第20章 三角関係その1
黒衣の女の正体がユークリナの宰相ロットバルトの娘オデールであると、ルピネー、クラリス、ジークフリート王子によって保証され、彼女がハルメイユーの女怪盗であることは日時的にあり得ないことが確認されて警官隊は去っていきました。
しかしこの女、本当にあのオデールなのでしょうか?
真っ黒な髪に真っ白な肌、丸く広いおでこに我の強そうなくっきりした弓なりの眉、大きな黒い瞳、小生意気そうにつんと上を向いた鼻、小さな真っ赤な唇。
たしかに顔はオデールに違いないのですが・・・
大白鳥号は航河を再開しました。
いつの間にやら雨もやみ、雲間から黄金の日射しが下りています。
「王子様、わたくしのこと怒ってらっしゃる?」
オデールは小首を傾げ心配そうに上目遣いにジークフリート王子の顔を覗き込んで問いかけました。
「い、いや。どうして?」
王子はどぎまぎしながら答えます。
「だって、勝手にこんな所までついてきてしまって、きっとご迷惑ですわね?」
オデールは悲しそうに目を伏せてつと王子から離れて背中を見せました。ちょっと前屈みに肩を落として、丸くなった背中を艶やかな長い黒髪がサラサラ流れていきます。シンプル極まりない黒いラメのドレスの背中は大きく開いて、うなじから腰の上辺りまで白い肌が丸見えになっています。
その艶めかしい姿に王子は思わずゴクリと生唾を飲み込みます。
「そんなことはないですよ。ただ、その、驚いてしまって、なんと言ってよいのやら・・」
オデールは斜めに振り向いて潤んだ瞳で王子を見つめました。
「わたくし、王子といっしょにペテロブラーグまで行っていいかしら? それとも、ユークリナに帰らなくてはなりません?」
「そ、それは・・・」
王子はじーっとオデールの目を見つめたまま視線を動かせないで頭がぼーっとしてきてしまいます。
「僕からはなんとも・・。ルピネーさんに聞いてみないと」
「駄目」
オデールは風のように振り向いて一歩前に出ると人差し指を王子の唇に当てました。
「王子様がご自分でお答えください。お答えがどちらでもわたくしは王子様に従います」
「僕は・・」
王子はもうまるで魅入られたようにオデールの瞳を見つめ続けています。
「かまいませんよ。ペテロブラーグまでごいっしょしましょう」
「ああ、嬉しい!」
オデールは弾けるように言って、ちょっとはにかんで王子の唇に当てていた人差し指を自分の唇に当てて悪戯っぽく微笑みました。
王子はただただ頭が真っ白になってしまってオデールの笑顔を見つめるだけ・・・
「ちょ、ちょっとお! あんた、いったい何者よ!」
すっかり自分のポジションを奪われたオデーレが怒りにブルブル震えながら人差し指を突きつけました。
オデールはとたんにしらっとした目をしてオデーレを見下すようにしました。背はほぼ同じで、女性にしては高い方ですが、オデールがオデーレを見下したのは顔をちょっと上向かせたのと、露骨にオデーレを小物扱いした態度によるものでした。
「私を知らないなんて、あなたやっぱりオデット姫の偽者だったのね」
「あたしはオデット姫なんて最初から知らないわよ!」
オデーレは今にも怒りが爆発してオデールに掴みかかりそうな様子です。
「あんたこそ何者なのよ!」
「だから、私はロットバルトの娘のオデールだって言ってるじゃない。まったくこの人なにが言いたいのかしら?」
ねー?と王子に肩でしなだれかかって甘えるところはまさしくあのオデールです。
が、しかし・・・・
「ねえ、なんだかベルーシアで会った時より綺麗になったんじゃない?」
と、感想を述べたのはクラリス。
「あの時はベッタベタの甘えん坊さんだったのに、なんだかずいぶん大人っぽくなったみたい」
「オホホホホホホ」
とオデールは笑いました。この笑い方はいっしょです。
「だってえー、わたくし、恋しているんですもの!
