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白鳥姫
作:岳石祭人



第39章 入れ替わり


 朝の光の差し込む森の中、二頭立ての青いエナメルの外装の大きな立派な馬車がベルーシアのお城への道を進んでいきます。
 ロットバルトとオデーレ(本当は妹のオデール)に見守られてジークフリート王子はようやく眠りから覚めました。
「おはよう、ジークフリート王子」
 向かいの席からニコニコ笑顔でロットバルトに呼びかけられ、王子は慌てて起き上がりました。
 ロットバルトは都会の夜会に出席するような洗練された青いコートを着込んでいます。
 そしてそのとなりにはきらびやかな金の刺繍を施した眩しい白のドレスを着たオデーレが優しい微笑みを浮かべて座っています。
「紹介しましょう」
 ロットバルトは上機嫌で言いました。
「わたしの娘、オデールです」
 王子はポカーンとオデーレを見つめました。
 オデーレは努めて笑顔で言いました。
「そういうことなの、王子。ねえ、かまわないでしょう? お父様はわたしたちの味方になってくださるのよ」
 王子は唖然とするばかりで、どういうことなのかさっぱり分かりません。
 ロットバルトが顔をしかめて腕を組みました。
「まったく困ったものだ。いや、わたしの娘オデールのことだよ。あいつめ、無理を言って君の後を追っていったというのに、どういうわけかすっかり心変わりしてしまったようでな、今では君にまるで興味がなくなってしまったようだ」
 ロットバルトは片眉をつり上げて王子を覗き込むようにしました。王子は、はあ、どうもそのようで、と間の抜けた相づちを打ちました。
「困るのだよ、それでは。わたしのベルーシア支配の野望が駄目になってしまう」
 王子はドキリとしましたが、ロットバルトはいたずらっぽくニヤリとしました。
「まあ、それはついでのことだ。わたしはあれがどうしてもと言うから王子の後を追わせたのだ。ところがどうだ、こちらのオデーレお嬢さんの言うことにはバレエなどに入れ込んですっかりスター気取りと言うではないか?」
 ロットバルトに尋ねられるようにして王子は、
「いやあ、それはもう素晴らしい舞台でしたよ! まさに天の女神が乗り移ったような・・」
 と調子に乗っておしゃべりしかけて、口をつぐむと、はあそのようです、とだけ答えました。
 ロットバルトはうむと重々しく頷いて、
「わたしはそれでもかまわんのだ、あれがそうしたいのならな。ま、そう思ってわたしもベルーシアのことはあきらめようかと思っていたのだが・・、昨夜遅くこちらのオデーレお嬢さんが馬の背に君を乗せて必死の様子で宮殿に駆け込んできた」
 本当は羽を生やして飛んできたのですし、となりの国とはいえそんなに近い距離ではないのですが、王子はロットバルトの怪しく光る瞳に見つめられてなかば催眠状態になっているようです。
「オデーレさんに聞いたのだが、君は今たいへんな窮地に陥っているようだね?」
 王子はハッと目が覚める思いがしました。
 そうでした、自分は今女王に縁切りされて城を追い出された身の上であるのでした。
 王子はすっかりうろたえ、青くなりました。
 ロットバルトは慈父のように優しく言いました。
「オデーレさんはたいそう君のことを心配してわたしに味方になってほしいと頼んだんだよ。とても良いお嬢さんではないか! 君も承知だろうがわたしは彼女を自分のために利用しようと思って呼び寄せたのだが、彼女の君への一途な思いを知って考えを改めた。いやまったく、彼女を利用しようとしていたなど、自分の心の浅ましさを恥じ入るばかりだよ」
 ロットバルトはとなりのオデーレを称えて芝居がかった身振りをしました。
「ジークフリート王子。このわたしにぜひとも君たち若い二人の手助けをさせてくれたまえ!」
 ロットバルトはいかにも人が良さそうにニコニコしましたが、果たして王子は本当にそれでいいのでしょうか?
