第27章 白鳥の宝石
ボルジョー劇場におけるバレエ『白鳥の湖』最終公演は素晴らしいものとなりました。
主演のプリマバレリーナ、ビビアナ・デュランドは持てる力を全て出し切った最高の演技を披露し、他のダンサーたちも負けじと精一杯頑張りました。
モデストはとなりのボックスも確保して伯爵家の人々をみんな招待し、みんなこの最終公演を大いに楽しみ、喜びました。
しかしこの公演全体は果たして成功だったのでしょうか?
全公演通してお客の入りはまずまずで、売り上げはなかなかのものでした。ただ、舞台をかなり豪華に作っているので支出も多く、投資家にとっては期待したほどの大成功とは言えなかったようです。
ではバレエとしての評価はどうであったか?
おおむね好評ではあったようです。
ただ、こちらも制作者がもくろんだ程の高い評価は得られず、
「部分的に良いところもたくさんあった。コンチャロフスキー氏の音楽もバレエの音楽としては良すぎるほどであった。しかし全体としては平凡で、長すぎる嫌いがあった」
と、決して悪くはなかったのだけれど期待していたほど特別な傑作とは言えない、ちょっとたいくつだったかな、というのがおおかたの感想のようです。
それに追い打ちをかけたのが昼のオデールの特別公演で、これを見た観客は興奮してどれだけ凄かったか会う人会う人に自慢しまくりましたが、その賞賛はオデールに向けられたもので、ピエトロ氏の意図した作品本来の形に気付いた人はほとんどいませんでした。
作品の評価に関してはモデストも大いに不満でしたが、自分自身の目から舞台を見てしょうがないと思う面も多々ありました。
モデストはクラリスに、
「本当は僕はレイジング氏に演出を任せるのは反対だったんだ。でもこれだけ大きな公演になるとあちこち気を配らなくては実現できないところが多々あってね、劇場総裁の意向を無視するわけにはいかなかったんだ」
と情けなさそうに言い訳しました。
「でも、オデールさんの舞台を見て決心したよ」
と、気を取り直して元気に、
「僕はもう一度『白鳥の湖』の舞台を実現してみせる。もう一度ピエトロさんと相談して、新しい若い才能に演出を任せて、本来の素晴らしさを新しい舞台によみがえらせてみせるよ!」
実はすでに考えていることがあるんだ、とモデストは生き生きとした顔で言いました。
「今回の公演は劇場付きのバレエ団を主体に構成しているんだけれど、ソリストの何人かは僕らがモスクリンでオーディションして連れてきたんだ。そのソリストたちを連れて各地にコンサート形式で公演していこうと考えているんだ」
モデストはすっかりその気になって計画を思いめぐらせています。
クラリスもモデストの空想につき合いました。
「そうね、それなら、王子の誕生日にお城で踊ってもらったら素敵でしょうね」
「それだよ!」
モデストは大喜びしました。
「ジークフリート王子、あなたのお誕生日にぜひ僕たちの公演をさせてください!」
「え、ええ」
王子はびっくりして答えました。
「それは喜んでお願いしたいです」
「よし、決まりだ!」
モデストはもう決めてしまって王子の手を握ってブンブン振りました。
という会話は舞台が終わって、招待客の特別待合室に場所を移して、モデストがあちこち挨拶から帰ってきて行われています。特別招待室はモデストがそうしたわけではなくて、劇場のマネージャーが大伯爵に気を使ってこちらに移っていただいたのです。また港のような騒ぎになってはいろいろたいへんだという配慮もあってです。
「というわけで父さん」
眠そうにしているルピネーに、
「大白鳥号の帰りの残りのチケットは全部僕が買いますよ」
「そりゃいいがな、準備は間に合うのか? 俺たちゃあ何がどうあっても王子の誕生日の前夜にはベルーシアの城に着いてなくちゃならねえんだ。こっちにそう何日もゆっくりしてられねえぞ」
王子の誕生日の前夜、つまり次の満月まであと十五日。往路はちょうど十日かかってますから、どんなに遅くても五日後には出発しなくてはなりません。
「三日後だ。けっこうな大人数になるんだろ? 旅慣れてない人間も多いだろうし、それくらいの余裕は見なくちゃならん」
