少しだけリエンツの街を懐かしく想ってしまう。
この世界に来て故郷を遠く離れた身だが、どうやら自分はリエンツの街に馴染んだらしいと、ジンは嬉しさと同時に一抹の寂寥感を覚えた。
「「「ジン(さん)」」」
そう呼びかけられてジンが振り向くと、此方へ小走りに向かってくるアリア達三人の姿があった。
「あはは。ここで一緒になるとはな」
ジンが少しだけ感じていた寂しさが、皆の登場で一気にかき消される。
「ふふふ、そうですね。ジンさんの姿が見えたので、何か皆で走っちゃいました」
そう言って控えめに笑うアリアだったが、エルザやレイチェルも同様に笑顔だ。
「せっかくだから、皆で見物でもしないか?」
そのジンの提案に三人が乗らないはずもなく、その後ジン達は全員で街を見物して回った。
それはジンに改めて自分は一人ではないと感じさせ、今日もジンは心の中で感謝を捧げた。
そうして楽しく街を見物した後、日が落ち始めた夕方頃にジン達は宿へと戻った。
昼食が遅かった事もあって事前に宿での夕食はキャンセルしていたが、部屋でつまむちょっとした食べ物や飲み物等は、見物中に既に購入済みだ。
それぞれの部屋に荷物を置いた後、改めて全員がジンの部屋に集合した。
本来はベッドと小さなテーブルと椅子があったジンの部屋だが、今はそれらは『無限収納』に収められており、その姿は見えない。
あるのは同じく『無限収納』から取り出された四人掛けのテーブルと椅子で、その上には先程購入した出来立ての状態の食べ物や飲み物が載せられている。
そんなまるでレストランの個室のようなシチュエーションで、ジン達のミーティングは始まった。
しばらくは雑談をしながら食事をつまみ、皆でこれまでの労をねぎらう。
ギルドの食堂では他人の耳があるので話せなかったが、今はちゃんと安全を確認しているので話せる事も多い。それでも用心して『滅魔薬』などの肝心な言葉は伏せているとは言え、一応の報告を終えた今だからこそ笑って話せるというものだった。
そうして和やかに時は進み、買ってきた食べ物も残り少なくなった。そろそろ頃合と見たジンは、肝心の話をしようと姿勢を正して話し始める。
「明日の確認を待たなければならないとは言え、今回の件については一応解決したと言っても良いと思う。それで遅くなったけど、俺の秘密について話そうと「ジンさん」……」
話し始めたジンの言葉を遮ったのは、アリアだ。
「その話をするのは、もう少し待っていただけないでしょうか」
「え?」
「これはエルザさんやレイチェルさんにもお話して了解を得ているのですが、現在の私の立場はギルド職員というものです。残念な事に、お二人の様に完全なジンさんの仲間という訳ではありません」
こうしてアリアが話す事を、エルザやレイチェルは黙って聞いている。これまでも個別に話す機会はあったが、三人だけで話す機会はそう多くはなかった。
つい先程のお風呂がその久しぶりの機会で、そこでアリアは二人に自分の気持や考えを告白したのだ。それは今回のジンの秘密に関連するものだけではなく、アリアがジンに対して感じている好意も含んだものだった。
お風呂の中というお互いに無防備な状態だった為か、アリアの気持はダイレクトに二人に伝わった。
そうしてエルザやレイチェルはアリアの気持を受け入れ、今こうしてアリアが話している事を応援しているのだ。
一方、ジンは少し混乱していた。
確かにアリアがギルド職員だからこそ、ジン達がこうして試験の名目でここまで来る事が出来たのは事実だ。
気持的なことを別にすれば、確かに現在のアリアは冒険者ですらないし、ジンの正式な仲間とも言えない。
当たり前といえば当たり前の事なのだが、なぜかジンはショックを感じていた。
「あくまでも現在の立場は、という事です」
黙りこんだジンを不安に思ったのか少し勢い込んでアリアが言うと、その言葉に反応したジンが顔をあげてアリアを見つめる。
「ジンさん、私はリエンツの街に帰ったらギルド職員を辞めるつもりです」
「?!」
思わず反応するジンを片手を挙げて制し、アリアは一度大きく深呼吸して言葉をつなげる。
「その後は冒険者に復帰し、出来ればジンさんのパーティに正式に加入させていただきたいのです」
ようやく言えたと、自然にアリアは顔をほころばせ、エルザやレイチェルも緊張を解く。
何度か生死を共にして気心も知れており、気持ち的にはずっと前から仲間だったのだ。
それなのに、ジンだけがそう感じていないという筈も無い。
「それは嬉しいです。というか、言われるまでそうでない事を忘れていました」
だからジンの答えは当然とも言えるが、それでもそれはアリアにとって嬉しい言葉だった。
