第9章 旅の道連れその1
「へへーん、どうだ、ざまあみやがれ!」
ルピネーは得意になって大声を上げました。
後ろの荷箱から工具と材料を取り出して、あれから二時間ほどで馬車を修理してしまいました。
「完璧とはいかないがな、とりあえず今日一日くらい保つだろう」
「見かけによらず起用ねえ」
クラリスが褒めてあげました。
「馬で行った方が早いと思うんだけどなあ・・」
王子は自分の意見が採用されなかったのでちょっとふてくされています。
王子は馬車を捨てて、馬に荷物を背負わせて、馬に乗っていった方がいいと主張したのですが、ルピネーが馬車を修理した方が早いと決めてしまったのです。たしかに王子とクラリスの二人なら馬に直接乗っていった方が早いでしょうが、ルピネーを乗せる馬がかわいそうです。馬車を引いているのはスピードの速い足長の細身の馬ばかりで、狩りの時に乗っていたずんぐりむっくりの馬ではありません。
「さあさ、ぶーたれてないで乗った乗った」
二人を乗せるとルピネーは馬車を出発させました。
二時間の遅れにプラスしてさっきまでのように無茶な運転は出来ないので目的地への到着は真夜中過ぎになってしまいそうです。
「おまえたちは暗くなったらいつでも寝ちまえ。宿に着いたらそのままベッドに運んでやる」
ルピネーが何より心配しているのは二人の体力です。明日はカカッサスに登り始めなければならないので、出来たら宿でゆっくり眠らせてやりたいのですが、大型の馬車ですのでソファが十分ベッド代わりになるでしょう。どうせスピードも出せませんし。
空がだんだん暗くなってきて夕焼けが広がってくる頃、恐れた通り馬車は目的地の半分程度しか来ていませんでした。
「こりゃあ朝までかかりそうだな。山はとりあえず登ってみて、様子を見て四日かけるか・・」
ルピネーがブツブツ計算しているうちに、森は急激に暗さを増し、空にかすかに茜を残しながら森の木々は真っ黒な影になってしまいました。
馬車の中では、まだ明るいうちに夕飯のバスケットを平らげた王子は、朝早くから張り切っていた疲れが出たのでしょう、夕日が射す頃にはぐーぐーいびきを立てていました。
向かいの席に移ったクラリスもやがてゴトゴト言う馬車の振動に揺られながらウトウトしだし、そのうち横になってマントにくるまってスースー寝息を立て始めました。
横になると王子は足を縮めなければなりませんでしたが、小さなクラリスは十分足を伸ばして寝ることが出来ました。
空が完全に黒くなって、星が瞬きだし、ルピネーは慎重に目を凝らして手綱を操っていました。
道が大きくカーブしているところ、木々の間からちらちら見える向こうの道で、ルピネーは何か黒い影を見て緊張しました。
「どうどうどう」
手綱を引いて馬車を止めます。
耳を澄ますと、何か動物の騒ぎ立てる甲高い声と、その声に混じって若い女性の悲鳴がかすかに聞こえました。
「王子! 起きろ! 剣を持て!」
ルピネーの怒鳴り声で王子はびっくりして跳ね起き、突然の暗さに慌てふためいて床にずり落ちました。
ルピネーは王子を待たずに御者台から飛び降り、
「うおおおおーっ!」
と雄叫びを上げて剣を振りかざして走り出しました。
「剣、剣、剣はと・・」
寝ぼけた頭で王子はソファの後ろの台をガチャガチャかき回し、剣の代わりにお気に入りの黒塗りの弓矢を掴むと慌てて外に飛び出しました。
クラリスも行きかけて、王子の残していった剣をくるんでいたマントごと持って、後を追いました。
カーブを回った先では、一人の女の人が黒い大きな鳥たちに襲われていました。
雄叫びを上げて駆けつけたルピネーはまず剣の鞘を鳥たち向かって投げつけました。ルピネーの計算ではそうして鳥たちがひるんだ隙に女の人の元へ駆け寄るつもりだったのですが、相手の数が多すぎました。四五羽かと思っていた鳥たちは、上からどんどん下りてきて、三十羽にもなりました。
しかもこの鳥たちはずいぶん頭がいいらしく、上と下、左と右といったように連携してルピネーを襲ってきました。飛ぶのも非常に上手く、素早い動きで剣を避け、宙で停止するのもとんぼ返りも思いのままで、隙あらば腕や脚を鋭いくちばしでついばんできました。
鳥たちの正体はカラスでした。
それもかなり大型で凶暴そうなやつです。
真っ黒なカラスたちの素早い動きにさすがのルピネーの目も付いていけませんでした。
「ちくしょうっ、カラスってのは夜目が利くんだったか?」
ルピネーはやけ気味に剣をブルンブルン振り回しましたが、頭の良いカラスたちに背中を襲われ、振り返るとまた背中を襲われ、服がぼろぼろに破れてきました。
「ルピネーさん!」
すっかり目の開いた王子が弓矢を構えてルピネーの頭の上目がけて矢を放ちました。これだけカラスが飛び交っているのですから狙いも何もあったものじゃありませんが、王子にはこの弓矢なら当たる確信がありました。
矢は勢いよく飛んでいって、カラスたちをかいくぐり、勢いよく向こうへ飛んでいってしまいました。
「あ、あれ?」
王子はもう一度構え、今度は手前のカラスの動きをよく見て矢を放ちました。
矢は、また外れました。
無理ないところですが、なんだか変でした。