 王子は心を震わせながら一心に自分を見つめるオデーレに申し訳なく思いながらロットバルトに言いました。
「それはつまり、僕にオデット姫のことはあきらめろということですか?」
 ロットバルトはこれは心外だと目を丸くしました。
「それでは君はこのお嬢さんを愛していないと言うのか? これほど君のことを思ってくれているこのお嬢さんの心に君は答えてやれないと言うのか?」
 王子はオデーレの悲しそうな目を見て観念しました。
「分かりました。おっしゃる通りです。僕も彼女を愛しています。・・・オデット姫を裏切ることになりますが・・」
 ロットバルトは満足して頷きました。
「それでよいのだよ。自分の気持ちに正直にならなければ相手に対しても失礼になる。姫のことはこのわたしに任せておきたまえ」
 自信満々のロットバルトに王子はちょっぴり悔しい思いをしましたが、仕方ありません。こうしてすっぱり姫のことをあきらめてしまえば今目の前で瞳を潤ませて嬉しそうに自分を見つめている恋人がこの上なく愛しく感じられます。
『クラリスは怒るだろうなあ・・』
 と、後ろめたい気持ちも決して捨て切れませんが。
 嬉しそうに手をこすり合わせていたロットバルトですが、ふと深刻な顔になりました。
「ところで、彼女と結ばれることを承知してもらったところで、わたしは君たちに非常に難しい提案をしなければならない」
 オデーレはビクリと身を震わせ、王子は怪訝に二人を見比べました。
 ロットバルトは深刻な顔で王子の目を覗き込んで言いました。
「君はたいへん馬鹿なことをしでかしてしまったね? つまらんガラス玉のために城を追われ、莫大な違約金を支払わねば君はラピス大帝国のお尋ね者だ。そうだね?」
「はい・・」
 王子は力無く頷きました。今さらながら自分はなんと考えが甘かったのだろうと思います。
「その違約金をわたしが払ってやってもよい」
 王子はびっくりして口を半開きにしました。
 ロットバルトはその証拠だと足元のトランクを引っ張り上げ、重そうに膝の上に載せるとふたを開けました。
 中には金の延べ棒がぎっしり詰まっていました。
 王子は口を開きっぱなしにして思わず覗き込みました。こんな大金想像すらしたことがありません。
 ロットバルトは目の毒だとぱたりとふたを閉めました。
「これを君のため、いや、君たちのために使ってあげよう。考え違いしてはいけないよ、この金がわたしにとってははした金だと思ったら大間違いだ。これだけの金額、わたしにとってもとんでもない大金だ。その重みを、君にもぜひとも分かってもらわねば困る」
 王子は真剣に頷きました。お金の大事さはあの旅で十分身に染みています。
 ロットバルトも確認するように頷き話を続けました。
「君たちの手助けはしたい。しかしわたしとしてもただこの大金をくれてやることもできない。そこでだ、君にはやはりベルーシアの王となってもらわなければならない。有能な王となり、財産を作り、この金をわたしに返してもらう。心配しなくていい、少しずつ、君が死ぬまでに払い終わってくれればいいのだ、何しろわたしは君たちよりはるかに長生きなのでね」
 その柔和な色男ぶりについ忘れてしまいますが、このロットバルトはあの恐ろしい鳥の怪物なのです。
 ロットバルトは色男の顔をニヤリとさせて続けました。
「わたしも担保はもらうよ、当然だろう? わたしが欲しいのは、ベルーシアの宰相の座だ。つまり君の補佐役となってベルーシアの国をより良く発展させていってやろうというのだよ。かまわんだろう?」
 ロットバルトはここユークリナでも宰相の座にありました。しかしそれだけでは飽きたらずオデット姫との結婚を利用して国王になろうとしているのです。
 王子の顔に警戒の色が走りました。
 ロットバルトは王子の考えなど全て承知で言いました。
「わたしはベルーシアでまで王になろうとは思わないよ。君が、よい王になってくれさえすればね。わたしの言いなりになれというのではない、国のための真に正しい王になってもらいたいのだ。言うなれば、ユークリナの次期国王であるわたしの同士になってもらいたいのだ」
