エルザの相棒
その日ジンは午前中にガンツの所へ顔を出した後、新しい依頼を探しにギルドへと向かった。いつものようにギルドの扉を開けると、そこには嬉しそうに魔術師風のエルフ女性と話すエルザの姿があった。
「こんにちは、アリアさん。マグナ村の討伐依頼を完了しました。ところでエルザのあの様子は、もしかして相棒さんが帰ってきたんですかね?」
とりあえずジンはアリアの元へ向かった。名目はマグナ村の討伐依頼の完了報告で、実際はエルザが気になったので情報を聞きたかったからだ。村長のサインが入った依頼の完了証明書をアリアに渡しながら、ジンはアリアに尋ねた。
「はい、お疲れ様でした。……はい、彼女がエルザさんのパートナーのシーリンさんです。一ヶ月振りくらいですか、さっきようやく会えたみたいですね」
アリアは証明書を受け取ってジンを労うと、ざっと書面を確認した後に質問に答えた。
「それは良かったです、これでエルザも自由に動けるようになりますね」
相棒の帰りを待ち続けたエルザの喜びを思い、ジンは笑顔で祝福する。そして何気なくエルザ達の様子に目をやると、さっきまで笑顔だったエルザの顔が次の瞬間には凍りつき、一言二言の会話の後にエルザはいきなり大声で叫んだ。
「なんでだ!一緒にがんばろうって決めたじゃないか!」
そこにはどこか苦しげな様子のシーリンと、その彼女を大声で詰問するエルザの姿があった。しかし、そのエルザの詰問も続かない。静かになったエルザは血の気が引いた顔で唇をかみ締め、シーリンはただ苦しそうにそんなエルザを見つめるだけだ。ギルド内の空気がピンと張り詰める。
「(ここは出しゃばってはいけない)」
ジンは悲しそうなエルザを見かねてしまうが、ここは部外者の自分が出しゃばってはいけないと自制する。はっきりとはわからないが、エルザの発言から推測すると恐らくはシーリンの進退についてであろう。エルザの友人であるだけの自分が出る幕ではないと、ジンは自分を戒める。いくらエルザがつらそうでも、いくらエルザが悲しそうでも、いくらエルザが泣き出しそうに見えても……
「駄目だな、ほっとけるわけがない。すいませんアリアさん、後でまた来ます」
そう呟いた後にジンはアリアに一言断りを入れると、席を立ち二人の方へと歩き出した。
「やあ、エルザ」
あえて軽く話しかけるジン。そして話しかけられた二人は自分達以外の人の存在を忘れていたのだろう、びっくりした様子でジンを見る。
「すいません、お邪魔して。私はエルザの友達のジンと言います」
ジンは初対面のシーリンに軽く会釈をした後、内心の怯みを表に出さず言った。
「エルザ、大事な話なら落ち着いて話せるところでした方が良いよ。とりあえず此処を出よう」
そしてジンはエルザを促して、半ば強引にギルドの外へと移動した。シーリンも素直に後ろをついて来る。そしてジンは、あえてすぐ目の前にある賑やかな広場のテーブル席に二人を座らせる。完全な個室より、周りに少し雑音がある方が深刻になりすぎないだろうという判断だ。そしてジンは素早く飲み物を購入して戻ってきたが、二人はまだ黙ったままだ。
ジンは飲み物を二人の前に置くと、主にエルザに向かって語りかけた。
「でしゃばって本当にごめん。でもちゃんとお互いに話した方が良いと思う。もう邪魔しないから」
そう言ってジンは頭を下げると、そこから離れようとした。しかしその手をエルザに掴まれる。
「すまない。居てくれないか」
そう顔を伏せたまま言うエルザを見つめ、ジンはシーリンにも顔を向けて意思を確認する。シーリンも無言で頷いたので、ジンも同じテーブルに座る。元より少し離れて二人を見守るつもりだったのだ。こうして口を出してしまった以上、ジンに途中で投げ出すつもりは無い。
