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白鳥姫
作:岳石祭人



第8章 旅立ち


 白鳥の三人の子どもたち、ジェニー、キャシー、ドミニクは明るい光のあふれる見たこともない美しい森の中にいました。
 森の木はすべて白いバラの花を咲かせていました。
 幹のものすごく太い巨木がバラバラと生えて天を覆う広い枝葉を広げ、その屋根の下に中くらいから背丈くらいの小さな木まで、親子のように仲良く生え、みんなきれいな生き生きした白バラを咲かせています。
「白バラの森だわ・・」
 三人は感嘆して思わず声を出し、そのお互いの声にはっとして顔を見合わせました。
「わたしたち、人の姿に戻っている」
「でもこれはきっと夢だわ、だってこの世にこんな美しい森があるわけないもの」
「でも、これは誰の夢? わたしのかしら? それともあなた?」
 三人が揃って不思議がっていると、向こうの方から背の高いのと低いのと、二人の女の人が歩いてきました。
「あ、あれ!」
 三人は歓声を上げて二人に向かって駆け出しました。
 その二人はオデット姫とクラリスでした。
 三人はオデット姫に抱きついて、オデット姫は三人をぎゅうっと抱きしめてあげました。
「ねえ姫様、これはいったい誰の夢なの?」
「誰の夢?」
「だって、こんなことが本当のわけないもの」
 賢そうな顔でそう言う年長さんのジェニーは、笑いながらちょっと悲しそうでした。
「ここは私の夢の中よ」
 クラリスが教えてあげました。
「私がみんなを私の夢にご招待したの」
「それじゃあわたしたちみんなが同じ夢を見ているの?」
「そうよ」
「それじゃあわたしは夢の中だけの私じゃなくって、夢の中で本当にみんなと会っているのね?」
「ええ、そうよ。ほら、湖で夢の中でも遊べるからって言ったでしょ?」
 子どもたちは嬉しくって、なおいっそうオデット姫にぎゅうっと抱きつきました。
「これは私の夢だけれど、この場所は本当にあるのよ」
「本当? どこにあるの?」
「私の国、ロヴィークにある白バラの森。私のお母さんとお父さんの森。ほら、あそこ」
 クラリスの指さす先、森で一番の大木の、まっすぐ横に伸びた太い枝に、白い人影が二つ、腰掛けてこちらを見ていました。
「私のお母さん、カラベラと、お父さん、アイリス」
 女の人の方が手を振って挨拶し、オデット姫は腰を折ってお辞儀し、三人の子どもたちも習ってお辞儀しました。
 カラベラが両手を広げて差し伸べました。
 すると、三人の子どもたちの背中に白い蝶々の羽が生えて、パタパタ、三人は空中に浮き上がりました。
「あらあら、あなたたち妖精にされてしまったわよ」
 クラリスが笑って言って、三人は大喜びで辺りをパタパタ飛び回り始めました。
 クラリスはその様子を楽しそうに眺めて、オデット王女に言いました。
「三人は遊ばせておいて、私たちはちょっとお話ししましょうか」
 ・・・・・・・

 クラリスはベッドから起きあがりました。
 歩いていって窓を開けると外に向かって念を送りました。
 するとすぐに大きな翼を広げたナージャが窓の下に来てくれました。
 クラリスはナージャにまたがると、森の湖に向かわせました。
 湖に近づくと、王子がそうするように少し離れたところにナージャを降りさせ、そっと湖に近づきました。
 すると岸に美しい白鳥が来て待っていました。
 オデット王女です。
 後ろで一羽おそらく近衛女官のレスリーが控えています。
 月は今夜も美しい銀色の光を降らせていましたが、やはり満月でなくてはロットバルトの呪いを打ち消すことは出来ないようです。
 クラリスは王女に顔を寄せ、囁きました。
「それではあの件、よろしいですか?」
 王女はうなずき、クラリスもうなずくと、二人は額をくっつけて、しばらくそうしていて、やがて離れました。
「それでは、どうぞよろしくお願いします」
 クラリスが言うと、オデット王女の白鳥はうなずき、レスリーの待つみんなの眠っているところへ泳いでいきました。

 翌朝。
 ルピネーとクラリスが約束の七時に馬車置き場に来ると、ジークフリート王子はもう来ていて、腰に手を当てて