 ロットバルトがそもそもどういう動機で王になろうとしたのかは王子も知っています。多少過激なところを嫌ってはいますがあのルピネーもロットバルトの信念は認めています。
 王子もロットバルトを信じることにして頷きました。
「けっこう。さて、そこで問題だ。
 君のお母上だよ。たいへん優秀な政治家ではあられるが、一面非常に頑固でもあられる。一度放逐した君を再び暖かく迎え入れてくれるとは考えにくいが、どうかな?」
 王子は母の怒りを思って思わずブルリと身を震わせました。
「そうだろうねえ。君を王の座につけるのはちと難しそうだ。そこで、こちらのオデーレお嬢さんだが、」
 ロットバルトに視線を向けられ、オデーレはついに来たと身を固くしました。
「失礼ながらどこの誰とも身元の分からない娘を婚約者だと連れ帰っても女王はますます怒りを強めるだけだろう。だがもし彼女がわたしの娘だったら、どうかな?」
 そう、ロットバルトは最初にオデーレを自分の娘オデールだと紹介しました。
「わたしが娘の嫁入りの持参金として君の契約の違約金を支払い、君を立派な王とするために宰相に就任すると言えば、お母上も考えてくださるのではないかな? 幸いわたしはお母上への受けは良いようだから」
 女王はあれで人を見る目はあります。ユークリナの国内情勢、宰相ロットバルト対貴族政治家たちの対立も承知でしょう。女王はもちろん頑固な国民至上主義です。
 確かにロットバルトの全面的な後ろ盾があれば女王も王子の愚かさを許すかもしれません。
「しかし・・」
 王子は問いました。
「オデーレさんをオデールさんだと偽るのはどうでしょう? 顔がぜんぜん違いますし、第一本物のオデールさんがいるじゃないですか?」
 何も知らない王子はちょっと滑稽です。
 ロットバルトは余裕を持って言いました。
「君はわたしが誰か忘れたのかね? 顔を変えるくらい魔法で造作もないことだよ」
 ロットバルトは例の変身の魔法を掛けるべく両手に白い光を集めだしました。
「ちょっと待って!」
 オデーレが悲鳴のように言って王子の膝に手をつき、顔を寄せました。
「ねえ、王子。わたしの顔が変わったら嫌? どうしてもこの顔のままがいい?」
「そりゃあ・・」
 王子は戸惑いながら言いました。
「そのままの君の方がいいに決まっているさ。だって、これが君の顔じゃあないか? 君は、顔が変わっても平気なのかい?」
「わたしは・・」
 オデーレは蒼白の顔であえぐように言いました。
「あなたが愛してくれればどっちでもいい。あなたが好きなのはわたしの顔? それともわたしの心? わたしの心は、どんな顔をしていても変わらないわ。ただ、あなたを愛するだけ・・・」
 王子はオデーレが強い決心をしているのだと考えました。この美しい顔を変えてもいいだなんて、ふつう女性だったら絶対拒否するでしょう。
 オデーレは、それほど強く王子を愛してくれていると言うことです。
 王子はジーンと感動しました。オデーレへの愛しさがこみ上げてきます。
「もちろん僕は君の全てが好きだ! でも僕が一番大切に思うのは君の心だ! ああ、すまないオデーレ、君がどんな顔をしていようと僕は君を愛するよ!」
 オデーレはポロリと涙を流して頷き、体を元に戻しました。
 ロットバルトが手のひらに溜めた白い光を塗りつけると、オデーレの顔が眩しく輝き、黒髪のオデールの顔に変身しました。
 オデーレはしばらく目を閉じて細かく震えていました。
 怯えるようにゆっくり目を開いて、じいっと自分を見つめる王子を見ました。
 王子は言いました。
「不思議だ・・・。まるでそのままの君に思える。オデールさんの顔でいる君がまるで自然に思えるよ・・・」
 真実を知っていればそれは当たり前のことなのですが、王子はただただ不思議そうにオデールの顔を見つめ続けました。
「この顔、嫌いじゃない?」
 オデーレが心配そうに訊きました。
「ううん。ちっとも。と言っていいのかなあ? とにかく、その顔も僕はとても好きだ」
 オデーレはほっとして笑みが溢れてきて、思わず王子に飛びついて抱きしめました。
 王子もオデーレを受け止めて黒髪の頭を撫でながら、その実に自然な感触に改めて不思議な感じがしました。
