迷子と光明
レイチェルとの『相談』から一夜明けた次の日、ジンは早速神殿へと向かっている。午前中は別の事をしていたので、昼食後の午後からの行動だ。
時刻がお昼時という事もあり、人通りは多い。いつもどおりの光景と言えばそうなのだが、やはり色々な種族が楽しげに行き交う光景はジンにとって非常に魅力的で飽きない。
だが今日は全てがそうしたいつも通りの風景ではなく、ジンは一人でしゃがんで地面を見つめる小さな子供を見つけた。
子供達が遊んでいる光景は良く見るが、さすがに一人で遊ぶ年齢としてはまだ小さいように感じる。甥姪達の小さい頃を思い出して心配になったジンは、結局その子に声を掛ける事にした。
「こんにちは」
ジンもしゃがんで視線を低くし、そしてその子に声を掛ける。振り向いたその子は、幼稚園児くらいの人族の女の子に見えた。
「こにちは」
「俺はジンと言うんだけど、君は誰かを待ってるの?」
「ちがう。ありさんみてたの」
答える言葉も幼い。ジンはやはり一人で出歩くにはまだ幼なすぎるように感じた。
「蟻さん頑張ってるね~」
ジンの言葉にコクリと頷き、また足元の餌を運ぶ蟻の行列へと視線を戻す女の子。
「お父さんやお母さんはどこにいるの?もしかしたら探しているかもだよ」
そう言われて初めて周囲を見回す女の子だが、周りに居ない事が分かって不安になったようだ。
「いない……」
もうすぐ泣いてしまうのは間違いないだろう、その前にジンは素早く言葉を挟む。
「大丈夫!俺がちゃんと探してあげるから」
そう力強く言い切り、ジンは少女の顔を見つめニッコリと大きく笑った。
「ねえ、肩車してあげようか?そうするとお父さん達も君を見つけやすいと思うよ」
女の子の感情が不安に傾く前に、楽しそうな事で気を引くジン。 おずおずと頷く少女に肩にまたがるように促す。
「よ~し、行くよ~。ぐい~ん」
明るい声と擬音を使い、コミカルに女の子をあやすジン。 中腰になって一旦止まり、女の子が高さに慣れるのを待つ。
「高いでしょ~。楽しいね~。もっと高くなるよ~。行くよ~。ぐい~ん」
そうして完全に立ち上がったジンは、身長185cmの長身だ。 またがっている女の子からは、普段は見ることの出来ない光景が広がっている事だろう。
「たかい~。とおくまでみえるよ、すごいすごい」
肩車を怖がる子も多いが、なんとか上手く楽しんでくれているようだ。
「凄いでしょ~。ああ、そうだお名前は何ていうのかな?俺はジンだよ」
「アイリス!4さい!」
ジンの問い掛けに、元気良く答えるアイリス。
「よろしくねアイリス。それじゃあそこからお父さんとお母さんを探してみて。どっちが早く見つけるか競争だね」
そう言ってジンは目立つようにと、噴水を囲む一段高い所へと上った。もっと視点が高くなり、楽しげにはしゃぐアイリス。ジンは今のうちにと声をあげる。
「アイリスちゃんのお父さんかお母さんは居られませんか~?」
そうしてその後何度か繰り返されたジンの呼びかけに、周囲の人間も迷子がいる事を認識する。
「お、兄ちゃん、迷子か?俺らは今から南の方に戻るから、呼びかけてみるよ」「あたし達は西に行くから言うね」「じゃあ俺は……」
などと食事を終えて仕事場へと戻る人たちが、次々に申し出てくれる。
「ありがとうございます。私はこのまま此処にいますので、宜しくお願いします」
ジンもその申し出に感謝して、そしてアイリスにも促す。
「ほら、アイリス。皆手伝ってくれるってよ。嬉しいね~。こういう時は何て言うのかな~?」
「ありがとーござます!」
ジンの真似をしてか、アイリスは舌足らずではあるが「ございます」と語尾までつけてお礼を言う。その可愛らしさに周囲の人々も笑顔で応え、それぞれアイリスに声を掛けてから散らばっていく。そうして迷子がいるという話はどんどん広がっていった。
