一つの区切り
「よし、とりあえずはこんなものだろう」
そう言うジンの顔はいつもと違って少しだけ固く、どこか緊張が感じられる。
ジンがいるこの広々としたリビングダイニングには、普段置いてあるダイニングテーブルにくっつける様にもう一つ大きなテーブルが追加されている。そのテーブルの上には大きな皿に盛られた生野菜のサラダと、自家製マヨネーズで和えたポテトサラダ等といった簡単な料理がいくつもあり、お酒やグラスに取り皿といったものも並べられてある。
そう、今日はジン達が主催する引越しパーティが行われる日なのだ。
「こんばんはー」
玄関からは子供の元気な声が聞こえる。ジンがすぐさま玄関に向かうと、そこにはアイリスとその両親であるオルトとイリスの姿があった。
「こんばんは、アイリス。早かったね」
本来はパーティが始まる少し前にバークやアリアを呼び出しており、まず彼らに最初に話し合う時間をとる予定だった。それより先にアイリス達が来たのは予想外だったが、特に問題は無い。それに何よりアイリスの笑顔を見ていると、ジンの緊張も緩んで落ち着いてくるのだ。
ジンは笑顔で出迎え、赤いリボンの飾りがついた子供用のピンク色のスリッパをアイリスの前に置いた。
「えへへー。たのしみだったの」
嬉々としてそのスリッパに履き替えるアイリスは、既にこの家に来るのは2回目でもう慣れたものだ。このスリッパも買って来た子供用のスリッパに、ジン自ら赤いリボンを縫い付けたアイリス専用のものだ。
「すいません、どうしても行くと言って聞かなくて」
「いえいえ。準備はほとんど終わっていますし、問題ないですよ」
そう恐縮するオルト達に笑って何でも無い事を伝えると、ジンはよじよじと登ってくるアイリスを片手で抱きかかえ、そして歓声を上げて喜ぶアイリスを抱えたまま二人を奥へと案内した。
案内されたリビングのソファーでくつろぐオルト達にレイチェルがお茶を出し、ジンがアイリスをかまいながらしばらく話していると再び玄関先から声が聞こえた。そしてしばらく後に玄関からエルザに案内されて来たのは、バーク家の三人だ。
「お招きありがとう、ジン」
そう言うバークの顔は目に見えて緊張している事がわかる。その気持ちはよくわかるジンだったが、ここは一旦オルト達を紹介して親睦を深めてもらう事にした。今日のゲストで子供連れなのはこの二家族だけだという事も有り、ニルスとアイリスの二人の子供達の顔合わせにも丁度良かったというのもある。
ジンはバークをオルト達に紹介した後、子供達を引き合わせる事にした。
「久しぶりだね、ニルス。ほらアイリス、自己紹介して」
「うん。わたしアイリス。4さいです」
「僕はニルス、6歳だよ。アイリスちゃん、よろしくね」
「二人ともよく出来ました」
ジンに頭を撫でられたアイリスとニルスの二人は、くすぐったそうに目を細める。
ジンという共通の話題もあってか、幸い二人はすぐに仲良くなったようだ。アイリスは相手が自分と同じ子供という事もあって楽しそうだし、ニルスも妹が出来た気分で一生懸命に話すアイリスの相手をしている。
両親同士もお互い自己紹介を済ませて談笑しており、バークの緊張も少しほぐれたようだ。
そこでジンはオルト達に断りを入れると、バーク夫婦に声を掛けて少し離れた所に移動した。
「先日言っていたように、食事を始める前にアリアさんと話が出来るようにセッティングします。良いですね」
「……ああ。よろしく頼む」
ジンに答えるバークの声は決意に満ちている。
「大丈夫です。私が保証します」
ジンは自分の緊張を隠し、あえてそういう言い方でバークを励ます。
「ありがとう、ジンさん。ちゃんと話すわね」
バークと同じく奥さんのベスも緊張はしているものの、そこには確たる決意があった。
「はい。それでは準備が出来たら案内しますので、それまではここで休んでいてください」
そう言うとジンは再び二人をソファーの方へと案内し、レイチェルが用意したお茶を勧めながら待ち人の到来を待った。そしてそう待つこともなく、その待ち人は現れた。
