第21章 三角関係その2
翌日。
予定では今日の夕方遅くにはペテロブラーグに到着の予定です。
さて、昨日からどうも変な様子です。
王子とオデーレのことです。
王子はぼーっと物思いに耽るようになって、オデーレもなんとなく距離を置いて話しかけることをしませんでした。
朝、おはようの挨拶をしに来たクラリスはその何とも重苦しい雰囲気についたじたじとなりました。昨夜お泊まりしたダヴィドフ家のヴェーラとナターリヤも困った笑顔でクラリスに挨拶して助けを求めました。
オデーレは暗い無表情の顔を上げてクラリスを見ると、見る見る生気がよみがえってくるように怖い顔になって、ズカズカ歩いてくると腕を引っ張ってクラリスを外に連れ出しました。
「どうだったの? あの女のしっぽは掴んだの?」
「えーと、お友だちになっちゃった」
「はあ? なによそれ?」
クラリスはすっかりオデールと話し込んでしまってなんだかすっかりうち解けてしまったのでした。
「考えてみれば、わたし、もともとオデールのこと嫌いじゃなかったのよねえ・・」
「バカ! あんたがまるめこまれてどうすんのよ!」
まあまあ、とクラリスは苦笑いして、
「たしかにわたしもおかしいとは思うわ。でも考えてみればあのロットバルトの娘ですものね、突然眠っていた才能に目覚めてまるで別人に変身してしまうことだってありえなくはないんじゃない?」
クラリスはオデールと話をしながらそれとなくユークリナのことやお屋敷のことや宮殿のことやロットバルトのことを訊いてみたのですが、その一々に具体的な答えが返ってきて、少なくともロットバルトやオデールのごく身近の人間、もしくはオデール本人であることは確実のようです。
「と言うわけでね、あのオデールを偽者と考えるのはちょっと無理があるみたい」
「そうなの・・・・」
これだけ言われるとオデーレもさすがに納得しないわけにはいかず、すっかり元気がなくなって青白い顔になってしまいました。
クラリスは気の毒になってしまって、
「あんまり言いたくないんだけど、一つだけ、あなたに有利な話があるわ」
オデーレはもうあんまり興味なさそうに物憂げに顔を向けました。
「あのね、オデールはもうあんまりジークフリート王子のことが好きじゃなくなったみたいなの」
オデーレの目が大きく開いて、顔にパーッと赤みが差してきました。
「口では大好きなんて言ってるけれど、わたしにはどうしても口先だけの演技にしか見えないのよね」
オデーレはすっかり元気を取り戻して明るい表情になりました。
クラリスはまったくなんて分かり易い人だろうと内心笑ってしまいました。
「すっかり大人っぽくなっちゃったでしょう? もう子どもっぽい王子なんてまるで眼中にないみたい」
「なんですってえ!」
オデーレは怒りましたが、ほっとして、嬉しさが顔に広がってくるのを一生懸命ごまかしているみたいでした。
「あたし、王子様を朝の散歩に誘ってこようっと!」
オデーレはルンルンと鼻歌を歌いそうな上機嫌で部屋に帰っていきました。
いっぽう王子はというと、ますます物思いがひどくなってため息ばかりつくようになってしまいました。
それが決定的にひどくなったのがお昼前、甲板でアレクサンドラ夫人の一家とひなたぼっこをしているときでした。
川岸の景色はだんだん人の手で整備されて大きな建物の並ぶ都市が現れてくるようになりました。オデーレは大喜びで子どもたちといっしょにあれこれ指さして「ねえねえ王子様」と呼びかけるのですが、王子は憧れの大ラピスの景観も「うん」とか「ああ」とか言うだけでちっとも盛り上がってきません。
それが、オデールが現れたとたんビクンと姿勢を正して、
「お、おはよう」
と、ガチガチに硬い笑顔で挨拶しました。
「あーら、ジークフリート王子、おはようございます」
