訓練と過去
次の日になると、ジンは早朝からギルドへと向かった。 そして運動場でしっかりと準備運動をおこなって体をほぐし、その後に自主訓練を行った。
それは木剣の素振りから始まり、ジンはグレッグに習った型にそって鋭く剣を振るった。 〔剣術〕レベルが上がり、さらには〔足捌き〕のスキルにも目覚めたジンのその動きは、熟練の戦士と言っても良いほどの凄みを感じさせるものだった。 一心不乱に剣を振るうその姿は、とてもではないがつい数日前に剣を振るい始めた者には見えない。 そして一通りの型を終えて息をつくと、ジンに声をかけてくるものがいた。
「お疲れ、ジン。 朝から良い気迫だな」
声をかけてきたのはエルザだった。
「おはよう、エルザ。 練習か?」
「ああ。 しかしジンが剣を振るっている所をきちんと見るのは初めてだが、大したものじゃないか。 とてもFランクには見えないぞ」
「ははは。 ありがとう。 一応昨日Eランクになったよ」
先日のエルザとの昼食のときに、そのあたりはお互い話済みだ。
「おお、もうランクアップしたのか。 おめでとう」
「ありがとう。 まあ、色々あったんでね」
無茶をした手前ちょっとばつが悪く、頭をかきながら言うジン。
「? そういやランクが上がったって事は、初心者講習はどうするんだ?」
何故ジンがそんな顔をするのかエルザは不思議に思ったが、とりあえずスルーして別の気になる事を聞く。
「どうするって、受けるよもちろん。 色々俺はまだまだなんで、勉強できる機会は逃したくないからね」
「そうか。 私もそうしたほうが良いと思う。 それに…、いや何でもない」
今度はエルザが口ごもる番だったが、その表情はどこか楽しげなものだったのでジンも気にしない事にした。
「明後日開催だったからな、そういや詳しい事は聞いてなかったな。 後で確認しておかないと」
「ん? 朝7時にこの運動場に集合で、翌日の夕方解散予定だったはずだぞ。 受付はとっくに始まっていたはずだが、まだ登録してなかったのか?」
「うわ、失敗したな~。 エルザ、教えてくれてありがとう。 忘れずに後で登録しとかなきゃな」
考えてみれば事前登録は当たり前だ。 昨日一応アリアに受ける事は話したが、ちゃんとした登録をお願いした覚えはなかった。 ジンは朝のうちは依頼で受付は混み合うだろうからと、昼休憩の前後に登録をお願いしに行く事にした。
「しっかりしていると思ってたけど、案外ジンも抜けているんだな」
そう言ってエルザが快活に笑う。
「くっ。 当たっているだけに何も言えないぜ」
だからジンもちょっとおどけて笑った。
「ふふふ。 しかし本当はちょっとだけジンと模擬戦をやってみたかったんだけどな。 見た感じジンは結構強そうだったから」
少しの後、笑いを収めたエルザがそんな事を言ってきた。
「う~ん。 いつかは出来たら良いとは思うけど、今はまだ早いよ。 それに教官か誰かの立会いがないと危なくないか?」
「今でも充分だと思うんだけどな。 でもまあ、確かにそう言われたらそうかも。 ついつい熱くなってしまいそうだからな」
エルザの発言の内容はともかく、とりあえず納得してくれた事に安堵するジン。
「まあ今は実力的に無理だけど、エルザと同じDランクになれた時くらいには出来るといいな」
「うん、約束だからな」
そう言ってエルザは楽しそうに笑った。
そうしてエルザも自分の練習の為に移動したので、ジンは再び自主練習に戻った。 そしてしばらく自主訓練を続けていると、時間になりグレッグが姿を現した。
「ようジン、待たせたな」
「おはようございます、グレッグ教官。 自主練習していたので問題ないです」
グレッグは答えるジンの様子をじっと見ると、ニヤリと笑って言った。
「なんだか良い顔になっているじゃねえか。 こないだの落ち込みからは完全に回復したみてえだな」
「はい、ありがとうございます。 おかげさまで自分の未熟さも再確認できましたので、今は出来る事をどんどん増やして全力で取り組もうと思っています」
いつかまた迷ってしまう時がくるとしても、それはその時に考えれば良いことだ。 答えるジンの表情は明るい。
「うん、そうか」
グレッグは先日のジンの落ち込みや迷いといったものを気にしていたが、こうして迷いを振り切ったジンの様子を自分の目で確認出来て安心して微笑んだ。
「やっぱ所帯を持とうとする男は違うねえ」
そしてグレッグは浮かべた微笑をニヤニヤ笑いに変え、ジンをからかうように言った。 昨日のギルドでの出来事は、間接的にではあるが昨日の内にグレッグの耳にも届いていたのだ。