「こんばんは、ジンさん。お招きありがとうございます」
「こんばんは、アリアさん。お待ちしておりました」
ジンは気合を入れてアリアを迎える。緊張はあるが、それは期待からくるものだ。ジンはアリアをリビングではなく、反対側のゲストルームへと案内した。
「バークさん達はもういらしてます。すぐに呼んで来ますね」
置かれた椅子にアリアを座らせると、ジンはそう言って部屋を出ようとした。しかしその前に膝の上で組まれたアリアの手が、僅かに震えている事にジンは気付いた。
「アリアさん」
そう呼びかけてジンはアリアの前にしゃがむと、戸惑うアリアの両手の上に自分の手を重ねた。
「大丈夫です、ちゃんと上手くいきます。アリアさんも、バークさん達も気持ちは同じなんです。私を信じてください」
ジンはアリアの目をみつめ、言い聞かせるようにそう言った。そしてその言葉に何を感じたのか、気が付くとアリアの手の震えは止まっていた。
そしてジンは今度こそ部屋を出てリビングに向かい、バークとベスの二人を連れてアリアが待つ部屋へと戻った。
「アリアさん、入りますよ」
ジンはノックをした後に一声かけてドアを開けると、アリアが椅子から立ち上がって此方を見つめていた。
バークは少しの間だけドアの前から動こうとしなかったが、すぐに自分に活をいれて部屋の中へと足を踏み入れた。そしてベスもその後に続き、ジンだけが部屋の外に残った。
「それでは私はリビングに戻りますね」
「ジン」
ジンは部屋に三人を残してドアを閉めようとした。だがドアを閉めている途中でバークに声をかけられ、その動きを途中で止めた。そしてそのドアとの隙間越しにバークはジンを見つめ、そして言った。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
バークのその笑顔を見て、ジンはこの話し合いが成功する事を確信した。
「はい」
ジンもバーク達三人のそれぞれの顔を見つめ返し、そして笑顔で大きく頷いた。
アリアとバーク達が話をしている間も、続々と招待客はやって来る。ジンはエルザやレイチェルと手分けしながらお出迎えをしたり、お茶や料理の準備を進めていた。
オーブンでは甘辛い醤油タレに漬け込んだスペアリブを焼いており、香ばしい良いにおいがしてきた。また、コンロでは殻を剥いた海老と刻んだガーリックを塩コショウで炒めており、さらに流し台の天板では各種具材を載せた二種類の味のピザが広げられ、スペアリブの次に焼かれるのを待っている状態だ。そのソースは自家製のトマトケチャップとマヨネーズの二種類で、それぞれ大量に作られてジンの〔道具袋〕に保管している。
こうした料理は全てこれまでに一回以上夕食に作られた事があり、エルザやレイチェルによって味の方は既に確認済みだ。ジンは忙しく料理しながらも、とても楽しそうな表情をしていた。
以前はカロリーを気にしなければならなかったので油や砂糖等の量を極力少なくせざるを得なかったが、今は普通に適正な量を使えるので大分味も良くなった。もちろん食べる量に神経質になる必要も無く、食べすぎにだけ注意すれば良いだけだ。健康な人間には当たり前の事だが、そうでなかったジンにとってはそれだけでも嬉しい事なのだ。
それにプロが作る料理に比べれば大したものでは無いのは分かっているが、それでもエルザ達に美味しいと言ってもらえるのは嬉しいものだ。皆も楽しんでくれると嬉しいなと思いながら、ジンは料理を作っていた。
「ジン、全員そろったぞ」
エルザにそう声を掛けられてジンが振り向くと、グレッグやガンツと笑顔で何か話をしているアリアやバーク達の姿が見えた。アリアも笑顔でこそ無いものの、ジンには嬉しそうな雰囲気だと感じられて安心した。
今日のパーティに招待したのは、子供も入れて14名だ。
グレッグにメリンダ、そしてアリアのギルド関係者が3名。
レイチェルの祖父で神殿長のクラークや、エルザの叔母で弓屋のシーマといった親族が2名。
この家を紹介してくれたガルディン商会のオルトとその妻イリス、そしてその子供のアイリスの3名。