オデールはマントを羽織っていましたが、ツカツカと艶めかしくドレスのまとわりつく腰を覗かせながら歩み寄ると、ちょんとつま先だって王子の頬にチュッとキスしました。
オデーレは嫉妬の炎を燃やしてキッとクラリスを睨みました。
クラリスは急いでオデーレの耳に
「演技よ、演技」
と囁いてやりました。
しかしオデールは両腕を王子の首に回して真っ赤な唇を魅惑的に微笑ませてじっと王子を見つめ、なかなか離れようとしません。
王子はもう真っ赤になって今にも湯気を吹き出しそうです。
「ちょっと、離れなさいよおっ!」
とうとうオデーレが怒りを爆発させて無理やりオデールの腕を王子の首から離しました。
「まったく、なんて恥知らずな女かしら!」
オデーレは瞳を怒りに燃え上がらせてオデールを睨み付けました。
オデールはまったく落ち着いたもので、
「なによ、ただの朝の挨拶じゃない。もう、しょうがないわねえ」
と、オデーレを引き寄せると同じように頬にキスしてギュッと抱きしめました。
オデーレはびっくりして、
「ちょ、ちょっと、何するのよ!」
と慌ててオデールを押し返しました。
「何って、あなたにも挨拶してあげたんじゃない。これで王子とお揃いよ。機嫌を直しなさいな、お嬢ちゃん」
「な、・・・」
オデーレは顔を真っ赤にして何か言い返してやろうと思いましたが、この騒ぎで夫人に抱かれていた赤ちゃんがぐずって泣き出してしまいました。
夫人は赤ちゃんを「おー、よしよし」と揺すってあやしましたが、赤ちゃんはますますギャーギャー泣きだしてしまいました。
「わたしに貸してくれません?」
と、クラリスが夫人の腕から赤ちゃんを受け取ってよしよしと揺すりながら、
「ホギャホギャフニャフニャフワフワパッパー、プープカプラプラホロホロポッポー」
と高らかに歌いました。
みんな呆気にとられてポカーンとしましたが、赤ちゃんも同じくポカーンと口を開けて、クラリスがとどめに
「バアーッ」
とやると喜んでキャッキャと笑い出しました。
「あら、笑った」
「笑った笑った」
みんなも嬉しそうにニコニコしました。
「この子の初笑いですわ」
夫人も嬉しそうにお礼を言いました。
「あら、余計なことしちゃったかしら?」
「いいえ、あのクラリスさんに初めて笑わせてもらったってこの子の自慢になりますわ」
キャッキャと笑っている弟ユーリイをお姉さんたちが抱きたがりましたのでクラリスは一番上のお姉さんイリーナに預けました。
「なんだい今のは? お得意の魔法かい?」
王子がいつもの調子に戻って訊きました。
「違うわ、ただの面白い言葉よ。オーロラ姫が赤ちゃんをあやすのによくやってたのを真似しただけ」
みんな順番にユーリイを抱いていき、うらやましそうにしているオデーレも抱かせてもらいました。けれど赤ちゃんなんて抱くのは初めてで、おっかなびっくりしていると再び赤ちゃんがぐずり出しました。
オデーレが慌ててどうしようどうしようとしていると、
「ほら、貸してごらんなさいよ」
と、オデールが受け取ってあやし出しました。
オデールは綺麗な声で優しい歌を歌い出しました。
外国語で歌詞は分かりません。
でも聴きながらクラリスはあら?と思いました。
どこかで聴いたことがあるような・・・
はっとしてオデーレを見ました。
オデーレも信じられないという顔をしてオデールをじっと見ています。
それはいつかオデーレが亡くなった母親の話をしたときに歌ってくれた思い出の歌でした。
ユーリイはオデールの歌を聴きながらぐっすり眠り込みました。
アレクサンドラ夫人はお礼を言ってオデールの腕から赤ちゃんを受け取りました。
クラリスが訊きました。
「ねえ、それはどこの歌?」
「ハルメイユーの地方の民謡よ。母の出身地だから」
「ハルメイユーは言葉が二つあるの?」
「もっとあるわよ。いろんな文化が入り交じったところだから」
「ふうーん、そうなんだ・・」
偶然でしょうか?