 ロットバルトが満足して言いました。
「それでは彼女にオデールになってもらうことは承知してくれたね?」
 はい、と答えて、ふと王子は顔を曇らせました。
「でもやっぱりずっとこのままというのはかわいそうです。まさかもう二度と元に戻らないなんてことはないでしょうね?」
 ロットバルトはため息をついて言いました。
「それでは夜、二人きりの時心からの口づけを交わしたまえ。そうすれば魔法は解けて彼女の本当の顔が現れるから」
 王子はその状況を思って思わずポーッと顔が赤くなりました。
 オデーレはまた一つ心配事ができてロットバルトを見ました。
 ロットバルトは娘を安心させるように微笑んで頷きました。
 次の課題です。
「オデールさんはどうするんです? 彼女は今僕の城にいるんですよ?」
「あれはオデールではない。オデールの双子の姉、オデーレだ」
 オデーレはドキッとして、ロットバルトはニヤリとしました。
「と、いうことにしよう。君もわたしに別れた妻がいることは知っているだろう? オデーレは彼女が引き取って育てていたオデールの姉だ。それで上手く納まるだろう」
「オデールさんがそれで納得するでしょうか?」
「かまわんさ。あれはすっかり自由な空気に染まってしまったようだからな。今さら城暮らしもできんだろうさ」
 言われると王子もまったくその通りに思います。もうすっかり舅の言いなりです。
 こうして嘘の上に嘘を重ねて、この双子姉妹はようやく本当のところに納まりました。

 夕刻。
 ロットバルトの馬車はベルーシアのお城に到着しました。
 到着してみると、王子の十八歳の誕生日の前夜祭のはずが、ルピネー特務外交官来訪記念バレエ特別上演会になっていました。
 ロットバルトは城の者に言い含めて王子とオデールを一室に控えさせ、自分一人で女王への挨拶に向かいました。バレエ上演会という王女の苦肉の策に苦笑いしながら。
 王女は挨拶をするロットバルトに例によってくどくど息子の突然の病気とそれに伴うパーティーの内容の変更を説明し謝りました。
 委細承知のロットバルトは辟易しながら小声で、
「いやいやお気遣いはご無用。事情は承知しております。それにつきましてはぜひ女王閣下にご相談したいことがございまして」
 と別室に誘い、例の提案をしました。
 口の上手いロットバルトのこと、女王の王子への怒りを巧みに汲み取りつつ、本心の子を思う親の気持ちを引き出しました。決して甘くない女王はロットバルトの甘言を一方で怪しみつつも冷静に吟味し、これは願ってもない良い話だと判断しました。
「おお、ロットバルト殿。あなたはなんと心の広い立派な方でしょう!」
 ロットバルトは王女の果てしなく続きそうなお礼の言葉を遠慮の態度で押しとどめて、ルービン卿を呼ぶように進言しました。この城、いえこの国のことは全て何がなくともこの人なしでは立ち行きません。
 ルービン卿が来ると女王はさすがに嬉しそうにロットバルトの提案を話し、卿も大いに喜んでロットバルトに感謝し、大急ぎで王子の誕生日の前夜祭に立ち戻る準備に走りました。
 この後女王は王子を呼び、王子にとってはありがたくも実に居心地の悪い会見となりました。
 女王はオデールにも会い、下にも置かぬ態度で明日の花嫁を歓迎し、この出来の悪い息子を頼むとクドクドとお願いしました。王子はもういたたまれないほど恥ずかしい思いをしましたが、感激屋のオデールは女王の言葉にいちいち頷きこちらこそよろしくお願いしますと涙を浮かべて明日の義母と固く握手を交わしました。この二人はなかなか良いコンビのようです。

 軽い食事が振る舞われ、お客が集まったのを見計らって中庭の急ごしらえの舞台で弦楽四重奏によるバレエコンサート「白鳥の湖」が上演されました。あり合わせの材料で男どもを指示してあっという間に舞台を仕立て上げたのはもちろんルピネーです。
 組曲版「白鳥の湖」は素晴らしい出来で、本舞台に負けないほど感動的なものでした。
 本当は今日は準備と練習に費やして、明日の王子の誕生日本番で上演するはずだったのですが、王子の放逐騒ぎで急きょ今日も上演することになり、主演のビビアナはかなり神経をピリピリさせて文句を言っていたのですが、オデール(オデーレ)に
