オデールの葬式はベルーシアの正式な王子妃として城の聖堂で行われました。ただまだ結婚式は挙げていなかったのでごく身内の親しい者だけでしめやかに行われました。 オデット王女はルピネー特務外交官に尋ねました。 「わたしは間違っていた気がしてなりません。結婚はともかく、国のことは全てあの人に任せるべきだったのではないでしょうか?」 こういう場ではばかられますがあの人というのはもちろんロットバルトのことです。 ロットバルトはこの後ユークリナで国葬が執り行われる予定です。真実はともかくユークリナの国民にとっては国民のために働いてくれた貴重な恩人ですから。 ルピネーはすっかり痩せた顔でフムと頷きました。 「俺には分からん。が、多分上手くいかなかったと思うぜ」 何故?と王女は問いました。 「奴の言っていたのはしょせん頭の中の理想論だ。立派な王様一人に頼り切った社会なんてどうせあちこちほころびが出てくるに決まってる。ま、それが分かっていたから奴はどうしても自分が絶対的な権力の座、王にならなきゃならなかったんだろうな」 王女はルピネーの言い方がちょっと気に入りませんでした。 「でもそれはどんな社会でもいっしょではないですか?」 「そうさ。だからな」 ルピネーはいたずらっぽく、ちょっと悲しそうに、言いました。 「正直、俺はあいつに一つ国をくれてやりたかった。あいつがどこまで実際の社会で理想を守っていけるか、この目で見てみたかった」 聖堂の壁に、昼日中だというのに大きなフクロウがさまよい現れて激突して死にました。 恐らくロットバルトの忠義なしもべバルバッサであったでしょう。 クラリスは白バラの森に帰っていました。 あの後オデールの体を集めてなんとか蘇生できないか試しました。しかし心臓を切り裂かれ、血液をすっかり失っていて、蘇生に必要な新鮮さは保っていませんでした。 オデールの首は大きな木の根元に湖の雨でできた水たまりに浮いていました。目を開いて口を何か言いかけた形に半開きにして、自分が死んだなんてこれっぽっちも気付いていませんでした。 クラリスはオデールの体を形だけきれいに元に戻すと王子に渡してあげました。 その時の王子の顔を、クラリスはとても見ていられませんでした。 クラリスはその足でナージャに乗ってヴァイオレットと共にロヴィークに帰りました。とてもその場にいたたまれませんでした。 今クラリスは母を手伝って白バラの森の復旧に努めています。 クラリスは父母に事件について何も言いませんでした。 ただ黙々と作業をして、ふとした拍子に何か思いだしては呆然として時折辛そうに涙を滲ませました。 カラベラスはそっと優しく娘の肩を抱いて言いました。 「だいたいのことはユリアから聞きました。あなたはよくやりました」 「オデールを死なせてしまったわ。彼女は死ななくてよかったのに、死んじゃ駄目な人だったのに、わたしは、救ってやれなかった・・・」 クラリスはそれまで我慢していた感情が溢れだして母の胸にすがりついてわーわー泣きました。 カラベラスは娘の背を抱き頭を優しく何度も何度も撫でてやりました。 「クラリス。 この世に生きていてはいけない人なんかいくらでもいるけれど、死んじゃ駄目な人なんていないのよ。それはわたしとお父さん、この世に二人だけ」 魂は永遠だと言いたいのでしょうが今のクラリスにはなんのなぐさめにもなりませんでした。 クラリスはいいかげん泣き飽きると恨めしそうに母を見ました。 カラベラスは魔女流になぐさめました。 「あなたは本当によくやったわ。本当よ。 わたしだったら、ロットバルトもオデールも王女も王子も白鳥たちも、みーんな殺していたわ」 本っ当になんのなぐさめにもなりませんが母ならやりかねないと、少なくとも自分の方がまだましだったとクラリスは一応納得することにしました。 母の方がはるかにこの世の真実に精通しているのですから仕方ありません。 クラリスは改めて母という人を不思議に思いました。 ロットバルトはあれほど自分のことを魔王だと豪語しておきながらちょっと呪いを掛けられて人の心の闇を見せられた途端、それが幻だと分かっていたはずなのに、あっさり自滅してしまいました。 伝説的な黒魔女として人々に恐れられていた頃の母は心の中にいったいどれほどの闇を抱えていたのでしょう? その母がどうしてこんなに優しくなれたのでしょう? それはやはり父のおかげなのでしょうか? クラリスは父の所に遊びに行きました。 アイリスは相変わらずのんきに何か彫っていました。 「指輪?」 男性用と女性用、ペアの銀の指輪を彫っています。 相変わらず見事な細かい細工です。 「誰の?・・・・」 と訊いてクラリスは思い出しました。オデーレ、いえオデールに王子とペアの指輪を頼まれていたのでした。 でもそれを父にはまだ言っていません。 もう言う気もありませんでした。 悲しみがまた襲ってきました。 「なんとなく、作ってみたんだ」 父は相変わらずひたすら優しい笑顔をしています。何があってもこの笑顔は変わらないのでしょう。 「よかったらクラリスにあげるよ。おまえにはまだ大きいと思うけれど」 不思議です。父にはまったく魔力を感じませんがたまにこうして不思議な偶然があります。 クラリスは笑顔で父のとなりに座り込みました。 「あのね、お父さん。 わたしオデット王女の中にいたときにちょっとお父さんのことを苦手に感じちゃったの。変ね、今はぜんぜんそんなことないのに。わたし、お父さんみたいな男性ってタイプじゃないのかなあ?」 