平穏な一日の終わり
「ジン。まだいたのか。もう依頼に行ったとばかり思っていたぞ」
アリアの元に向かったジンであったが、途中で呼び止められた。
エルザである。
「お、訓練終わったのか? お疲れエルザ」
「ああ。まあ昼飯食ったら、また訓練の予定だがな」
労われたのが嬉しいのか、照れくさそうに話すエルザ。その様子を見ていて、ジンは整理運動について伝えるつもりだった事を思い出した。
「おっとそうだエルザ。今からちょっと時間あるかい? さっきの運動について言うのを忘れてた事があってさ」
「ん? ああ、それなら丁度いい。お前も飯だろ? 一緒に食おう。さっきのお礼に奢るぞ」
「ふふっ。ああ、じゃあお言葉に甘えるよ。ちょっと待っててくれるかな? この依頼だけ受けてくるから」
気にする必要はないのに、律儀にこんな事を申し出てくるエルザを微笑ましく思うジンだった。
「了解だ。暇つぶしに掲示板で依頼見てるから、終わったら声をかけてくれ」
そうしてエルザの承諾を得たジンは、小走りで受付のアリアの元に向かった。
「こんにちは、アリアさん。また昨日と同じこの2つをお願いできますか?」
今度はちゃんとアリアの元にたどり着いたジンは、アリアに依頼の受付処理をお願いする。
「はい」
そう言ってアリアは手早く処理を進めるが、何となく雰囲気が固く感じる。
ジンは体調でも悪いのかなと思ったが、女性には色々あるものだからと、あえて気にしないようにする。
「終わりました」
「ありがとうございます、アリアさん。では行って来ます」
「……はい」
アリアの頷きから返事までには一拍の間があったが、ジンは特に気にすることもなくその場を去り、エルザと合流すべく掲示板へと向かった。
そしてエルザに用件が終わった事を告げ、一緒にギルドの外へと向かった。
そうしてジンとエルザが連れ立って食事に向かう後姿を、ギルドでは受付に座ったままのアリアがじっと見つめていた。
「気になりますなあ。アリアさん?」
そんなアリアの様子を見て、サマンサが茶化した物言いでアリアに話しかけてくる。
もうすぐお昼時と言う事もあって、今は受付を待つ人はいない。
「別に気になりません」
サマンサに言われ初めて、無意識にジン達を目で追っていた事に気付いたアリアは、直ぐに視線を手元の書類に落として誤魔化そうとする。
「二人でご飯だって。……呼び捨てだったねえ。……親しげだったねえ」
そうわざわざ区切って言うサマンサの言葉の一つ一つに、面白いようにピクッと反応するアリア。
それを見るサマンサの視線は楽しげで、そして優しかった。
サマンサは思う。
6年前に自分の後輩になってからこっち、こんなアリアは本当に初めてだ。
アリアの仕事は的確で早く、その有能さは誰もが認める所だ。愛想が無いのが欠点と言えば欠点だが、それでも美人とくれば口説いてくる男は冒険者に限らず多い。
当初こそアリアのその無愛想さや経歴にしり込みしていた者がほとんどだったが、それなりに長く近くにいればアリアの良さはわかるものだ。
だがそんな男達の軽薄な想いはもちろん、真剣なものにもアリアが心を動かされることは無かった。
しかしたった2日前に来た新人に対しては明らかに対応が違う。 昨日のアリアとの食事では大したことは聞きだせなかったが、少なくとも彼をその辺の男共とは違う目で見ていることは間違いない。
肝心の彼も冒険者登録初日で二件の依頼を達成し、見た目も礼儀正しい好青年といった感じで悪くない。
そのあたりの見極めはまだこれからだが、こんな可愛いアリアを引き出してくれた事には感謝してもいいと、サマンサは思った。
「アリア、とりあえず今日も一緒にご飯食べようね」
今日の昼食も、サマンサにとっては楽しい時間になりそうだった。
一方ギルドを出たジンは、エルザお薦めの定食屋に向かった。
そこは『旅人の憩い亭』の特別定食よりもボリューミーかつ安いという何ともコストパフォーマンスの良い店で、味もそこそこ美味しかった。そこでパンを追加するほどの健啖家ぶりを発揮するエルザと、整理運動の話や世間話をして楽しく時間を過ごした。
エルザは1年ほど前にこの街へ冒険者になる為に来て、現在のランクはDランク。普段は火魔法使いの女性と、ペアを組んでいるそうだ。
今はその女性の都合で別行動をとっており、せっかくの機会だから遠距離攻撃のスキルをとる為に訓練中との事だ。