「よし、三日後だね」
モデストはさっそく部屋を飛び出ていこうとして、慌てて振り返り、
「ピエトロさん、当然あなたにも来てもらいますからね!」
と念を押して出ていきました。
「やれやれ、あいつはどうしてああせっかちなんだ?」
と伯爵が愉快そうに言いました。
「そりゃあおじさまの息子ですものね」
とクラリスが言うと、ルピネーは、
「うんにゃ、あれは親爺殿の血だ。何か思い付くとすぐに実行しないではいられねえんだ」
と言いました。
伯爵は今でこそこうしてのんびりご隠居然としていますが、若い頃にはあちこち飛び回って毎日忙しく働いて、それで結婚がずいぶん遅れてしまったようです。
ところで今ここにオデールとオデーレの姿はありません。オデールは舞台の上演中は頑張って目を開いて見ていましたが、さすがに疲れたのでしょう、幕が下りるといっしょにまぶたが閉じてしまい、ルピネーに抱えられて団員の仮眠室に連れていかれ、そのまま眠っています。オデーレはその付き添いでずっといっしょにいます。
オデールは昼の公演後もすぐ近くのホテルに部屋を取って夜の公演開始ギリギリまで休んでいたようで、クラリスはぜひ確かめなくてはならないことがあったのですが、今のところそれは出来ていません。
それとは別に素晴らしい舞台のお祝いももっときちんと言いたいのだけれど。
今日のオデールはあまりに忙しすぎました。
今日のことはいろいろと、明日ゆっくり話し合うことにしましょう。
クラリスは毎度のように伯爵夫妻のお相手をしています。
ルピネーは眠そうにときどき大あくびをして母と熱心にバレエの感想を話しているアナトリーに叱られています。
ピエトロ氏はアレクサンドラ夫人と子どもたちといっしょで、子どもたちに自分たちも外国に行きたいとせがまれて困っています。
モデストもオデールもオデーレもいなくなって、王子だけ一人でぼーっと考え事をしています。
今見たバレエのことを考えているのでしょうか?
それとも昼のオデールの舞台を思い出しているのでしょうか?
考えてみれば王子は結局三度もこの舞台を見ています。
さすがに何かしら思うところがあるのでしょうか?
それとも、ぜんぜん別のことを考えているのでしょうか?
クラリスはちょっと心配です。
翌日。
朝から、というか、昨夜から何やらずーっと考え事をしていた王子はちょっと用があると一人で出かけてしまいました。
クラリスは王子が迷子になったり悪い人にひどい目に遭わされたりするんじゃないかと心配しましたが、王子は
「一人で行きたいんだよ」
と行く先も告げずに出ていきました。
伯爵もブツブツ言いながら仕事に出かけていきました。
今日はルピネーも仕事でお出かけです。特務外交官として中央官庁にご出仕です。これまでも手紙を出したり受け取ったり、人が訪ねてきたりと、いろいろ忙しくしていました。
モデストはあれ以来一度も帰ってきません。
オデールとオデーレはあの後ホテルに移り、昼近くに帰ってきました。
お屋敷にいる者で集まってお昼になりました。
主役はオデールで、クラリスとオデーレとサファイアの精が代わる代わるどれだけ素晴らしい舞台だったかご夫人方と子どもたちに話して聞かせました。
そのままお茶会になって、その席でクラリスはようやくピエトロ氏に『白鳥の湖』のお話の出所について聞くことが出来ました。
この人は妹のアレクサンドラ夫人がいないと本当に駄目な人のようで、今まで何度となくチャンスを逃してきたのです。
お話の出所はハルメイユーでした。
五年ほど前、趣味の旅行で友だちと行ったのですが、そこで聞いた話だそうです。
これだけ人見知りが激しく引っ込み思案の人が大の旅行好きというのがよく分かりませんが、だいたいいつも友人に誘われて、誘われていながら結局自分の行きたいところに行ってしまうという、甘え上手なところがあるようです。人見知りが激しい分、友人になってしまうと案外馴れ馴れしくなるようです。
ところで、ハルメイユーです。
オデーレが母と生活し、オデールの母の出身地であり、リムサコフ王家が謎の女怪盗にダイヤ「白鳥の涙」を奪われたという国。
そもそもどういうところなのか?