アイリスは愉快そうに笑いました。あくまで優しくお上品に。 「そうなんだろうね。わたしを愛してくれる女性はカラベラただ一人だよ」 クラリスも嬉しくなって笑いました。 唐突に地獄の底から立ち現れたオデレーヌの姿を思い出しました。 クラリスは父に問いました。 「お父さんはずーっとお母さんを愛し続ける自信ある?」 アイリスはあっさり答えました。 「うん。あるよ」 「じゃあ、ずーっと幸せでいられるわね?」 今度はちょっと考えて答えました。 「そうだといいね。でもね、時々どうしようもなく恐くなることがあるんだ。幸せな気持ちが強ければ強いほどその幸せがいつか失われてしまうんじゃないかってね」 「幸せを壊す敵が現れるってこと?」 「そうじゃない。カラベラは絶対誰にも負けないよ。 幸せが失われるのは幸せを幸せと感じなくなったときだ」 「お母さんを愛し続ける自信はあるのに?」 「うん。人の心は難しいからね。人の心どころか自分の心も本当には信じられない。わたしが確かに信じられるのはカラベラと、クラリスの心だけ」 「わたしはお父さんの心を信じているわよ」 「ありがとう。嬉しいよ」 クラリスは今回生まれた二組のカップルのことを思いました。残念ながら一組は失われてしまいました。 オデット王女とモデスト兄さんはずーっと幸せでいてくれるでしょうか? アイリスが唐突に言いました。またたまたま偶然の一致です。 「人を好きになるには大まかに二通りあると思うんだ。一つは自分と同じだから好きになる場合、一つは自分と違うから好きになる場合。わたしとカラベラは完全に同じだから好きになったタイプだね。相手を愛し、相手に愛されることで自分を愛することもできる。心が傷ついてもお互い治療し合えるんだ」 クラリスは王女とモデスト兄さんはどちらかというと違うから好きになったタイプかな?と思いました。 アイリスは続けました。 「ジークフリート王子とオデールさんもそうだったんじゃないかな? だから王子は今心が半分引き裂かれたみたいにすごく胸が痛んでいると思うよ」 クラリスは思いました。二人とずっといっしょにいたのは心の中にいたオデット王女ですがその記憶を思い出してみると本当にこの二人は笑っちゃうほどそっくりです。 クラリスは思い出し笑いして、くっくっく、と笑っていたのが涙に変わってきました。 でもクラリスはその涙をぬぐい去りました。 「これ、王女様の王冠よね?」 完成して布にくるんである銀のティアラを取り出しました。 頭に乗せてみると耳までずり落ちてしまいました。 「欲しければおまえにも作ってあげるよ」 「いずれそのうちね。これ、王女様に届けるのよね? ついでにこの指輪ももらっていい?」 「いいよ」 アイリスは最後の一刀を入れると見事に完成させて娘に渡しました。 クラリスは元気に立ち上がりました。 「わたし、ベルーシアに戻るわ! オデールに約束の指輪を届けなくちゃ!」 お葬式の最後にピエトロ氏が弦楽四重奏団を指揮してレクイエムを演奏しました。不謹慎ながらアンコールにオデールも大好きだった「白鳥の湖」のワルツも演奏しました。 あのオデーレが双子の妹の死がよほどショックだったのでしょう、ずっと泣き続けで時折こらえきれないようにしゃくり上げ、ビビアナにずっと抱き支えられていました。思えばオデーレは妹ばかりでなく父も母もなくして天涯孤独になってしまったのです。無理もありません。 そんなオデーレのためにもピエトロ氏は心を込めて指揮しました。残念ながらオデーレはビビアナに取られてこの恋は実りませんでしたが、恐らく生涯忘れ得ぬよい思い出となり、これから先も多くの傑作を生みだしていくことでしょう。 演奏が終わり、一人一人祭壇に安置されたオデールの遺体に最後のお別れをして聖堂を出ていきました。 モデストがお別れをし、オデット王女がお別れをし、最後に王子だけが残りました。 王子はオデールの頬を撫で、唇をたどり、いつまでもいつまでもそうしていました。 王女は出かかって、どうしても気になってそっと王子の後ろに戻ってきました。 王子はぶつぶつぶつぶつ何か言っていました。 「オデール、オデール、どうしたの? 目を開けておくれよ。すぐに帰ってくるって言ったじゃないか? 僕は待っていたんだよ、君の帰りをずっと。迎えに行かなかったのを怒っているのかい? だって、君は天使みたいに空を飛んで行っちゃうんだもの。クラリスは狡いよね、自分で飛べるくせに天馬まで持っていて。僕はあの馬がすごく欲しかったんだ。あの馬があれば僕だって君の後を追っていけたんだ。今度クラリスに貸してもらうよ。そうしたらあの白馬にまたがって君と空の散歩を楽しめるよ。ね、楽しそうだろ? だから、ねえ、オデール、もう許して目を開けておくれよ・・・」 王女は思わず口を押さえて顔を背けました。 「ねえ、オデール、オデールったら・・」 王子の首筋にフッと温かな風が触りました。 耳の奥で声がしました。 『ごめんね』 風はそれきり消えてしまいました。 「オデール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 王子は顔を歪めるとオデールの遺体にすがりついて泣き出しました。わんわんと大声を上げて子どものように。 オデット王女はぼろぼろ涙を流しながら王子の背にそっと触れて言いました。 「あなたの心に真実の愛はありました。 あなたのオデールへの愛は永遠です」 終わり