バーク宅での一幕
「ここが俺の家だ。おーい、連れて来たぞー」
ジンはバークに連れられて、その家の前に来ている。こじんまりとした清潔感のある家だ。
バークが奥さんを呼んでいる隙に、こっそりとジンは〔道具袋〕から花とお酒を取り出す。どちらも手土産として事前に購入しておいたものだ。アリアの時の反省から、ちゃんと意味的に問題無い花にしているのは言うまでも無い。
ちなみにお酒はバークに、花は奥さんにというつもりだ。もし美味しいお菓子の店を知っていれば花でなくそっちにしたのだが、さすがにジンもまだ自分の舌で確かめている店は無いので出来なかったのだ。
「いらっしゃい。初めまして、バークの妻のベスよ。宜しくね、ジンさん」
そうこうしてる内に、奥さんのベスが玄関に出迎えに出てくれた。バークと同年代の、少しふっくらした可愛らしい奥さんだ。ジンも笑顔で挨拶を返す。
「こんばんは。今宵はお招きありがとうございます。これは手土産です。宜しければ受け取ってください」
つまらないものという日本独特の謙遜の言葉は使わず、ジンはそう言って花とお酒を差し出した。いつの間にそんなものをと、バークは驚いているようだ。
「まあ、気を遣ってもらわなくても良いのに。でもありがとう。ふふっ、花なんて貰うのはいつぶりかしら、ねえバーク?」
ベスは嬉しそうに受け取り、隣のバークに意味深に微笑みかける。
「うっ、今度カペラの花を買ってくるよ」
「あら、私が好きな花を覚えていてくれたのね。なら許してあげるわ」
決まり悪げにそう言うバークに、ベスは微笑んでキスをする。
どうやらバークはベスの尻に敷かれているようだが、中々に夫婦仲は良好のようだ。
「ふふふっ、ご馳走様です」
思わず微笑ましくなり、笑ってしまうジン。
「あらいやだ、私ったら。さあ、入って入って」
どうやらジンの存在を忘れ、無意識にキスしていたらしい。ベスは恥ずかしさを誤魔化すようにジンに中に入るよう促した。
「お邪魔します」
そう言って中に入ると、ジンは奥からこちらを窺うように見る小さな子供を見つけた。
ジンはその子に笑顔で軽く手を振って近づき、そしてしゃがんで話しかける。
「こんばんは。俺の名前はジンだよ。君のお名前は何かな?」
「ニルスです。お兄ちゃんはパパのお友達なの?」
何気にお兄ちゃんと呼ばれて嬉しいジン。
ニルスは小学校1年生くらいの男の子だ。どちらかと言えば大人しそうな子だが、なかなかに利発そうだ。
「うん、そうだよ。お仕事でも助けてもらってるんだ。ニルスのパパは良いパパだね」
「うん、こないだも絵本を買ってきてくれたんだよ。見る?」
「おお、いいねー。じゃあ、後で見せてくれる?」
「うん」
ニルスからは緊張が解け、笑顔で楽しそうにしている。そうしてジンがニルスと親交を深めていると、近づいたバークがニルスを抱え上げ、そのまま食卓の方へと運んでいく。
「よーしニルス、パパと一緒に行こうなー」
運ばれるニルスも、バークの腕の中で嬉しそうにキャッキャとはしゃいでいる。そしてベスがジンに近づいて話しかけてきた。
「気を遣ってもらっちゃって、ごめんね」
それはニルスに絵本を見せてもらう約束をしたことだろうか、それともバークに世話になっていると言った事だろうか?