位置は王子のベルーシアのずっと北西、クラリスのロヴィークの北、北の大きなスカルディナ半島の付け根の細いくびれにあります。
どういうところなのか、一言で言うと、
「世界一美しい国」
なのだそうです。
少なくともハルメイユーの国民は皆そう思い込んでいますし、それも肯ける美しい国です。
南からの暖かい海洋風が山脈に導かれるように流れ込み、北からの寒気団とかき回されて絶妙に混じり合い、四季のはっきりした、とても分かり易い自然の美を見せてくれます。
豊かな森と水に恵まれ、湖が多くあります。
地質の関係か湖は真っ青で、宝石のような美しさなのだそうです。
一方歴史的には北と南と東の交わる交通の要衝でもあり、周辺にいつも争いが耐えませんでした。
しかし驚いたことにハルメイユーの地が直接戦場になったことはリムサコフ王朝が開かれて数百年、ただの一度もありませんでした。
リムサコフ王朝は常に周辺国の勢力の優劣を伺い、常に一番勢力のある国に仕えました。そしてその変わり身の早さはどんな大国の知将にも勝る、芸術的とも言えるものでした。
まあそんなあっちへこっちへ節操なくおもねっていればいつか怒りを買って攻め滅ぼされそうなものですが、リムサコフ王家代々に続く接待上手と国土の美しさが幸いし、この地を戦場にしようという気力を相手に起こさせないのでした。
一つ伝説があります。
宝石のように青い湖には一人の美しい妖精が住んでいて、これが王を助け、敵将を招いて七日七晩宴会を大いに盛り上げすっかり骨抜きにして帰し、戦を免れたというものです。
いつの間にやらその時どの国がハルメイユーと結ぶかが周辺国の勢力ステータスになっていきました。
ただハルメイユーが何も努力しなかったということではなく、平和のためにはそれなりの犠牲も払いました。本来国が得るはずだった地の利の利益をその時々の盟主国に全て納めました。国は貧しく、いわば王家を始め国全体が旅籠の経営者でその利益のほとんどをお代官様に上納して、無事に生活させてもらっているようなものでした。
それでもハルメイユーの国民に不満はありませんでした。
なんといっても世界一美しい国です。その国に暮らしていられるだけでも十分幸せだと思っていたのです。
そしてそれは領土争いが日常茶飯事の戦国時代のお話。
西の戦乱が収まり、ラズベリー大伯爵のおかげでラピスにも平和が定着すると、それまで散っていっていた利益が手元に残るようになりました。それまでに培った外交ルートもあり、ハルメイユーは瞬く間に裕福になりました。
リムサコフ王家も、入れ替わりの激しい戦国時代の権力者たちにあって、奇跡的に長く続く大陸最古の王族として、その高貴な血筋が貴族社会に珍重されるようになりました。
まったく継続は力なりといいますか、世の中何が幸いするか分からないものです。
ハルメイユーとはそんな国です。
で、ピエトロ氏の聞き知った伝説です。
いつの頃の話か分かりませんし、そもそもおとぎ話のたぐいのお話ですが、それほど古くからある話ではないようです。ですから先に挙げた湖の妖精の話から物語作家がこしらえた創作であるかもしれません。なにしろハルメイユーの人々は皆旅人を喜ばせることに長けていますから。
具体的なお話は、この物語の冒頭に掲げたとおり。
ただ、名前をそれぞれ、
湖の妖精、オンデーヌ
人間の王子、ロードベルト
邪悪な魔女、カラボッス
とすれば、ピエトロ氏の聞き知った伝説そのままになります。
バレエは踊り主体にだいぶアレンジされています。
「だから、その名前が気になるのよね」
と、クラリスはしかめっ面でピエトロ氏に言いました。
ちなみにここまでの話はクラリスの質問に対してピエトロ氏が、うー、とか、あー、とか言うのをアレクサンドラ夫人がほとんど全部注釈してくれたものです。
「カラボッスって、すっごくお母さんの名前のもじりに感じられてならないんだけど、何かそういう事実はないんですか?」