「アイリス~、皆が手伝ってくれて嬉しいね~」
「うん。うれしい~」
ジンもアイリスが不安にならないように声をかけ続け、そしてその後10分も待たないうちに無事両親が現れた。
「アイリス!」
「あ、パパだ。 パパー!ママー!」
駆け寄ってきた両親に、ジンは肩車からアイリスを降ろして渡す。そうして無事親子の対面を果たしている姿を見て安心した。
「皆さーん。無事見つかりましたー。ありがとうございましたー」
そしてジンは協力してくれた周囲の人々に向けて叫び、無事会えた事を報告する。周囲からも安堵の声が飛び、そのうちに皆は拍手でその事を祝福した。
恐縮そうに頭を下げる両親とは対照的に、アイリスは満面の笑顔だ。
「アイリス。お父さんとお母さんが見つかってよかったね。でもアイリスが迷子になって二人は凄く心配したと思うよ。そこはメッだよ」
ジンは再度しゃがんでアイリスと視線を合わせ、そう最後に少しだけ真面目な顔になって言った。
「だからこれからは気をつけるんだよ?お父さんやお母さんに心配かけないようにね。さあ、何か二人に言う事あるよね」
ジンはアイリスの頭を撫で、今度は優しく微笑みながら言う。 そしてアイリスはコクリと頷く。
「パパ、ママ、ごめなさい」
「「うん。気をつけような(てね)」」
両親に向けてきちんと謝ったアイリスは、二人に優しく抱きしめられている。その様子を見て安心したジンは、一声掛けてその場を去ろうとした。
「それでは私はこれで失礼します。アイリス、ばいばい」
そう両親とアイリスにそれぞれ声を掛ける。両親が慌ててお礼を言って引きとめようとするが、ジンはお気になさらずとそのままその場を去った。
改まってお礼を言われるのも照れくさいし、ジンはアイリス達が幸せそうな様子を見れただけで充分なのだ。それに周囲の人々の優しさにも触れる事が出来て、ジンはとても気分が良かった。
そしてジンは足取りも軽く、当初の予定通り神殿へと向かう事にした。
神殿についたジンは、まず最初にお祈りを済ませた。神殿に来るのは初心者講習以来だったので、報告や感謝をきっちりと伝えるジン。そしてお祈りを済ませた後、近くにいた神官に回復魔法についての書物の閲覧をお願いした。
ジンが案内されたその部屋には長机と椅子があり、奥にあるカウンターの担当に見たい本を言って借りるシステムのようだ。そこで回復魔法の本を借りたジンは、早速席に着いて本を読み始める。
やはりレイチェルに聞いたとおり、基本的なことは属性魔法と同じ様だ。ジンは魔法文字を書き出して整理し始める。そして呪文の意味や、文字ごとの意味もあまさず〔メモ帳〕に書き写した。
魔法文字には一文字一文字に意味があり、『HP』『回復』『怪我』『異常』『病気』『修復』『浄化』等の文字の組み合わせで呪文が構成されている。例えば一番簡単な体力回復のヒールは『HP』『怪我』『修復』『回復』の四文字だ。
書物によるとこれらの文字は遥か過去に行われた神々との契約でもたらされたものとされ、現在使われている呪文は先人達がそれらの文字を組み合わせて作ったものの一部だそうだ。現在ではいくつか失われたものもあるとの事だ。
そして書物にはこれらの文字の意味が一つ一つ書いてあるのではなく、呪文ごとの意味しか書いていない。ジンが個別の文字の意味を認識出来るのは、〔言語設定:日本語〕のおかげだ。当初ジンは〔言語設定〕で呪文を「ヒール」とだけ読んでいたが、現在は個別の意味をイメージする事で一文字ごとの意味を把握する事が出来るようになった。呪文には共通するものも多い為、ジンは全体ではなく一文字ずつを覚えた方が効率が良いと考えたのだ。
だがそれら一文字ごとの意味は書物にあえて書いていないのではなく、分からないから書くことが出来ないのだ。現代まで意味が伝わっている文字の数は、決して多くは無い。現在ジンがやっている事は、神代の知識を復活させている様なものだった。
