第12章 カカッサス越え
馬車を取り戻した王子一行は昼から出発し、真夜中過ぎ、予定より二日遅れてカカッサス山脈のふもと、ウロル国のモロロフ市に到着しました。
カカッサス山脈の登山口として宿屋の多いなかなかにぎやかな町のはずですが、真夜中ですのでそのにぎわいは感じられませんでした。
ただ、眠い目をこすって馬車から降りると、満月から四日目の月の光に照らされて目の前に青い巨大な岩の連なりが天に向かって遙かに伸びていました。
王子は眠気も吹っ飛び口をあんぐりと開けて、
こりゃあ、無理だ、
と、思いました。
翌朝になって表に出て見てみると、改めて山脈越えの困難さが目に見えて分かりました。
岩ばかりと思っていた山肌も、下の方は緑の木々が覆っていました。それが三分の一ほども上がるとぱったり緑がなくなって、白い岩肌が露出するようになって、さらに上に行くと白が空に混じるように青に変わっていき、一番上、のけぞるように見上げると、白い雪がギザギザの頭を覆っていました。
「てっぺんは涼しいぞお。見ての通り冬だからな」
ルピネーも出てきて王子に並んで山を見上げました。
「本当にこれを越えられるんですか?」
「ああ。俺は嘘は言わねえ」
王子はルピネーがまた六頭立て馬車の暴走運転のような無茶をするんじゃないかと心配になりました。
ルピネーは笑って、
「オデーレに無茶をしろったって無理だろう。それじゃあ俺は山越えの算段を付けに行ってくるから、二人にも言ってちゃんと腹ごしらえしておけよ」
と、一人出かけていきました。
「ううーん、王子様あ、いけませんわー・・」
などと寝言を言いながらオデーレがぼんやり目を覚ますと、クラリスがニコニコしながら覗き込んでいました。
二人は相部屋でした。
「なによお〜」
オデーレはムスッとして睨みました。
「あなたのこと少し見直しちゃった。警官たちが王子を無理矢理尋問しようとしたときあなた飛び出してきて王子をかばったでしょう?」
「それが何よお。そんなの当然じゃない」
「うん。だからね、あなたのこと見直したの」
クラリスはニコニコニコニコしながらオデーレを見ています。
オデーレはなんとなく頬を赤くして
「なんなのよ、この子」
と、布団を鼻まで引っ張り上げました。
「オデーレは本当に王子が好きなのね?」
「そうよ。王子様はわたしの王子様だもの」
「うん・・、そうなんだあ・・」
クラリスは困った顔をしました。
「でも王子がオデット姫を好きなのは知っているでしょう?」
「そんなの関係ないわ。私の方がずーっと王子様を好きなのに決まっているわ」
「王子がどうしてもオデット姫と結婚しなくてはならないとしても? それが王子自身が決めたことだとしても?」
オデーレは黙ってしまいました。そんなこと、信じないのか、考えたくないのか・・・
「オデット姫はあなたのことがうらやましいでしょうねえ」
「なによ、それ」
オデーレは怒ってクラリスを睨みました。
クラリスは静かな目で少し悲しそうなほほえみを浮かべてオデーレを見ていました。
「オデット姫は好きな人なんていないって言っていたわ。信じられる、二十歳にもなる娘が恋をしたことがないなんて?」
「王女になる人ですものね、どうせわたしたちふつうの娘とは心の造りが違うのよ」
「うん、そうね。でもね、きっとオデット姫は自分で自分をそういう風に作っているんだと思うわ。だって、王女は勝手に人を好きになったりできないから」
オデーレは眉をしかめてクラリスを見ました。
「王女の結婚は国の将来をかけた大事なお仕事ですものね、どんなにすてきな人がいてもそれが王女の結婚相手としてふさわしくなければ、あきらめなくてはいけないわ。逆に、王女の結婚相手としてふさわしい人ならば、それが心にかなわない相手であったとしても、王女としてその人と結婚しなくてはならないわ。だから、オデット姫は自分で恋をすることを禁じていたのじゃないかしら?」
「いやね、そんなの・・」
オデーレは布団の中でポツリと言いました。
「だから、オデット姫は素直に人を好きになれるあなたがとってもうらやましいと思うわ」
クラリスはまるで姉のようにオデーレを優しく見つめました。
オデーレはそんなクラリスのまなざしにポーッとなって、