ねーえ、王子様もわたしが綺麗になったって思う?」
「う、うん・・。びっくりしちゃった」
「嬉しいっ!」
オデールは王子にぎゅうっと抱きついて、王子は今度は真っ赤になってオデールを引き離そうとしましたが、結局肩に手を置いただけでそのままになってしまいました。
「なによなによなによっ!」
オデーレは地団駄踏んで悔しがりました。
「なによそんな女! その女は、偽者よ!」
はあ? と一同変な顔になってオデーレを見ました。
「偽者って、なんの?」
「だ、だからあ・・」
オデーレはたじたじとなりながら
「その、オデールの偽者よ!」
とわめきました。
「オデールの偽者お?」
クラリスはますます変な顔になりました。
「オデット姫の偽者なら分かるけれど、この場合オデールの偽者って、何か意味あるの?」
「そうだよ」
と王子も言って慌てて、
「そ、そうですよ。だって、どう見てもやっぱりオデールさんですよ。僕も最初はびっくりしましたけれど・・」
オデールは勝ち誇って、ほーらごらんなさいという顔をしました。
オデーレは悔しそうに押し黙りました。
「しかし、なんだなあ」
ルピネーが言いました。
「オデットにオデールにオデーレと、ややこしいったらねえな」
それは同感です。
「こんな偽者といっしょにされたくありませんわ」
「それはこっちのセリフよ!」
オデールはつんとして、オデーレは敵意剥き出しに、二人はにらみ合いました。
どうやらこの二人の相性は最悪のようです。
「ところでな」
と再びルピネーが尋ねました。
「オデールさんよ、まさかあんた一人でベルーシアからここまで来た訳じゃあるまいな?」
「もちろんですわ。
わたくし、王子様がペテロブラーグに行くと父から聞かされてそれはそれはショックでしたのよ。理由は、敢えて申しませんけれど」
と王子を恨めしそうに睨んで
「そこで父に私もペテロブラーグに行きたいとおねだりいたしましたの。父は馬車と人を用意してくれて、王子様から半日遅れで出発しましたんですけれど、・・父の話ではすぐに追いつけるはずだったのですが、なかなか追いつけず、そう思っていたら翌日にはどうやら追い越してしまったようで」
なるほど、ロットバルトが道に罠を仕掛けて馬車を故障させたのは娘オデールを追いつかせるためだったようです。ところがルピネーが予想以上に馬車を早く修理してしまい、ここで追いつけず、そう思っていたら今度はいざというとき花嫁に仕立て上げようと連れてきたオデーレが逃げ出して、その騒動に巻き込まれて王子が馬車を失った間にオデールの馬車が追い越してしまったというわけです。
ロットバルトらしからぬ「策士策に溺れる」という大失敗だったわけです。
オデールの話が続きます。
「さてどうしようかしらと思ったのですが、父が王子様たちはカカッサス山脈を越えるのにきっと秘密の洞窟を使うだろうからと場所を教えてくださっていたので先回りいたしまして、宿屋の主に言い含めてルピネー様が来たのをこっそり知らせてもらいましたの」
あの親爺、そんなことおくびにも出さず、がめついことです。
「そこで合流しようと思っておりましたのですけれど、なんと、どういう訳かオデット姫がごいっしょらしいではありませんか!」
と、ジロリとオデーレを睨んで、オデーレも負けじと睨み返しました。
「それで様子を見ることにしてこっそり後からついていきましたの。そうしましたら、まあなんてことでしょう、べたべたいちゃいちゃと、いやらしい、なんて恥知らずな女でしょう!」
と、王子の腕をギュッと掴んだまま自分のことは棚に上げて、
「でも見ていましたらどうも様子がおかしくって。オデット姫がまさかあんなみっともない真似はしませんでしょう? それで化けの皮をはいでやろうと、こちらも正体を隠して近づくことにしたのです。この船に乗るときに伴の者は下女一人残して別れまして」
そういえばオデールの部屋は二人部屋で同室者がいるはずですが、
「はて、そういえば覚えがねえな」
とルピネーが話に割って入って、
「その女はどこにいるんだ?」
「ああ、下女なら」
とオデールはこともなげに
「もう用がないからさっき警察の方といっしょに帰しましたわ」
「なに、いつの間に」
誰も気付きませんでした。
「当然ですわ、下女ですわよ? このわたくしが正体を明らかにした以上、影同然のあんな女に誰が注意を払うというのです」