「まあいいじゃない。リハーサルのつもりで伸び伸び思い切り踊りなさいよ」
 と言われて機嫌を直しました。まあオデールの「まあいいじゃない」は彼女の口癖のようなものなのですが、ビビアナにとって彼女はもはや絶対的な存在になっていますから。
 そのビビアナは特に気負ったところもなく実に素直に曲をなぞった踊りを披露しました。元々曲が素晴らしいので情感豊かでユニークな実に魅力的な踊りに仕上がっています。コスチュームもオデールにならって、さすがにあそこまで大胆ではありませんが膝上までの薄布の裾のチュチュを着て、実にかわいらしく魅力的な妖精になっています。
 お客は五十人ほどとそう多くはありませんが、この都会の新しい芸術を大いに楽しみ盛り上がりました。
 その五十人に混じったロットバルトは、自分が主要登場人物であるこのバレエ物語を苦笑いしつつ素直に拍手を贈りました。
 終了後のアンコールではオデールが特別出演し、ビビアナと息の合ったデュエットを踊って喝采を浴びました。

 王子とオデーレ(オデール)は建物の窓からこの舞台を見ていました。
 二人ともペテロブラーグの劇場で見た舞台を思い出しながら見ていました。まだついこの間と言っていい日数しか経っていないのにもうずいぶん昔のように懐かしく思われます。バレエのことばかりでなく、二人で過ごしたこのひと月間はその前の全ての時間に匹敵するほど内容の濃い日々でした。
 二人は手を握り合って舞台に見入り、最後の王子と妖精の娘が天に昇っていくシーンでは自然と共に涙を流しました。やはり自分たちの姿を重ね合わさずにはいられません。
 ただ、
「僕は妖精の娘を裏切ってしまったんだ」
 と王子がポツリと言いました。
 オデーレはハッとして王子の手を放しかけて、ぎゅうっと力を込めて握り返しました。
 振り向いた王子にオデーレは言いました。
「後悔しているの?」
 王子は首を振りました。
「いいや。でも僕は悪魔の誘惑に負けて姫を裏切った卑怯な愚か者としてありとあらゆる人々から軽蔑され攻撃されるだろう。そんな僕を愛してくれる君に心からすまないと思う」
「そしてわたしは王子を誘惑して姫から奪ったみだらな悪魔の娘だわ。それでもかまわないわ、世界中でただ一人、あなたが愛してくれさえすれば」
「オデーレ・・」
「駄目。これからはオデールって呼ぶのよ」
 二人は悲しく微笑み合って額を寄せ合いました。
 舞台ではアンコールに応えてビビアナとオデールがまるで鏡に映ったような左右で見事にシンクロした踊りを踊っています。
 オデーレは周りに誰もいないのに王子の耳に口を当てて洞窟の夜ビビアナがオデールのベッドに忍んできたときのことを囁きました。王子はその艶めかしい情景に顔から火が出るほど真っ赤になりました。
 舞台では踊り終わった二人が盛大な拍手のなか互いを称えて抱き合っています。

 舞台が完全に終了するとロットバルトは庭の一隅でオデールを捕まえました。
「オデーレ、と言うのだそうだな? おまえのような娘がいたことを父は嬉しく思うぞ」
 ロットバルトは妹に対するのとは明らかに違った裏の顔でオデールに笑いかけました。
 オデールはいつもの調子でフンと小馬鹿にしたような顔をしました。
「わたしは嬉しくもないけれどねえ。ただあなたがわたしの父親だって言うのはよーく分かるよ」
 ロットバルトは愉快そうに声を上げて笑いました。
「おまえとは気が合いそうだな。どうだ、わしの元へ来ぬか? あんな女のところにいてもつまらんだろう?」
「お断りよ。母さんのところにももう戻る気はないわ。母さんとあなたの夫婦喧嘩につき合うのはもうウンザリ。わたしはわたしで好きに生きていくわ」
「そうか。頼もしいな。さすがは我が娘だ。健闘を祈るよ。
 ところで、では自立した大人の女のおまえに相談なんだが」
 と、ロットバルトは例の改名の件を話しました。
 話を聞いてオデールは笑いました。
「わたしもそれに反対する資格はないわね。いいわよ、あの子のためだって言うならね。でも聞いておきたいわね、それは本当にあの子のため? それとも、父さんの野望のため?」
