世界と約束と調合
「それでは失礼します。色々とありがとうございました」
「こちらこそ助かったよ、ありがとう。近くに来ることがあったら、今度は遊びに来てくれ」
「はい、ありがとうございます。ではまた」
ジンは村長のエランとそう会話を交わすと、まだ少し薄暗い早朝にマグナ村を出発した。
「気をつけてな」「猪美味かったぞ、ありがとな」「また来いよー」
背後からは農作業の準備をする村民達の見送りの声が聞こえる。ジンは振り返って笑顔で大きく手を振り、そしてまた歩き出した。
ほのかに薄暗い早朝の空気には、独特の清涼感がある。ジンはエランの奥さんに作ってもらった朝食代わりのサンドイッチを食べながら、気分良く歩みを進める。
ジンは昨日の夜、宿屋ではなく村長宅に泊めてもらった。宴会自体はそう遅い時間になる前に終了したのだが、村長のエランとは遅くまで話し込んでしまったのだ。
エランは過去に冒険者だった事があり、その経験もあってこの村を任されているそうだ。若い頃はこの国だけでなく、別の国で冒険をしたこともあるそうで、いろいろな話を聞くことが出来た。
特にジンがいるこの国『ナサリア王国』の王都や、隣の『リグルド王国』にある迷宮の話は興味深いものの一つだった。
エランが言うには、ダンジョンは所かまわず突然発生しては魔獣を生み出す、『災害』であり『祝福』なのだそうだ。
もし発生したダンジョン『災害迷宮』内部の魔獣が倒される事無く一定期間放置されると、今度は魔獣が内部ではなく外部に生み出されるようになり、増えた魔獣達が周囲に大きな被害を与えるようになる。それを防ぐには、冒険者等がダンジョンに入って内部の魔獣を間引きするしかない。
一番良いのは最深部にある極大魔石を壊す事だが、それが出来なくとも内部の魔獣を倒していれば外部に魔獣を生み出す事は無い。そして一定期間が過ぎると、ダンジョンはその場から忽然と姿を消すのだ。
その期間は半年から20年以上と幅が広い。だが、もしその期間内にダンジョンコアを壊す事が出来たのなら、そのダンジョンはその地に固定化される。しかも以後は内部にしか魔獣を生み出さないので、冒険者や兵士達の育成には最適の場所になり、さらにはそうしたダンジョンで得られる素材はその地を潤す事にもなるのだ。
だから各国には最低一箇所以上の固定化したダンジョン『祝福迷宮』があり、多くの場合において王都に隣接しているのだ。
ただ『災害迷宮』の頃と比べると強い魔獣は出なくなり、レベルアップまでに倒さなければならない数も増える。さらには上げられるレベルも15前後と制限がかかり、どんなに頑張ってもレベルが20以上になる事は無い。理由としては「ダンジョンコアが破壊される事で、魔獣の質が落ちるから」という説が有力だが、ドロップアイテムには明確な差は無いため証明されてはいない。だがそれでもC級冒険者程度の実力はつくので、『祝福迷宮』は重宝されるのだ。
また、そうして高められる力は自国を魔獣の脅威から守るために使われ、他国との戦争等に使われる事はほとんど無い。数百年前に起こったとされる戦争も、仕掛けた国が魔獣に襲われて壊滅的な被害を受けて滅ぶという結果に終わり、戦争などは愚か者のする事だという認識が広くあるのだそうだ。皮肉な話だが、魔獣の脅威が抑止力になっているのだ。
さすがにエランも経験した事はないそうだが、その国が滅ぶ原因ともなった大規模な魔獣の襲撃は、数十年から数百年の単位で起こっているとの事だ。それが起きる原因は分かっていないが、発見されなくてあふれた『災害迷宮』によるものという説や、戦争を仕掛けた国が滅んだ事から『神の天罰』という説まであるそうだ。だが原因はどうあれ、それが脅威である事には変わりない。
他にも色々とエランから話を聞いたが、衝撃度で言えばこの魔獣の襲撃の話が一番だった。ジンはリエンツの街が襲われる事を想像して恐怖で身震いした。それは魔獣に対する恐怖ではなく、大事な人々を守れない事への恐怖だ。ジンはもっと力を付けていこうと、改めて決意した。
サンドイッチも食べ終わり、昨日の夜のエランとの話を思い出していたジンは早速トレーニングを開始する。