そして、しばらくして意を決したシーリンが話し出した。
「本当にごめんなさい。最初から全部話すわね。まず私が貴族だというのは話してたわよね。エルザには用事としか……」
貴族である彼女が一旦家に戻ったのは、実は父親が危篤だったから。そして戻ってしばらくして父は亡くなったが、最後にちゃんと話すことが出来た。確執がある父だったが、最後に自分らしく生きる事を認めてくれた。初めはすぐに戻るつもりだったが、父親が死んで誰が家を継ぐかという話になった。ここで自分が再度家を出れば、幼い弟に全てを背負わせる事になる。下手をすれば家の存続自体が危うい。だから自分が家を継ぐことにした。エルザには申し訳ないが、もう冒険者に戻る事は出来ない。
簡単に言えばそんな内容だ。シーリンはエルザを真っ直ぐに見つめて、自分の気持ちを伝えようとする。
「押し付けられる人生から逃げてきた私が、この街でエルザと出会えた事はきっと私の生涯で最高の幸運だと思う。色々あったけど一緒に冒険したのも楽しかったし、共に冒険者として名を上げる事を夢見た気持ちに嘘は無いわ。だけど父と最後に和解する事が出来て、あきらめていた自分の人生を送ることが出来るようになったの。私が冒険者を辞める事を決めたのは、弟の心配よりもそちらの理由の方が大きいわ。もうエルザと一緒に冒険出来ないのは辛いけど、もう一つの夢がどうしてもあきらめられないの。ごめんなさい」
そうして全てを正直に語ったシーリンは、黙ってエルザの反応を待つ。うつむいたまま話を聞いていたエルザは、しばらくして顔を上げてシーリンに問う。
「本当にそれで良いのか?また望まぬ事を強いられるのではないか?」
「ええ、少しはそんな事もあるでしょうね。でも前と違って少なくとも結婚相手は私が選べるし、以前より無理がきくわ。それに新しく出来る事は、これまでと比べ物にならないほど増えるのよ。諦めていた事ができるかもしれないの」
エルザの問いに答えるシーリンの顔は、やる気にあふれて輝いて見える。少なくとも家の為に自分を殺すような心境ではないのは間違いない。
「そうか……ならば私としてはおめでとうと言うしかないな」
自分の中で整理がついたのか、エルザはようやく微笑を浮かべた。
「エルザ……」
自分の身勝手さを自覚しているシーリンは、エルザの祝福に言葉が詰まる。
「友達だからな、シーリンが望むならそれで良いんだ」
そしてエルザはさらに言葉をつなぐ。
「手紙で伝える事をせず、こうして直接会いに来るのはお前なりのけじめなのだろう?お前の気持ちは確かに受けとった。だからもう戻れ。当主不在の状況でお前が実家を離れるのは、相当不味いはずだ。かなり無理をしているんだろう?」
「大丈夫よ。今日一日ぐらい……」
そう言いつつも、実際シーリンが無理を押して来ている事は間違いないのだ。戻るのが早いに越した事はない。
「やめておけ。万一その一日で何かあったら、私は悔やんでも悔やみきれないぞ。それに、これが今生の別れではないだろう?いつかお前の家に遊びに行くからな、その時は美味い飯でも用意しておいてくれ」
少し冗談めかしてエルザは言った。離れても友達であることに変わりはないのだ。
「……ええ、とっておきのお酒もつけるわね」
目を潤ませながらも、笑顔でシーリンは答えた。そしてハンカチで軽く目元を押さえると、今度は二人の様子を笑顔で見ていたジンに話しかけた。
「ジンさん。エルザの事を宜しくお願いしますね。彼女は貴方の事を凄く信頼しているみたいですから」
そう言ってテーブルに置かれたジンの右手を、シーリンは意味深に見つめる。そのジンの右手は、まだエルザが握ったままだ。
