神殿とお風呂屋さん
お気に入り登録2000件、評価5000Pを超え、日刊総合ランキングも2位と、とんでもない事になってしまいました。 でも正直嬉しいです。 皆様のご期待を裏切らないように頑張ります。
今後とも宜しくお願いします。
異世界の空気は美味しい。ジンは爽やかな朝の空気を堪能しつつ街を歩く。通りの商店ではすでに開店している所も多く、店員さんが掃除などの朝の準備に追われている。大通りに出ると朝の出勤前の人々を狙った軽食の屋台が目立つ。サンドイッチ的なものから揚げ物まで、実に美味しそうだ。
宿のお姉さんにサービスしてもらってお腹いっぱいなジンではあったが、物珍しさも相まってついつい目がいってしまう。
「お昼はここで食べようかな」
今はお腹いっぱいで食べられないジンとしては、お昼の楽しみに取っておくしかない。あきらめてその場を通り過ぎると、そのまま神殿がある方向へと向かった。
何故ジンが神殿に向かうのか、これは言ってみれば引越しの挨拶である。ジンは社会人時代に先輩に教えてもらったのだが、引越し等で新しい土地で暮らすときは、そこの土地の神社に行ってご挨拶をするのが礼儀なのだそうだ。自分が元々居た土地を守護する神社の下を離れ、新たに引越し先の土地を守護する神社の神様に守ってもらう事になるのだ。挨拶やお礼なしに守ってもらうのは確かに礼儀に反する。
ジンはこの事を知って以来ちゃんと神社にお参りしていて、今回も同じように行うつもりなのだった。
また宿のお姉さんとの世間話で分かった事だが、この世界には数多くの神様がおられるそうだ。そして神殿は特定の神様ではなく全ての神様を一括して祭っており、神様ごとの神殿は存在しない。もちろん、戦いを生業とするものと、商人が奉る神は同じではないが、皆同じ神殿に出向きそして各々が祈るのだ。
何故なら人々が受ける恩恵は自らが奉じる神様ただ一柱のおかげではなく、全ての神様から与えられるものと考えるからだ。 元の世界と違い、神様の力の恩恵を感じやすいこの世界ならではの形態であろう。
そしてその考え方は、八百万の神が御座す日本に生きてきたジンにとっても馴染み深いものだった。
一神教の世界で生きて来た者であれば戸惑ったのかもしれないが、神道、仏教、キリスト教他多くの宗教が共存できる日本ならではの良く言えば寛容な宗教観に馴染んでいるジンには、問題なく受け入れる事が出来た。
「おお~立派な建物だ」
途中〔地図〕で確認しつつ到着したその神殿は、さすがに信者全員が参拝するだけあって大きかった。 イメージとしてはアテネのパルテノン神殿が近いだろうか、大理石で作られていると思しきその白亜の外観は美しい。ジンは思わず感嘆の声をあげた。
神殿の中に入ると、この時間帯の参拝は少ないのか数人の参拝客と掃除をする神官の姿などが見られた。
そして正面の祭壇には高さ3mほどの神像が祭られていた。これも材質は大理石であろうか、純白に輝くそのフォルムは丸みを帯びており、やわらかい印象を受ける。極限までデフォルメされたその姿は、一見何かを抱いた髪の長い女性を表しているようで、そして同時に何かを守る男性のようでもあった。おそらく個人個人でこの像に対して何を見るかは違うのだろう。まさに全ての神を祭る神殿にふさわしき神像だとジンは感じた。
「素晴らしいお姿でしょう?」
無意識に祭壇の前で神像に見入っていたジンは、そう声をかけられて初めて自分の行動に気付いた。
「失礼しました。この神殿で長を務めておりますクラークと申します。驚かせてしまったようで申し訳ありません」
そう続けて声をかけてきたのは、青い神官服を身にまとった白髪の老人だった。
「いえ、こちらこそ失礼しました。お参りもせずに見入ってしまうとはお恥ずかしい」
そうジンも返す。
「いえいえ、お気持ちはわかりますよ。それにとてもお優しい顔でご覧になられてましたから、こちらもつい気安くなって声をかけてしまいました。こちらこそお邪魔して申し訳ない」