「有名な歌なの?」
「さあ? わたしはユークリナから外に出たのはこれが初めてだもの」
「なんて歌ってるの?」
「村娘が王子様に一目惚れして、どうしたら振り向いてもらえるかしら? 綺麗な花を摘んできて着飾ろうかしら? 情熱的な恋の歌を歌おうかしら? 美味しい料理を用意してご招待しようかしら? それともおまじないで王子の心を虜にしてしまおうかしら?なんてあれこれ夢想する歌よ」
子守歌ではないようですが楽しそうな歌です。さっきオデールが歌ったのは歌い方を変えた子守歌バージョンなのでしょう。
クラリスはちょっと心配になってオデーレを伺いました。
オデーレはうつむいてすごく悔しそうにしています。
てっきり外国の歌だとばっかり思っていた思い出の歌が同じ国の地方の民謡だったのです。
オデーレにしてみればジークフリート王子に続いて母親の思い出までオデールに奪われたような気持ちでしょう。
そんな歌の謎はまるで関知しない王子は、赤ちゃんを抱いて優しい子守歌を歌うオデールの姿にますます強く引きつけられた様子でした。
クラリスはオデーレのために王子に猛烈に腹が立ちました。
何か言ってやらなければ気が治まらないところですが、ふと下から二番目の弟ボビンが一人で寂しそうにしているのに気付いてため息をつきました。上のお姉さんたちはお母さんといっしょに赤ちゃんを連れて部屋に帰ってしまいました。
「あら、あなたもだっこしてもらいたいの?」
ちょこちょこ歩き回ってばかりで危ないったらない年頃ですが、やっぱりまだ赤ちゃんが残っていて、弟ばかりがちやほやされているのに嫉妬しているのでしょう。
「ほら、いらっしゃい」
クラリスはよいしょとボビンをだっこしてあげました。
ボビンは恥ずかしそうにしていましたが、やがてニコーッと笑って頭をクラリスの肩に寝かせて甘えました。
クラリスだってこんなにお姉さんらしいところを見せているのに王子はぼーっと熱い眼差しをオデールばかりに向けています。
まったく、あんたって人は何考えてるのよ!?
と言ってやろうと、昼食後クラリスは王子を捜しに行きました。オデールはアレクサンドラ夫人の所に遊びに行って何やら文化的なお話をしているようで、ますますあの甘ったれたオデールらしくありません。
王子を見つけてみると、オデーレと二人また外に出て今度は二人きりで景色を眺めています。
クラリスはなんとなく声をかけづらくて結果的にこっそりドアの影から二人の様子を盗み見ることになりました。
二人の間には無言の時間が長く続いているようです。
ようやくオデーレが晴れやかに言いました。
「いよいよペテロブラーグに近づいてきたわね。明日から憧れの街を王子と二人で歩くことが出来るのね! ああ、そうだわ、『白鳥の湖』のバレエも見に行かなくちゃ! ものすごく豪華な宮殿の美術館や噴水がすっごくたくさんある大きな公園もあるんですって! ああ、とっても忙しくてとっても楽しそう!」
「ええ、そうですね・・」
王子の気のない返事。
せっかく雰囲気を盛り上げようと頑張っているオデーレもすっかり元通りうち沈んでしまいました。
クラリスは思わずすっ飛んでいって王子の頭を後ろから思い切りぶん殴ってやりたい気持ちになりました。
オデーレが小さな声で言いました。
「王子は、オデールが好き?」
王子もさすがにその悲しそうな声にハッとなってオデーレを振り向きました。
オデーレはそれまで王子が見たことのない顔をしていました。
「僕は・・・」
王子はオデーレの顔にいたたまれなくなって顔を川の流れに向けて言いました。
「すごくショックで、とまどっているんです。
僕はオデールなんてちっとも好きじゃなかった。まるで子どもで甘えん坊で威張りん坊で安っぽくて、そのくせプライドばかり高くて・・」
自分のことを棚に上げてよくまあ言えたものです。
「でも、昨日再会したオデールは・・・・・
僕は湖でオデット姫と会ったときこの世にこれほど美しい人は二人といるはずがないと思った。人物も清楚で芯が強く気品に満ちて、素晴らしい女性だった。僕は自分が生涯かけて愛し続けるのはこの人しかいないと思った。今もその気持ちは変わりないと思っていました。が・・・・・
オデーレさん。あなたが現れた。
姿形はこの世で二人といないと思っていた美しいオデット姫と瓜二つ。僕は、正直、拍子抜けする思いだった。だってこの世で最高と思っていた美女が二人も現れてしまったんだ、どっちが一番なんて決められないじゃないか? おまけにあのクラリスだって、まあまだ子どもだけど、美人と言っていい部類だし・・、ルピネーさんの二人の奥さんもすごい美人だって言うし、この世はまるで美女だらけじゃないか? 僕がずっと憧れていた運命の美女は、ちょっと広い世界に出てみればいくらでもいるじゃないか? 僕は・・・・
僕がどれだけオデット姫を愛していたか、愛そうとしていたか、自分の気持ちが分からなくなってきたんだ!
