充実した一日の終わり
運動場には何組か訓練をしている人達が見受けられた。教官らしき人とマンツーマンで訓練している男性もいれば、黙々と目標めがけて弓を放つ女性もいた。それぞれが熱心に訓練に取り組んでいる。
ジンは身が引き締まる思いがした。
「おまえか? 剣の訓練をしたいというのは?」
ジンが運動場の入り口で立ち止まっていると、禿頭の男がそう声をかけてきた。身長185cmに設定されたジンよりも少し背が高く、横にも厚い。年齢は50前後と思われたが、その筋肉質の体は衰えなど感じさせない。その頬からあごにかけて刻まれた傷跡と、意外と穏やかな眼が印象的な人族の男だ。
一番印象的なのは輝く禿頭だったが。
「はい。グレッグ教官でいらっしゃいますか?」
「ああ、剣の他に盾や弓なんかも教えてる。お前は『剣術』でいいのか?」
「はい今日は『剣術』でお願いします。いずれ機会があれば他の技術も学びたいですが」
「ふん。まあ向上心があるのは良い事だ。それじゃ、こっちに来い」
ジンはグレッグに連れられて隅の誰もいない場所に移動した。
「まずはお前の実力を見る。腰の剣で素振りしてみろ」
「はい」
ジンは剣道の授業を思い出しながら木剣を両手で持つと、正眼の構えからまっすぐ振りかぶって勢いよく面を繰り出した。
「ほう」
感心したような声を漏らすグレッグ。しばらくジンの素振りを眺めた後、ストップをかけた。
「武術の経験はあるようだな。だが剣は途中で止めるな。それは棒術などの軽い武器で打撃力を高める場合のやり方だ。剣はきちんと最後まで振り下ろした後に止めろ」
グレッグの指導を受け、剣を最後まで振り下ろす。加速度が付いている分、止めるのに筋力が要る。
「次は斜めに交互に振り下ろししてみろ。右斜め上から左斜め下! 左斜め上から右斜め下!」
所謂袈裟切りの形だ。何度も繰り返す。
「そうだ。真っ直ぐに振り下ろすのが一番力も入って速い。しかし逆に体をひねるだけで間単に避けられる。斜めに斬ると敵までの距離が長くなる分、比べると僅かに遅い。しかし斜めの斬撃は避けにくい。 いずれにせよ通り一遍の攻撃手段では避けられるのがオチだ。要は使い分けだ」
そうして他にもいくつかの型を習い、細かい修正を何度も受けながらジンは素振りを繰り返す。
「よし、次だ。今までのは両手剣の使い方だったが、今度は片手剣の使い方だ。お前の剣は片手も両手もいけるようになっているからな。臨機応変に使いこなせるようになれ」
ジンは木剣を右手で持ち、同じように正眼の位置で構える。
「同じように剣を振れ。まずはまっすぐ上げて…振り下ろせ! 左上から…斜めに! 右上から…斜めに! そうだ!」
ジンは木剣を片手に、指示通りに振り下ろす。そして繰り返す。
「片手剣を使うときは逆の手に盾を持つ事が多いが、何も持たない場合は体を横にしろ。相手が攻撃できる面積が減る。そう。そして突きだ。脇を締め…突け! もう一度! 脇を締め…突け! 次は左足を蹴り出して右足で踏み込んで突け! 脇を締め……飛び込め!」
何度も何度も指示を受け、修正をしながら繰り返す。教官が出来たと判断すれば次の動作へ、そして修正が終わるとまた次へと、何度も同じ事を繰り返した。普通では考えられないスピードで、ジンはグレッグ教官の教えを吸収していた。
「よし止め。少し休憩しよう」
一心不乱に打ち込んでいたため気付かなかったが、ジンは汗だくだった。
「良い集中力だった。へばらないし、途中で止めるのがもったいなくて一気にやっちまったぜ」
笑いながらグレッグがタオルを投げてくる。ジンはお礼を言って受け取り、顔を拭う。そして用意してあった水をコップに注ぐと、一気に飲み干した。
どのくらい訓練をしていたのか分からないが、ジンは心地よい疲れを感じていた。指導を受けて見る見るうちに変わっていく自分の動きも楽しかった。体力もなく、運動音痴だった昔には経験した事のない感覚がジンには新鮮だった。強くなっているという充足感を覚えていたのだ。
「しかし普通木製武器と言えば練習用なんだがな。お前の剣はしっかりした武器に見える。だが、それで冒険に出るつもりか?」
グレッグはジンの木剣を見て不思議そうに首をひねると尋ねてきた。
「初めはそのつもりでしたが、木剣は刃がないので打撃武器になりますよね? 今日指導を受けた剣術は斬る事が前提の教えでしたので、明日にでも剣を新調すべきかと思っています」
木剣はお気に入りなものの、実際の冒険では刃がついた金属製の武器が無難だろうとジンは判断したのだ。