「なんなのよ、あなた、子どものくせに」
と睨みましたが、なんだかとてもかわいらしく見えました。
クラリスはニッと笑って、
「さ、お嬢様、起きてください。朝食を取って、旅立ちのご準備を」
パアーッとオデーレの布団をめくりあげました。
三人で朝食を済ませると、上機嫌のルピネーが帰ってきました。
「さーて、めしめし。おまえたちは出発の準備をしておけよ。早めに昼を食ったら出発だ。王子、荷物は一つにしておけ。馬車はここまでだ。残りは宿に預けておけ。クラリス、オデーレを連れてもう少し歩きやすい服と靴を買ってやってくれ。山越えは全部歩きだからな」
ルピネーはやけにのんびりしていました。
「いい加減に教えてくれない?」
クラリスが三人を代表して言いました。
「どうやってカカッサス山脈を越えるの?」
「うん、まあ、しょうがねえ、教えてやるか。
山の中を通る秘密の抜け穴があるんだよ。多少登ったり下ったりはあるが、山を登ることを考えたらぜんぜんどうってこたあねえ」
「なーんだ」
みんな拍子抜けしました。
「そんな便利な道があるなら何も心配することなかったじゃない」
「それがそうもいかねえんだな。後は実際行ってみてのお楽しみだ。さ、俺に朝飯を食わせてくれ」
ルピネーはクラリスに銀貨を三枚渡すと手を振って追い払いました。
みんな揃って早めの昼食を取ると、ルピネーはみんなを町外れの薄汚れた暗い感じのする狭い通りに案内しました。
看板も何もないボロ家のドアをノックすると、のぞき穴から目つきの悪い目が覗いて、ルピネーを確認するとドアが開けられました。
狭い宿屋の食堂みたいなところに三人のやせ細ったギョロリと白目の多い目つきの悪い若い男と、ドアから覗いたこの家の主人らしき初老の男がいました。
「四人だな?」
初老の男がしっかり確認して言いました。
「六百ルーシ、前金だ」
やせ細った節だらけの手を差し出すと、ルピネーは金貨六枚を乗せてやりました。
「まいどどうも」
男は無愛想に言ってさっさと奥の部屋に入っていって金庫にしまいました。
「ずいぶん高いな。なんのお金だろう?」
と、王子はクラリスに耳打ちしました。
オデーレは目つきの悪い男たちにすっかり怯えて王子にべったりしがみついています。
男が戻ってきました。
「それじゃあ旦那方、こいつらがご案内いたしやす。お若い旦那さん、荷物はこいつらに預けなせえ」
三人のうち一人がズイと前に出て手を出しましたが、王子は用心して渡そうとしません。
「王子、大丈夫だよ、荷物を渡しな」
ルピネーに言われて渋々渡しましたが、王子はついついルピネーも仲間になって盗賊仕事をやろうというんじゃないだろうなと疑ってしまいました。
「それじゃあ裏からどうぞ。どうぞ、お気を付けなすって」
一人が先頭に案内し、ルピネーたちが続き、後から荷物を持った一人ともう一人が続きましたが、王子はいつ背後から襲われるかと気が気でありませんでした。
裏口のドアを開けようとして先頭の男がふと振り向きました。
「旦那、でけえなあ。こんな馬車しか用意できなかったが、怒らねえでくだせえよ」
と、念を押してドアを開きました。
そこには狭い裏通りにわらやら樽やらを積んで走る荷馬車が用意されていました。引く馬はずんぐりむっくりの農耕馬です。
「まあ、別に怒りゃあしねえがな」
ルピネーは苦笑して、
「俺が乗るのは無理だろう。俺は歩きでいいよ」
「やっぱり。すみやせんねえ」
男はひくひく不気味に顔をひきつらせましたが、どうやら愛想笑いしているようです。
「さ、おまえらは乗れ」
「えー、こんなのに乗るのー?」
オデーレが思いっきり不満そうに言いました。
「どうしてあの馬車を使わないのよお?」
オデーレがブーブー言いましたが、
「いいから、乗れ!」
ルピネーに命令されて、先に乗った王子に手を引っ張り上げられて、仕方なく乗り込みました。
クラリスも乗りましたが、王子の重いトランクを肩に担いだ男を見て、
「あなたは乗らないの?」
「滅相もねえ。お客様方と同じ席になんて乗れやしませんよ」
「そう? じゃあ荷物を載せなさいよ。わたしは歩くから」
と、荷台から下りました。
「そんな、お客さん、困りやす」