その他にも本当は一軒屋を借りてその相棒とシェアして暮らしたかったのだが、二人とも家事が壊滅的に駄目だったので諦めて宿屋暮らしだとか、様々な事を話した。
独り身が長かった為に一通りの家事をこなせるジンからすれば、望むなら鍛えなおしてあげたいところだったが、とりあえず何も言わずにおいた。
望んでいると思えなかったのも、その理由の一つだ。
そうして1時間ほど会話と食事を楽しんだジンは、訓練に向かうエルザと別れて門へと向かった。そこに居た今日の門番は、バークだった。
「よう、ジン。元気そうだな」
「お仕事お疲れ様です、バークさん」
「ちゃんと装備も良いやつで揃えてるし、もういっぱしの冒険者だな。今から依頼か?」
「はい。それほど遅くはならないと思います」
「それならいいが、門はだいたい9時頃には完全に閉めるから気をつけろ。最悪でも、日が落ちきる前には帰って来い」
「はい。今日も近くにしかいかないつもりなので、4時か5時には戻るつもりです」
「そりゃまた随分早いな。っとそうだ。ちょっと待っててくれ」
そう言ってバークは詰め所に戻り、ジンが保証金として預けていた小金貨1枚を持って帰ってきた。
「これが保証金で預かっていた小金貨1枚だ。ここにサインを頼む」
ジンは渡された書類にサインすると、バークから金貨を受け取った。
少し不安だったが、サインはちゃんとこの世界の文字に変換された。
「よし、これで手続き完了だ」
「はい。確かにいただきました。ありがとうございます」
「いや当たり前だから礼はいらんよ。っと俺もお前に礼を言わなきゃならんかった」
「?」
「いや、こないだ飯食った時に、嫁さんにお礼を言うって話をしてたじゃねえか。あれ実際やったら、嫁さんがえらく喜んでくれてな」
「お~、それは良かったですね」
「ああ。で、俺もおかげで色々考えさせられる事があってな。ん~っとまあ、お前に感謝してるって事さ。ありがとな、ジン」
途中言いよどんだのは、照れくささのせいか。しかしバークの言葉からは、真摯な思いが伝わってきた。
「お役に立てて嬉しいです」
だから、ジンも笑顔でそう言った。
「それで嫁さんがお前に会いたいとか言ってたんでな。そのうち飯にでも誘うかもしれんから、そん時は良かったらつきあってくれ」
「え? 私のことをご存知なのですか?」
何故そこで自分の事が奥さんに知られているかわからず、驚くジン。
「ああ、言ったからな」
どうやら何故いきなりそんなことを言うのかと奥さんに聞かれて、バークは正直に話したらしい。
律儀と言うかなんと言うか。普通、人に言われたから言ったなんてのは怒られても良さそうなものだが、バークさんが本気で言ったのが分かったから奥さんも喜んだままでいられたのかなとジンは思う。
いずれにせよ出来た奥さんだ。
「その時は喜んでお邪魔させてもらいます。奥さんにもよろしくお伝えください」
例えそれが社交辞令だったとしても、バークが喜んでいる事は間違い無いのだから、そうだとしてもジンにとっては何も問題ないのだ。
「おう、伝えとく。んじゃ依頼頑張ってこい。あと、落ち着いたら呑みに行く約束も忘れんなよ」
「はい。楽しみにしてますね」
そうしてジンはバークと別れ、昨日と同じく〔地図〕を使って検索からの採取の流れで依頼分の薬草を集めた。
少し慣れたのか、薬草集め自体は昨日よりも手早く済ませる事が出来た。今回も、街周辺の点在したものだけを採取した。
ただ、ジンは薬草を集めながら、ダッシュやステップなどの鍛錬の動きを混ぜて移動した。
装備や採取した品もあって少し動きにくかったが、より実戦に近い状況と割り切って何度も繰り返した。目的は足回り系のスキルの習得だ。
ジンは午前中にギルド書庫で調べたスキル情報にあった『ステップ』『疾走』『脚力上昇』等の足回り系のスキルが、今の自分に有用ではないかと考えたのだ。
というのも、ジンのイメージする戦闘スタイルは両手で持った片手半剣で立ち回る事を基本として、状況にあわせて片手持ちにスイッチして左手で魔法を発動するというものだ。
本来なら左手に盾を持って〔チェンジ〕で切り替えて戦う方が安定するのだろうが、ユニークスキルありきの戦闘では困るだろうを思っての判断だ。