 オデールはきつい目で父を見つめました。
「母さんは父さんが預けられたあの子を乳母に任せきりにしていたのが突然かわいがるようになった、それは自分の野望を達成するために利用しようと考えたからだと言っていたけれど、わたしも父さんの態度の変化は知っているのよ。さあ、どうなの?」
 ロットバルトはうんざりした目でオデールを見ました。
「まったくあの女め、どうしてこうも陰湿なことを考えるのか。双子の姉であるおまえを通じて妹の目と耳を使ってわしの様子をうかがっていたのだろう? ああ、嫌だ嫌だ。
 おまえもその目で見ていたのなら知っているだろう、子どもとはいかに手の掛かるものか? ましてわしは生まれて間もないオデールを突然押しつけられたのだぞ、困惑して腹が立って拒否して当然だろう? だが、自分の子だ、やはりかわいくないわけがない。無垢な笑顔を見れば情がわくのが自然だろう? わしだってあの子の親になるためにそれなりの時間と学習が必要だったのだ。ずーっと腹の中におまえたちをはぐくんでいた母親とは違う」
「つまり、オデールは我が子としてちゃんと愛していると?」
「当然だ。だがおまえもわしに似た性質なら理解できるだろうが、わしはこういう人間だ、娘の愛し方も母親の愛し方とは違う。あいつこそおまえとオデールを利用しているではないか? あいつに娘のことでとやかく言われる覚えはない」
 オデールはおかしくて笑いました。今の父は本当に人間らしく見えます。
「信じましょう。まあ、わたしはどっちでもいいの、あの子が幸せならそれでね」
「感謝するよ。あの子の父親としてね」
「ただ一つお願いがあるんだけど。
 それでベルーシアが思い通りになるんだったらユークリナのことはあきらめてくれないかしら? つまりオデット姫のことはってこと」
 ロットバルトは嫌そうな目でオデールを見ました。
「嫌だって顔ね? ま、一応言ってみたの。クラリスに頼まれたんでね」
「そういえばあのお嬢さんは姿が見えないな」
 と、ロットバルトは周りを見渡して意地悪な笑みを浮かべました。
「おまえも一人前の大人なら父の幸せも思ってくれよ。わしは国も欲しいが姫も欲しいのだ」
 オデールは肩をすくめました。
「ま、お好きなように。でも、あまり無茶はしない方が身のためよ。父さんの方が圧倒的に強いみたいだけれど、あの子は底知れないところがあるわ。どうも怪しいのよね、実力をわざと隠しているようで」
 ロットバルトは平気を装っていましたが内心ドキリとしました。オデールの勘は信憑性があります。
 やはりこのまま殺してしまった方がいいか?
 と、考えました。
 そこへ着替えたビビアナがやってきました。
 オデールは手を上げて呼んで、ロットバルトに紹介しました。
「これがわたしの父よ」
「初めましてプリマドンナ。いやあ実に素晴らしい感動的な舞台でした」
 ビビアナは差し出された手をおっかなびっくり握りました。
「だいじょうぶよ。父は美人には優しいから。でもお父様、この子は駄目よ」
 オデールは握った手を離させてビビアナの手をだいじに自分の胸に握りしめました。
「この子はわたしのもの。わたしはこの子といっしょに生きていくって決めたの」
 ビビアナはポッと嬉しそうに頬を染めました。
 ピエトロ氏が遠くからそんな二人の様子を例のこの世の終わりのような深刻な顔で見ていました。一時はオデールといい雰囲気だったようですが、残念ながらこの恋は失恋に終わりそうです。
「それとね、ビビアナ。実はわたしの本当の名前はオデーレだっていうことは、あなたにだけは話したわよね?」
 オデールはいたずらっぽい目でロットバルトを見ました。
 ロットバルトは苦笑いして、
「これも母親の影響か」
 とぼやきながらも、
「娘のことをよろしく頼みますよ」
 と笑顔でビビアナに挨拶しました。

 満月が中空に登って眩しい白銀の光を放ちだしたその頃、クラリスはたいへんなことになっていました。












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