旅の空の下
お待たせしました。
「よし、それじゃあ今日はこの辺で野営しようか」
ジンは馬車のスピードを緩めつつ、メンバーにそう話しかける。
現在ジンの〔MAP〕に敵の反応はなく、日も落ちてだんだんと薄暗くなってきていた。
車のヘッドライトのような強力な光源がない為、これ以上馬車を走らせる事は危険なので出来ない。光魔法でも使えたならば、夜の闇の中でも馬車を進めることも可能だったかもしれないが、そうで無い現状ではこれが限界なのだ。
ジンはメンバーの了承を得て馬車を止めると、御者席から地面へと降りる。
「くああーっつ」
奇声を上げながら、大きく背伸びをして体を伸ばすジン。
途中、休憩や魔獣との遭遇戦等で馬車から降りる事は何度かあっても、やはり慣れない馬車の旅は堪えるのだ。
「はははっ。親父くさいぞ、ジン」
そんなジンの様子を見て、エルザが大きな声で笑う。
レイチェルやアリアも口元に手をあて、くすくすと笑っているようだ。
「あははは」
ジンが「親父どころか元爺なんだけどね」と、少し微妙な笑顔になってしまったのは致し方ないことだろう。
ジン達がリエンツの街を出て、今日で三日目になっていた。
途中休憩を挟みつつ、こうして暗くなるギリギリまで馬車を走らせ、翌日早朝の少し明るくなったぐらいで出発する。
そうしてジン達は可能な限り馬車を走らせ、これまで先を急いで来ていた。
途中魔獣との遭遇戦こそあったものの、それ以外は特にトラブルもなく此処まで来れている。その遭遇戦も、逆にアリアとの連携確認がとれたという意味では、かえって良かったくらいだ。
同じ釜の飯を食った仲と言う訳でも無いだろうが、アリアはジン達パーティの一員として大分馴染んできたようだ。
だが、それでも未だアリアが敬語をやめないのは、ギルド職員としての公の部分を意識しての事だろう。
「それじゃあ、俺はトイレの用意をしてくるから、馬の世話と野営の準備を頼むよ」
ジンはそう言うと『無限収納』の中からいくつもの道具を取り出し、次々と地面に積み上げていく。それはブラシや桶等の馬の世話用の道具だけでなく、薪や椅子等の野営グッズ他様々だ。
中には普通ならかさばって旅には持ってこない物もあるが、ジンの『無限収納』のおかげで何の問題もなく其処に存在していた。
そうして道具を出した後、ジンは少し離れた風下に移動すると『アース』の魔法で深めの穴を掘り、その周りを衝立で囲った。
その衝立はロの字型で周囲をすっぽりと囲う形をしており、背面だけはしゃがむと隠れるくらいの高さがあるが、横と前は視線を遮らない様にと高さは低めだ。
横や前から見た場合、しゃがんだ顔の部分が見えてしまうが、念のため周囲を警戒しなければならないという理由からわざとそうしている。
用を足した後は小型のスコップで土をかぶせるだけの簡易トイレだが、女性陣の評判は上々だ。
通常は衝立などなく野外で済ませるものだが、女性にそれは辛かろうと、旅に出てすぐにジンが作ったものだ。
ジンが念のため『無限収納』に入れておいた修理用の木の板や金具などが、別な用途で役に立った形だ。
そうしてジンがトイレの設置を済ませて戻った時には、野営の準備は既に完了していた。
焚き火や椅子等のセッティングだけでなく、グレッグがギルド長として特別に貸与した簡易結界装置も既に作動済みだ。
野営の準備を終えた三人は馬の汗を拭いたりブラシをかけるなど、今は手分けして馬の世話をしている。
その馬は一般的にイメージするサラブレットの姿ではなく、足や体も一回り大きい姿だ。イメージとしては、北海道のばんえい競馬で活躍するばん馬が近い。
その大きな二頭の馬は窮屈な馬車から解放され、その手綱は地面に打ち付けられた杭へと繋がっている。
此処まで頑張ってきた労をねぎらわれ、気持ち良さそうに女性陣から世話を受けていた。
ジンはその様子に目を細めると、自分は今日の夕飯づくりを始める事にした。
ジンの『無限収納』の中には街で購入した完成済みの食事がいくつも存在するが、これは緊急時用として取っておく事にしており、基本的には毎回ジンが食事を作っている。
新しくパーティに参加したアリアだが、彼女も料理は不得手であった為、食事担当は変わっていない。ただ、それはジンにとっても望むところだった。