「遅い!」
 と大いばりで言いました。
 別に遅れてもいないのですが、大張り切りの王子に二人は苦笑して「はいはい」と謝りました。
 王子といっしょにルービン卿もいました。
「出来ましたらば本日お発ちのお客様方のご挨拶を済ませてからご出立していただきたかったのですが・・」
 昨日でお祭りが終わってお城のお客たちも朝からだいたいお昼過ぎまでにはみな帰途につく予定のようです。
「準備の方も何しろ急なことでしたもので満足な物を取り揃えることが出来ませんでしたし・・」
 と言いながら王子のために大きなトランクを二つ用意していました。
 しきりに困った困ったと言いながら、なんだかルービン卿も嬉しそうで、きっと子どもか孫を外国に遊学にでも出す気分なのでしょう。
 ちなみにルービン卿はもうけっこうなお年でしたがずっと独身でした。
「挨拶もろくにしないで悪いが、なにしろ急ぎの旅なんでね、女王には昨夜のうちに挨拶しておいたが、他のお客たちには卿の方からよろしく言っておいてください」
 ルピネーは握手してていねいにお願いしました。
 ルピネーの馬車は特になんの装飾もない黒塗りの大きな車体で、通常四頭立てのところを、なんと六頭立てに増やしていました。
「超特急仕立てだ。なにしろ今日のうちにカカッサスの麓に到着する予定なんでな」
「カカッサス!?」
 王子がびっくり叫んで、
「おお、ルピネー卿、なにとぞ無理はなさらずに」
 ルービン卿も顔を青くして嘆願しました。
「大丈夫。スピードは出すが、俺は安全第一なんでね」
 ルピネーはさっさと御者台に上って二人を促しました。
 お供はなしで、三人だけの旅行のようです。
「それじゃあ、ルービン卿。行ってくるよ」
「ええ、行ってらっしゃい。しかしくれぐれもお気を付けて良い旅を」
 クラリスも窓から手を振って、ルービン卿一人に見送られてルピネーの操縦で馬車は動き出しました。
 馬車は高い石積みの壁の狭い通路をぐるりとお城を一周して城門に到着しました。
「通してくれよ守衛諸君。この城の王子様の旅立ちだ!」
 ルピネーが張り切って言い、王子は窓から敬礼する守衛たちに挨拶を返しました。
 城門をくぐると、朝の白い日の光が目にまぶしくさしています。
 冷たい空気の中、馬たちは体をほぐすように楽な動きで坂道を下っていきます。
 王子は窓から森を見下ろし、その先の村を思い、振り返って朝日を浴びて輝く城の高い城壁を見上げ、毎日見ている風景なのに何とも感慨深い思いが胸にあふれてきました。
 王子の、生まれて初めての旅の始まりなのです。
 馬車は城の坂道を下りると、北へ向かう道に入りました。
 王子は森を通ってさしている横向きの白く煙る光の筋の重なりを眺めながら、ふと、となりに座るクラリスに尋ねました。
「ルピネー卿は馬車の操縦は得意なのかい? たしか馬に乗るのは苦手じゃなかったか?」
「馬車の操縦は好きみたい。見ている人がいないと御者を客席に座らせて自分で手綱を握ってるもの。陸にいると船に乗れなくてつまらないんですって」
「船かあ。船にも乗ってみたいなあ。僕はまだ海も見たことがないんだあ」
 王子はじろりとクラリスを見ました。クラリスは驚いてなによと見つめ返しました。
「いや、また僕のことを馬鹿にするんじゃないかと思ってね。どうせ君は海にだって行ってるんだろう?」
「ええ、ルピネーおじさまのご自慢の帆船に乗せてもらったわ。でも、」
 と、眉をしかめて、
「船酔いでたいへんだったわ。青くなってずーっと船室で寝ていたわ」
「それは見たかったなあ。じゃあ君、海は嫌いなんだ?」
「いいえ。小型のボートを降ろしてもらったの。風を操って自分で操縦するのはとっても楽しかったわ」
「なんだい、また魔法か。ずるいなあ」
 そう言いながら王子はニコニコしていました。
「そうさ、僕だっていつかは海だって行ってやる。そうだよユークリナはノール海に面しているじゃないか! オデット姫と結婚したら僕はユークリナの王だ! 海だって僕のものだ!」
「海は誰のものでもないけれど」
 とクラリスは苦笑して、
「そうなりたかったらまずはこの旅を成功させなくちゃ。