「所帯って、どなたか結婚されるのですか?」
不思議そうにジンが尋ねる。 当然ながらジンはそれが自分の事だとは思っていない。
「お前だよ。 昨日アリアにプロポーズしたんだろ? アリアもまんざらでもなかったらしいじゃねえか」
「はあ!? いや、昨日は花を渡しただけですよ?」
思わず声が大きくなるジン。 残念ながらジンは産まれてこの方、一度もプロポーズなんてした覚えはない。
「だから渡したんだろ、赤いローゼンの花を? 花言葉は『燃える愛』『貴女を愛している』とかだったっけか。 プロポーズは噂に尾ひれがくっついて大げさだったとしても、愛の告白をしたのは間違いないんだろ?」
グレッグのニヤニヤ笑いは止まらない。 もちろんグレッグは全てを知った上でからかっているのだ。
「いやいやいや、単に日頃のお礼に花を贈っただけですよ。 武器屋のガンツさんにアリアさんは赤いローゼンの花がお好きだと聞いて!」
「わはは。 なんだガンツの差し金か。 くくくっ、あいつも思い切った事をしたな」
ガンツが迎えるであろう結末を想像し、グレッグは思わず笑ってしまう。 そしてその時ようやくジンは自分がグレッグにからかわれている事に気付いた。
「もう、グレッグさん、からかわないでくださいよ。 本当はわかってるんでしょう? 私は単に花を渡しただけですよ」
「ん? いや、ローゼンの花のくだりは本当だぞ。 お前はガンツに一杯食わせられたんだよ」
そう言うグレッグの顔はうっすらと笑ってはいるものの、その言葉には真実の響きがあった。
「え? ええっ!? って、それじゃあアリアさんは… うわ、恥ずかし!」
そして遅ればせながらようやくジンは自分の状況を把握し、昨日の出来事がどういう意味を持つのか理解して恥ずかしくなった。 そうして恥ずかしさのあまりしばらく悶えるジンだったが、自分がきちんとアリアに花を渡す意味を話していた事を思い出す。 だからアリアも分かった上で受け取って笑ってくれたと思うと、何とか恥ずかしさも治まってきた。
「まあ、良いです。 何だかんだ分かった上でアリアさんも喜んでくれたのは間違いないと思いますから」
「くくくっ、そうか? アリアと一緒にガンツにお仕置きにでもいくか?」
さらにからかうグレッグに、ジンは少し疲れた声で答える。
「いえ。 ガンツさんのおかげでアリアさんにも喜んでもらえたし、お世話にもなっているのでそんな事はしません」
しかし「お仕置き」って何なんだと思いながら、ジンは続けて言った。
「とは言え今度機会を見つけてお返しをするか、それか高いお酒でも奢ってもらう事にします」
「うはは。 その時は俺も一枚かませろ。 ふむ、何なら今日の訓練終わりにガンツを誘って呑みにでもいくか?」
「良いですね。 とりあえずグレッグさんにガンツさんを誘い出してもらって、そこで私が登場して驚かすって感じでどうですか?」
「おお、良いねえ。 だがあいつがそれぐらいで驚くたまかな? もう一工夫欲しいところだな」
少なくとも訓練前に話す事ではないと思うが、二人の脱線は止まらない。 少し考えてジンは言った。
「例えばアリアさんが登場するってのはどうです? もしくはアリアさんの声で呼びかけてもらうとか」
「さすがにアリアは来ないだろう。 声真似でもするのか?」
「ふふふっ。 そこは任せてください。 ちょっと良い手があるので」
「ほほう。 じゃあそこは任せた。 訓練が終わったら俺がガンツを連れ出すから、お前とは飲み屋で待ち合わせな。 詳しくは後で話すわ」
「はい。 終わった後のお楽しみが出来たので、訓練にも身が入るってものですね」
ジンとグレッグは、お互い顔を見合わせるとニヤリと不敵に笑った。
「よし、それじゃあ今日は前回以上にハードに行くぞ」
「はい。 宜しくお願いします」
そうした益体も無い訓練前の雑談ではあったが、良く言えば体の力が抜けたのか宣言通りの厳しい訓練をジンは嬉々としてこなした。 新しい武器である槍の使い方、そして盾の使い方だ。 盾はともかく槍はグレッグは基本的な事しか知らないと言いつつも、ジンはきっちりと槍の扱い方の基礎を学ぶ事が出来た。
盾は『大盾』と『小盾』の使い方を両方教えてもらった。 両手武器を使う事が多いジンにとっては小盾しか使う機会がないとも思われたが、まずは出来る事を増やそうと大盾にも取り組んだ。 かろうじて剣道経験があった〔剣術〕と違い、槍や盾はまったくの初めてだ。 ジンは慣れない扱いに苦戦しながらも、一歩一歩着実に身に付けていった。
