それぞれの一日
清清しい朝。 壁の明かり採りの窓から、優しい光が部屋に差し込む。 その神殿内のとある一室では、朝の書類整理をしながら人を待つ神官長のクラークの姿があった。
その静かな空間に、コンコンとノックの音が響く。
「入りなさい」
そう言うクラークの声にドアは開かれ、そこにおずおずとレイチェルが部屋に入ってきた。 その顔は叱られた子供のようにうつむき、無意識にであろうが神官服の前を両手で握ってもじもじとさせている。 まるで初めてこの神殿にやって来た時のようなその姿に、クラークは思わず笑みをこぼしそうになるのを何とか堪える。
そして軽く咳払いをすると、少しだけ責める口調で言った。
「何か言う事は?」
クラークの声にレイチェルはピクッと反応する。
レイチェルは昨日の夜にお酒を飲んで帰ってきた。 別にお酒を飲むことは禁じられている訳ではないが、レイチェルはギルド職員のメリンダ女史におんぶされての帰宅だった。 以前から面識があった彼女とグレッグにはレイチェルの事をお願いしていたとは言え、まさかおんぶされて帰って来るとは予想外だ。 メリンダから簡単にこうなった経緯の説明を受け、叱らないで下さいねと念を押されたが、もとよりクラークにそのつもりは無い。 寝顔とは言え、こんなに嬉しそうなレイチェルの笑顔は久しぶりに見たのだ。 クラークはメリンダに改めて礼を言い、レイチェルを部屋のベッドに寝かせた。 何気に高レベルのクラークは、高齢とは言えまだそれくらいは朝飯前た。
そして心地良い睡眠が終わって夜が明け、自分の失態に気付いて絶賛反省中なのが今のレイチェルの状態だ。 クラークの声におずおずと部屋の中央まで進み、そしてか細い声で言った。
「ごめんなさい」
自分が神官長の孫娘である事を気にしてか、レイチェルはクラークと二人きりの時でさえ他人行儀な話し方をしていた。 だが、そのレイチェルが「申し訳ありません」ではなく、「ごめんなさい」とまるで子供の様な謝り方をしてくるのだ。 それはどこにでもある普通のお爺ちゃんと孫娘の関係のようで、クラークにはまるで昔に戻ったような感覚で心地良かった。
「ぷっ」
ただ、普段とのギャップが大きいその幼さに、とうとう我慢できず吹き出してしまうクラーク。
そしてそのまま声を押し殺しながらも笑い続ける。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
拗ねたように言うレイチェル。 また思わず笑いを誘われそうになるが、話がすすまないのでなんとか我慢する。 二日間の講習で何があったのか知らないが、その経験はレイチェルにとって良い影響を与えたのだろうとクラークは思った。
「反省はしているようだね。 今度は同じ事を繰り返してはいけないよ?」
「はい。 申し訳ありませんでした」
優しく笑ってクラークがそう言うと、レイチェルはいつもの他人行儀な口調に戻ってしまった。 だがそのままではつまらない。 クラークは可愛い孫娘に椅子を勧めて座らせると、できるだけざっくばらんな口調で明るく尋ねた。
「それで、講習は楽しかったかい?」
「はい! 一杯仲間が出来たんですよ。 勉強にもなりましたし、それにジンさんが凄かったんです!」
話したくてたまらなかったのだろう。 満面の笑みでレイチェルは話す。
一緒に講習を受けた仲間達。 色々と為になった実習。 皆で語り合った夕食と、初体験の見張り。 ジンの準備運動。 ジンの指導。 ジンの強さ。 ジンが……。
だんだんジンの話の比重が増えてきたなと、クラークは笑いをかみ殺しながらレイチェルの話を聞く。 やはり見込んだとおりジンは冒険者としてだけでなく、人としても中々の人物のようだ。 いきなりレイチェルがジンに加護の話をしたり、パーティの申し込みをしたのには驚いたが、そうさせるだけの安心感がジンにはあったのだろう。 少し早い気もするが、その判断にはクラークも異論はない。