 そうだわ、よく女王様が王子の旅行を許したわね?」
「ああ、それはだね」
 王子は得意になって言いました。
「花嫁にするお姫様が決まったからぜひ高貴な彼女にふさわしいすばらしい贈り物をしたい。そのためにペテロブラーグに行かせてくださいと頼んだのさ。それとルピネー卿の名前を出したら一発さ」

 本当は女王様はそれほど甘くありませんでした。
 昨夜部屋を尋ねてきてその話をした王子に、相手はどこの誰かとしつこく訊いたのです。最初は何とかごまかそうとした王子ですが、あんまりしつこいので、つい、となりの国の高貴な身分のお姫様だと言ってしまいました。女王はなお詮索しましたが、これ以上なく身元の確かな人で、母上もよく知っておいでのはずの方だからと、後はひと月後の誕生会で必ず発表するからそれまで待ってくれと頭を下げてお願いして、なんとか許してもらったのでした。
 女王様はとなりの国の高貴なお姫様というのをロットバルトの娘オデールと思い込んでいるようでした。
 王子も特にそれを否定しませんでした。
 オデールは権力者宰相ロットバルトの娘ではありますが、特に高貴な出でもお姫様でもありませんでした。しかし他に思い当たる若い娘さんもいませんでしたし、夢見がちの王子のことですからそういう物語を頭の中で思い描いているのだろうとさしてこだわりませんでした。
 オデールなら花嫁として申し分ありませんでしたし、旅にルピネー卿も同行するとなれば卿のお墨付きを得たも同然です。
 こうして女王様はすっかり納得し、満足し、大いに喜んで王家の蓄えから金貨の小袋を三つも渡してくれたのでした。

 ニヤニヤ黙っている王子の良からぬ考えを思ってクラリスはじーっと白い目で見ていましたが、
「そういえば、オデールは見送りに来なかったわね」
 と言ったので王子はギクリと跳ね上がりました。
「彼女だけは見送りに来ると思ったんだけれど・・」
「朝早くだったからねえ。きっとまだ眠っているのさ」
 クラリスはうーんと考えました。
「知らなかったのかしら、王子が旅に出ることを」
「ああ、そうそう、きっとそうだよ」

 それもたぶん嘘でした。
 女王様の部屋を訪ねて出てきたところ、廊下でばったりロットバルトと出会ったのです。
 誰もいない廊下で一対一で向かい合って、王子はドキンとしましたが、思い切ってツカツカ歩いていくと面と向かって言ってやりました。
「ロットバルトさん。オデット姫は僕のものです。けっしてあなたには渡しませんよ」
 王子は心臓が飛び出るほどドキドキ高鳴っていましたが、ロットバルトは温和な笑顔を浮かべたまままるで幼い子どもを見るようにしていました。
「王子。あなたの勇気と騎士道精神は買いますが、姫はお譲りできませんな」
 ロットバルトはあっさりオデット姫の今を知ることを認めました。
「何故ならば、あなたには私の娘オデールと結婚していただきたいのです」
 ロットバルトは王子にとても魔王とは思えないニコニコ優しい笑顔を向けて、胸の内ポケットからピカピカ光る金のメダルを取り出しました。ふつうの金貨の三倍も大きさと厚みのある金メダルです。
「ルピネー卿に聞きましたぞ、はるばるペテロブラーグまで花嫁に贈る世界一のダイヤモンドを買い求めに行くとか」
 人に言われると「世界一のダイヤモンド」というのがいかにも子どもの夢のようで気恥ずかしくなりましたが、ロットバルトは馬鹿にした風でもなく、
「たいへんけっこうなことですな。贈られる花嫁はさぞかし喜ぶことでしょう。その花嫁が、是非、我が最愛の娘オデールであることを期待しておりますよ」
 と、すっかり良い父親の顔になっています。
「あの子はそれはそれは喜ぶことでしょう。贈り物とは何より込められた真心が肝心。王子の贈ってくれるダイヤモンドは真実世界一のダイヤモンドであることでしょう」
 王子はすっかり感動してしまって、この人はなんて心の広いいい人なんだろうと思いました。
「さあこれを」
 ロットバルトは金メダルを王子の手に握らせました。
 ずしりと、重みと純金の冷たさが感じられました。