そして時刻が昼にさしかかろうとする頃、一旦食事休憩を取ることになったジンは食事の前に初心者講座の登録だけしておこうと受付に向かった。
「こんにちは、アリアさん。 今良いですか?」
「はい、こんにちはジンさん。 どうぞ」
グレッグから聞いて自分の行動がどう見えていたかを知ったジンは、内心ドキドキしながらも平静を装ってアリアに話しかけた。
「まず最初にアリアさん、昨日は失礼しました。 私がローゼンの花の意味を知らなかったせいで、周囲の人に誤解されたのではありませんか?」
アリアの前に座ったジンは昨日の件で迷惑をかけたかもしれないと思い、まず最初にアリアに謝罪した。
「謝らなくて結構ですよ。 私は嬉しかったので問題ないです」
アリアはジンの目を見つめてはっきり「嬉しかった」と言った。
そしてそれを聞いたジンは、やっぱり喜んでもらえたのだから結果良かったのだと思った。
「そう言ってもらえてホッとしました。 今度贈り物をする時はちゃんと調べてから贈りますね」
だからジンは先程のアリアの発言の意味は深く考えておらず、微妙に残念そうなアリアの様子にも気付かなかった。
「それで今日は明後日の初心者講習の参加登録をお願いしたいのですが」
「はい。 それは既に冒険者登録初日にグレッグ教官の指示で登録済みです」
「あ、そうなんですね。 それは良かったです」
遅くなったと思っていたら既に登録済みだったとは、あっけない結果にジンの気も抜ける。
「それでは今度はこちらの用件ですね。 はい、これが昨日お話ししていた魔法の本です」
そんな気の抜けたジンを見ながら、アリアがジンにしっかりとした作りの分厚い本を渡してきた。
「おお。 早速持ってきてくださったんですね。 ありがとうございます! 大事にお借りします」
ジンはそう言って両手で本を受け取り、大事そうに持った。
「はい。 読むのに時間がかかると思いますので、日数は気にせずじっくり読んでください。 もし何か分からない事があれば、少しはお教え出来るかも知れません」
「はい。 重ね重ねありがとうございます。 その時はお言葉に甘えさせていただきますね」
本当にアリアにはお世話になりっぱなしだ。 ジンは感謝して笑顔でアリアにお礼を言う。 そして蒸し返す事になるかもしれないとは思いつつも、せっかくだから聞いてみる事にした。
「ところでアリアさん、本当に好きな花は何だったのですか?」
せっかくだから次にアリアに花を贈るときはちゃんとアリアが好きな花にしたいと思い、ジンは聞いた。
「今までは特にこれといってありませんでしたが、ジンさんにもらって赤いローゼンの花が好きになりました」
少し考えた後に、アリアはまたジンの目をしっかりと見つめながら言った。
「おお~、それは光栄です。 ただ次も誤解を招くといけませんから、今度は贈る時は花じゃない何かにしますね」
にっこり笑って嬉しそうに言うジンであった。
その後ジンは最後にアリアに一つ頼みごとをした。 そしてそれをかなえてもらった後、改めてアリアにお礼を言うと席を立って外へと向かった。
そして残されたアリアにサマンサが声をかけてきた。
「わざとか天然かわからないけど、あれは強敵ね」
「はい。 頑張ります」
どうやらいつの間にか戦いは始まっているようだ。
そしてギルドを出て昼食を済ませたジンは、再びギルドの運動場に戻って訓練に取り組んだ。 結果スキルを得る事こそ出来なかったが、ジンは手ごたえを感じていた。 そして夕方になり今日の訓練を全て終えたジンは、公衆浴場に寄った後にグレッグとの待ち合わせの酒場の近くへと向かった。
今回は特別に〔MAP〕でグレッグとガンツの位置を確認していたジンは、そっと二人の後ろに近づいて〔音楽〕で音声を再生した。
「楽しそうですねえ?」
そこに再生されるのは本物のアリアの声だ。 先程アリアに頼んで言ってもらった言葉を、〔音楽〕を使って録音しておいたものだ。 少し嫌味っぽくお願いしますというジンのリクエストに、ちゃんとアリアが応えてくれている。
「「!?」」
ガンツだけでなく、グレッグもびっくりして勢い良く振り向く。 しかしもちろんそこにアリアの姿はなく、ただニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるジンの姿だけであった。
「ふふふ、大成功ですね」
ガンツだけでなく、グレッグにもからかわれた意趣返しだ。 悪戯が成功してジンの笑みも治まらない。