「確かにどうしても木製は耐久力に難があるからな。まあ、『剣術』スキルは使う武器によって様々な進化の可能性が出てくる。例えば両手剣ばかりを使っていれば『両手剣術』、片手剣なら『片手剣術』ってな具合にな。他にも武器の特殊性でもっと細かく分かれる場合もあるからな。使い続けていればいつか『木剣術』なんてスキルに目覚めるかも知れんぞ。あるかどうかは知らんがな』
グレッグは最後に豪快に笑いながらジンの肩を叩いた。もしそんなものがあるなら是非習得してみたいものだとジンは思った。
「よし、もう休憩はいいな? どうせ剣も替えるつもりなら今度はこれを使ってみろ」
グレッグが練習用の刃引きされた鉄の剣を渡してきた。
「本来なら基礎訓練をもっとみっちりやるんだが、お前は異常なほど呑み込みが早いし体力もある。さっき教えたのは基本中の基本ばかりだが、お前なら後は実戦で形に出来るだろう。基本的なことは俺から見て充分できているので、後は実際に戦う事でスキルに目覚めるだけだ」
「というわけでかかってこい」
剣を肩に手招きされても、はいそうですかといけるものでもない。チュートリアル時のクリスと同じシチュエーションだが、教官は言葉が足りていないので、受ける安心感が違う。
「心配すんな。こっちから攻撃するときはちゃんと寸止めしてやる。いいから来い」
ここまで言われてはジンも行かないわけにもいかない。クリスの時と同じで実力は向こうが上なのだから全力でいくと気合を入れ、勢い良く返事をするとグレッグに挑んでいった。
そうして十数分後、そこには疲労困憊して座り込み荒い息をつくジンの姿があった。
「いや、お前ほんと大したもんだよ」
グレッグは新しいタオルと共にコップに水を入れてジンに渡した。
「あ、ありがとうございます。いただきます」
呼吸を整えつつ、お礼を言って水を飲むジン。あという間に飲み干す。
「手加減したとは言えこっちの攻撃にもちゃんと反応するし、時たまいい感じの攻撃もきてあせったぜ」
ジンは確かに一生懸命頑張った。『武の才能』のおかげで見違えるように動く体で、少しは手ごたえも感じた。けれどグレッグ教官は終始余裕でまったく底が見えなかった。攻撃してもいなされ、様子見で攻撃しないと教官の攻撃が来る。ただ無我夢中に攻撃し、受けただけだった。
こっちの心を折らないように気を使ってくれているのだろうとジンは思う。
疲労困憊のジンだが、もちろん教官に対しては一欠けらの悪感情も抱いていない。こうした訓練につきあうのも大変なのに、手抜きすることなく全力で相手をしてくれた。 もちろんジンの言う言葉は決まっている。
「ありがとうございます。でも気を使っていただかなくても大丈夫ですよ」
息を整え、笑顔でお礼を言う。
ここまで全力で体を動かしたのは本当に何十年ぶりだろうか。いや、もしかして初めてかもしれない。この疲労感さえジンには心地よかった。しかもあれだけ荒れていた息がもう整ってきている。若いってすごいと、ジンは大満足である。
ジンの物言いにグレッグは苦笑すると、不意にまじめな顔で言った。
「いや、マジな話普通のやつならとっくにぶっ倒れているよ。お前は飲み込みの速さもそうだが、スタミナも凄え。お前ぐらいの初心者レベルの奴が、普通こんなに長い時間ぶっ続けに立会い稽古なんかできねえよ。過信は駄目だが自信はちゃんと持て。俺が保証してやる。お前には才能がある」
思ってもいなかった事を言われてジンは何も言えない。しかし考えてみれば『武の才能』を持って若返っているのだ。VRゲーム自体慣れていない上、いきなりの異世界転生なので無理もないが、ジンはまだ自分の体を本当の意味では理解していなかった。
「才能があるなんて言うと大抵の奴は調子に乗るが、何だかお前なら大丈夫な気がしてな」
まあ、覚えとけと、そう笑いながら付け加える教官。
「ありがとうございます。心します」
これまでの人生で才能があるなんて事を言われた覚えはなかった。スキルのおかげとは言え、ジンは素直に嬉しかった。
「よし、以上で本日の訓練終了だ。明日神殿行ってスキル確認するのも面倒だ、たぶん大丈夫だからさっさと受付行って冒険者登録して来い」
グレッグ教官の口振りからすると、スキルは神殿で確認するのが普通なのだろう。本当はジンならここでメニューを見れば一発でわかるのだが、ここはこの世界の流儀に合わせようと確認する事無く受付に向かう事にした。
「グレッグ教官、本日はご指導ありがとうございました。それとタオル等はどうしたらいいでしょうか?」