ずいぶん高飛車な態度です。それにしても誰も覚えていないとはその下女は下女の鏡のような女性です。
お話を戻してもよろしいですか?と迷惑そうに訊かれてルピネーは恐縮して謝りました。
「それでわたくしはこの女の化けの皮をはいでやろうと意気込んでおりましたのですけれど、まあ、取り越し苦労だったようですわね。顔が似ているだけで中身はお姫様にはほど遠いようですから」
と、例の高笑いを発して、オデーレの神経を思いっきり逆撫でして、
「まさか王子様もこの女とオデット姫をいっしょにお考えなんてことはありませんわよね? わたくしも恋のライバルがオデット姫ならまだしも、こんな女、あら失礼、こんなお嬢ちゃんじゃあ、情けなくなってしまいますものねえ」
と、ここでクラリスもいたことに気付いて、ニッコリ笑ってもう一度「あら失礼」と言いました。
クラリスもオデーレといっしょに頬を膨らませました。
こうして謎の黒衣の女の謎が解明されたところで、オデーレはクラリスを引っ張って誰もいない外の通路に出ました。
「怪しいわよ、あの女!」
オデーレはどうしてもあのオデールに納得がいかないようです。
「ねえ、あなたもそう思うでしょっ!?」
オデーレは顔をぐいと近づけて無理やり同意させました。
「そ、そうね、なんだか部分的に印象がぜんぜん違うみたい」
「でしょお?」
「前に会ったときはもっと無邪気で子どもっぽくて・・、そう、ちょうどオデーレみたいだったわ!」
「なんですってえ?」
「怒んないでよ、可愛いって褒めてるんだから」
「それなら良し」
「でも変よねえ、顔はやっぱりオデールなのよねえ・・。ちょっとほっそりして、ずいぶん綺麗になって、背もちょっと高くてスラリとした印象だけど・・」
「・・・・・・・・・・」
「ねえ、オデーレはなんで彼女が怪しいって思うわけ? 知らないでしょ、オデールのこと?」
「そりゃあ、知らないわよ。でも、絶対に怪しいのよ!」
オデーレはひどくイライラして、不思議そうに見つめるクラリスの視線がうるさくてプイと横を向きました。
クラリスは考えました。
あれが偽のオデールであることがあり得るでしょうか?
あのロットバルトの娘です、オデールが誰かに変身していることはあり得るように思えますが・・・
「あれが偽者だとして、その目的は何かしら?」
「そんなの決まってるじゃない!」
オデーレはクラリスにまったくバカねえという顔をして、
「あの女もジークフリート王子のことを・・・・・・」
急に黙ってしまいました。
「どうしたの?」
「な、なんでもないわよ」
どうもオデーレは怒ってばかりいます。
「とにかくあの女は怪しいの。絶対何か企んでいるんだわ。いい? あなた魔女なんだからあの女の正体を暴いて企みを阻止しなさい! 分かったわね?」
オデーレは一方的に命令してクラリスを残してさっさと室内に戻っていきました。
さて一つ問題が起こりました。
部屋割りです。
オデールは正体を明かしてしまったので一人でいる必要がなくなりました。そこで王子といっしょの四人部屋に合流したいと言うのですが、これにオデーレが断固反対しました。
「いいじゃない」
とオデールは言います。
「私がそちらに移れば一部屋空きますからダヴィドフ夫人の一家に使っていただいたらよろしいじゃありませんの」
と、実にお利口な意見を述べました。
そう言われるとオデーレも反論できませんが、
「いや、困ったなあ」
と言ったのは王子です。
「男の僕が一人で若い淑女三人といっしょの部屋というのはちょっと・・」
と恥ずかしそうに顔を赤くしています。
「あら、大喜びすると思ったら」
とクラリスが意地悪な目を向けましたが、オデーレは力を得てここぞと、
「じゃあクラリス、あんたがオデールといっしょの部屋に移りなさいよ。あたしと王子様で夫人の子どもたちを引き受けるから」
と提案しました。とにかく王子とオデールをいっしょにするのは絶対嫌なようです。
オデールはまた反対するかと思いきや、クラリスをチラリと見て、
「ま、それならそれでいいわよ」
と、あっさり承知しました。
というわけでクラリスはオデールの部屋に移ってきました。
オデールの部屋はドアを開けたとたんムッと強い香水の香りがあふれ出してきました。甘い花の香りではなく、深い森の樹木を思わせる落ち着いた大人っぽい香りです。ただあまり強いので頭がクラクラしそうです。