と、男は本当にどうしようか困りましたが、
「いいよ、載せろよ。こっちの荷物は俺が運ぶから」
と、ルピネーはひょいとクラリスを肩に担ぎ上げました。
男はびっくりして仲間と顔を見合わせ、
「お客さんたち、いい人たちだなあ」
と感心して、荷物を載せさせてもらうことにしました。
出発した馬車はどんどん寂しい方へ進んでいき、建物が途絶えて森の中に入ると、鬱蒼と繁った樹木までなんだか真っ黒で湿っていて、陰気な、いかにも山賊でも出てきそうな雰囲気になってきました。
馬車はゴトゴトゴトゴト、やがて緩い坂道を上っていったかと思うとどんどん坂がきつくなって、荷台に座っている王子とオデーレは滑り落ちそうに体が斜めになりました。
山頂が見えないほど巨大な岩の隆起が間近にどーんと迫り、そこはもうカカッサス山脈の一部なのでした。
そうして二時間くらい進んだ頃、
「旦那方、着きやしたぜ」
杉の大木の間にシダやら何やら塗れた緑がびっしり生い繁った中、巨大な鉈でばっさり切り削ったように岩が背丈の三倍ほどもバックリ割れているところがありました。
「おーい、交代だ、お客様だ」
一人が声をかけると、岩の割れ目の中から同じようにひょろひょろ痩せて目つきの悪い男が一人出てきました。
出てきた男は王子とオデーレが下りると馬を引いて今来た道を引き返していきました。
「それじゃああっしはここで。親切なお客さん方、どうぞお気を付けて」
一人はここに残るようで、見ると割れ目の内側にちょっとした窪みがあり、粗末な木の椅子が一脚ありました。
クラリスの不思議そうな視線に、
「間違って人が入り込まねえように見張ってるんですよ。中は、危険でやすからねえ」
と、リラックスしたのか割とふつうの笑顔で答えました。
入り口からもう鬱蒼とした木に日差しを遮られて割れ目の奥は真っ暗です。
「こんなところに入るのお?」
オデーレは早くも怖じ気づいて王子にしがみついています。
「大丈夫ですよ」
と言いながら王子もかなり緊張して、硬くオデーレの手を握りしめました。
先に立って男がランタンに灯を入れて先を照らしました。
「足下はかなりでこぼこしてしておりやすんで、十分気を付けてくだせえやし」
と、王子とルピネーにも灯を入れてランタンを渡しました。
「さあ、行きやすよ」
男を先頭に一行は洞窟の奥へ進んでいきました。天井も高く、道幅も人二人分くらいはあって、それほど狭い感じはしません。ただ道が右へ左へ緩やかに蛇行しているのですが、その曲がるいちいちにゴツゴツした岩の壁がせり出してきて、ランタンの明かりも届く範囲が限られてもいて、先がどうなっているのか見えず、入口が遠くなるにつれだんだん不安が増していきました。
しばらくすると穴が二つに分かれていました。
先頭の男は手に変わった道具を持っていました。
木の枠に縦に細い軸が十五本ほど並び、横に板の仕切りが三十枚ほども並んでいます。横の板に仕切られた縦の軸に丸い玉が通されていますが、仕切りによってその数が二つであったり三つであったり五つであったりと違っています。最初の仕切りは二つで、黒く塗られた玉の左の方に白く数字の「1」が書かれています。男がその玉をクリッと回すと、カチリと音がして玉がひっくり返って白い玉に黒く「1」と書かれた姿になりました。
男は左に進み、ルピネー、クラリス、オデーレ、王子、それからトランクを担いだ男が続きました。
しばらく行くとまた道が分かれ、今度は三つの穴が開いていました。
先頭の男は木枠の二番目の仕切りを確認し、今度は三つの玉の真ん中の「2」と書かれた玉をカチリとひっくり返して白くして、真ん中の穴に進みました。
「おいおい、もしかして・・」
後ろから様子を覗き込んでいた王子が不安に駆られて尋ねました。
「この先こうしていくつもの道に分かれているのかい?」
「その通りで、お若い旦那」
道案内の男が怖い声で言いました。
「この穴は自然にできた道でやして、あっしらもどの道がどう続いているのやら全ては分かっておりやせん。ですから旦那方、絶対にあっしの後を付いてきて、絶対にはぐれちゃあいけやせんよ。もし一つでも間違った道に入ってしまったら、迷うだけ迷って餓死しちまいますからね」