「わわわっ。すまん、ジン」
シーリンの視線にようやく気付いたエルザが、あわててその手を離す。
「ふふふっ、こんなエルザは初めて。……ジンさんがいるから、私も安心して戻る事が出来ます」
慌てるエルザを見て笑うと、そのままシーリンはにこやかにジンに言った。
恐らくエルザより少し年上の彼女は、こうしてエルザをからかう事も多かったのかもしれないなとジンは思う。ようやく元の雰囲気に戻ったという所だろう。ジンも笑顔でシーリンに答える。
「エルザとは友達ですからね。私に出来る事は何でもするつもりですよ」
そうでなければ、こうしてわざわざ首を突っ込んだりしない。ジンは当たり前の様にそう言った。
「はい。エルザの事を宜しくお願いします」
シーリンは立ち上がると、そう言ってジンに深々と頭を下げた。そして同じく立ち上がったエルザに近づくと、彼女をぎゅっと抱きしめる。
「(良い恋人を見つけたわね。大事にしなさいよ)」
「(恋人じゃない、友達だ。……大事には思ってる)」
「(ふふふっ、まあ頑張んなさい)」
抱き合った二人は、そうしてお互いの耳元でぽそぽそと言葉を交わした。当然その声は二人にしか届かないし、ジンも聞き耳を立てるような野暮な真似はしない。そしてシーリンは最後にエルザを強く抱きしめた後に離れ、そして二人に向き直って言った。
「それじゃあ、エルザ。ギルド宛に手紙を書くから、たまには返事を頂戴ね。そしてジンさん、色々とありがとう。エルザの事をお願いします」
「ああ。またな、シーリン」
「はい、お元気で」
そうしてエルザとジンの見送りの声を背にして、シーリンはその場を去っていった。おそらく近くに待機している護衛と合流した後、すぐに出発するのだろう。ジン達からはその後姿しか見えないが、シーリンは堪え切れなかった涙をこぼしながらも、しっかりと前を向いて歩いていった。
「街を出るところまで見送らなくて良かったのか?」
「ああ、ここで充分だ」
ジンの問いに答えるエルザの声は、少し震えている。ジンはそのまましばらく、何も言わずにただエルザの側にいた。
そして時間が経ち、元の声色に戻ったエルザが話し始めた。
「ありがとうな、ジン。おかげであいつとちゃんと話せた。最初は裏切られたと思ってショックを受けたけど、おかげで違うって分かった。多分あいつはかなり無理して此処に来たはずだからな、余計な時間をとらせずに話し合えて本当に良かった。ありがとう」
「いや、本来口出しするべきじゃないって分かってたんだけどね。そう言ってくれてホッとしたよ。……で、どうするエルザ?」
「どうするって何が?」
唐突なジンの問いに、訳が分からないエルザ。
「いや、色々愚痴りたいなら今晩飲みに付き合うぞ?それか体を動かしてスッキリしたいなら、明日一緒に討伐依頼でもやるか?」
「ふっ、ふふふふっ。……私の答えは決まっている!」
そういうことかと思わず笑ってしまうエルザ。そしてすぐに笑顔で宣言した。
「はははっ。で、どっち?」
エルザの笑顔と勢いを見て、嬉しくなったジンも笑って尋ねる。
「両方だ!」
どうだと言わんばかりのエルザの態度に、大きく笑い出すジン。そしてすぐにエルザも続く。
「「ふふふっ、はははははっ」」
そうしてしばらくの間二人は笑い続けた。途中エルザが目元を拭ったのは、笑いすぎて涙が出たからだ。
そういう事なのだ。
別れというのは辛いものだが、それでも相手が望んだ事なら我慢出来る。だからそういう時は笑おう。相手の幸せを祈って、たとえ空元気でも笑おう。別れる事を嘆くのではなく、その前に出会えた事に感謝して。
だから二人は笑うのだ。
次回は1日~3日の予定です。
宜しければ次回もお付き合いをお願いします。