「この船新しくて塗料の臭いが鼻につくのよ。わたしは人工的な臭いは嫌いなの」
と、きつい香水の香りの中でオデールは平気でベッドにくつろぎました。ベッドは十分な大きさがあるのですが、部屋が狭いので二段ベッドになっています。
クラリスがしょうがないのでオデールのとなりに座ろうとすると、
「ねえ、ちょっとマッサージしてくれない?」
と、オデールは靴を脱いでベッドにごろんと腹這いになりました。
「長旅でもうくたくた。深窓の令嬢にはきついわ」
「そんなこと、それこそ下女にしてもらえば良かったじゃない?」
「何言ってるの、このわたしの体に触れていいと言ってるのよ? 喜んでおやりなさい」
クラリスはため息をついて天井に頭をぶつけないように気を付けながらオデールの求めに応じて脚と肩を揉んでやりました。
オデールの体は意外に筋肉質で締まっていました。
ちょっと深窓の令嬢の体つきには思えません。
「何か運動でもしているの?」
「踊るのよ。小鳥たちのさえずりに合わせてね」
からかっているのでしょうか、オデールはフフフと笑いました。
「あなたのおうちにも小鳥たちが遊びに来るのかしら?」
「お城のこと?」
「ああ、そう、あなたお母さんといっしょに暮らしているわけじゃないんだ?」
クラリスはふだんは母親の白バラの森ではなくオーロラ姫のエメラルド城の方で暮らしています。
「寂しくない?」
「別に。会いたくなればいつでも会えるし、実際しょっちゅう会ってるから」
「そう。それはいいわね。うらやましいわ」
「そっか、オデールはお母さんがいないんだったっけ・・」
「いるわよ」
「え?」
クラリスはびっくりしました。てっきり亡くなったものとばかり思っていました。クラリスはまだ森の灰色の魔女がオデールの母親であるらしいとは知りません。
「死んじゃあいないわよ。お父様と別れただけ」
「今はどうしているの?」
「まだユークリナで一人で暮らしているわ」
「そうだったの。知らなかったわ・・・。
あなたはお母さんとは会ってるの?」
「ええ、しょっちゅう。もううんざりするくらい」
「ふうん・・・」
クラリスは思いました、仲の悪い両親の間で子どもとしてどちらともつき合っているというのはどういう気持ちなのだろうかと。
「オデールのお母さんてどんな人?」
「そうねえ・・・
昔はずいぶん綺麗だったようだけれど、今は、魔女ね」
「魔女?」
「そ。今もお父様のことを愛しているわ。お父様だけ。娘のわたしなんてそっちのけでね。愛しているのにもう愛してもらえないから、今は憎んでいるわ。愛しているのと同じくらい、いいえ、愛している以上にね。特に」
と、クラリスを振り向いて怖い笑い方をして、
「お父様がオデット姫と結婚しようとしていると知ってからはもっと、ずーっとね」
クラリスは思わずゾッとしました。
「さてわたしはどっちの味方をしたらいいのかしらね? オデット姫をお父様とくっつければわたしは王子とくっつきやすくなるし、でもそうするとお母様を裏切ることになるし」
「どっちにするの?」
「うーん、問題よねえー。どっちにしようかしら?」
オデールはそう言いながらあまり深刻に悩んでいる風ではなく、むしろこの状況を面白がって楽しんでいるように見えます。
クラリスは改めて以前会ったオデールとはまるきり違った人物のように思いました。
あのオデールはもっと子どもっぽくて、王子に対してまっすぐに純粋な気持ちを持っていました。
今のオデールは、すごく大人っぽくて、冷めています。
「ねえ、オデールは今でも王子のことが好き?」
「ええ、もちろん大好きよ。かっこいいし、かわいいじゃない?」
やっぱり以前のオデールとは別人です。
「あなた、誰?」
「わたしはオデールよ。まったく見ての通りにね」
「本当かしら?」
「クラリスちゃん」
オデールは急に姉のように叱るようななだめるような口調で言いました。
「あなた、へまが多いわね。ちょっとがっかりよ」
クラリスはムッとしましたが、言い返せません。たしかに自分でも失敗が多かったなと思います。
オデールはニイッと白い歯を見せて笑いました。
「ねえ、今度はあなたのことを話してよ。お母さんのカラベラスって、どんな人なの?」
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