ピエトロ氏は例によって「あー・・」と困った顔をするばかりで、これについてはアレクサンドラ夫人も知らなくて、フォローできません。
クラリスがオデールを睨むと、肩をすぼめて「知らない」というポーズを取りました。
けっきょく話はこれでおしまい。
クラリスには大いに欲求不満が残ってしまいました。
お茶会が終わるとクラリスはオデールを誘って人のいない部屋に行きました。
サファイアの精もいっしょです。
部屋はお客様用の休憩室の一室です。
ごてごて凄い金の装飾がされています。
「お話ってなに?」
オデールは特に興味もなさそうに部屋を眺めながら歩いています。
クラリスはそんなオデールの様子をじっと冷静な目で見つめて言いました。
「あなたが誰か分かったわ。
あなたが、例の宝石泥棒だったのね」
オデールは立ち止まり、唇の端に笑いを浮かべて振り向きました。
「理由は、話してもらえるんでしょうね?」
「わたしね、あの鳥人間がなんであんなことしたのかさっぱり分からなかったの。あなたが命令したんでしょ? あなたがプリマとして舞台に立つために?」
「わたしが舞台に立って、みんなに踊りを見せびらかしたかったと?」
「宝石をすり替えたでしょ? あなたがリムサコフ王家から盗んだ『白鳥の涙』とティアラに付いていた『白鳥の白』を」
「宝石商のオネーギン氏は何も言わないじゃない? 宝石の専門家が、それも世界一のダイヤと自慢するほどのものを、すり替えられて気付かないとでも思うの?」
「二つのダイヤモンドが大きさも色も形もカットの仕方もそっくり同じだったとしか考えられないわね」
「すり替えられてなんかいない、とは考えないの?」
「わたしね、楽屋で最初にあのダイヤモンドを見たとき、変だと感じたの。輝き方がうるさく感じたの。ダイヤモンドって輝きが強ければ強いほどいいみたいだけれど、それでもきれいな輝き方と汚い輝き方があると思うの。あのダイヤモンドの輝き方は汚かったわ」
「大した鑑識眼ね」
「それにね、わたし、あのダイヤモンドに見覚えがあるの。あれそのものじゃなくって、ダイヤモンドの種類としてね。わたし、子どもの頃あれを毎日見ていたの。それを確かめるためにサファイアの精に来てもらったの。
あれは、妖精が作った人造ダイヤだわ」
サファイアの精は得意そうにうんうんと頷いています。
「まあ、そうなの? 知らなかったわ」
オデールはそらっとぼけていますが、確かにそれは知らなかったのでしょう。
「でも昨日あなたが着けていたダイヤモンドはすっきりとてもきれいな輝き方をしていたわ。ああ、言っておくとね、あれも人造ダイヤなの。あっちの方は純粋な、ね。夜ビビアナが着けていたのもそうだったわ。
二つのダイヤモンドのどこに違いがあるかと言うとね、あなたが持っているはずの物はダイヤモンドの上にあらためてダイヤモンドが被せられているの。その微妙な切断面が輝きをうるさくしているのよ」
「へー、そうだったんだ」
あっはっはっは、とオデールは愉快そうに笑いました。
「まったく、どこの誰がそんな手の込んだことをしてくれたの? おかげで二重の手間を取らされちゃったじゃないの。まあ、こんな大都会に来られて、大舞台にも立てて、面白かったけれどね」
「あなたはいったい・・」
クラリスの真剣な顔の前にサファイアの精が飛び出しました。
「あのね、あのね、
あのダイヤモンド造ったの、妖精の女王様なの。そんでねー、その妖精の女王様って言うのが・・」
ウフフ、とサファイアの精は嬉しそうに笑いました。
「はいはい、そうよね、あんなことが出来るのは妖精の中でもただ一人、妖精の女王様、あなたのお姉さん、ダイヤモンドの精よね」
クラリスはサファイアの精をつまんで脇にどけました。
妖精の国では前女王が突然亡くなり、力のある長老たちも軒並み女王就任を辞退し、こんな面倒な役割、若い妖精は誰もやりたがらず、嫌々ながらダイヤモンドの精が無理やり女王の座に据えられたのでした。
「ふうーん、そうなの? これ、そんな風になってたんだ」