ジンが食事を作っている間は、三人は馬達の世話の続きと食事の準備だ。勿論それは野菜をそのまま食べさせるだけという意味だが、むしろそれだから問題ないのだ。
ジンは調理台の上に置いたお手製のコンロに火をつける。それはコンロと言っても単に形が似ているだけで、それ自体に発火機能はない。火をつけると言っても、『ファイア』の呪文でサークル状に青い炎を発生させただけだ。
しかし、それだけでもフライパンや鍋を火にかけながら別に作業が出来るので、野外調理では結構重宝しているのだ。
ジンは鍋に作り置きしておいた魚介スープを入れ、水を少し追加してから火にかける。その後は切った野菜やバターで炒めた猪肉も一緒に入れ、最後に味噌を溶かせば豚汁(猪汁?)の完成だ。
バターが入っているので微妙に洋風の味にも感じられ、パンにも合うだろう。
もう一つのコンロでは塩コショウした薄切りの牛肉を炒め、最後に醤油を少量入れて仕上げた。
出来た料理はそれぞれ別の器に盛り、パンと共に四人がけのテーブルに並べたら完成だ。
せめて配膳くらいは手伝おうと、料理は女性陣が手分けしてテーブルに運んでいた。
「では、いただきます」
「「「いただきます」」」
そうして四人が席に着き、ジンの号令で食事が始まった。
本来は警戒して二人ずつに分けて食事をとるべきだが、ジンの『地図』による警戒と各自が気を抜きすぎないという前提で、四人全員で食事をとるようにしている。
こうして四人一緒に食事をとることで、単に親睦を深めるというだけではなく、旅のストレス軽減にも役立っているのではないかとジンは考えている。
美味しい料理と会話を楽しみながら、ジン達は食事を堪能した。
「しかしようやく慣れてきましたが、やっぱり旅先でこういう食事がいただけるのは驚きです」
食後のお茶の時間に、クッキーを摘まみながらアリアがしみじみと言った。
冒険者の旅先での食事と言えば、良くて焚き火であぶったベーコンやチーズと、固いパンに薄いスープくらいだ。
それがまさか荒野のど真ん中で、椅子に座ってテーブルで食事をするような真似が出来るとは、想像すらしていなかった。しかも食後のお茶とお茶菓子付とは、どこの王侯貴族や大商人だという話だ。
「あー、まあ普通はそうなのかもしれませんね」
ジンとしてはもう1~2品用意したいところだったので物足りない気分だったが、旅先という事もあって抑えていたくらいだ。それに『無限収納』無しには出来なかった事も事実なので、確かに納得せざるを得ない。
ただ、事前に時間があれば毎食分を作り置きする事も可能なので、ジンは帰ったら今後のためにそうしようと思っていた。
「ふふっ。ジンさんは、これでもまだご不満の様ですね?」
レイチェルが、からかう様に言った。
レイチェルは幼い頃に元いた街からリエンツの街まで旅をしたが、その時でもこれほど食事が充実している事はなかった。それなのに「まだまだ、こんなものではない」とばかりに少し不満げな感情をジンから感じ取り、何だか可愛く思えて可笑しかったのだ。
「ジンは変なところで凝り性だからな。私達は今でも充分満足しているし、感謝してるぞ?」
エルザもレイチェルのからかいに乗っかりつつ、最後はちゃんと本心を伝える。
ジンと共に行動するようになってから、特に食事関係が充実しているのは事実なのだ。根が食いしん坊なところがあるエルザにとって、それはとても嬉しくてありがたい事だった。
「向上心が高いのは素晴らしい事ですが……。ふふっ。エルザさんやレイチェルさんも、贅沢な苦労をされていますね」
「アリアさんもそう思う? 嬉しいんだけど、ほんと自分が駄目にならないように何時も気をつけているよ」
「ええ、当たり前に思わないようにしないとですね」
アリアの言葉にエルザとレイチェルが答え、女性陣が何故か分かり合っている。
そのまま微笑を浮かべ、暖かい目で此方を見詰める三人にジンは戸惑いを隠せない。責められているのとは違うが、100%褒められているわけでもないようにジンには感じられた。
「ジンさんはそのままで良いんですよ。私達が気をつけますので」
最後にアリアがそう締め、エルザやレイチェルも同意して頷く。
「はあ、ありがとうございます」