おまけに、あのオデールまで現れた。
僕がちっとも好きじゃなかった、むしろ鬱陶しいと思っていたオデールが、久しぶりに会ったらまるで別人みたいに綺麗になっていた!
僕は、初めてオデット姫と出会ったときと同じくらい強い衝撃を受けた。その衝撃は時間がたつに連れどんどん大きくなっていく、・・・・オデット姫がどんどん遠くなっていくというのに・・・・
僕は、やっぱりオデット姫を愛する資格なんてないんだ。
こんなことを言っていながらもう一度オデット姫の前に出ればきっとまた、この人こそが運命の、なんて思うんだ。
僕はそういう意志薄弱な最低な男なんだ。あのクラリスの言うとおりさ。
僕は、駄目な男だ・・・」
クラリスが言ってやりたかったことを本人も分かってはいるようです。
でも・・・
「そんな風に自分のことを悪く言わないで」
オデーレが言いました。
「それじゃああなたをこんなに好きなわたしまで惨めになってしまうわ」
オデーレの暖かい笑顔を王子はつらそうな顔で見ました。
「僕はあなたが好きだ。変な言い方だけど、女の子として普通に大好きだ。あなたといっしょにいるととても楽しくて浮き浮きして、僕はいつも理想の王子様でいられる。
でも・・・
結婚相手として、たとえオデールを選ぶことがあっても、あなただけは選べない。オデット姫を選ばずにあなたを選んでしまったら・・・・・、僕は一生自分を許せない・・・」
オデーレの目から大粒の涙がボロボロこぼれました。
「ひどい、ひどいわ、あの、あの、オデールを選んでもだなんて・・・・・」
オデーレは思わず王子がさしだした手を振り払って駆け出しました。
駆け込んできたオデーレをクラリスは慌てて壁にぴったり身を寄せてやり過ごしました。
追って、なぐさめの言葉をかけてやりたいと思うのですが、いったいなんと言ったらよいのか、クラリスには見当もつきませんでした。
クラリスは後部甲板で男たちが「エイサエイサ」と水車を漕ぐ様をぼーっと眺めています。
「はあー・・・・」
まるで王子みたいに長い長いため息をつきました。
「よお、一人でどうしたい?」
ルピネーが船倉から登ってきてクラリスのとなりにどっかと座りました。
「航海は順調だ。おっと、海じゃなかったな。予定通り夜までにはペテロブラーグの河川港に到着するぜ」
「そ、ごくろうさま」
またまた王子みたいに気のない返事をします。
ルピネーは、んん、とうなって、耳をかきました。
「どうしたものか、俺は最近すっかり耳が悪くなっちまったみてえでなあ・・」
と、クラリスの顔色をうかがいます。
それに気付いてクラリスは
「ごめんなさい」
と謝りました。
「別に謝るこたあねえが、まあ、おまえも年頃の女の子だもんな、他人に聞かれたくねえことがあって当たり前だ」
実はルピネーの地獄耳はクラリスがテレパシーで情報を送ってやっていたのでしたが、ここ最近はそれがすっかりなくなっていました。
「どうしたい、しけた面して」
「ひどいわね、女の子の顔にしけたはないでしょう?」
「ハッハッハ、こりゃすまねえ」
クラリスもルピネーのとなりに腰を下ろしました。
「ねえおじさま、わたしをベルーシアに呼んだのは本当はペテロブラーグにバレエを見せに連れていくためだったんでしょう?」
「うん? いや、まあ、それは・・」
「それがロットバルトが予想以上に強敵でわたしを連れて帰る余裕がなくなっちゃったんでしょう?」
「いやあ、それはなあ・・」