ジンが個人的に交友がある兵士のバークとその妻ベス、そしてその子供のニルスの3名。
同じくジンが師事している調合士のビーンとその妻マギー、そして鍛冶屋のガンツの計3名。
以上14名にジン達を加えた17名が、今回の参加者となる。
本当はダン達同期メンバーや、ゲイン達『風を求める者』のメンバーも呼びたかったのだが、人数や彼らの都合もあって次の機会を待つことにしたのだ。
「よし、それじゃあ皆を席に案内してくれ。俺もすぐに行くよ」
ジンはエルザにそう返しながら、炒めあがった海老を皿に移した。そして粉チーズを振り掛け、こっそり〔ファイア〕で焼き目をつけて完成だ。
出来上がった料理をテーブルに置き、皆に続いてジンも席に着いた。そして席に着いた全員に飲み物が行き渡ると、さっそくジンは席を立って挨拶を始める
「皆さん、本日はお忙しい所をお集まりいただきありがとうございます。今宵は私達が日頃よりお世話になっている皆様に感謝の気持ちを伝える為に、この宴を開かせていただきました。大したものではございませんが、心ばかりの料理とお酒を用意いたしましたので、どうぞお楽しみください」
ジンはそこでグラスを持ち、全員を見回して再度口を開く。
「乾杯」
「「「乾杯」」」」
ジンに続いて全員が唱和し、そしてグラスを掲げた。
「よし、ではいただきます」「いただきます」「いただきまーす」
乾杯に続いて食事の挨拶が習慣になった人達からは『いただきます』の声が聞かれ、それを知らない人達からは疑問の声が上がる。そしてそれを周囲の知っている人間が説明するという、これまでにも何度も見られたお決まりのパターンが繰り返された。
「良い事言うねえ」
「ええ、本当に」
「言われたら嬉しいですよね」
などとエルザの叔母のシーマが感慨深げに呟くと、同じ主婦であるイリスやビーンの妻のマギーも同意して頷く。
「これは反省せざるを得ませんね」
「ええ、しかしこれは良い事を教えていただきました」
頭を掻きながらオルトが言うと、ビーンも苦笑しながらそれに続いた。
「気のせいか、どこかで聞いたような気もしますね。しかし神様だけではなく、食材となった命や料理を作った人にまで感謝の気持ちを表すとは、新鮮で素晴らしい考え方です」
「ふふふっ、ですよね」
クラークは感心したように呟き、レイチェルがサラダを取り皿に小分けしながら、その祖父の反応に対して嬉しそうに笑う。
「ふふふっ、エルザがそんな事をするようになるなんてねえ」
「私も少しは成長しているんです」
同じくサラダを取り分けているエルザを見てメリンダは可笑しそうに笑い、エルザは少し恥ずかしそうにしながらも言い返す。そしてそれに叔母のシーマも同意して笑っていた。
グレッグやガンツはバークに酒を注ぎ、ベスはアリアに楽しそうに話しかけている。
ニルスは醤油ドレッシングをかけたサラダを早速口にしており、それとは対照的にアイリスは手元に置かれたサラダを睨んだままだ。
「ほら、アイリス。このマヨネーズをつけて食べてご覧。美味しいよ?」
ジンは子供用の椅子に座ったアイリスのそばに移動して、野菜嫌い克服の為のスペシャルアイテムであるマヨネーズを勧めた。そしてサラダに少量のドレッシングとマヨネーズをかけ、スプーンでポテトサラダと野菜を少量すくってアイリスの口元に持っていく。今回は苦味の強い野菜は一切使用しておらず、子供にも食べやすいようにジンはしたつもりだ。
「はいアイリス、あーんして」
ジンが美味しいよとアイリスに微笑みかけると、覚悟を決めたアイリスは目をつぶって口を開けた。そしてすかさずジンがスプーンを口に入れる。
「……苦くない」
サラダを口にしたアイリスは、苦味が感じられない事を不思議そうに呟いた。
マヨネーズの味の濃さと含まれる油分が野菜の苦味をコーティングして、苦味を感じにくくしているのだ。
「ね、美味しいだろう」
「うん、美味しい」
予想とは違う味にアイリスが戸惑っている隙に、ジンはその味が美味しいという方向にアイリスの感情を持っていこうとした。そしてそれは一応の成功を収めたのだった。