「ん? ああ、出るときにでもあそこに入れてくれりゃあいいよ」
教官は一瞬何言ってんだこいつという顔になったが、苦笑して運動場出口の横にある大きなかごを指す。
「はい。では受付で確認がとれたら報告に上がります。では行ってきます」
「くっくっく。ほんと律儀な奴だな。ああ、行って来い」
そうしてジンは再度受付に向かった。
受付にはちらほらと冒険者と思われる人々が増えてきていたが、まだ混んではいなかった。5分も待たないうちに先程の受付さんの前が空く。
「先程はありがとうございました。再度冒険者登録をお願いします」
受付さんはジンをじっと見詰めると、先程と同じように薄青色の半球に手を載せるよう促がす。
ジンは半球に手を乗せ、緊張しつつ受付さんの反応を待つ。
「はい。『剣術』スキルの習得を確認しました。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
受付さんの無表情と、ジンの笑顔が対照的だ。
「ただ申し訳ないのですがこれからギルド規約などの説明等、カードの発行には少々お時間をいただきます。時間的にこれから冒険者の方達が増えて混雑しますので、明日朝にでも改めてお越し願えないでしょうか?」
受付さんが言うように、これから冒険者達が続々と帰還してくるのは分かっている。
確かに混雑中に時間をとらせるのはヒンシュクものだなとジンも思った。
「はい。了解しました。それではまた明日よろしくお願いします。では失礼します」
なので笑顔で快く承諾し、席を立った。
そしてこちらに向かって頭を下げた受付さんに気付く事無く、ジンは再度運動場へと向かった。
グレッグ教官は入り口で待っていてくれた。
「グレッグ教官。無事『剣術』スキルを習得できていました。これもご指導のおかげです。ありがとうございます」
これで明日から冒険者だと思うと、顔がにやけてしまうジンであった。
「随分早かったがもう終わったのか?」
「いえ、まだです。混んできていたのでスキルの確認だけしてもらい、正式な手続きは明日にしました」
「そうか、もうそんな時間だったか」
「はい。ただ早朝は混んで忙しいと思うので、午前中は装備や道具を整え、昼前後にギルドに来ようと思っています」
「そうか」
少し考える様子のグレッグ。
「どうせ明日説明を受けるだろうが、ギルド主催の初心者訓練講座が1週間後に開かれる。一応任意だが基本的に初心者は全員参加だ。お前は必ず参加するようにしろ」
ジンは否応なく参加決定のようだ。しかしそれはジンにとっても願ってもないことだ。何しろこの世界の知識がほとんどないのだから、かえってありがたい。
「それまで無理せずスキルを増やす努力をしとけ。ここで学ぶ事も可能だからな」
「はい、ありがとうございます」
こちらを心配してくれているのだと思うと、やはり笑顔になってしまうジンであった。
そうしてグレッグに別れを告げ、ジンは宿へともどって行った。そして宿で食事を取るとすぐにベッドに倒れこみ、そのまま心地よい疲れと充実感と共に夢の住人となったのである。
そうしてジンが早い眠りについた後、ギルドの業務が全て終わり職員が帰り支度を始めた頃。
受付さんは独り運動場へと向かっていた。
運動場の教官達はほとんどが既に帰宅していたが、そこには1人だけ大柄な男が残っていた。
「お待たせしました。グレッグ教官」
「おお、お疲れ。アリア」
そうグレッグは受付さん、アリアに声を返した。
「しかしお前さんから話を聞いた時には半信半疑だったが、ありゃ本物だな」
グレッグはジンが運動場に来る直前にアリアからあった連絡を思い出していた。
スキルを全く所持してない、レベル3ではありえないステータスを持つ黒髪黒目の人族の男。
スキルは成人するまでに普通2~3個は取得するものだ。もちろん戦闘用の『剣術』のようなスキルは、ちゃんと学ばないと身に付ける事はほとんどない。しかし『裁縫』や『料理』、『開墾』や『値切り』等の生活に密着したスキルは、その人物の日々の反復行動によって取得する事が可能だ。 農家の子なら『開墾』や『収穫』、商家の子なら『交渉』や『値切り』など、普段やっている事関連のスキルを習得しやすくなるということだ。病気等でまったく動けない等の特殊な事情がない限り、スキルを1つも所持していないという事は本来ありえないのだ。
しかしジンはスキルをまったく所持していなかった。正確には表に出ていなかったのだが、当然グレッグ達は知る由もない。
そしてレベル3とは思えない高いステータスだ。