〔気配察知〕で小動物や魔獣の気配を探り、見つけた後は〔隠密〕でその対象に気付かれないように近づく。ジンはわざと街道を通らずに、そうした事を繰り返しながらリエンツの街へと戻っていった。もちろん途中薬草採取をする事も忘れない。
その中でジンはこの世界に来た直後以来、久しぶりにスライムと遭遇してこれを倒した。今度はちゃんとドロップアイテムを回収したのは言うまでも無い。
そうして色々とトレーニングや戦闘をこなしながらジンは戻り、マグナ村を出たのが早朝だったにもかかわらず、リエンツの街についた頃には既に昼を過ぎていた。
「お疲れ様です、バークさん」
「おう、ジン。お疲れ。今帰りか?」
ジンはリエンツの街の門でバークと会った。久しぶりに会えてジンの顔も笑顔になる。
「はい、マグナ村まで行ってました」
「おお、そうか。ん?なら今日はもう予定は無いのか?」
「はい。後は調べ物とか、魔法の勉強をしようと思っていました」
他はもし都合がつけばの話だが、ビーンさんの所でポーションの調合を見せてもらおうかと思っていたジンだった。
「なら、前に言ってた話だが、今晩うちに来ないか? 俺はこれから家に飯食いに戻るんだが、その時に嫁さんに言っとくよ。どうだ?」
「え?急な話ですが、今日で大丈夫なんですか?」
奥さんの都合もあるだろうと考えるジン。
「いや、今朝も嫁さんに早く呼べとせっつかれたところだったんだよ。お前さえ良ければうちは問題ない」
バークの台詞にジンは少し考えたが、ここは遠慮なく好意に甘える事にした。
「それではお願いします。もし無理だったら連絡もらえれば大丈夫ですので」
「ああ、まず大丈夫だと思うが、万一のときは連絡するよ。そうだな、問題なければ夕方6時過ぎに宿に迎えに行くよ。『旅人の憩い亭』でいいんだよな?」
「はい、ありがとうございます。では楽しみにしてますね。奥さんにもよろしくお伝えください」
「ははっ、伝えとくよ。じゃあまた後でな」
そうしてジンは今晩バーク宅にお邪魔する事になった。そしてジンはバークに別れを告げると、まずは旅の汗を流す為に公衆浴場へ、その後は昼食を取りに食堂へと向かった。
そして昼食を食べた後のジンが今いるのは、ビーンの店だ。ジンが駄目もとで尋ねてみたら、ビーンは快く承諾してくれたのだ。
奥の作業場に入ったジンの目の前では、ビーンの弟子がポーションを作成中だ。すりつぶした薬草などが溶けた液体が入った瓶を前に、弟子が手をかざして念じている。
これは最後の仕上げとして、魔力を通して成分を活性化させているのだそうだ。HPやMPを短時間で劇的に回復する秘密は、この最後に魔力を通す事にあった。
「調合とは極論すれば、きちんと分量や順番を間違えさえしなければ良いんですよ。混ぜ方や溶かす方法等にコツはありますが、それはそこまで難しくないんです。ただこの魔力を通すのは中々難しい。魔力を感じるためだけに、魔法の勉強をさせるくらいです」
そう言うビーンが弟子を見る目は厳しい。いつもの優しげな雰囲気とは違うが、ジンはさすがは一角の職人だと思う。
「かざした両手の平の間を魔力が通っているイメージです。その移動する魔力がポーションの薬効を刺激し、活性化することをイメージするのです。そうする事でその薬効に沿ったポーションが出来るのですよ」
ビーンはジンに説明しつつ弟子にも言っているのかもしれない。そう感じていたジンが見守る中、弟子の前にあるポーション瓶の少し濁っていた液体が青く色づいた。
「よし、前より良い出来ですよ。この調子で頑張りなさい」
弟子の成果を見て、ビーンはそう弟子を労う。弟子も手ごたえを感じたのか、嬉しそうだ。そしてビーンはジンに向き直った。
「それではジンさんも一度やってみますか。私が隣で同じ事をしますので、真似してやってみてください」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