オデールは黒のドレスの胸に手を突っ込み、無造作に輝く大粒のダイヤモンドをつまみ出しました。
「呆れた、あなたそんなところに隠していたの?」
「女が宝石を隠すには最適な場所でしょ? 世界一のダイヤモンドを身につけているのはなかなか気持ちよかったわよ」
クラリスにはちょっと無理なようで、ちょっぴりうらやましく思いました。
「それで、これはどうしたら中のダイヤが取り出せるの?」
オデールは「白鳥の白」をクラリスの手のひらに載せました。
ダイヤモンドはオデールの体温をたっぷり吸っていました。
「そうか、そういうことなのね?」
クラリスはダイヤとオデールの顔を見比べました。
「表面のダイヤモンドは中のダイヤモンドの魔力を封じ込めているんだわ。あなたが狙っていたのはこの魔力を持ったダイヤモンドだったのね?」
「そういうこと。せっかく『白鳥の涙』を盗み出したっていうのに、わたしの求める魔力がぜんぜん感じられなかったんでがっかりしたのよ。で、ユークリナに帰ろうかなと思ってたらあなたたちを見つけてね、面白そうだから付いてったの。そしたら『白鳥の白』っていうダイヤがあるって言うじゃない? ラッキーだったわ」
「と言うことは、あなた、本当にカカッサスを越える前から後をつけていたの?
あっ、もしかしてあの金貨!」
劇場でモデストに見せた鞄いっぱいの金貨です。
「あれ、馬車から盗んだ王子の金貨だったんじゃない?」
「女の一人旅ですものね、お金は多く持っているに越したことはないわ」
かえって危ない気もしますが、オデールはどうせただ者ではありません。悪びれもせずニッコリ笑っています。
「じゃあ船でいっしょだったっていう下女もいなかったのね?」
オデールはハルメイユーのお城で幻術を操ってまんまと宝石を盗み出しています。ルピネーの目をくらますのもお手のものだったのでしょう。
「ねえ、もうそんなこといいでしょう?」
オデールがじれたように甘えて言います。
「早く中身を取り出してちょうだいな?」
クラリスはためつすがめつダイヤモンドを観察しました。
「ダイヤって案外衝撃には弱いのよね。上のダイヤを割って、衝撃で下のダイヤまで割れちゃったら、まずいんでしょ?」
「ただじゃおかないわよ」
オデールは凄く怖い目でクラリスを睨みました。
「ちょっと自信ないなあ」
クラリスは頭をかいてサファイアの精を見ました。
「女王様とは話せるかしら?」
「ミラを呼び出せれば話せると思うけど」
「呼んでくれる?」
サファイアの精は壁に掛かっている楕円形の鏡に向かって
「おーい、妖精のミラやーい」
と呼び始めました。簡単なものです。
おーいおーい、としばらく呼んでいると、鏡面に水のような波紋が広がり、銀色に曇りだし、女の人の顔が浮き上がりました。
鏡の精ミラです。
「お久しぶりです、ミラさん」
クラリスは挨拶しました。
「お久しぶり、クラリス。この間オデット王女に会ったわよ。無事白バラの森に向かったから安心してね」
「そう。それは良かったわ。ありがとう。ところで、女王様とお話しできるかしら?」
「ちょっと待ってねー」
ミラは軽く引き受けて顔を引っ込めました。妖精のやることは万事こんな感じです。
鏡が明るく透き通り始めました。キラキラ眩しい輝きが溢れ、今度はカラーで別の美しい妖精が現れました。
「女王様。お久しぶりです」
「女王様なんていいわよ。ダイヤって呼んで」
親しみのある笑顔で答えたのは妖精の女王、ダイヤモンドの精です。
「ハアーイ、ダイヤ姉さん」
サファイアが横から割り込んできました。
「サファイア。あなたいいわねえ、好きなところで好きなことして。早く妖精の国に帰ってらっしゃい、喜んで女王の席を譲ってあげるから」
ダイヤモンドの精は女王になってちょっとひがみっぽくなってしまったようです。
「ダイヤさん」
クラリスは苦笑しながら尋ねました。
「このダイヤモンドに見覚えあります?」
『白鳥の白』を指につまんで掲げて見せます。
「あら、それ? わたしの造ったダイヤモンドねえ。なんだったかしら?」