ジンの疑問は解消したわけでは無いが、何となく此方を気遣ってくれているのだとジンは感じた。
少なくとも皆の好意を感じるので、とりあえずは良しとした。
「(女心はさっぱりわからん。深く考えない方が良いな)」
女心と一括りにして思考停止するところは、やはりジンは経験が足りない普通の男という事であろう。いや、むしろ年齢を重ねている分、余計たちが悪いのかもしれない。
ジンは軽く咳払いしてこの話題を終了させると、今後の予定へと話題を移した。
「明日はポピン村に寄って、宿に泊まろうと思ってる。少しペースを上げれば、たぶん夕方か夜には着くと思うしね」
ポピン村は、そこから目的地であるアポス村まで馬車で二日程かかる距離にある村だ。
ここまでの行程は順調に進んでおり、予定より少し早いペースで此処まで来れている。荷物が少ないので馬達の負担が少ないのも、その理由の一つだろう。
急いでいるために睡眠時間こそ少ないとは言え、普通の冒険者では考えられないほど快適な旅ではあるが、さすがに風呂には入る事は出来ない。お湯で体を拭くくらいしか出来ないのは、特に女性陣にはストレスが溜まることだろう。
だから久しぶりの風呂と柔らかいベッドで、メンバー全員のリフレッシュをしたいというジンの考えだ。
とは言っても、暗くなるまで馬車を走らせるのも、翌日早朝に出発するのも変わらない。ただ、急ぐ旅だからこそ、可能な限りベストなパフォーマンスを維持したいという事だ。
「タイミングも良いですし、賛成です」
「わあ、久しぶりにお風呂に入れそうですね」
旅のお目付け役とでも言うべきアリアが真っ先に賛成し、レイチェルが歓声をあげる。残るエルザも、もちろん嬉しそうだ。
「ポピン村を出た後は、まっすぐ目的地のアポス村に向おう。二日もあれば着くはずだからね」
そんな女性陣を微笑ましく思いながらも、ジンがその後の予定にも言及した。
「何ならポピン村に寄らなくても、全然問題ないぞ? ジンのおかげで不満はないからな。むしろ、ありがたいくらいだ」
いつも自分達の事を考えてくれるジンだからと、今度は逆にエルザがジンを気遣う。
これまで出来るだけ最短距離を進む為、ずっと街道を外れて旅をしてきた。
その分、魔獣に何度か遭遇こそしたが、ジンの『地図』のおかげで強敵と言うべき魔獣にはまだ遭っていない。
その上、食事や休憩だけでなく、トイレ等の細かい所にまでジンは配慮しているのだ。それは『無限収納』の前提があるとは言え、ジンがメンバーを気遣っているからこそ出来る事だ。
メンバーがジンに感謝こそすれ、不満など持とうはずが無い。逆にジンが無理をしていないか、心配なくらいなのだ。
「そうか。でも大丈夫。俺も風呂に入りたいからね」
女性陣の気遣いを感じ、ジンはそこでニッコリと笑う。そしてそのまま言葉を続けた。
「今日でアポス村まで後半分という所まで来た。明日の夜は少しだけ休憩するけど、気を抜かずにこれからも頑張ろう」
「おう」「「はい」」
そうして、楽しい夕食の時間は終了した。
夜の帳は完全に下り、地上の焚き火と天空の星達が僅かに辺りを照らしていた。
今日の見張りはジンとレイチェルが前半で、後半がアリアとエルザだ。
この三日はローテーションを組んでおり、ジンは初日はアリアと一緒で、二日目はエルザとのペアだった。
エルザとアリアは既に馬車の中で眠りについており、ジンとレイチェルは焚き火を前に、向かい合わせで地面に座っている状態だ。
ちなみに見張り当番の後はジンとレイチェルは同じ馬車の中で眠る事になるが、ジンはこれまでも年寄りモードをフルに活用する事で変な意識はしないようにしている。
それに二人きりとは言ってもそんな甘い雰囲気ではない事はジンは重々承知しているので、今日までの二日間も問題なく眠れている。
いろんな意味で朴念仁のジンに比べ、女性陣の方が睡眠時間が少し短めなのは致し方ないことだろう。
ともあれ甘い意味がほとんどないとは言え、レイチェルにとって久しぶりにジンと二人だけで過ごす時間だった。
「やっぱ凄い星空だねー」
ジンは満天の星空を見上げる。
大気汚染が著しい元の世界とは違い、この世界では街中でも綺麗な星空を見ることが出来た。だが周りに建物などの視界を遮るものがないこの場所では、まさに見渡す限りの星空だ。