「別にダイヤモンドのお礼というわけではありませんぞ。ただ、ペテロブラーグは遠い。急ぎの旅となれば危険も多いことでしょう。旅の安全のお守りとして、どうぞ持っていってください」
 金の重みにすっかり魅了された王子は素直に受け取って、
「ありがとう、ロットバルトさん。あなたのお心はとても嬉しいですが、ご期待に添えないことは申し訳なく思います。でもきっと、将来、あなたの真心は決して裏切りません」
 ロットバルトはちょっと困った悲しそうな顔をして、
「そうですか。残念ですが、人の心だけはどうにもなりません。ただ、知っていていただきたい、あの子は本当にあなたのことが好きでたまらないのです」

 そうして二人は握手を交わして別れたわけですが、その金メダルは大事に王子の胸のポケットにしまわれています。
 そっと手を触れると、大金持ちになった喜びと、オデールへの申し訳なさがちょっぴり感じられました。
 オデールはたぶん父親から聞いて今日の旅立ちのことを知っていたでしょう。
 どうして見送りに来なかったのかそれは分かりませんが。
 でも、やっぱり王子はオデールのことはあんまり好きではありませんでした。
『子どもっぽいし、いばりんぼうだし、わがままだし、なれなれしいし、甘ったれだし・・』
 と、それほど親しく話したわけでもないのに王子は勝手にそう決めつけていました。
『まあ、かわいいと言えばかわいいかもしれないけれど、やっぱりオデット姫ほどの美人でもないしなあ・・』
 とこれまた男の欲望丸出しの品定めをしているのでした。
『やっぱり僕にはオデット姫しかいない! ああ、愛しい姫よ、待っていてください、きっときっと永遠の愛の証を携えてあなたの元に帰ってまいりますからね』
 王子はうっとり物語の主人公になった気分でこれからの冒険を夢見ました。
「あ、そうだ! カカッサスだ!」
 夢から覚めたように王子は叫びました。
「ねえ君、僕らはカカッサスを越えるのかい?」
「そうみたいね」
 とクラリスは答えましたが、どうせこの子に聞いても詳しくは知らないだろうと、王子はルピネーに聞いてみようと思いましたが、気がついてみると馬車はすでにけっこうなスピードで走っていて、丘や畑の間を通っていた道は、だんだんと深い森の中に入っていっていました。
 なるほどルピネーの馬車の操縦の腕は大したものようですが、怖くて声がかけられません。
 王子はあきらめて席に腰を落ち着け、窓から景色を眺めました。
 角度が悪いですし木々がじゃまで見えませんが、北のこの先、青い大カカッサス山脈がそびえているはずです。
 カカッサス山脈は城からはるか遠くに眺めることが出来ました。青く、まるで空に描かれた絵のように東西に見渡す限り長ーく壁のように連なっています。相当な高さがあるのでしょう、頂は一年中白く雪をかぶっていました。
 王子にとってカカッサス山脈は外の世界の象徴でした。
 王子の世界の果てがあの青い壁であり、その先は話にしか聞いたことのない未知の世界でした。もっとも王子は生まれてから一度も自分の領土を離れたことはなく、ユークリナにさえ行ったことはありませんでしたが、北のカカッサスの向こうは特別でした。
 カカッサスから北は世界の中心大ラピス国だからです。
 華やかな憧れと未知の恐れの世界です。
 少年の頃からどれほどカカッサスを越えることを夢見たことでしょう。
「そうかあ、いよいよあのカカッサスの壁を越えるんだあ」
 王子の胸に旅に出た実感がふつふつとわいてきました。
 ちなみに、王子のベルーシアの北隣がカカッサスのふもとの小国ウロル国で、南隣がオデット王女のユークリナ国、ユークリナ国は南を内海のノール海に面して、ノール海の向こう岸にルピネーの育ったカザリン国があります。
「王子にカカッサス山脈が越せるかしら?」
 クラリスが意地悪な横目で王子を見て言いました。
「なんだい、君は越すつもりなんだろう? 君が越せて僕が越せないわけないじゃないか?」
 王子はバカにした笑いを返してやりました。
「王子、高山病って知ってる?」
 クラリスは訳知り顔で王子を見つめました。