「ふふふっ。これからもっともっとお野菜が大好きになるよ」
ジンはそう言ってアイリスの頭を撫で、自分でサラダにスプーンを伸ばすアイリスを見て目を細めた。野菜は苦いという先入観が除かれただけでも御の字だ。
「このマヨネーズというソースは、以前王都のレストランで似たものを食べた事があります。美味しいですね」
母であるイリスも、野菜を食べるアイリスを嬉しそうに見ながら言った。
「おお、確かにそうだね。確か秘伝のソースだとかで他に見たことはなかったな」
「そうなんですね。作り方は難しくないのですが、衛生管理が大事なので一般には広まりにくいのでしょうね」
オルトの発言にジンは苦笑しつつ答えた。
別にマヨネーズを広めて商売しようとは端から思っていなかったが、秘伝のレシピとなっているのであれば尚更だ。あくまで内々で楽しむだけに留めようと思うジンだった。
こうしたマヨネーズやドレッシングは、当然ジンの手作りだ。ドレッシングはエランの店で買った醤油に油と酢を混ぜてよく振るだけの簡単なものだし、マヨネーズも卵と油に酢、塩コショウと少しだけ砂糖を入れてしっかりかき混ぜるだけだ。一応マヨネーズの方は混ぜる順番や温度等のコツはあるが、そう難しいものでもない。
ただ卵の衛生状態に不安があったので作るのに躊躇した時もあったが、『浄化魔法』の存在がその問題を解決した。これはレイチェルが習得している『回復魔法』の基本魔法で、これも『鍛冶魔法』や『自然魔法』と同じく魔法文字を必要としない魔法だ。
レイチェルの認識では『治療する前に使う穢れを無くす魔法』だが、ようは体に悪い細菌などを無害にする魔法なのだろう。ジンはそう判断して、今回は大量の卵を対象にして魔法をかけてもらったのだ。
勿論念のためジンは完成後に〔鑑定〕で状態を確認しており、きちんと正常に出来上がっていた。
その後もジンはスペアリブやピザ等の料理を次々に出し、皆大いに食べて飲んだ。ドレッシングやスペアリブの漬けタレ等に使っている醤油はこの地域では一般的ではない調味料だが、そのまま出しているわけではない為か皆の評判もよくジンも一安心だ。
そうして料理を一手に担っているジンを見て、女性陣からは料理の手伝いの申し出もあった。しかし〔道具袋〕を活用しているところを見られるわけにもいかず、ジンは配膳などをお願いするだけにとどめた。それにジンはそうして忙しく動き回りながらも負担だとは感じておらず、自分なりに皆との会話や食事を楽しんでいたのだ。
アリアとバーク達にあったしこりはもう存在せず、グレッグやガンツも嬉しそうだ。シーマを初めとした主婦達は仲良く日頃の不満を発散し、旦那衆は苦笑いしつつ酒を酌み交わす。クラークやメリンダも楽しそうに場を眺めており、エルザやレイチェルはジンのフォローに動きながらもあちこちで交流を深めている。ニルスはソファーでジンが購入した絵本を、アイリスに読み聞かせているようだ。そうしてジンが場を眺めていると、ふとアリアと目が合った。そして彼女はジンにニッコリと笑いかけた。
ジンはこの上ない充実感や幸せを感じていた。自分がこの世界に来て知り合った大事な人達が、こうして皆笑顔で楽しんでいる。それはジンにとって、この上なく嬉しい事だった。
この世の中に当たり前の事なんてそう多くは存在しない。
こうして皆と出会えたことも、その後様々な形で互いの距離を縮めた事もそうだ。そしてこうして皆が笑顔で此処にいられることも当たり前などではない。
それらはほんの少しの奇跡と、そして残りは全て自分達の意思と行動によるものだ。
出会えて嬉しい。仲良くなれて嬉しい。こうして皆で笑い合う事が出来て嬉しい。それは当たり前などではなく、皆がお互いにそうあろうとした結果のかけがえのない貴重なものなのだとジンは思う。
だからジンは今日も笑顔で、そして感謝して生きるのだ。
読んでいただきありがとうございます。
また終わりっぽい感じですが、タイトルにもあるように区切りなだけで、まだまだ続きます。
次回は1日か2日の予定です。