ジンは、星の海の底にいるような錯覚さえ覚えていた。
「そうですね。こうして旅の中で見る星空は、圧倒されるほど綺麗です」
レイチェルもジンに同意して星空を眺める。
神殿で神に仕える神官としての一面も持つレイチェルにとって、それは神殿で神に祈る時にも似た厳粛なものに感じられた。
「俺はさ、旅に出てから毎晩こうして星空を眺める度に思う事があるんだ。俺って幸せ者だなーってね」
ジンのその言葉は、厳粛さと同時に少し怖さを感じていたレイチェルにとっては意外なものだった。
思わずジンの顔を見つめるが、ジンは未だ顔をあげたまま星を眺めていた。
「怖いとかではなくてですか?」
感じていた本心を漏らし、思わずレイチェルは尋ねてしまう。
その台詞に反応したジンは、視線を星空からレイチェルに合わせる。
「そう言えば、エルザやアリアさんも言ってたな。……確かに怖さを感じるところもあるけど、だから幸せを感じるのかもしれないね」
ジンは笑顔でレイチェルに話しかけ、続けて説明を始めた。
「こうして星空に囲まれているとさ、綺麗だけどちょっと怖いよね。でもさ、こうして視線を落とせばレイチェルは目の前に居るし、馬車の中にはアリアさんやエルザもいるよね。だからさ、一人じゃないって事なんだよ」
わかるかなと、ジンは目でレイチェルに問いかける。
「ここにいないリエンツの街に居る皆もさ、もしかしたらこの星空を見上げているかもしれない。そうでなくても、この星空の下に居るって事は間違いないよね? こういう風に思える人たちが周りに居るって考えると、ほんと俺って恵まれているなーと思うんだ」
その人の事を考えると、自然と笑顔になれる存在。ジンにはそんな人の顔がたくさん浮かんでいた。
この台詞の最後の方は、ジンはまた星空を見上げていた。此処にいない皆の事を思い出しているのか、ジンはずっと笑顔だった。だが、次の瞬間にはその笑顔が真剣な顔に変わる。
「そして守りたい人達がいる。笑っていて欲しい人達がいる」
今も病気と闘っているアイリスやニルスがいて、バークやオルトといった子供達を見守っている両親がいる。
同じく病気にかかっている孤児院の子供達と、今も看病を続けているヒルダもいる。
それに少しでも子供達の負担を減らす為、進行を遅らせる為に頑張っているクラークやビーン達もいるし、グレッグ達だって原因究明に走り回っている事だろう。
遠くとも同じ空の下で、皆それぞれが自分達の出来ることを頑張っているのだ。
ジンはこの世界に来る事で、老人となるまで過ごしてきた前の世界との繋がりを失った。
勿論、この世界に来れて感謝する事はあっても、それを恨んだ事は無い。だが、少しだけ寂しく思う気持ちがあったのも事実だ。
しかし、今ではこんなにも大切にしたい人が増えた。それはこの世界においても、自分は一人ではないということだ。
それはジンにとって、とても幸せな事だった。
ジンはそこで再び視線を下ろし、馬車を、そしてレイチェルを見つめて言った。
「そして、こうして一緒に冒険をする仲間もいる。ね? 俺って幸せ者でしょう?」
ジンが浮かべたその笑顔は、同時に真剣な何かを感じさせるものだった。
「私は……、私も、ジンさんにとって大切ですか?」
レイチェルは何かに突き動かされるような衝動と共に、ジンに問いかける。
それに対するジンの答えも、既に決まっているようなものだ。
「もちろん。レイチェルも大切な存在だよ」
ジンが『大切な仲間』ではなく、『存在』としたのは如何なる心境だったのか。
しかし、ジンがそこに特別な意味を込めたわけではないという事も、レイチェルには分かっていた。
だがそれでもジンが贈ったその言葉は、レイチェルにとってこの上ない幸せを感じさせるものだった。
「私もジンさんが大切です。私も幸せ者ですね」
そうして笑顔で答えるレイチェルの瞳は、少し潤んでいた。
満天の星空の下、焚き火の暖かな光に照らされたレイチェルのその笑顔は、とても美しいものだった。
そしてそれはジンにとっても同じで、これまでにないほど強くそう感じられるものだった。
次回予定日は23日か24日とさせていただきますが、出来たら早めに投稿します。
ありがとうございました。