「あれくらいの高さの山になるとナージャでも慎重にルートを選ばないと越せないのよ。上の方は空気が薄いから、調子に乗って一気に上っちゃうと体力が落ちたところに必要な空気が得られなくて、急激に体が駄目になってしまうの。頭が割れるように痛んで、あまりの痛さに吐き気がして、のたうち回るほど苦しくて苦しくて、まさに地獄の苦しみね」
 この娘はなんて恐ろしいことを口にするのだろうと王子は青くなる思いがしました。
「だから相当慣れた人でもゆっくり慎重に登らなければならないの。王子みたいにお城より高いところに登ったことのない人なんて、簡単にやられてしまうわね」
 王子はすっかり馬車に酔ったように気持ち悪くなってしまいました。
「ハハハ、大丈夫さ」
 天井から大声が降ってきました。ルピネーの地獄耳は二人の会話をちゃんと聞いていたようです。ふつうは絶対聞こえません。
「無理せず徐々に体を慣らしていけば乗り越えられるさ。山小屋に泊まりながら四日かけて山を越える。もちろん歩きだ、馬は使えないぞ。馬で行けるルートもあるにはあるんだが、ずうっと遠回りになって十日以上かかっちまう。だからな、無理してでも今日中にふもとにたどり着いて、山越えはゆっくり時間をかけなくちゃならねえ」
 ハイヨーとルピネーは手綱を打ち、馬たちをますます駆けさせました。
「おじさま、あんまり無理しちゃ駄目よ」
「おうさ、任せておけ」
 六頭もの馬を整然と走らせるのはかなり難しいはずですが、ルピネーは非常によく見える目と鋭い勘を持っているようです。
「ですって。よかったわね」
 と、クラリスが声をかけましたが、王子は青くなって本当に馬車に酔ってしまったようです。
「朝ご飯は食べてきたの?」
「いや、出発が待ち遠しくて何も・・」
 食べ物のことなんて今は考えたくもないという様子。
「私もまだなの。台所からパンとチーズをもらってきたからいっしょに食べましょう」
「いいよ。君一人で食べてくれ」
 王子は開けたバスケットから漂ってくるチーズのにおいをかいでますます気持ち悪そうにしました。
「何か食べてお腹を落ち着ければ酔いも治るわよ。それじゃあこれどうぞ」
 と、クラリスは棒の先についた丸いキャンディーを差し出しました。
「酔い止めよ」
 王子は面倒くさそうにしましたが、鼻先に突きつけられるとハッカのさわやかな香りがしましたのでパクッとくわえました。
「あ、おいしい」
 口の中にミルクとハッカと何か花のような甘さと香りが広がりました。
「でしょう?」
 クラリスが嬉しそうに笑いました。
「ロヴィークのおみやげよ。ありがたくいただきなさい」
「ふうん、ロヴィークっていいところだなあ。いつか行ってみたいなあ」
 キャンディー一本でいいところとほめられるのもなんですが、もちろんほめられて悪い気はしません。
「オデット姫とめでたく結婚できたら新婚旅行にいらっしゃい。オーロラ姫に紹介してあげるわよ」
 ちなみにロヴィークはベルーシアのずーっと西の方です。
 王子はすっかり酔いが治っていっしょにお弁当を食べました。

 馬車は猛スピードで順調に森の中の道を進んでいきました。
 本当にほとんどずーっと森の中で、時たま視界が開けると、何か野菜の青々茂った畑が見られました。でもあまり大きな畑はないようです。
「ベルーシアではね、何より森を大切にするから、大規模な開拓はしないんだ。森の豊かさが国の豊かさだと、みんなそう思っているんだなあ」
「まあ、すてきな考えね」
「そうかねえ」
 王子はこの考えにはあまり賛成ではないようです。
「もったいないよ。いくらでも大きな木が生えているのに、材木として売れば大儲けできるよ。畑だって広がって、一石二鳥じゃないか」
「たしかにふつうはそうするでしょうね。私はこのままの方がいいと思うけれど、どうしてかしら?」
 また天井から大声が降ってきました。
「そりゃあ女王が頭がいいからさ」
 王子はこっそりクラリスに、あの人の耳はどうなってるんだ? と囁きました。
「王子も女王の賢さを見習うんだな」
「どういうことです?」
 王子も天井に向かって大声で言いました。
 ルピネーは笑って、
「あの人はいい君主だ」
 と言っただけで説明してくれませんでした。