ジンはビーンと並んで座る。そしてビーンの手際を見ながら、自分も乾燥した数種類の薬草をすりつぶす。決して器用ではなかった自分が、今ではビーンの真似をしているうちに何となくコツのようなものが分かってくる。ジンは〔身体操作補正〕はこんな細かい所にも有効なのかと、改めてその存在をありがたく思う。そしてジンは、その後もビーンも驚くほどの手際で作業を進めた。
「はい、ここまでは問題ありません。ではこれから最後の仕上げに移ります」
そう言うビーンの前には、少し濁った液体で満たされたポーション瓶がある。
「まずは私がやって見せますので、よく見ててくださいね」
ビーンは先程弟子がやっていたのと同じ様に手をかざし、魔力を込める。そして見る見るうちに液体が青く染まり、先程の弟子とは比べ物にならないくらい綺麗な青色となった。ジンもここまで綺麗な色をしたポーションは初めて見る。
「うん、良い出来ですね。今回は慣れる為に一本ずつポーションを作りましたが、通常は数本単位でまとめて作る事が多いです。ただ、こうして一本ずつ作ると込められる魔力が多くなるせいか、このように品質が良い品が出来る事があるんですよ」
ビーンの説明を聞きながら、なるほどなと納得するジン。そしてビーンに促されたジンも、自分のポーションに手をかざして魔力を通す。その通った魔力がポーション液の中の薬効成分を活性化させるイメージだ。それは〔魔力操作 LV:MAX〕を持つジンにとっては、決して難しい事ではなかった。そしてポーンというシステム音と共に、ジンのポーションが青く染まった。それはビーン程の輝きは無かったが、弟子のものより鮮やかな青色をしていた。
「……これは素晴らしい。とても初めてとは思えません。充分に店頭に出せる出来です」
そう驚きつつも、ビーンはジンの作ったポーションの出来を褒める。ジンにとっては〔魔力操作 LV:MAX〕を持つからこそ可能な反則技のようなものだが、だからと言って悪びれるような事はしない。
「ありがとうございます。これもビーンさんのご指導のおかげです」
ジンはただ、謙虚に受け止めるだけだ。もうスキルのおかげだからと変に自分を卑下する事も、かと言ってスキルにあぐらをかいて尊大になる事もないのだ。
「いえいえ、これが才能というものなのですね。……ジンさん、またお時間があればの話ですが、しばらくうちに通って調合を勉強してみませんか?」
話自体は願っても無い事だが、改まってそう言うビーンにジンは戸惑う。
「お教えしたいのはHPやMP、そして毒などの状態異常の回復薬など、冒険者に必要と思われる薬全般の知識です。材料が無くて作れないものも、レシピはお教えします。それらはジンさんの今後に必ず役立つと思います」
そう真剣な目でビーンはジンに訴える。
「大変ありがたいのですが、それは私なんかが知っても良い事なのでしょうか?」
ビーンにとって薬のレシピは最も大事なものだろう。それを惜しみなく教えるというビーンに、ジンは思わず気後れしてしまう。
「はい。私の師匠の言葉ですが、『知識はそれを受け継ぐに相応しいものに渡せ』というものがあります。私もそうして師匠から受け継ぎ、そしていつか弟子たちにも伝えるでしょう。ジンさんの人柄は存じておりますし、技術も今見せていただきました。足りないものはお時間をいただければお教えします。私は貴方なら相応しいと思うからこそ、お伝えしたいのです」
ビーンがジンを見つめる眼差しは、どこまでも真剣だ。
「ありがとうございます。心して学ばせていただきます」
そしてジンはビーンの気持ちに応え、その誘いを受けた。やるからにはビーンをがっかりさせないように取り組むつもりだ。ジンは大きな感謝と共に、ビーンに深く頭を下げた。
そしてジンはその後も時間の許す限りビーンから調合について学び、自分が作成したいくつかのポーションを貰って帰った。ビーンは遠慮したが、ジンが今日採取したばかりの薬草を渡したのは言うまでも無いだろう。それは授業料をとらないビーンに、ジンが出来るせめてもの事だった。
ビーンに感謝しつつ宿へと戻るジンの顔は、当然のごとく笑顔があふれていた。
読んでいただきありがとうございます。
次回は26日か27日になると思います。