種族によって若干の差はあるが、普通の人族の能力値は、HPとMP以外5~10の範囲で初期値が決まる。 そしてレベルアップで1~3上昇する。とは言え普通は1しか上がらない事がほとんどだ。たまに上昇値が2になる事もあるが、3など余程の素質を持っていたとしても滅多にある事ではない。
HPはSTRとVITの合計が初期値で、上昇は初期値の1/2。MPの初期値はINTと同じ数値で、同じく上昇は初期値の1/2だ。
一般的な人族がレベル3になった時のステータスは(上昇値を2で計算)
LV1 →3
HP:14 →28
MP:7 →14
STR:7 →11
VIT:7 →11
INT:7 →11
DEX:7 →11
AGI:7 →11
ありえない話だが、全て最高能力値を持ち最高の成長をした人族でも(上昇値を3で計算)
LV1 →3
HP:20 →40
MP:10 →20
STR:10 →16
VIT:10 →16
INT:10 →16
DEX:10 →16
AGI:10 →16
対してジンのステータスは
LV1 →3
HP:23 →49
MP:10 →20
STR:13 →23
VIT:12 →20
INT:10 →14
DEX:12 →20
AGI:12 →20
ジンのステータスはレベルアップで能力値が2ずつ、HPとMPは初期値の半分、そしてスキルのステータス補正分の合計が上昇する。
結果この時点で一般的な人族の約2倍、最高の素質を持つ人族でもINTとMP以外は約3割り増しの能力をジンは持っている事になる。 最高の素質を持つ人間の希少さを考えれば、どれだけジンがありえない存在かが分かる。
「加護持ちではないんだな?」
「はい。その表示はありませんでした」
上記の例外として、まれに存在する神に加護を貰った人間には高い能力を持つものもいる。しかしジンは加護は持っていない。
「グレッグ教官は彼をどう見ましたか?」
そうアリアが尋ねる。アリアはジンという正体不明の存在を、グレッグに見極めてもらおうとしたのだ。
「あいつは確かに異常だ。教えた事はかたっぱしから自分のものにしちまう。スタミナもあのレベルではありえないほど高い。立会い訓練もしたが、見る見るうちに上達していきやがった。教えている最中にスキルの習得を確信したのは久しぶりだぜ。しかもこんな短時間だ。この分じゃあすぐに新しいスキルにも目覚めるだろう。あんな奴は見た事も聞いた事もない」
そう語るグレッグの顔は厳しかった。ギルド責任者の1人として、ジンの様な特殊な存在は警戒しなければならない立場にグレッグはあった。
しかしふっと表情を緩めると、グレッグは続けて言った。
「だがあいつはいつも楽しそうだ。上達を実感していたんだろうな、笑顔で生き生きしていた。礼儀もしっかりしている。ちとしすぎるくらいだな。そして相手の意見を受け入れる素直さもある」
グレッグの評を聞きながら、アリアも思い返す。
当初こそその異常さに警戒心を抱いたが、反応を見る目的の「冒険者登録できない」という発言にもこっちの毒気が抜けるほど素直な反応を返してくる。さらに満面の笑顔でお礼を言ってきたと思えば去り際の「行って来ます」だ。そんな台詞を言われたのは何年振りだろうか。その時点で警戒心が半分以下になってしまったぐらいだ。しかも訓練後せっかく苦労してスキルを習得したのにもかかわらず、冒険者登録の延期に対してもごく当然のように受け入れるのだ。何の裏表もない笑顔で。こちらが申し訳なくなったくらいだ。
「お前さんも同じ意見のようだな。あいつは問題なしだ。それさえ分かれば、あいつの素性は関係ない」
傍目には無表情に見えるアリアの顔に何を感じたのか、グレッグはそう言った。 本来ならもう少し調査をすべきなのだろうが、藪をつついて蛇を出しては元も子もない。グレッグはこれまでにも何度も助けられた自分の直感を信じた。
「はい。それでは今後普通の冒険者として扱うという事でよろしいですね?」
反論する事も無く、アリアも対応する。
「いや、出来るだけ便宜を図ってやれ。あいつはこのまま成長すればとんでもない切り札になる。しかも頭は悪くなさそうなんだが、どうも抜けているというか、物を知らない感じがするからな。何かあったらフォローしてやってくれ」
そう言って笑うグレッグにアリアもジンの素直すぎる反応を思い出し、本人も無意識のうちに僅かに微笑む。
グレッグはそんなアリアを優しい目で見ながら、ジンがアリアにも良い影響を与えてくれる事を期待した。