このスタイルで重要となるのは、盾がない為に必然的に剣で攻撃を捌く等の技術や、単純に攻撃を避ける技術となる。
流石にそのあたりの技術は、立会い稽古以外では実戦で磨くしかなく、なかなか一人で出来るものではない。だが攻撃を受けなくとも足回りの回避技術や素早い動きならば1人でも鍛えられると考えたのだ。
DVDで見た映画のアクションシーンやボクシングや中国拳法等のステップや技を思い出しながら、自分でもその動作をやってみる。『武の才能』や『身体操作補正』の効果もあってか、思っていた以上に再現できている気がする。知らずジンは足元の動きだけでなく、上半身も格闘の動きを模していた。
また、ジンは並行して魔法の訓練も行った。
昨日新たに覚えなおした〔マナバレット〕や〔マナライフル〕の呪文を唱えては足元の訓練、自然回復をしたらまた魔法を撃ち訓練と繰り返し続けた。
他にも魔法を撃つ際は、少し呪文の内容を変えて唱えてみたりもした。
「マナの力よ集いて我らが敵を撃て『マナバレット』」
「大いなるマナの力よ今ここに集いて敵を撃て『マナバレット』」
「マナよ集いて我らが敵を撃て『マナバレット』」
「マナよ集いて敵を撃て『マナバレット』」
やはりキーワード以外の文言はイメージの為だけのものだろう。
色々試した結果、最終的に『マナ』『集う』『敵を撃つ』の3つは外せなかったものの、呪文の長さは変えることが出来た。
『マナ』という何を求めているか、『集う』という変化、そして『敵を撃つ』という対象と行動をそれぞれイメージする事が、魔法の発動には不可欠なのだろうとジンは思う。
だがこれは逆に言えば、きちんとイメージさえ出来ていればキーワードだけでも発動可能と言う事でもある。
ジンは頭の中でしっかりイメージしてキーワードだけを唱える事を数度試してみたが、残念ながら発動する事はなかった。
そうして採取と訓練で3時間近く経った後ジンは一応スキルを確認したが、足回り系のスキルはもちろん〔詠唱短縮〕のスキルも習得できていなかった。
ジンは少しは呪文が短くなったので〔詠唱短縮〕には期待していのたが、そう単純なものでもないのだろうと気持ちを切り替える事にした。
そうして今日の採取と自主訓練を終わらせると、ジンは街に戻る事にした。
門でバークに挨拶をした後、ジンは早速依頼の達成報告をする為にギルドへ向かった。そしていつものごとくアリアに依頼達成を報告した。
「はい。今回も完璧ですので報酬は25%増額させていただきます。状態の良さに、調合士の方が喜んでいたようですよ」
「ありがとうございます。嬉しいですね」
自分のやった仕事で人が喜んでくれるのは、本当に嬉しいものだ。
ジンは後ろを向いて受付を待つ人が居ない事を確認し、アリアに声をかける。
「アリアさん、ちょっと質問があるのですが良いですか?」
「はい。今なら大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。実は小さくてもいいので一軒家を借りたいのですが、何処に行けば探せますかね?」
一瞬驚いたように反応し、アリアが固まる。
「いや実は宿屋はどうしても割高になるかと思いまして、1人暮らしを考えているんですよ。幸い家事も出来ますので、一人でも問題ないので」
アリアは途中の「1人暮らし」の部分で再起動したが、ジンは気付かずスルーしていた。
「そうですか。お気持ちはわかりますが、もう少し後にお考えになられた方が良いかと思います。もしパーティを組んでおられて、その方々とシェアして借りるならともかく、今の状態で一軒家を借りるのは難しいかと思います。その地域に継続して住むとなると、せめて冒険者ランクをDあたりまで上げないと信用してもらえない事が多いのです。また、どうしても冒険者という職業は危険を伴う為、最初に一括して家賃を払う必要もあります。そういったお金の面から考えても、時期尚早かと」
どこか申し訳なさそうな雰囲気でアリアが言う。確かに実績がなければ、ただの武器を持った物騒な輩と捉えられても仕方が無い。
それにお金はあってもまだ使えないのだから、確かにアリアの言うとおり、どう考えても時期尚早だ。ジンも納得する。
「確かに言われてみればそうですね。わかりました、ありがとうございます」
「いえ、その時が来ればちゃんと紹介できると思いますので、またお話ください」