「ふーっ。こんなものかな」
そうしてジンは数時間をかけて、回復魔法の魔法文字をまとめ終えた。集中していたので覚えも悪くない。つい二週間ほど前の老人の頃は物忘れや物覚えの悪さに悩まされていた分、ジンは現在の頭の働きには満足している。若さって素晴らしいと改めて思うジンだった。
「もしお時間があれば神官長がお話したいと言っておりましたが、ご都合はいかがでしょうか?」
ジンが本を返却して帰ろうとしたところ、そう声を掛けられた。ジンの邪魔をしないよう、終わってから声を掛けるように言い含めていたのだろう。ジンとしても問題なかったので、快くそのお誘いを承諾する。そしてジンは神官長室へと案内された。
「お呼び立てして申し訳ありません、ジンさん」
「いえいえ、クラークさんのお誘いなら喜んで参上しますよ」
恐縮そうに言うクラークに、ジンは笑顔で冗談めかす。
「はは、ありがとうございます。そう言えば調べ物は無事お済みになられましたか?」
「はい。回復魔法を習得したくて、勉強させていただきました」
「そうですか、私にも心得がありますので……っと、レイチェルがおりましたね」
クラークはいつでも教えますと言いたかったのだが、途中でレイチェルの存在を思い出してそう言いなおした。ジンは一瞬何故クラークがレイチェルを知っているのだろうと不思議に思ったが、彼女が神殿にも所属している事を思い出して納得した。
「はい、彼女には今度また教えてもらおうと思っています。昨日も少し教えてもらったんですよ」
「そうですか、お役に立てているようで何よりです」
ジンの言葉に笑顔でクラークも答える。そして少し表情を改めてジンに向き直ると、頭を下げた。
「ジンさん、ありがとうございます」
ジンはクラークにいきなり頭を下げられて困惑する。クラークはすぐに顔を上げると、言葉を続けた。
「実はレイチェルは私の孫娘なんです。ジンさんとお会いしてから、これまでの事が嘘の様に彼女は成長しました。ジンさんと色々とお話したりその行動を見る事が勉強になったのでしょう。これもジンさんのおかげです。本当にありがとうございます」
そう言ってクラークは再び頭を深く下げた。
レイチェルがクラークの孫だったとは驚きだ。それにジンはこうしてクラークに礼を言われるのは嬉しくない事はないが、それ以上に何だかもどかしく感じる。
「クラークさん、頭を上げてください。私は当たり前の事しかしていません。レイチェルが成長したと言うのなら、それはレイチェルが頑張ったからです。それにそんな改まって礼を言うなんて水臭いですよ。お互い様じゃないですか」
ジンは先日のスキルに対する考え方の話で、クラークのおかげで随分気持ちが楽になった事を思い出す。お互い持ちつ持たれつ、レイチェルの事はもちろんだし、クラークが喜んでくれるのならジンだって嬉しいのだ。
「はい、じゃあ改めてジンさん。先日はありがとうございました。今後とも私の孫娘を宜しくお願いします」
「はい。レイチェルはまだ正式なパーティメンバーではありませんが、大事な仲間ですからね。私だって宜しくお願いする立場ですよ」
そう二人で笑顔で言葉を交わす。正式ではないというジンの答えにクラークは100%の満足はしていないが、それでもジンなら大丈夫だろうと判断した。その後は共通の話題であるレイチェルの事について、しばらく二人で話した。
加護の事や両親のこと等の話題のほかにも話はどんどんと広がり、最終的にクラークの孫自慢になったのはご愛嬌だろう。そうしてジンは、思いがけずクラークと楽しい時間を過ごした。
「すいません、長々とお引止めしてしまって」
そう言うクラークは、最後に脱線してしまった事を自覚してるのか申し訳なさそうな顔だ。しかしジンはクラークの親(祖父)馬鹿という、意外な一面が知れて楽しかったので気にしていない。