「ほーんと、テレパシーでつながっててもおじさまのそういう真心にぜーんぜん気付かないんだから、オデールにへまが多いって言われるのも当然ね」
「なんだ、オデールにそんなこと言われたのか?」
「わたしにとってはロットバルト以上の強敵よ」
クラリスは、んー、と伸びをしました。
「なんだかねー、わたし、自信なくしちゃった」
「ま、たしかに、王子が成長しているようには見えねえな」
「王子のせいばかりじゃないわ。
わたしね、王子がオデット姫を愛するのを当然のように考えていたんだけれど、王子の気持ちをぜんぜん考えてなかったなって思うの。
そりゃあオデット姫は美人よ。オーロラ姫と比べたって遜色ないわ。清楚で可憐で気品があって・・、でも、もしかしたら人間としての面白みが全然ないのかもしれない。義務感ばかりで物事を杓子定規に考えすぎだわ。ああいう人とつき合っていたら、男の人って窮屈でしょうがないんじゃない?」
「さあ? 俺はオデット姫のことはほとんど知らねえんだが、ユークリナの国民の間では人気があるぜ。もっとも、最近じゃあロットバルトの奴もずいぶん人気が上がってきているようだがな」
「ロットバルトの方が魅力的でしょうね。オデット姫はお飾りのお人形みたいなものだもの」
「おいおい、おまえさんがオデット姫を悪く言ってどうする? 王子の優柔不断は持って生まれた病気みたいなものだろう? 王子の側からすりゃあそれくらいしっかりしていた方がいいに決まっている」
「オデーレ相手ならそう呑気に考えてもいられたんだけれどもねえ・・・」
クラリスはまたため息をつきました。
「まさかオデールがあんな風に化けるとは思わなかったわ。わたしは今のオデールも素敵だと思うけれど以前のかわいいオデールも嫌いじゃなかったのよねえ。ま、最初はわたしも王子みたいに嫌な子って思ったけれど・・・」
クラリスはうふふと思い出し笑いしました。
「ほんとあの頃のオデールってオデーレそっくりだったわよねえ? 王子ったらオデーレとあんなに気が合うんだからオデールとだって仲良くなれたんじゃないかしら?・・・」
クラリスはまたため息をついてがっくり肩を落としました。
「この頃わたしオデット姫よりすっかりオデーレに肩入れしてしまっているわ。それは困るんだけど、なんだかあの子見てるとついつい応援したくなっちゃうのよねえ、わがままで困ったお嬢さんなんだけど、なんか、かわいいじゃない?」
クラリスは困った顔でルピネーに同意を求めました。
「まあな。男からしてもああいうかわいこちゃんタイプはやっぱりいいんじゃないか?」
「オデット姫もあれくらいかわいげがあればいいのにねえ。
と、思っていたのに、なに、王子のあの態度?」
クラリスはさっきの王子とオデーレの会話を思い出してメラメラ怒りが燃え上がってきました。
「あんなに嫌っていたオデールがちょっと素敵になったとたんにメロメロになっちゃって!」
「ちょっと、でもないがな」
「まったく、王子ったらかわいい女の子と素敵な大人の女性と、いったいどっちが好きなのかしら?」
「たぶん・・」
ルピネーが困った顔で言いました。
「どっちも好きなんだろうなあ」
クラリスはしらっとした横目でルピネーを見て、
「おじさまはローゼおばさまとユリアナおばさまとどっちが好きなの?」
「頼むからそういうこと聞くなよ」
ルピネーは本当に困った顔でクラリスに頼みました。
ずいぶん日の暮れるのが早くなりました。