別の街で神官をしている両親と別れ、この神殿にレイチェルが来たのは8年前だった。 加護の事もあって両親は自分に預けたのだが、両親と離れたレイチェルは寂しかっただろう。 来たばかりの頃はまだ幼く無邪気だったレイチェルも、神官長の孫娘という立場を気にしすぎてか段々と笑顔が消えていった。 加護を自覚してからは疎外感を覚えていたのも、それを加速させたのだろう。 昔は「お爺様」と呼んでくれていたのが、二人きりでも「神官長」に変わったのはいつだっただろうか。 真面目なあまり手も気も抜けず、鍛錬も人一倍頑張っていた。 ただそうした無理が神への依存という形になろうとしていた事は、クラークにとって危惧するところだった。 しかしそんな張り詰めていたレイチェルが、今肩の力が抜けて自然に笑顔を浮かべている。 ギルドのメンバーは勿論、特にジンには感謝してもしきれない。 そうクラークは思った。
「レイチェルはジンさんの事が大好きみたいだね?」
クラークはにこやかな笑顔で、この可愛い孫娘に質問をした。 しかし赤面する等の可愛い反応を見せてくれると思っていたクラークの予想は外れ、レイチェルは言われて初めて気付いたように驚いて考え込んだ。 その反応をクラークが疑問に思っていると、顔を上げたレイチェルは今度は少し恥ずかしそうに言った。
「何だかジンさんは、お爺様みたいで安心するんです」
親(祖父)馬鹿なところのあるクラークにとっては、これ以上無い殺し文句だった。 こんなに可愛い孫娘に戻してくれたジンには、絶対にお礼を言わなくてはとクラークは心に決めた。
そしてその後もしばらく、久々に交わす祖父と孫娘らしい会話を楽しんだのであった。
太陽が眩しい昼。 ギルドの運動場では今日も訓練に勤しむ冒険者の姿があった。 その一角では狼耳の凛々しい美人が集中して弓を引いている。 限界まで振り絞った弓から放たれたその矢は、狙い違わず的の中心に突き刺さった。
「お見事。 久しぶりにど真ん中に決まったわね。 その感覚を忘れないでね」」
そう言うのはメリンダだ、そして言われたのは勿論エルザだ。
「ありがとうございます」
「うん、それじゃあちょっと休憩しようか」
そう言ってメリンダが席を外す。 エルザも鞄からタオルを取り出して汗を拭くと、何気なく運動場を見渡した。
「今日は来ていないみたいだな」
そう呟いてからエルザは、自分が無意識に誰を探していたか気付く。 そして昨日の打ち上げの事が思い起こされる。
エルザがジンに興味を持ったのは、初めてジンを宿の中庭で見たときからだ。 奇妙な動きをするジンを見て、何をしているのだろうと興味を持った事を覚えている。 次に会ったのはギルドの運動場だ。 そこで初めて話すことが出来た。 貴重な準備運動という考え方を惜しげもなく教えてくれて、でもその丁寧な物腰がかえってもどかしかった事を覚えている。
思えばジンは変な奴だ。 他の男達のように自分をじろじろと見ることも、かと言って気付かれないように盗み見る事もしない。 初心者冒険者らしく知らない事も多いが、時にこちらが驚くような知識を披露したりもする。 極め付きはまだ冒険者になって1週間かそこらのはずなのに、変異種を一人で倒す事が出来る実力を持つというところだ。
何故か初めて会った時から只者じゃないという気がしていたが、変異種を一人で倒された今となっては実力も抜かれてしまった。 だからだろうか。 昨日ジンをパーティに誘ったのは?
「ふふっ」
昨日のレイチェルとのやり取りを思い出して思わず笑みをこぼすエルザ。 思えば誰かをあんな風に取り合いするなんて事はなかった。 確かに酔ってはいたが、自分でもあんな事をするなんて信じられない。
ジンの顔を自分の胸に押し付けるなどの自分の大胆な行動を思い返し、少し顔が赤くなるエルザ。 首を振ってその考えを散らす。
「あいつに話していないのに、勝手に誘っちゃったしな」
パーティを組むとなれば、一時的に離れている相棒にも相談してからジンに伝えるのが筋だ。 しかし自分は先走って声をかけてしまった。
それは変異種を倒すジンの実力を見たからか? ジンが自分の事を女として見ない事を信用したからか? ジンの金に拘らず道理を通すその懐の深さに感心したからか? それとも他の誰かにとられる前にとりあえず確保しとこうという、浅ましい考えではなかったか?