「いえいえ、楽しかったですし問題ありませんよ」
だからニコニコと笑顔で答えた。だがそれでも顔が完全には晴れないクラークに、ジンは最後に一つ質問をした。
「そう言えばクラークさん、私は魔法文字の勉強が足りていなくて魔法を発動させる事が出来ていないのですが、何か良い練習方法などありますか?」
そう言うジンに対し、クラークは過去を懐かしむような表情をする。
「ああ、分かります。私も若い頃は覚えられなくて苦労しました。良いでしょう、特別に私が編み出した裏技をお教えしましょう」
クラークの気を紛らわせる為に発したつもりの質問に、思いがけずアドバイスをもらえそうで驚くジン。
「もちろん呪文に対する理解や記憶は必須条件ですが、ある程度覚えた後は慣れるまで魔法文字を見ながら呪文を唱えるのです。ただ発動には対象を見る必要がありますので、少々費用はかかりますがガラスの上に薄く魔法文字を書く等の工夫が必要です。
そしてもし一度でも発動させる事が出来たら、後はその呪文は定着しますのでこっちのものです。レイチェルは優秀なので知らないでしょうし、他に同じやり方をする人の話も聞いた事がありませんから秘密ですよ」
そう笑顔でクラークはジンに伝える。
「え?!一度発動させる事が出来たら、後は魔法文字を脳裏に描く必要はないのですか?」
文字を見ながら唱えるという方法も盲点だったし画期的だが、発動と定着の関係はそれ以上に気になる。アリアから聞いた話では毎回脳裏に描く必要があるような言い方だったはずだ。
「ああ、確かに呪文を唱えながら脳裏で描く事が基本ですね。その方が威力や効果は高くなるのも間違いないです。でも必須ではないですよ」
クラークの教えは、ジンにとって衝撃的な内容だ。魔法習得や今後の運用に光明が見えたし、これはもしかすると『詠唱短縮』の習得条件の一つなのではないかとジンは思う。
魔法文字を描くには時間が掛かる。事前詠唱はもちろんの事、脳裏とは言え毎回魔法文字を描いていては、発動までの時間が短くなるにも限界があるだろう。そう考えると魔法文字を描かない事が『詠唱短縮』の条件の一つという考えに説明がつく。それにもしそうなら既に『詠唱短縮』をスキルとして覚えている自分は、一度魔法を発動させる事さえ出来さえすれば、威力は若干落ちるとは言え以後はキーワードのみの発動が可能という事になる。それに威力だってスキルレベルが上がれば100%にする事も可能だ。
ジンは広がる可能性に興奮を覚えた。
「ありがとうございます!数年先かと覚悟していた魔法ですが、もしかするともっと早く習得できるかもしれません。それに貴重な方法を教えていただき、本当にありがとうございます」
これはどちらも恐らく所謂秘儀に値する情報だろう。その情報を惜しげもなく教えてくれたクラークに、ジンは心から感謝して頭を下げる。
「ふふふっ。『水臭い』ですよ、ジンさん」
そのクラークの言葉にパッと顔を上げたジンは、少し前の自分の発言を省みて可笑しくなった。レイチェル共々、祖父と孫で同じパターンでやられてしまった自分を可笑しく思う。そしてクラークと顔を見合わせ、一瞬の間の後に一緒になって笑い始めた。ジンはとても嬉しかった。
もちろん魔法文字に対する勉強はまだまだ必要とは言え、上手くすれば近い将来に魔法は習得できるだろう。お互いの笑い声が収まった後、ジンはクラークに向き直って一言だけ言った。
「ありがとうございます」
そう言ってジンは満面の笑顔を見せた。
少し遅くなりましたが間に合いました。
次回は21日前後の予定です。
今回から行間のスペースを無くしています。此方の方が普通の文章のルールには則っていますが、もし読みにくくなった等の感想があれば活動報告の方にお聞かせください。
ありがとうございました。