この人もやっぱり妖精の仲間です。
しばらく、えーとえーと、と考えて、
「あー、ああ・・、思い出した。たしかどこかの国の王様に頼まれて造ってあげたんだ」
「ハルメイユー?」
「ああ、そう、そこ。あの頃はまだあっちの方にも妖精がいたから何かとつながりがあったのよねえ」
ダイヤモンドの精は昔を懐かしんでため息をつきました。
「ダイヤは二つ造ったんですか?」
「最初は一つ。世にもまれな美しいダイヤモンドを手に入れて喜んでいたんだけれど、それを身につけたご婦人が何故かひどい貧血を起こして倒れてしまうんですって。何か呪いがかけられているんじゃないかっていうんで、わたしが調べたんだけど、たしかに強い魔力が込められていてね。手放した方がいいって勧めたんだけど、それは出来ないっていうんでね、魔力封じに上からダイヤの殻を造って被せてあげたの。
でも完全には魔力を封じられなかったのね、今度は夜な夜な正体不明の白い亡霊が城をさまよい歩くようになっちゃって、王様もとうとうダイヤモンドを手放すことにしたの。でも一つ問題があってね、・・・
あっ、思い出した! あなたのお母さんよ!」
なんだか嫌な予感のしていたクラリスはやっぱりという顔をしました。
「そのダイヤモンドはあなたのお母さんが王様に預けた物なんですって。これを大事に持っていれば良し、国は栄えるだろう、だがもし手放したり無くしたりすれば、恐ろしいたたりがあるぞーって、脅されてたんですって。それで王様は手放せなかったのね。それをわたしが余計なことしちゃったから、変な亡霊が現れちゃったのねえ」
「だったら身に付けたりしないで大事にしまっておけばよかったのに」
「無理でしょうねえ。女性なら誰だってそんな魅力的なダイヤモンド、身に付けずにはいられないでしょう? 世の中には呪われたダイヤなんてごろごろあるのよ。それでも人はそれを高いお金を出して手に入れようとするわ」
クラリスがオデールを見ると、その通り、とニンマリ笑っていました。
「それでね、王様はもうそのダイヤを手放してしまいたいんだけれど、たたりが怖い。わたしが見たところそのダイヤを手放してしまいさえすれば亡霊は消えると思えたの。でもばれたらカラベラスに何をされるか分からない。それでそっくりなダイヤを造ってカラベラスの目をごまかすことにしたの」
「それがあの『白鳥の涙』なのね」
クラリスはお母さんがそんな手でごまかされるわけはないと思いましたが、ダイヤモンドの精もそれは承知で、どうせこれはカラベラスのたちの悪いイタズラと考えたのでした。
ハルメイユーのリムサコフ王家はこの家宝のダイヤを滅多に表に出さず、幻の秘宝と噂されていたそうですが、それはカラベラスにばれるのを恐れてのことだったのです。
「で、もともとのダイヤはどうなったんです?」
「さあ? どこか外国にこっそり売り払ったんでしょうねえ」
「それって、いつ頃のことなんです?」
「そうねえ、四十年くらい前だったかしら?」
その後どこでどうなったのかは知りませんが、ここペテロブラーグの宝石商オネーギン氏の手に渡り、オデールにまんまとすり替えられて、今はクラリスの手の中にあるというわけです。
「その後亡霊は現れなかったのかしら?」
「現れたようよ」
と言ったのはオデール。
「もっともつい最近、五日前くらいからだそうだけれど、舞台裏をさまよう白い女の幽霊を見た団員が何人もいるそうよ。オネーギン氏は馬鹿馬鹿しいとまったく相手にしないで、実際一度も見たことないみたい」
幽霊のどこが馬鹿馬鹿しいのかしら?とクラリスは不思議に思いましたが、
「幽霊ってのは見える人には見えるけれど、見えない人にはぜんぜん見えないのよ。とくにここには見えない人の方が圧倒的に多いわね」
とサファイアの精が馬鹿にしたように言いました。
でもクラリスはそればかりではないように感じました。
幽霊が現れるようになったのは、ひょっとして、オデールが近づいてきたためではないでしょうか?