王子とオデーレは「ひ〜っ・・」と震え上がりました。
道はどんどん下っていき、乾いていた地面がだんだんと湿ってきて、冷気が重く肌にまとわりついてくるようになってきました。
疲れたー、と、例によってオデーレが言い出しました。
「休みたいー、戻りたいー、お日様を浴びたいー、もうイヤ、ペテロブラーグなんて行かなくていいー!」
「まったく面倒くせえな。置いてっちまうぞ」
「エーン!」
オデーレは大声を上げてペタリと座り込んでしまいました。
「オデーレさん、泣かないで、僕がいるじゃありませんか」
王子はギュッとオデーレの手を握って励ましました。
オデーレはヒックヒックとしゃくり上げながら、
「でも王子様あ、わたし、もう疲れちゃった」
クラリスがあきれて言いました。
「そんなんでよくカカッサスを越えようなんて思ったものね。あきらめて立ちなさい」
オデーレはヤダヤダと駄々をこねて、
「おんぶ」
と王子に甘えました。
「やめとけ」
ルピネーが言いました。
「こんなところで転ぶと大ケガするぞ」
「お若い奥様」
案内の男が言いました。
「もう少しだけ辛抱くだせえ。この先をもう少し行くと、お嬢様に喜んでいただけそうな物がございますんで」
奥様と呼ばれてオデーレはちょっと機嫌が良くなりました。王子に手を取られて立ち上がります。
歩き出すと、
「よーく耳を澄ましてごらんなせえ」
耳を澄ますと、ピチョーン、ピチョーン、と水滴の落ちる音がします。
歩いていくと、
「まあ!・・」
オデーレばかりでなくクラリスも王子も感嘆の声を上げて立ち尽くしました。
ランタンの黄色い光を浴びて、開けた空間につるつるの乳白色の何とも奇妙な形をした柱が幾本も天井と床から伸びています。
「これは鍾乳石という物でごぜえます」
土に含まれる白い石が地下水に溶けだして岩肌からしみ出し、長い長い年月を重ねて固まっていった物です。
天井から冬のつららのようにぶら下がってきた物、地面にしたたり落ちてタケノコのように生えだしてきた物、ろうそくを何百何千と溶かし落としたような、自然ではあり得ないような、それでもやっぱり自然の驚異を感じさせる奇観が展開されています。
「この先にもっとすごい物がありやすんで」
自慢げな言葉通り、その先には高い天井の亀裂から大量の水が流れ落ちた瞬間を固めたような鍾乳石の滝がありました。
ただ、怖いのは、その滝は地面の亀裂の底に果ても見えずに流れ落ちていて、もし滑り落ちたら地獄の底まで落ちていってしまいそうな気がします。
オデーレは当然王子にしがみつき、王子も「大丈夫大丈夫」と自分にも言い聞かせながらオデーレの肩を抱きしめました。
それを冷ややかな目で見ながらクラリスは、
「新婚旅行には打ってつけの場所ね」
と言って、オデーレを大いに喜ばせました。
「もうちょっとでごぜえやすよ。今晩の宿に着きますんで」
「まあ、宿屋があるの?」
すっかり新婚気分のオデーレは疲れなんかすっかり飛んでいってしまったようで、目をキラキラ輝かせました。
外の景色がまったくないので時間の感覚が狂ってしまいますが、六七時間は歩いたでしょうか。
「いーや、まだ四時間てところだな」
ルピネーは胸ポケットからジャラリと鎖の付いた金の懐中時計を取り出しました。
「時計じゃないですか! いいなあー」
王子の城には懐中時計どころか日時計だけで機械時計は一つもありませんでした。
時刻はちょうど六時になるところでした。
洞窟の中の宿屋は、乾いた岩をくり抜いて作られていました。元々あった穴を使い勝手がいいように形を整えたのでしょう。鍾乳石は洞窟全部にあるわけではなく、岩のトンネルの所々、地下水脈の通っている近くに出来ているようです。
宿では床の敷物、椅子の腰掛け、敷き布団に掛け布団と、布の代わりにすべて獣の毛皮が使われていました。湿気が多いため布はすぐにじめっと冷たくなってしまうのです。
明かりも最小限に抑えられ、これは換気が悪いせいです。
宿は女の人たち三人で営業されていました。