昼の光が陰って灰色の薄雲が目立つようになってきた頃、河の両岸は大きな白壁の建物がとぎれることなく連なりだしました。
大白鳥号はすでに広大な首都ペテロブラーグに入っているのです。
建物に続々明かりが灯り、河岸にも油の燈火台が順々に灯っていきました。
それらの明かりが水面に映ってなんとも美しい景色を作っています。
クラリスは下船の準備に荷物の整理をするためオデールとの相部屋に戻っています。
オデールも戻ってきていましたが、荷物は小型のトランクが一つきりで簡単に道具をしまってベッドに腰掛けてアレクサンドラ夫人から借りた小説を夢中になって読んでいます。
クラリスも同様に必要最低限の荷物だけなので整理はすぐに済みました。
「ねえ、オデール」
「んー・・・」
心ここにあらずの返事です。
「あなた、本当の本当にジークフリート王子が好きなの?」
「なんでえ?」
「だって、全然そんな風に見えないし・・・、からかって楽しんでいるだけなら、オデーレがかわいそうだなあって」
パタンと本が閉じられました。
「なに考えてるの?」
オデールは前に突っ立っているクラリスを非難するような目で見つめました。
「あの子はオデット姫の偽者でしょう? あなたオデット姫の呪いを解くために王子とオデット姫をくっつけようとしているんじゃなかったの?」
「なんだ、あなたもお父さんのしていることを知っているんだ?」
クラリスはオデールが果たして魔王ロットバルトがオデット姫に呪いをかけていることを知っているのかどうか分からず、その点は避けていたのでした。
「それなら、ねえ? あなたからお父さんにオデット姫たちの呪いを解くように説得してくれない?」
「いやよ。わたしはオデット姫が邪魔なの」
「だからあ、あなた、本気で王子が好きなのって訊いてるのよ!」
オデールはフフンと面白そうに笑ってクラリスを見ています。オデールは母親を魔女だと言いましたが、今のオデールも魔女みたいです。
「その質問はジークフリート王子にした方がよさそうね。いいわ、もし王子がわたしを好きだ、愛していると言ったら、オデット姫の呪いを解くようにお父様に頼むことも考えてあげましょう。でも、もし王子がわたし以外の女を選ぶんだったら、わたしはなんにもしない」
クラリスは顔をしかめてオデールを睨みました。
「あなた、とっても意地悪ね」
「そうね。王子もわたしがどんなに意地悪な女か、早く気付くといいのにね」
クラリスはオデールがロットバルトに魔法を掛けられているのではないかと思いました。二人が手を組んで王子の心を乱しているのではないか、と。
果たしてそれがオデール自身の意志なのかどうか・・・
辺りはすっかり暗くなっています。
ベルーシアやユークリナ、ロヴィークでも考えられない無数の街の灯りが暗い空と黒い水面に幻想的に浮かんでいます。
グワングワンと入港の合図のドラが鳴らされました。
甲板には気の早いお客たちがめいっぱい立ち並んで船の着岸を待っています。
広い整備された港にも噂を聞いた見物の人たちが鈴なりに岸を埋めています。
このお祭り騒ぎを先頭に立って大喜びしそうな王子は、甲板のお客が多いのに遠慮して部屋の窓から外の様子を眺めていました。
オデーレも同じく椅子に腰掛けて黙ってあらぬ方向を見ています。
クラリスは部屋の外からそんな二人の様子を眺めてため息をついています。
王子とオデーレ、二人の恋の悩みは思った以上に深いもののようです。
大白鳥号はついにラピスの首都、大都市ペテロブラーグに到着しました。 |