誤解スパイラル
ジンが借家の賃貸契約を結んでから二日後。
ジンはエルザやレイチェルと共に討伐依頼をこなした後、街道を歩きながら街へと戻っていた。
「そうか、家を借りる事にしたのか」
エルザが少し羨ましそうにそう言う。帰り道の話題の一つとして、ジンが二人に借家の話をしたのだ。
昨日までが個人行動だったので、ジンがエルザとレイチェルにこの話をしたのは今日が初めてだ。ちなみに、ジンが引越しの話を初めてした相手はビーンである。翌日の調合修行の時の話だ。
「ああ。二階に四部屋もあるし、ちょっと広すぎるんだけどね。でもお風呂付で気に入ったんだよ」
「わー、お風呂付は良いですねー」
レイチェルはストレートに羨ましそうだ。
「はははっ。実際俺もお風呂目当てで家を借りるみたいなところはあるからね。一応、明後日引越しするつもりだ」
順調に行けば今日には掃除やメンテナンスは終了しているはずだが、一日余裕を見て明後日を引越しの予定日としているのだ。
「確かジンは炊事洗濯が一通り出来るんだったよな? 私は料理が駄目だからな」
そう言ってエルザは頭をかく。レイチェルも同意して言った。
「私も料理自体をやった事無いので、エルザさんと同じですね。一応やってみたくはあるんですけどね」
レイチェルは屈託なく笑う。
「ふふふっ。一応自宅が出来る事だし、これからは料理出来るじゃないか。俺もそこまで上手なわけじゃないけど、何なら教えてもいいしね」
ジンは何か意味を込めた訳でもなく、ただ普通にそう言った。少し言葉足らずだったのは事実だが、そこに他意はない。ちなみに言葉足らずの部分を補足すると下記のようになる。
『一応(俺にとっての)自宅が出来る事だし、(キッチンも貸す事ができるから)これからは料理出来るじゃないか。俺もそこまで上手なわけじゃないけど、何なら教えてもいいしね』
但し、エルザ達がそう受け取ったかと言えば、それは違った。
『一応(俺達全員の)自宅が出来る事だし、これからは(同じ家で暮らす事になるから何時でも)料理出来るじゃないか。俺もそこまで上手なわけじゃないけど、何なら(手取り足取り)教えてもいいしね』
若干の差はあれど、二人が受け取った意味はおおむね上記のとおりだ。そしてこの誤解はこの後も続く。
「私達もその家に行ってもいいのか?(私達もその家に住んでもいいのか?)」
「ああ、もちろん。二階に部屋は余っているから、使ってもらって良いよ(荷物置き場に使って良いよ)」
「わあ、ありがとうございます。私も冒険者になったから嬉しいです(私も冒険者になったので神殿を出なきゃいけないので嬉しいです)」
誤解は誤解のまま、訂正される事無く話は進む。ここでしいて誰が悪いかと言えば、最初に紛らわしい言い方をしたジンだろう。
「しかし明後日とは(家具を揃えるのには)ちょっと急だな。(どんな部屋か知りたいので)今日にでも見に行く事は可能か?」
「そうですね、出来れば今日見たいです。部屋の感じが分からないと(持っていける家具の選別や、買わなきゃいけない物がわからないので)色々と困りますし」
エルザとレイチェルの発言を聞いて、ジンは妙に気合が入っているなと少し不思議に思ったが、倉庫代わりとは言え一応は自分達の部屋として使えるから無理も無いのかもしれないと納得した。
アメリカやヨーロッパでは、男女でもシェアハウスとして一つ屋根の下に共同生活を送る事はある。しかし生粋の日本人であるジンにとっては、恋人でも無い男女が同じ屋根の下で暮らすという感覚はない。一応その事実は知識としては知っているものの、そう言えばそうだった程度の薄い記憶だ。そしてつい無意識に自分の常識で考えているので、ジンはこの誤解に気付けないのだ。
しかしこの世界の常識で考えれば、パーティ間の男女のシェアハウスは有りだ。
そしてその常識を持つエルザ達も、話の最初から『そんなに部屋数がある家を借りると言う事は、自分達も住まわせてくれるつもりなのでは』と内心期待していたのだ。ただ、ジンの事を男性として意識している所があるが故に、自ら言い出すことが出来ないでいただけなのだ。この誤解の螺旋構造には、お互いにそういった下地があったということだ。
「まあ、夕方くらいなら掃除とかも終わっているだろうから、ギルドに行った後にでも見に行くか? 一応鍵はあるから見る事は出来るよ?」
「行く!」「行きます!」
そう言う二人の勢いに押されつつも、ジンは笑顔で承諾した。「やったー」と喜んではしゃぐ二人を見て、女の子は可愛いなと微笑ましい気持ちになりながら。