「おま、ジンだったのか? アリアは? おいおいまじか、びっくりさせんなよ」
驚いて似たような事を言ってくる二人だったが、ガンツもグレッグもお互い後ろめたい事があったので段々と尻すぼみになってくる。 そしてついには三人とも何だか可笑しくなって笑い始めた。
そうして一気に気安くなった三人は連れ立って飲み屋の門をくぐると、心ゆくまで男同士の馬鹿話に花を咲かせた。
そうして散々楽しんだ後、明日の事も考えてそろそろお開きにしようとする頃に、グレッグが改まってジンに話しかけてきた。
「ジン、アリアの事だがありがとうな」
お礼を言われても何の事かわからないジン。
「ある程度の年齢の奴らは皆知っている事だがな、アリアは6年前までは冒険者だったんだよ。 結構良い腕でな。 いつもあんな感じであんまり表情を出さないから『氷の魔女』なんてあだ名も付けられてたな」
そうしてグレッグが語りだす。 ガンツも昔を思い出してか、神妙な顔つきだ。
「そんなアリアだったが、幼馴染の男と話すときはたまに笑顔を見せてたんだよ。 そいつも冒険者でな、出来はあんまり良くなかったが真面目で良いやつだったから周囲も応援してた。 その頃はアリアも17、8くらいか。 別に付き合っているわけじゃなかったが、アリアも意識はしていたと思う。 だがそいつが6年前に死んじまったんだ。 アリアにつりあう男になろうとしてか、無理しちまったんだろうな」
当時を思い出してか、グレッグやガンツの顔が歪む。
「残念だがこういう話は冒険者ならつきものの話だ。 だがアリアにとっては初めての身近な人間の死だった。 アリアはショックを受けて冒険者を続けるどころの話じゃなかった。 どこからかそいつが無理をしていたって話も聞いていたから尚更だ。 俺達はアリアが子供の頃からの知り合いだったんでほっとけなくてな。 それで無気力になったアリアを何とか無理やりギルド職員に引っ張り込んだってわけだ。 まあ根が真面目だからちゃんと仕事はするし徐々に立ち直っていったんだが、無表情に磨きがかかってあれからアリアが笑う事は無かったんだよ」
そこでグレッグはそれまでの暗い顔を変えて微笑む。
「だがお前が来てからアリアは変わった。 初めてお前に会った時から、何故かお前を好意的に捉えていた。 あいつがお前に長時間冒険者の説明をしていたと聞いたときも驚いたが、その日のうちにあいつが笑顔を見せたと聞いた時は驚きを通り越して唖然としたぜ。 俺達の今までは何だったんだってな。 そして極め付きは昨日の求婚騒ぎだ。 ほんとガンツは良い仕事したぜ。 アリアの笑顔を見た古参の連中がこぞって俺に報告してきたよ。 皆気にかけてたからな」
そこでグレッグは姿勢を正すと、頭を下げた。
「ありがとう、ジン。 お前がアリアをどう思っているかは知らんが、どうであれ少なくともあいつが昔の影に囚われたままという事はもう無いだろう。 もちろんあいつがお前の事を気に入っているだけなのか、それとも惚れているのかもわからんがな」
グレッグは最後にニヤッと笑った。 ジンは困ったように頭をかいた。
「私が何かをしたとは思えませんけどね。 ただ私もアリアさんにはお世話になっていますし、率直に言って可愛いと思いますよ。 惚れているかと聞かれたら残念ながらまだですけどね。 ただ少なくともグレッグさんやガンツさんと同じ様に、私もアリアさんには幸せにはなって欲しいと思っています。 だからこの事に関してはお礼を言ってもらう必要はありません。 そう言う事情ならなおさら、私もアリアさんの笑顔が見れて嬉しいのですから」
ジンは自分の素直な気持ちを二人に伝えた。
「「ありがとうな」」
それでもお礼を言う二人を尊重して、ジンは黙ってグラスを掲げた。 そして三人は無言でグラスを合わせると、そのまま残った酒を飲み干した。
それから少しの時間が経った後、二人と店の前で別れたジンは宿へと向かって夜道を歩いていた。
今日は月明かりもある上に街灯が所々に存在するので夜といえど歩くのに支障はなく、ジンの足取りにもアルコールの影響はまったく見られない。 月と街灯の柔らかな明かりを浴びながら、ジンは幸せな気持ちで歩き続ける。
「今日も良い夢が見られそうだ」
そうつぶやくジンの顔は、今夜も変わらず笑顔だった。
少し遅くなりました。
次は1日か2日の予定です。 完成次第投稿します。
それでは、宜しければご感想や評価をお願いします。 ありがとうございました。