やっぱり痩せて目がギョロリとしていますが、それがこの人たちの人種の特徴で、男の人たちの目つきが悪く感じられたのはこの人種を見慣れないのと、暗いところでの生活が長く、外の光が眩しかったせいでした。彼らにもお客たちに対する警戒心が強くあったのかも知れません、うち解けた今では表情もおだやかで、目も暗いところでパッチリ開いて、純朴な好青年と見えました。
食事はハムとチーズとワインがメインで、なかなかの味でした。
「ここは冷たいんで肉や酒の保存には打ってつけなんでやすが、乾き物は駄目でしてね」
というわけでパンはありませんでしたが、ルピネーと王子は旨いワインに大満足で、オデーレもお付き合いで軽く飲んでほろ酔い気分で明るくはしゃいで、お酒の飲めないクラリスは一人仲間はずれになってしまいました。でも女将さんがソーダ水のヨーグルトアイスを作ってくれたのでクラリスもすっかり満足しました。
「なーんだ、それで六百ルーシか。これならそう高くもないな」
王子も浮かれ気分で存分に旅の楽しさを味わっていました。
「すみませんねえ。あっしらは土地もねえ、他に職もねえで、こういう稼ぎ方をするしかねえんで」
案内の男、ジローという名だったのですが、恐縮して言いました。
「なーにを言うんだい、最高じゃないか! 観光地で売り出せばお客なんていくらでも集まるぞお!」
王子がお酒の勢いで言いましたが、ルピネーはうむとうなずきました。
「そうだよな、そろそろ考えてもいい時期だろう」
ルピネーはジローに笑顔を向けました。
「良ければ親父殿に話してみるが、どうだ?」
「親父殿・・ってえと、大伯爵さまで?」
ジローは嬉しいのと不安なのと、複雑な表情で女将さん、彼女はジローの奥さんで、もう一人の案内人のお姉さんだったのですが、彼女に意見を求めました。
「あたしは、そうしていただいた方がいいと思うよ。子供らにずーっと穴の中の生活はさせたくないからねえ」
鍾乳洞がどんなに神秘的で美しくても、ずうっと地下の穴の中で生活しているのは体の健康には良くないでしょう。二人の間にはまだ子どもはいないようですが、子どもにとってはなおさらでしょう。
「じゃあ、いいな?」
「へい。爺様にはあっしから話しておきやす」
爺様というのはあのがめつい老人のことでしょう。
ルピネーはがっしり大きな手でジローの手を握り、ジローも嬉しそうに笑ってしっかり握り返しました。
今ひとつ事情の飲み込めないクラリスは隙を見てそっとルピネーに尋ねました。
ルピネーは言いづらそうに言葉を濁し、
「まあ、なんというか、俺たちは彼らには借りがあるんだ」
とだけ言いました。
俺たちというのがルピネーのどの範囲を指すのか、クラリスには分かりませんでした。
四人は木のベッドの上で大きな熊の毛皮の布団で寝ましたが、寝転がってみると起きていたときにはさほどに感じられなかった冷気が首から、足から、じわじわ沁みてきました。
「ああ、寒いわ」
とオデーレはまだクラリスからマントを借りっぱなしのくせに言って、
「王子様あ、いっしょに寝ましょおー」
と、簡単な仕切りの向こうの王子に甘えた声で誘いをかけましたが、王子もさすがにそこまで新婚ごっこにつき合えず、真っ赤になって黙っていました。
代わりに、クラリスがさっさとオデーレの布団に潜り込んできました。
「こら、なんなのよ?」
「寒いのよ! わたしだって!」
クラリスはオデーレの巻いている火龍の毛のマントに潜り込んで、オデーレに体をくっつけました。
じーっとしていると、
「あんた、いい匂いがするわね」
とオデーレが言いました。
「そりゃあ、わたしはバラの精の娘ですからね」
「フーン・・」
またしばらくして、
「あんたって、けっこうかわいいわね」
「それはどうもありがとう。光栄だわ」
「あたし、姉さんより妹が欲しかったわ」
「わたしも姉さんが欲しかったなあ」
二人はなんとなく手を握り合って、なんとなく微笑んで、幸せな気分で眠りに入っていきました。
ルピネーも旨いワインにありつけて幸せでしたし、王子は旅の楽しさと綺麗な女の子といっしょにいる嬉しさに興奮して顔が火照ってニヤニヤ笑いが止まりませんでしたし、ジロー夫婦と一族たちは良いお客に巡り会えて将来への明るい展望も開けてやっぱり幸福な気持ちでいっぱいでした。
明日一日歩くと、夕方にはカカッサスの向こう、いよいよラピスの領土に出るはずです。 |