「それで、女王様」
オデールが愛想のいい顔をして尋ねました。
「中のダイヤモンドを取り出すためにはどうしたら良いのでしょう?」
ダイヤモンドの精のどなたかしら?という顔にオデールはぬけぬけと、
「ダイヤモンドの今の持ち主です」
と答えました。
「取り出したいの?」
「ええ!」
「貧血になるわよ?」
「体力には自信があります」
それはそうでしょう。
うーん・・とダイヤモンドの精は考えました。
「無理ね。言ってはなんだけど、わたしの魔法、完璧だから。いったん造ったダイヤモンドはわたしにも元に戻せないのよねー」
あっけらかんと言うダイヤモンドの精にオデールの神経がブチッと切れました。
「どーしてくれんのよ、この馬鹿あーっ!」
こともあろうに妖精の女王様を馬鹿呼ばわりです。
ダイヤモンドの精はなんなのよと思いながらオデールの迫力を恐れて、まあまあ、と抑えました。
「そうねえ、クラリスのお父さんだったらうまく取り出せるかなあ?」
「わたしのお父さん?」
クラリスの父アイリスは人間業とは思えない細かい細工の得意な彫金師です。
「あと可能性があるとすれば、ダイヤモンドの本当の持ち主ね。
現れた白い亡霊というのは指輪の魔力が持ち主を求めてアンテナを伸ばしているんじゃないかと思うの。たぶんまだ生きているんでしょうね。その持ち主がそのダイヤを手にして魔力を解放すれば、外側の殻は内から砕けるんじゃないかしら?」
そう話してさすが妖精の女王はオデールがその関係者ではないかと疑いの目を向けました。
「そう。それを聞いて安心しましたわ」
オデールは不敵に笑って女王様にお辞儀しました。
その後はダイヤモンドの精が「女王なんて面倒なだけでたいくつったらないわ」と愚痴を言い出したのでサファイアの精に相手を任せて、クラリスはオデールと向き合いました。
「それで、結局あなたは誰なの?」
「見当は付いているんでしょ?」
「オデールの双子のお姉さん」
「当たり」
「本当の名前はなんて言うの?」
「しばらくはオデールのままでいいじゃない。ややこしくなるから」
偽のオデールは意味ありげにニヤリと笑いました。
クラリスは胡散臭そうに見て、
「それじゃあ今本当のオデールはどこにいるの?」
「さあ? ユークリナのお屋敷にいるんじゃない?」
そらっとぼけています。
「あなたもオデールといっしょに住んでいるの?」
「わたしは母の方と暮らしているわ」
「で、お母さんに頼まれてこのダイヤを捜し出したってわけ?」
「そういうことになるかしらねえ」
そっくり同じ顔をしていても妹のオデールとは人物が違いすぎます。こういう人間に成長したのは明らかに母親の影響と思われます。
「このダイヤの本当の持ち主となるとあなたのお母さんもただ者ではないわね?」
「ようやく話の全体が見えてきたってところかしら?」
あいかわらず面白がっているような傍観者の構え。
ピエトロ氏に聞いた『白鳥の湖』のオリジナルの伝説。
あの伝説がどの程度真実なのかは分かりませんが、
人間になるために若々しさをすっかり失ってしまった妖精の娘、オンデーヌ。
それがオデールの母親だったとしたら・・・・
「あなたのお母さんは・・」
オデールはクラリスの唇に指を当ててさえぎりました。
「後はあなたの頭の中だけに留めておきなさい。いずれ、時が来るまでね」
夕方になって王子が帰ってきました。
王子はまるで、聖人のようなすがすがしい顔つきをしていました。 |