「はい。ありがとうございます。長々とお邪魔してしまってすいませんでした。また明日よろしくお願いします」
さすがにこれ以上長居するのは拙いと判断したジンは、あらためてアリアに別れを告げてその場を去り、報奨金の手続きの為に出納係へと向かった。
本来ならジンはこの後不動産的な調べ物をしようと思っていたのだが、当てが外れて時間が空いてしまった。
報酬を受け取った後、何となく掲示板へと足を運んだジンは、その場でこの後どうするかを考える。
掲示板には常時依頼にもいくつか依頼書が貼ってあった。
こうした掲示板に依頼書が貼られるタイミングは、必ずしも朝一番という訳ではない。依頼の申し込みがあった時間帯にもよるが、基本的にはギルドでの手続きが終わり次第掲載する形だ。そして間に合わなかった分が翌朝一番に掲載されるのだ。
当然このギルドに来るのは冒険者ばかりでなく、そうした依頼人もギルドを訪れる。
「ちょっとすいません。あなたがジンさんですか?」
声をかけられてジンが振り向くと、そこには40代くらいの真面目そうな中年の男が立っていた。
「はい。そうですが」
「おお、やはりそうですが。私は調合士のビーンと申します。先程アリアさんにお話を聞きまして、いやあなたの採取方法が丁寧で非常に助かってるんですよ。これは是非お礼を言わねばと思いまして」
調合士をしているというビーンは、少し興奮気味に話す。
「ああ、なるほど。いえいえ、喜んでいただけて私も嬉しいですよ」
合点がいったジンも笑顔でビーンに返す。
ビーンが自分の事を知っているのは、冒険者にとって名を売る事、信用を得る事が重要な事だからだろう。アリアはそうした顔を広げる意味で、自分の事をビ-ンに紹介したのだろうとジンは判断した。
「喜ばないはずがありませんよ。仕方が無い事とは言え、なかなか新鮮な状態での薬草は入手できませんし、処理が適当で品質が大きく落ちる事も多いんです。それが全部新鮮で処理も完璧なので、本当に助かっているんですよ。ありがとうございます」
ポーション作成にはある程度以上の品質の薬草が必要となるが、冒険者が持ち込む薬草の半分が使えないこともある。
それに比べ、ジンの採取した薬草はどれも最高品質のものばかりで、数点ではあるが通常より薬効の高いポーションを作成する事ができたのだ。
しかも昨日今日と立て続けに納品する採取の実力を持っているのだから、これは何とかしてパイプを繋ぎたいと言う考えに至るのも無理はない。
もちろんアリアはジンが冒険者になってまだ2日目である事や、採取にかかっている時間などはビーンに伏せている。ビーンもまさかジンが実質1~2時間で採取を終えているとは、夢にも思っていない。
「つい先程採取依頼を出した分が遅くとも明日には掲示されると思いますので、もし宜しければジンさんに受けていただけると助かります」
恐縮するようにビーンは話を続ける。
「ご存知かと思いますが、パムの花はこの時期にしか採れない貴重な花で、子供が良くかかるハシカナ病の特効薬の原料です。いつもならこの時期ある程度の数が集まるのですが、今年は集まりが悪く困っているのです。ジンさんならば見つける事も容易だと思います。出来ればお受けいただけますと、非常に心強いのですが」
完全にジンを採取のプロフェッショナルだと思い込んでいるビーンだったが、実際ジンの〔地図〕を使えば容易に発見できる事は間違いない。
ましてや万一その薬が足りなくなった場合の事を考えたら、ジンに否があろうはずがない。
ジンは盲目的に子供に甘い老人ではなかったが、甥姪やその子供達などを非常に大事にしていたのだ。子供の為とあらば、尚の事気合が入るというものだ。
「分かりました。明日朝一番でギルドに来ますので、その時に依頼を受ける事にします」
「そうですか! ありがとうございます!」
そうして快諾したジンは、ビーンと別れてからパムの花の情報を調べに書庫へと向かった。
そして書庫で1時間程、花以外にも調べ物をした後にギルドを出ると、いつもどおり公衆浴場に行って汗を流す。
それから宿に戻って食事を取ると、明日に備えて早めに就寝する事にした。
次回は明日15日か16日には投稿予定です。
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