クラークはニコニコと笑顔で話す。
「いえいえとんでもない。しかしおっしゃるとおり本当に素晴らしいですねえ。こんな風に見入ってしまったのは初めてですよ」
その好々爺とした雰囲気にジンも和んだ。元々の年齢で考えれば同年代くらいだろうか。ジンの気分はすっかり老人モードになり、のんびりした気持ちになってしまっていた。
「あっと、申し遅れました。私はジンと申します。昨日この街に来たばかりで、今日冒険者登録をする予定でおります」
お互い笑顔で穏やかな空気が流れたが、ふと我に返ったジンはあわてて自己紹介をした。
「ふふふっ。御気になさらず。しかし冒険者とは何かとお会いする機会があるかもしれませんね。これもご縁です。何かございましたらその時はよろしくお願いします」
「はい、こちらこそ宜しくお願いします」
そうしてお互い笑顔でのやり取りが終わったところで、背後に控えていた別の神官が此方に一礼した後、クラーク神官長に声をかけた。
「お邪魔して申し訳ありません。神殿長、そろそろお時間ですのでよろしいでしょうか?」
「おお、もうそんな時間ですか。それではジンさん、またお会いしましょう。貴方に神の祝福があらん事を」
「はい。ありがとうございました」
そうしてお互い一礼すると、クラークはその神官と共に神殿の奥へと向かった。
思いがけず神殿の長と知り合い、またその人柄に触れる事が出来たジンであったが、ここでようやく神殿に来た本来の目的を思い出し、周りを見渡し、参拝客のお祈りの仕方を確認する。郷に入っては郷に従えだ。
ジンは神像に向き直ると姿勢を正してその場に片膝を突く。そして拳状に握った左手を右手で包んで顔の前まで持っていき、軽く頭を下げると目をつぶった。そして祈る。
この世界の神様方、私を受け入れてくださってありがとうございます。
私は自分が特殊である事を自覚し、基本はあくまで一市民として目立たないように、そしてこの世界に混乱を招かないように勤めます。しかし有事の際には全力で対応する事をお許しください。
私はこの世界の在り方を尊重し、この世界の一員としての自覚を持って生きていく所存です。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
また、もしこの声が私がもと居た世界に届くのであれば、改めてお礼を言わせてください。
私を転生させてくださり、誠にありがとうございます。いただいたお言葉どおり、ちゃんと幸せになる努力をいたします。本当にありがとうございました。
特別信心深いというわけでもない自分が、何故このように神様から良くしてもらったのか、ジンにはわからなかった。
ごく一般的な日本人と同じで、正月には神社に初詣、お盆にはお寺へ、友達や甥姪の結婚式には教会に行く事もあった。家には神棚と仏壇があり、それぞれ毎日水を替えて、米を炊いた時にはご飯を供えて、後は毎朝拝むくらいがジンがやる事だった。神様や仏様の存在は一応信じていたが、此方の願いを叶えてくれる存在とは考えていなかった。他に神様にしか出来ない仕事があるだろうし、神様はただ聞いてくださるだけだと考えていた。それだけでも気持ちが落ち着くし、充分ありがたいと思っていた。
日本人としては特に珍しくもない宗教観の人間だと、ジンは自分の事をそう思っていた。
それなのに現在自分はこうして異世界にいる。 理由も何も分からないが、本当にありがたい事だとジンは思った。
そうして祈るジンの体が光に照らされる。その光は何処の窓から入ったものだろうか、それはまるで祝福するかのようにジンを照らした。
だが目をつぶって祈りを捧げているジンは当然気付かない。
また、その神秘的な光景はごく短い間の出来事でもあった為、それを目にした者はほとんど居なかった。
掃除を終え、ちょうどその時に面を上げた女性神官を除いては。