「うわー、もやもやするー」
両手で顔を覆い、エルザは身悶える。 自分の浅ましさを完全には否定できないのがつらいのだ。
エルザがジンをパーティに誘ったその根底に何があるのか? その切っ掛けの一つとなったある感情はまだ大きなものではなく、エルザが自覚する事も今はまだ無い。
「何やってんの、エルザ」
そうあきれたように声をかけるのは、戻ってきたメリンダだ。 あわてて誤魔化そうとするエルザに何を思ったのか、どこかグレッグを思わせる人の悪い笑みを浮かべる。
「はっはーん。 昨日の事でしょう?」
ピクッと反応してしまうエルザ。
「楽しかったわよね、打ち上げ」
「ジンもいたしね」
「パーティ誘ってたもんね」
「大胆に抱きしめたりしてさ」
そうしてメリンダの問いかけに、一々全部反応してしまうエルザ。 そんなエルザをからかうメリンダは実に楽しげだ。
「好きなんだね~」
そして止めのつもりでメリンダはそう言う。
「は?」
「え?」
前者がエルザで後者がメリンダだ。
「いえ、別に私はジンを好きだとかそういうことはありませんよ?」
冷静な声音でエルザは答える。 もちろんメリンダにとっては意外な答えだ。 焚き付けるつもりで放った一言の、まさかの空振りに声も出ない。
「ジンとは友達だから誘ったんです。 確かにあいつは腕も立つし、頭も良い、器もでかいし性格も良いと思います。 ちょっと先走ってしまいましたが、ああいう男は他にいないと思うので仕方の無いことです。 たぶん相棒も気に入ると思いますし、他の奴らもほっとかないでしょう。 そう、だから仕方の無いことなんです。 私が誘ったのも。 ええ、そうなんです!」
最後には握りこぶしを固めての力説だ。 誰に言い聞かせているのかはわからないし、よく聞けばのろけのようにも聞こえる。 とりあえずメリンダは判断を保留し、攻め方を変えることにする。
別に恋愛感情なしにパーティを組むのであれば、それに越した事はない。
「じゃあ、貴女もジン君に相応しい実力を身に付けなきゃね」
メリンダの発言に返せず、言葉に詰まってしまうエルザ。
「貴女が弓を選んで鍛えた事は間違いじゃないと思うけど、今日でそれは終わりにしなさい。 基礎はもうこれで充分よ。 次は実戦で磨くの、そしてそれだけでなく貴女の強みも伸ばしなさい。 貴女にはそれだけの実力があるはずよ?」
そう可愛い教え子に発破をかける。
まだパーティに恵まれていない、この可愛い教え子に。
グレッグ達と出会う前の自分を思い出させる、この有望な教え子に。
そして過去の自分を超える潜在能力を持つ、この親友の愛娘に。
メリンダは心を込めてエールを送る。
「貴女なら成れるはずよ。 頑張りなさい」
「はい!」
メリンダの本気を感じ、エルザも決意の返事をする。
「それじゃあ、最後の訓練よ。時間までしっかりと磨きなさい」
「はい!」
そうしてエルザは再び弓を構える。 そのエルザを見るメリンダの視線は厳しくも優しい。
「(ジン君ならエルザを任せられるわ。 逃がさないから覚悟してね)」
そう内心で呟くメリンダの声は、遠く離れたジンの元に届くだろうか? その時ジンが何かを感じたかどうかは定かではない。
太陽が赤く大地を染める夕方。 今日の仕事を終えた冒険者達が夜の準備に一旦宿へと戻り、人が少なくなった冒険者ギルド。 今日は早めに受付業務の忙しさは終了し、アリア達は今は書類整理を主にこなしている。 雑談しながら仕事が出来るその余裕のある時間帯に、サマンサがアリアに話しかける。
「そう言えば、今日はジン君は来なかったね」
「はい」
答えるアリアの答えは素っ気無い。 これは初心者講習を終えても顔を見せないジンに怒っているのか、それともサマンサのからかいに応えるつもりが無いからかはわからない。
「そう言えば昨日の初心者講習の打ち上げでさ、ジン君は女の子二人に抱き付かれていたらしいよ?」
その瞬間ピタッと書類仕事の手を止め、サマンサの方を向くアリア。
「パーティを組むとか組まないっていう話だったそうよ」
アリアのその反応をニヤニヤしながら見つめ、サマンサが追加情報を出した。 本当は他にもジンの「今は付き合う気が無い」発言等も情報として仕入れているが、それは言う気は無い。 何故ならサマンサにとってそんなものは承知の上で、それでもその気にさせるものだから関係ないのだ。
「それで組むのですか?」
「いや、保留らしいよ。 Cランクに上がる頃には正式に決めるとか。 たまに臨時パーティは組むらしいけどね」
考え込むアリアを見て、サマンサは心の底から応援する。 切っ掛けが恋でも何でも構わない。 この可愛い妹分がもう一度動き出そうとしているのだ。 どんな結論をアリアが出そうと、それが前向きなものなら構わない。 例えそれがアリアとの別れの意味する場合でも、笑って応援するだけの覚悟はあるつもりだ。
そうしてサマンサは、今もまだ手を止めたまま考えるアリアを優しく見守った。