だが、どちらにせよジンは嘘を吐いていない。
「いえいえ、子供は好きなので楽しいです。それに本心ですよ」
だからジンは笑顔でそう答え、そして部屋の奥へと進んだ。
部屋に入ったジンはニルスと隣り合わせに、バーク夫妻とは向かい合わせになる形でテーブルの席に着く。そしてそのままバークやニルスと会話をしながら、ベスの準備が整うのを待つ。ほどなくしてベスの手料理が次々にテーブルへと並べられた。
色鮮やかなサラダにビーフシチューのような煮込み料理等、どれも美味しそうだ。だが特にその中に一つ、ジンの目を強く引いたものがあった。
「お米だ……」
ジンが思わず目を奪われたのは、黄色く色づけされたサフランライスの上に数種類の魚介が乗った所謂パエリアだ。ジンは異世界に来てまで日本食をメインに食べたいとは思う程狭量ではないつもりだが、それでも久しぶりにお米が食べられるのは嬉しい。味噌や醤油等を求める事もそうだが、長年染み付いた食習慣からは抜け出しにくいのも正直なところなのだ。
そうしてベスにより料理が各自の前に取り分けられ、夕食の準備が済んだところでバークが言った。
「あらためてジン、ようこそ我が家へ。今日は楽しんでいってくれ。ではいただきます」
「「いただきます」」
バークの後に続いて、ベスやニルスも「いただきます」を言う。ポーズもジンがやっていたように、手の平を合わせた合掌の形だ。その様子は様になっており、既に習慣となっているように見える。
「はははっ、驚いたか?お前に話を聞いてから、我が家でも取り入れたんだよ。まあ、まずは食え」
そう言って早速バークが料理に手をつける。
「そうよ、食べてちょうだい。腕によりを掛けてつくったんですからね」
「はい、いただきます」
ジンは改めてそう言うと、サラダにドレッシングを掛けて一口食べる。酸味のあるそのドレッシングは、どうやらヨーグルトソースのようだ。さっぱりとしていて美味しいサラダをジンはあっという間に平らげると、今度は煮込みを口に入れる。それはビーフシチューの見た目を裏切らず、濃厚な味わいがあるシチューだった。
「どれも美味しいです。ベスさんはお料理上手なんですね」
ジンはベスに向かって素直に賛辞を口にした。
「うふふ、ありがとう。でも、これが一番食べたかったのでしょう?どうぞ召し上がれ」
ベスはジンの賛辞に微笑みながら、最後に取り分けていたパエリアを差し出す。ジンはばれていた事に少し気恥ずかしさを感じながらも、遠慮なく受け取って口に運ぶ。久しぶりに食べる米の味は、ジンにとってやはり格別だ。思わずジンの顔は笑み崩れる。
「うははは、ジンは本当に美味そうに食うよな。お替りもあるからもっと食え、食え」
そんなジンの様子を見たバークが笑いながらそう言うが、もとよりジンはこういう場面では遠慮する事はかえって失礼になると心得ている。美味しい物は素直に美味しいと言い、お替りを薦められたら遠慮せずにいただき、そして残さない。国によってはそうではない所もあるが、ジンにとってはこれが食事に招かれた時の最低限のマナーなのだ。
「はい、遠慮なくいただきます。しかしほんと美味しいです。私はお米が大好きなんですよ」
その言葉どおり、ジンはあっという間に皿のパエリアを平らげる。
「それだけ美味しそうに食べてくれと、こっちも嬉しくなるわね。お替りをよそいましょうか」
「ありがとうございます。パエリアも美味しいですが、他のも本当に美味しいですよ」
空いた皿を渡しながら、ジンはそうベスに返す。そして今度は大人しいニルスに話しかけた。
「料理上手なママでニルスが羨ましいよ。美味しいね?」
「うん、いつも美味しいよ。でもピーマンは美味しくないの」
後半は少し落ち込んだ様子で言うニルス。きっといつも食べなさいと叱られているのだろうとジンは思う。
「好き嫌いするとパパみたいに大きくなれないぞ?俺も昔はピーマンは好きじゃ無かったけど、好きなおかずと一緒に食べると我慢できたよ。ほら、こうやってね」