 道は、森の中ですから、まして森を大切にするベルーシアの人たちの作った道ですから、ずいぶんあっちこっちと蛇行していました。
 乗っている二人は気づきませんでしたが、外からこの馬車の暴走ぶりを見ている人がいたらなんと恐ろしいことをしているのだろうと肝をつぶすに違いありません。
 頑丈だけが取り柄に見えるこの馬車、実はルピネーの設計による特別製で、船乗りらしく大きな揺れに耐えられるように上部の部屋部分と下部の基礎部分の間に、横揺れ用縦揺れ用、さらに揺れ軽減用と、車体をまっすぐに保つ用と、いくつものバネが組み合わされて、この無茶な運転も快適なものに保っているのでした。
 しかし、
 ガンッ、と底に何かぶつかる音がして、ギギギギギ、と物のきしむ嫌な音がして、車体がグラリと傾きました。
「うわあっ」
 王子が悲鳴を上げ、クラリスもとっさに座席の肘置きにしがみつき、馬たちのヒヒーンと騒ぐ声がし、ルピネーの馬たちを必死になだめる声がしました。
 ガガン、と車体が落下し、ガリガリ地面をこする音が響いてきて、馬たちの騒ぐ声がして、ルピネーの叱りつける声がして、王子が悲鳴を上げて、やがて馬車は停止しました。
「どうしたの!?」
 クラリスが外に飛び出すと、車体は木の根の盛り上がりに乗り上げて斜めに止まり、見ると、後輪が消えていました。
 後輪は後ろの方に車軸ごと転がっています。
「どうどうどう」
 ルピネーが馬たちの落ち着いたのを確認して下りてきました。
「ちっくしょう、頑丈が取り柄の馬車がいったいどうしちまったんだ?」
 ブツブツ悪態をつきながら後ろに回って故障の原因を調べ出しました。
「やっぱりスピードの出し過ぎなんですよお」
 王子の非難に、
「そうかもしれねえなあ・・」
 と答えつつ、ルピネーはどうにも納得いかない様子です。
 見たところ車軸を納める枠と車体を乗せている大バネの間の小型のバネが一つ破損してしまったようです。
「ちゃんと点検はしたんだがなあ、やっぱり無理のし過ぎかなあ・・」
 ルピネーはまいったなあという顔でボリボリ頭を掻きました。
「国王と王妃の事故と同じなんじゃない?」
 クラリスが怖い顔で言いました。
「あの馬車の事故も、何かの原因で部品が壊れて車輪が外れたために起こったんだわ」
「君、詳しいねえ」
 王子が感心しました。
「そうだ。確かにその通りだ。一つ違うのは、今壊れたのは後輪の部品だが、国王の馬車は前輪の部品が壊れたことだ」
 ルピネーも真剣な顔で確認しながら言いました。
「そして前輪が外れて、後輪に巻き込まれ、大破し、車体が激しく投げ出され、しかも運悪く土手の上のカーブだったため加速が付いて土手下に落下し、国王、王妃、御者の三人は即死した」
 ジークフリート王子は聞きながらブルンと震え上がりました。
「クラリス」
 ルピネーが真剣な目をクラリスに向けました。
「これがロットバルトの仕業だと思うか?」
 クラリスは難しい顔で考えました。
「出来るとは思うわ。この部分に魔法で印を付けておいて、道に破壊の魔力を込めた石を置いておく。馬車が通ったら、印に石が引き寄せられてバネを破壊する・・。
 確信はないけれどね。印を付けるのはほんの小さな魔法でいいし、石はおそらく粉々に砕けてしまっているでしょうし。証拠は、見つけられないでしょうね」
「そうか・・」
 ルピネーは腕を組んでうーむとうなりました。
「俺も確信はねえが、たぶんこれは奴の仕業だろうと思う。と、なると、奴の目的だな」
 ルピネーは口をひん曲げてそこにロットバルトがいるように宙を睨みました。
「俺たちを殺すつもりなら、国王の馬車同様前輪を狙っただろう。すると狙いは、足止めか。
 なんのためだ? ただ単に時間を稼いでペテロブラーグ行きを邪魔するためか?
 それとも、他に目的があるのか?」
 そこは森のまっただ中です。
 道は一本切り。近くに町や村があるのか、とりあえず一軒の家でもあるものか、まったく分かりません。
 ルピネーとクラリスは難しい顔で考え込み、王子はただただ途方に暮れるだけでした。












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