「ありがとうございます。ギルド職員の立場のままでは、ジンさんの話を聞く資格はないと思ったのです。こうして正式に仲間になるという承認も得られましたし、お話を聞くのはリエンツに戻った後。私がギルドを辞め、正式にジンさんの仲間になってからでお願いできますでしょうか」
なるほどそう言うことかと、ジンは納得がいった。
元々老人だったジンには、当然社会人の経験がある。その経験から言うと、組織に所属するという事は、時として個人の感情より組織の利益を優先しなければならない事もあるものだ。
軽いところで言えば、製造日が古い消費期限が近いものから売っていくようなものだ。いくら個人的に長持ちする商品を売りたいと思っても、消費期限間近となれば価値が激減する事を考えると、組織に属する者としてはそんな事は出来ないという事だ。
少しひどくなると納期や決算時期に間に合わないからと、バグだらけだったり、作りこみが足りない未完成の状態で発売されたゲームの例もあった。
こうした考えがいき過ぎると、組織ぐるみの隠蔽やだまし等の犯罪行為になるが、そこまでいかなくても似たような話は枚挙に遑が無い。
こう考えると、アリアが危惧している事も想像がつく。
現在のアリアの立場では、上にジンの情報を求められた場合にそれを断る事は簡単ではない。少なくとも、これが普通のケースならばそうだろう。
正当な理由があれば話は別だが、残念ながら個人の権利を守る為というのは理由としては弱い。特にこの世界ではそうだろうと、ジンは冷静に判断する。
勿論、組織人として以前に、人としてどうかというのが第一に来なければならないのは間違いない事だ。
今回の場合も上司であるグレッグはそんな事は聞かないだろうし、アリアもジンの情報を漏らすようなことはしないだろう。
もとより現在の自分が自由に生きていけているのは、秘密の一端を知っても変わらない周りの人間のおかげだとジンは思っている。
しかし、それでも現在のギルド職員としての立場では、ジンの秘密を聞く事は出来ないというアリアの考えにジンは納得したのだ。
「わかりました。エルザやレイチェルもそれでいいんだね?」
「ああ、私達も納得済みだ」
ジンの問い掛けにエルザが答え、それにレイチェルが続く。
「だから早く帰って、私達と一緒に正式なパーティ登録をしましょうね」
そのレイチェルの言葉に、ジンは抜けていた事に気付かされた。
確かにパーティとして活動するようになってしばらく経つが、登録としては各自まだソロの冒険者のままだ。
「ああ、そう言えばそうだったね。気付かなくてごめんよ。それじゃあ、アリアさんもリエンツの街に帰ったら宜しくお願いします」
自分は気が利かないなとジンは苦笑いで頭をかいて二人に謝り、アリアにも別の意味で頭を下げた。
「はい。こちらこそ宜しくお願いします。それでその時は、私にもエルザさん達と同じ口調で話してくださいね」
そうアリアに笑顔で返され、再びジンは頭をかいた。
ずっと敬語だったので慣れてしまっているが、それがアリアの希望なら応えないわけにもいかない。
「はい、その時はそうします」
ジンも笑顔で返し、こうしてリエンツの街に帰った後にアリアが正式にパーティの一員となる事が決まったのだった。
だが、話はそこで終わらなかった。
「それでジンさん、それとは別件で少しだけお話があります」
アリアは笑顔のまま、ジンにそう切り出す。
その顔は変わらず薄く笑ったままなのだが、ジンは何故か少し寒気を感じた。ふとエルザ達を見ると、アリアと同様に笑顔でも目が笑っていない。
「「「お説教だ(です)」」」
三人の口から同時に発せられた言葉の通り、それからジンはお説教を受けた。
それはジンが山で『地図』を3Dで表示した事に端を発したものだったが、それ以前のジンのスキルの使い方や見せ方について等、色々と鬱憤が溜まっていたのだろう。
そうして三人から交互にお説教を受けるジンだったが、これも自分の事を気遣っての事だとありがたく受け入れていた。
それはお互いが心を許し、相手を認めているからこそ言える事であり、受け入れる事が出来るものなのだろう。
アリア達三人は「まったくしょうがないなと」ジンを苦笑して受け入れた上で説教をし、説教を受けるジンもそれをアドバイスや助言と捉えているのでありがたく拝聴している。
そこに険悪な雰囲気はなく、寧ろ少し楽しそうな雰囲気すら感じられた。
もしこの光景を傍から見る者がいれば、それはお説教というより、何処かじゃれあっているように見えたかもしれない。
こうしてジン達は仲間としての絆を強め、最後は皆笑顔で「おやすみ」を言って部屋に戻っていった。
そして明日はいい報告を聞けると信じ、今日という一日を終えたのだった。
ぎりぎり二日遅れとなりました。お待たせして申し訳ありません。
次回も同じ様な感じかもしれません。
早くて三日後くらいを目安にお考え下さい。
ありがとうございました。