そう言ってジンはニルスに見せ付けるように、新しく皿に盛られたパエリアと一緒にピーマンを食べてみる。それを見たニルスも、自分が好きなシチューと一緒にピーマンを口に入れる。そして何とか食べきった。
「偉いぞ~ニルス。美味しかっただろ?」
コクリと頷くニルス。口に出さないという事は本当はそんなに美味しくなかったのだろうが、ジンに気を使ってか、もしくは子供ながら見栄を張って頷いたのだろう。その可愛くもけなげな様子にジンはぐっときた。だからジンは頑張ったねと褒めながら、ニルスの頭を撫でる。ニルスも笑顔で嬉しそうだ。
「ニルスがピーマンを食べるとはね。ジンさんは子供の扱いに慣れているわね」
ベスが少し感心したようにそう言った。
「そうですか?まあ甥……親戚の子供は面倒見たりしていましたけどね。でもこれは私じゃなくてニルスが偉いんですよ?」
そう言って改めてニルスの頭を撫でるジン。嬉しそうに見上げてきたニルスに、「偉いね~」と微笑みかける。
「はははっ。な、ジンはこういうやつなんだよ。これでまだ18だってんだからな」
自分が18歳の頃を思い出したのか、苦笑しながら言うバーク。それに同調する形でベスも言う。
「ええ、貴方から話には聞いてたけど、ほんとね。……っと、そうそう。この人に色々と教えてくれてありがとうね。さっきの食事前の挨拶も、この人に話を聞いたらとても素晴らしかったから、うちでも採用する事にしたのよ」
「いえいえ、私はただ食事の習慣について話しただけですよ、それを聞いてどう思うかはバークさん次第なんですから」
実際、見た目年下の自分が言った事を素直に取り入れるバークの度量は大きいとジンは思う。普通は余計なプライドが邪魔をしてしまい、目下の者の意見を素直に受け入れるのは簡単そうで中々出来ないことなのだ。ジンは自分も過去そんな頃があったと、経験も踏まえてそう思う。
「うふふ、それは分かっているわ。この人は素敵な旦那様よ」
そう言ってバークを見つめて笑うベス。バークも照れながらも嬉しそうだ。
ジンはやっぱり仲が良い夫婦っていいよなと心から思う。結婚を墓場だという人も少なくないが、友人の中には老人になってもなお夫婦円満な者もいたのだ。独身のジンにとって後者の夫婦像は理想だったし、この世界においてはバーク夫妻の仲の良さもそうだ。素直に羨ましいなと思ったジンは、何となくちょっとからかってみる事にした。
「ねえニルス、パパとママは仲良しだね。またチューするかな?」
「チューはいつもしてるよ。パパはいつも……」
「わあああ。ジン、お前子供に何を聞いているんだよ!」
慌ててニルスの発言を遮るバーク。
「いやあ、うらやましかったんで、つい」
さすがに舌こそ出さなかったが、この時のジンの様子を擬音で現すなら『テヘペロ』が一番近いだろう。
「つい、じゃねえ!……っくくくく、あぁっはっはっは」
反射的にジンに突っ込んだ後、バークはジンのとぼけた様子が何だかおかしくなってきて笑い出す。そしてすぐにベスやジンも後に続き、きょとんとしているニルスを残して三人はしばらく笑い続けた。
その後も一気に和んだその雰囲気のまま、楽しい食事は続けられた。そして「ご馳走様です」と食事を終えたジンは、約束どおりニルスと共に絵本を読んで遊ぶ。
今で言う魔法具を発明した賢者の話や、神様から魔法を授かった話に、魔獣の大群と戦った英雄と聖獣の話などもあった。御伽噺なのかもしれないが、何気に知らない事も多くてジンは普通に絵本を楽しんだ。
特に最後の人語を解し、魔獣と戦う聖獣には惹かれるものがあった。事実はどうかわからないが、『世界を守る守護聖獣』なんてフレーズはジンにとって浪漫の一つだ。今度本屋で聖獣関連の本を探してみようとさえ思うジンだった。
そしてしばらく後にニルスを寝かし付けに来たベスと交替し、バークの待つ方へと戻るジン。
「待ってたぜ、飲もうか」
片付けられたテーブルの上には、ジンが持ってきたお酒と共に数種類の酒とちょっとしたおつまみが置いてあった。バークはジンを待って、まだ酒には手をつけていなかったようだ。
「「乾杯」」