ジンは長い祈りを終えると立ち上がり、お布施を入れる箱に銅貨を5枚を入れる。単位は円ではないが、「5円=ご縁」つながりからの連想で銅貨5枚だ。そして改めて神像に向かって一礼すると、その場を立ち去った。もちろん神殿を出る時の一礼も忘れない。
こうして正式に神様にご挨拶をすませたジンは、すっきりした気持ちで神殿を後にした。
そんなジンを見つめる女性神官の存在には気付く事無く。
「良いところだったな~」
神殿の余韻に浸りつつ、ジンは次の目的地を目指す。現在の時刻は10時過ぎ、買い物でもう少し時間を潰したらギルドに行こうと考えた。
(確かあそこにあったよな)
初日に大通りで日用雑貨の出店を見たことを思い出し、〔地図〕で検索する事無く自力で向かう。まだ時簡に余裕があるので、効率ではなく楽しむ事優先の考えだ。ジンは街並みや行き交う人々の様子を眺め、異世界気分を堪能しつつ移動した。そして特に迷う事無く目的の日用雑貨の出店を見つける事が出来た。
その雑貨店でジンは、タオル10本と下着と肌着の上下セットを2枚ずつ、そして歯ブラシと小瓶に入った歯磨き用の塩を購入した。若干形が異なるとは言え、この世界でも歯ブラシが存在した事はありがたかったが、歯磨き粉は存在しなかった。代わりに通常は塩を少量つけて磨くそうだが、その塩も料理に使う塩とは違ってお店独自の香料等を配合しているらしい。確かに爽やかな香りがした。ついでに直ぐ横にあった衣料店で着替えの服とズボンも2着購入した。滅多に服を買わなくてセンスも自信がないジンだったので、雑貨屋さんと姉弟という洋服屋さんのおまかせだ。さすがに正式な店舗ではない分品揃えはそこそこだったが、選んでもらった服は見た目も色合いも地味でジン好みだったので特に気にする事無く購入した。かかった金額は、おまけしてもらって銀貨2枚で済んだ。
「お風呂入って着替えたいな」
こうして着替えも入手出来たことでお風呂に入りたくなったジンは、思わずつぶやいてしまう。 昔みたいに加齢臭は気にしなくてよくなったが、汗臭いと思われるのも遠慮したいのだ。
「入ってくればいいじゃないですか」
道具屋のおじさんがそう言ってくる。
「え?」
「いや、お風呂屋さんに行って来ればいいんじゃないですか? 確かこの時間帯なら開いてるはずですよ?」
お風呂はないとばかり思い込んでいたジンは、その情報に飛びついた。おじさんに詳しく話を聞くと、この街には公衆浴場がいくつかあるのだそうだ。
ジンはお礼を言うと早速最寄の浴場をMAPに表示して向かい、そして待望のお風呂を堪能した。
お風呂はイメージとして近いのは昔懐かしい銭湯だ。石鹸は高級品なのでなかったが、きちんと濡らしたタオルで体をこすって汚れを洗い流してから湯につかる。ギルドに行く時間を考えるとあまりゆっくりは出来なかったが、それでもジンはサッパリする事ができた。
そうして身も心もリフレッシュしたジンは、11時過ぎにギルド前に到着した。少しだけ予定より遅れたが、まだこの時間なら受付さんにも迷惑をかけないですむだろう。それに汗で汚れた格好で受付さんに会わずにすみ、思わずホッとするジンだった。
と、そこまで考えてようやく自分の犯したミスに気付いた。
「しまった! 汚れたままお参りしちゃったよ」
本来お参りは身を清めてからいくものだ。昔はジンもお参りする時は、朝にお風呂に入って着替えるくらいはやっていた。どこまでするかは本人次第だが、少なくとも清潔な格好でいくのは大前提であろう。
お風呂の存在を知らなかったとは言え、本人にとっては痛恨のミスだ。
明日にでも改めてお参りし直そうと 深く反省するジンであった。
「うし、反省終わり。 もうしないぞ」
たっぷり反省した後、ジンは頭を振り落ち込んだ気分を無理やり切り替えてギルドを見つめる。 そして冒険者登録と初依頼に心を馳せると、少し浮上した気分でジンはギルドへと足を踏み入れるのであった。