バンという大きな音がして、サマンサの思考は中断される。
そこにはギルド入り口の戸を勢いよく開け、そのままの勢いで転がり込む冒険者の一団の姿があった。
「間に合った~」
活発そうなショートカットの女の子が、そう言って安堵のため息を漏らす。 横には同じくらいの年頃の男の子と、ショートボブの大人しそうな子もいた。
「ほら、安心するのは受付で手続きを済ませてから。 もう一頑張りだよ」
そうしてもう一人、その三人に発破をかけているのは、話題の当人であるジンだった。
「うん、わかった。 じゃあ行って来る」
そう言ってその三人がサマンサの方へとやってくる。 サマンサが確認すると、期限が今日の薬草採取の依頼だった。 とりあえずサマンサは受付に集中する。
そして一方ジンはというと、にこやかな笑顔で真っ直ぐアリアの元へと向かった。
「こんばんは、アリアさん。 ギリギリで申し訳ないのですけど、チリル草とメル草の常時依頼は処理可能ですか?」
常時依頼は普通の依頼と違い、事後報告でも構わないのは確かだ。 ただ、いつもなら依頼を受けてから報告するジンであったので、今回のケースは初めてだ。
「こんばんは、ジンさん。 大丈夫ですがどうなされたのですか?」
アリアは受付処理をしながら、ジンに尋ねる。 それにジンも気軽に答える。
「いや、ガンツさんの所に行った後、彼らとばったり出会いまして。 少しだけ採取を手伝ったんですよ」
そう言うジンに依頼処理中のダンが口を挟む。
「いや、ほんと助かったよ。 ありがとう、ジン。 君が居なかったら絶対間に合ってなかった」
期限ギリギリで焦る彼らを見過ごす事が出来ず、ジンが手を貸したのが今回の顛末だ。 〔MAP〕を使用しつつばれない様に彼らを導いたのだが、もちろんただ単純に場所を教えただけではない。 〔採取〕を習得した事でより変化に気付けるようになったジンが、今後の役に立つようにと薬草の探し方などの指導までしたのだ。 その分時間ギリギリとなってしまったが、ジン無しには間に合わなかったであろう事も事実だ。 ジンの指導も含め、ダン達が感謝しないわけがない。
「うん、今回はたまたま俺も採取するつもりだったからね。 ついでだよ、ついで。 でも次は気をつけようね」
ダン達が負担に思わないようにしようとしているのが見え見えだが、ありがたくダン達はその気遣いを受けとった。
「本当にジンには感謝だよ~ お礼は何がいい? レイチェルみたいに抱きついてあげようか?」
そう悪戯っぽく笑うシェリーの額に、ジンは軽くでこピンする。 あ痛と額を押さえるシェリーにジンは言う。
「女の子がそう言うことを言っちゃいけません。 あと、ここは受付だよ? ちゃんと冗談を言う場所も考えなさい」
「えへへ~ ごめん」
そう笑って謝るシェリーにジンも厳しい顔は長続きしない。 苦笑して許す。
そういう親しげな様子はジン達四人には当然の事だったが、アリア達にとっては意外なものだった。
「随分親しげなご様子ですね?」
そう聞くアリアの声も、どこか動揺している。
「え? ああ、一緒に冒険した仲間ですからね。 ほらシェリー、アリアさん達にもちゃんと謝って」
ジンにそう促され、アリアやサマンサにも騒がせたお詫びをするシェリー。 その様子を見て満足げに頷くジンは、仲間というより保護者の方が近いだろう。 そうして何だかんだと騒がしくなってしまった処理を終え、仲良く連れ立って出納係へと向かうジン達四人。 その様子を見てサマンサは疲れたように呟いた。
「油断できないわね」
「はい」
若さに当てられたのか、答えるアリアの声もどこか疲れているようだった。
全てを暗闇で覆い隠し、そして癒す夜。 宿の一室では魔道具の明かりの元で、ジンが本を読んでいる。 それはアリアから借りた魔法について書かれた本だ。 初心者講習で読めなかった分を取り戻すつもりで読み進めるジン。 しばらく集中して読んだ後に一息入れようと顔を上げ、大きく手を上げて背伸びをして体をほぐす。
「そう言えば、ようやくアリアさんに挨拶できたな」
本来は昨日の内に帰還の挨拶だけでもしておくつもりだったが、その時はアリアが忙しくしていたのでタイミングが合わなかったのだ。 また今日も午前中の内にギルドに行く予定が、ダン達の依頼に巻き込まれたので結局夕方になってしまった。
「ま、会えたしいいか。 何だかんだで楽しかったしな」
ジンは笑ってそう呟くと、再び本へと集中した。 そしてそのまま寝る前の数時間を、ジンは読書をして過ごした。
それぞれの一日は、こうして終了したのである。
私の力不足から色々と誤解されているようなので急いで書きました。
今日の更新で伝われば嬉しいのですが、現状はハーレムではありません。
気になる方は活動報告で。
次回は12日か13日になると思います。
よろしければ今後ともお付き合いをお願いします。