軽くグラスを掲げて乾杯した後、ジンとバークはお酒に口をつけ、ちびちびと飲み始めた。しばらくしてベスが加わり、それからは少しペースが速くなったものの、がぶ飲みしたりはせずに落ち着いて酒を酌み交わす。そうして酒とたわいの無い会話を楽しみながら時を過ごす。
「そう言えばジンさんは、冒険者よね。受付のアリアは元気にしてるか知らない?」
三人で酒を一瓶開けようとする頃に、そうベスがジンに尋ねてきた。
「アリアさんなら何時もお世話になってますよ。お元気だと思いますよ」
「そう、なら良かった」
良かったと答えながらも、ベスの顔はどこか沈んでいる。疑問に思ったのが顔に出たのだろう、バークがジンに説明し始めた。
「俺とこいつとアリアは、同じ孤児院の出身なんだよ。今はちょっと色々あって疎遠になってるんでな、それがつい顔に出ちまったんだ」
冒険中に命を落とす冒険者の数は決して少なくは無い。当然その中には人の親もいるわけで、そうした親を亡くした子供達は冒険者ギルド運営の孤児院に引き取られる事が多いそうだ。アリアとバーク達は一回り以上年が離れているので、孤児院での直接の面識は少ししかない。だが同じ冒険者という仕事をしていた為、アリアが冒険者となってからは何かと世話を焼いていたそうだ。
「そうなんですね。グレッグさんも言ってましたが、アリアさんは元気だと思いますよ。たまに笑顔も見せてくれますし」
アリアとベス達の間に何があったかはわからないが、何とか二人を励ましたくてジンはそう言った。
「笑顔って、アリアが笑っているのか?」
「はい。最近は結構笑顔を見せてくれると思います」
正確に言えばアリアが笑顔を見せる相手は、ほぼジンに対してのみだ。ジンは自分だけがアリアに微笑みかけられているとは思っていないが、アリアの事を良く知る二人からすれば、アリアは本当に仲の良い言わば家族のような存在にしか笑顔を見せない事を知っている。そしてこの六年間は、誰にもその笑顔を見せた事は無かった事も。
「そうか……」
そう感慨深げにバークは呟き、ベスにいたっては目に涙も浮かべている。二人にとってジンがアリアの笑顔を引き出したと考えるのは、至極当然のように納得できるものだった。
「俺達のパーティには、同じ孤児院出身の奴がもう一人居てな……」
そうしてバークはアリアとの間の出来事について話し出した。
以前グレッグに聞いたアリアと仲の良かった青年は、バークやベスが所属するパーティに居た事。バークとベスが出産を機にパーティ活動を休止していた間に、残りのメンバーは臨時パーティを組んでいた事。ベスの出産が無事終わってしばらくの頃にその臨時パーティがほぼ全滅し、その青年や他のメンバーが死んでしまった事。バークやベスが自分達のせいだと自分で自分を責めた事。その後ろめたさからアリアに声を掛けられなくなった事。そしてそれを機にバークは冒険者を引退して兵士となり、同じく引退したベスは子育てに専念するようになった事などをジンに語った。
「しかしそうか、アリアが笑顔をな……。ジン、ありがとうな」
「ええ、本当に。ジンさん、ありがとうね」
全てを語って楽になったのか、バーク達がジンにお礼を言う。だがジンはそれが自分だけの力だとは決して思わない。グレッグ達やバーク達を含む周囲の見守る優しい気持ちが無ければ、アリアの今はないのだ。
「本来私なんかが軽々しく言う事はできないのでしょうが、出来たら今度アリアさんと話してみてください。きっとアリアさんも喜ぶと思います」
アリアの子供達や自分に対する対応を考えてみると、彼女は情に厚い女性だとジンは思う。なかなかそれが表に出ないだけで、気遣ってくれていたバーク達をアリアが厭うとは思えないのだ。
そしてジンのその投げかけに、二人は迷いながらも頷いた。
その後ジンは自分が知るアリアの話を二人にした。もちろん自分のプロポーズ紛いの騒ぎもだ。あえてコミカルに話すジンに、しんみりとしていた二人も笑い出す。
そしてそれからもしばらくの間、三人で美味しいお酒を酌み交わしたのだった。
次回は28~30日の予定です
ありがとうございました。