……知らないと言う事は、ある意味幸せなのかもしれない。
そしてジンは途中スリッパを購入した後、二人を借家へと案内した。幸い掃除等は既に完了しているようで、どこもピカピカに磨き上げられている。
家に上がる前にこの家のルールとしてジンが言った『玄関で靴をスリッパに履き替える』という行為に少し戸惑った二人だったが、家の中でまで頑丈で重いブーツを履く必要は無いとのジンの主張に納得して従った。
そして一通りジンが家の中を案内した後、エルザとレイチェルの二人はたっぷりと時間を掛けて、それそれが決めた部屋の寸法等の確認をしていた。しかし本来道具置き場程度の使い方ならば、このように細かく寸法を測る必要は無い。
そうして真剣に、そして楽しげに部屋の寸法を図る二人の様子を見て、ジンはようやくハッと何かに気付いた。そしてすぐに行動に移す。
そしてそのジンがとった行動とは、自分の部屋のベッドの寸法を測ることだ。これでとりあえず寝具店で買うべき布団のサイズが分からなくて困るという状況は防げたようだが、気付くべき所はそこではない。
そうして結局それぞれが抱えた誤解は解消されないまま、その日は終了した。
次の日はエルザとレイチェルが用事があるとの事で、討伐依頼の予定が個人行動に変更になった。
ジンは〔道具袋〕にほとんどの物を収納しているので、引越し自体は簡単だ。ただ布団やソファーのような大きな物は、さすがに目立つので〔道具袋〕に収納するわけにもいかない。とりあえずは寝る為の布団だけでも購入しておくかと、ジンは寝具店へと向かった。
当然スプリング式のマットレス等が存在するはずも無く、ジンはベッドサイズに合った敷き布団や掛け布団と、シーツやカバー類等を購入した。そして運びますという店側の申し出を断り、筒状に丸めたそれらを軽々と肩に担いでジンは店を出た。とりあえず邪魔なのでこれだけを先に借家に持って行くつもりだ。そうしてジンがしばらく歩いていると、横から声を掛けられた。
「ジンさん、何をしてらっしゃるのですか?」
そう不思議そうに声を掛けてきたのはアリアだ。いつものギルド職員の制服とは違い、鎧をつける前の冒険者のような動きやすい格好だ。
「こんにちは、アリアさん。引越し先に荷物を運んでいるんですよ。ちゃんとした引越しは明日の予定なんですけどね」
アリアの格好を新鮮に感じながら、ジンは笑顔で答えた。昨日は受付が忙しかったので引越しの話をするような余裕はなく、アリアにこの話をするのは初めてだ。ジンの答えにアリアは納得し、ジンも報告が遅れた事を詫びる。そして話はアリアの格好に移った。
「ところでアリアさんのその格好はどうされたのですか?」
少し固い印象のある何時ものギルド職員の制服とは違い、今の活動的なアリアの姿はジンには新鮮に感じられた。
「今日は休みなので、孤児院に顔を出そうかと思っていました」
ジンの視線を感じ、少し恥ずかしそうにアリアは言った。実際はその後に訓練をするつもりだったが、アリアはそれをジンに言うつもりは無い。
「そうなんですね。それじゃあせっかくお会いした事だし、このまま私の引越し先でも案内しようかと思ったんですが、止めた方がいい「行きます!」……」
そうジンが言い終わらないうちにアリアが返事を返した。
「私は勿論構わないのですが、アリアさんのご予定は大丈夫ですか?」
「はい。元々行くとは言ってませんので、少々遅くなっても大丈夫です」
これも本当の事だ。孤児院に寄ると言っても、アリアは職員に子供達にとお菓子を渡すぐらいしかしていない。自分の無表情さを分かっているアリアは、自分は子供達に馴染めないと考えているのだ。
「そうですか、それではご案内しますね」
ジンはそう言ってアリアを借家へと案内する。大きな荷物を持ちながらではあるが、アリアとこうして隣り合って歩くのは初めてだ。
「ふふっ。こうしてアリアさんと並んで歩くなんて新鮮です」
楽しい気持ちが思わず出てしまい、心底楽しそうにジンは笑って言った。
「ふふっ。確かにそうですね。それに天気も良いですし気持ち良いですね」
アリアもとても楽しそうだ。
「はい。本当に」
「ふふふっ」「はははっ」
そうして二人は笑顔のまま歩き続けた。
「大きな家ですね」
ジンの住まいを目にしたアリアは、思っていた以上の大きさに驚く。冒険者が借りる家は一人~二人用の小さな家か、今回ジンが借りたような四人~五人用の大きな家かの二種類に分けられる。そして後者の場合は、パーティメンバー全員でそこで共同生活を行う事が多いのだ。そういう常識を持つアリアは、ジンがエルザ達と一緒に住む為にここを借りたと予想した。少しだけモヤモヤしたものを感じてしまうアリア。
「お風呂付となると、どうしてもこのくらいの大きさにはなるみたいですね。まあ、造りも変わってて気に入ってますけどね」
アリアの想いも知らず、ジンはニコニコと正直に自分がこの家を選んだ理由を話す。そんなある意味能天気なジンの様子にアリアの毒気も薄れ、思わず苦笑してしまう。
そしてジンは玄関のドアを開けて荷物を一旦ホールに置き、アリアにスリッパを渡した。その赤色のスリッパは昨日ジンが買っておいた四つのスリッパの内の一つで、ちなみにジンは黒、エルザは青、レイチェルは緑だ。それぞれの色は自分達で決めて購入したものだが、何故ジンが四つ目のスリッパを買ったのか。その理由はジン本人にもわからない、無意識に行われた事だ。
「靴はここでスリッパに履き替えてください。家に上がったらリラックスして欲しいので、この家のルールとしてそうしているんです」
アリアは自分の部屋でスリッパに履き替える事はあったが、余所様の家でそうした事はない。しかしこれもジンの心遣いだろうと思ったアリアは、素直にスリッパに履き替える。若干心もとない気もするが、確かにアリアは開放感を覚えた。
そうしてアリアはジンの案内で家を見学したが、ジンの元冒険者の家という説明にアリアは成る程と納得する所も多かった。
まず基本的に家の造りが頑丈だ。これなら壁を破壊して侵入するといった手段は、大きな音も出るし時間も掛かって現実的ではないだろう。そして一番侵入されやすい窓には内側からする雨戸のようなものが設置されており、これを使えば壁と同様に侵入を防ぐ有効な手段となるだろう。また、玄関ドアにはしっかりした造りの鍵が三箇所もあり、驚く事に1箇所はフェイクのようだ。だが表から見てもそれが分かるはずも無く、これを見れば普通の盗人なら敬遠するだろう。どれも家を空ける事が多い冒険者には特に必要な設備と言える。
また、その他にも細かい防犯対策がいくつかとられてあり、アリアはジンがこの家を選んだ理由が分かった気がした。
「素晴らしいお家ですね」
いろんな意味を込めたアリアのその言葉に、ジンの頬も緩む。
「知り合いの方が紹介してくださったんですよ。本当にありがたいです」
そしてジンは一階を案内し終えたので、今度は布団等を持って二階に上がった。布団類は主寝室の中に置き、四つあるそれぞれの部屋を案内する。
「此処とさっき見たところが、それぞれレイチェルとエルザが道具置き場として使う部屋になります。残りのもう一部屋は男のパーティメンバーが入った場合に使ってもらおうかと思っています。男のメンバーが来ると家賃や掃除なんか折半できますので、大分楽になるんですけどね。エルザ達から道具置き場で家賃を取るわけにもいきませんし」
ジンは笑顔のままそう言った。
「え~と。エルザさん達は此処に住むんじゃないでしょうか?」
アリアからすれば突っ込みどころ満載のジンの台詞だが、とりあえずアリアは一番気になるところを聞いてみた。少なくとも確実にエルザたちはそのつもりのはずだとアリアは思う。こんな大きな家を借りるのなら、男女だろうが同じパーティメンバーであれば同居するのが一般的なのだから。
「いや、まさか。恋人でもないのに女性が男と同居なんてしないでしょう」
ニコニコと笑いながら、自分の常識の無さを露呈させてしまうジン。
そんなジンに何故か少し安心しつつも、ここは常識を教えるべきか迷うアリア。ジンが望んでいないのならば、このまま話が進んでいけば結果はジンにとって良くないものだろう。だが、恐らくは喜んでいるであろうエルザ達の事を思うと、ここで真実を教えるのも気が引ける。それにパーティとして考えた場合は、全員で固まって住んだ方が良いのは間違いないのだ。
「……そうですか」
悩んだ結果、アリアはこの件は何も聞かなかった事にした。エルザ達がジンと同居する事に若干割り切れないものは感じるのは事実だが、それでも今後のジン達の事を考えた場合、アリアもエルザ達がジンと一緒に住む方に賛成なのだ。
アリアは恐らく明日にでも起こるであろう騒動を予想し、心の中でエルザ達にエールを送った。
読んでいただきありがとうございます。また、感想やお気に入り登録、評価等をありがとうございます。
今回私は結構楽しんで書きましたが、皆さんは楽しんでいただけましたでしょうか?
次回も二日後の22日の予定です。
それでは次回も宜しくお願いします。ありがとうございました。