「今度こそ!」
王子は矢をつがえ弓を構えました。
「無駄よ、その矢はあいつらには当たらないわ!」
クラリスの予言通り矢はカラスを逸れて茂みへ飛び込んでいきました。
「な、なんでだよお!?」
「その弓矢にはロットバルトの魔法がかかっているのよ。ロットバルトに都合の悪いものには当たらないようになっているの。あいつらは、ロットバルトの手下よ!」
二人に目を付けたカラスたちがものすごいスピードで襲ってきました。
「ひゃあっ」
王子とクラリスはとっさにしゃがんで突進をやり過ごしました。
「お、おい、あれをやってくれよ!」
「あれ?」
「湖で黒鳥たちにやったやつだよ、君お得意の魔法だよ!」
クラリスは立ち上がり、カラスたちの動きを追いながら右手を構えましたが、ふと動きが止まり、襲ってきたカラスに慌ててしゃがみました。
「どうしたんだよ?」
「はい!」
クラリスは持ってきた剣を王子に差し出しました。
「これはあなたの試練なのよ。自分で何とかしなさい」
「そんなあ!」
クラリスは問答無用に剣を押しつけ、
「私はあの女の人をなんとか助けるわ」
と、王子のマントを持ったまま低い姿勢で駆け出しました。
「えーい、ちくしょう、こうなりゃヤケだ!」
王子もルピネーをまねて「うおおお」と雄叫びを上げて剣を振り回しながらともかくルピネーの元へ走りました。
「いいぞ王子! 背中合わせになりゃなんとか奴らの攻撃はかわせる」
二人は背中合わせになってカラスたちの攻撃に構え、とにかく一羽、なんとしても叩き落としてやると剣を握る手に力を込めました。
そうすると不思議なもので、さっきまで断然有利に人間たちを翻弄していたカラスたちの攻撃が、急に迷いが生じて攻める隙を見いだせず、カーカーやかましくわめくだけでまるで動きが止まってしまいました。
カラスたちは攻めやすそうなところ、か弱い女二人に狙いを集中させました。
「クラリス! 危ねえ!」
ルピネーの叫びに振り返ったクラリスは、襲いかかってくるカラスたち目がけて王子のマントをブワアッと広げて投げかけました。
「クワアッ!」
襲いかかってきたカラスたちがドドドッとマントに突っ込みました。
「えーいっ!」
クラリスはマントの端と端を持って袋にすると思い切り地面に叩き付けました。
「クワア・・・」
マントから転げ出したカラスたちはたまらず目を回してよたよた歩いて退散しました。
しかしカラスたちはまだまだいます。
クラリスはカラスたちを見ると全力で頭を抱えてしゃがみ込んでいる女の人に駆け寄り、今度は自分のマントを広げて二人ですっぽり頭からかぶりました。
『お願い、私たちを守って!』
クラリスの黒いマントの内側はきれいなピンク色の柔らかな羽毛が植えられていました。そのピンクが暖かに光り出しましたが、外の黒い布を通すとそれは真っ赤な炎となって舞い上がり、蛇のようにのたうって敵、カラスたち目がけて襲いかかりました。
カラスたちはたまらず、悲鳴を上げて逃げ出しました。
「うおおおお!」
勢いづいたルピネーと王子が剣を振り上げて駆けつけ、カラスたちは完全に戦意を失って空へ逃げていきました。
「クラリスー、大丈夫かあーっ!」
ルピネーの大声にクラリスはほっとしてマントを上げました。
「さあ、もう大丈夫よ」
ピンク色の光がまだほのかに残って、その光の中でクラリスはその女の人を見ました。
長身を折り曲げた細い体、乱れた長い黄金の髪の毛、弱々しく振り向いたその顔は・・・
「! オデット姫!・・・・・」
そう、それはオデット姫でした。
「あれれれれれれ、オデット姫じゃないですかあ!」
立ち上がった二人に駆けつけた王子が驚きの声を上げました。
「どうしてここに? それにその姿、呪いが解けちゃったんですかあ?」
「あの、わたしは・・・」
怯えきったか細い声が何か言おうとしたその時、
ギャアギャアと再びカラスたちの鳴き声がうるさく聞こえたかと思うと、ドドドドドド、猛烈な勢いで馬車が突っ込んできました。
「危ねえ!」
ルピネーがクラリスとオデット姫をかばって道の端に転がり、王子も悲鳴を上げて飛び退けました。
ものすごい勢いで駆け抜けていく馬車、その周りをカラスたちが追い立てるように飛び、御者台には、なんと、あの不気味な鳥人間が乗っていました。
「ちくしょう、やられた!」
ルピネーが走り去る馬車の背に悔しそうに言いました。
「あなたは、いったい誰?」
クラリスはきつい目でオデット姫を問い詰めました。
「わ、わたしは・・」
オデット姫は怯えて唇を震えさせ、声が出てきません。
「おいおい、何言ってるんだよ」
王子が怒ってクラリスに詰め寄りました。
「見ての通りオデット姫じゃないか。きっと僕の真心が通じて呪いが解けたんだ。ね、そうですよね、姫?」
「わたし、わたし・・・
オデット姫じゃありません!」
オデット姫、と思われていた女性はやっとの思いで言いました。
「わたしは、わたしは、オデーレという者です」
「は? オデーレ? オデットじゃなくって?」
王子がずっこけました。
「馬車を追わなきゃ・・、イテッ、」
ルピネーが歩き出そうとして、太股を押さえてしゃがみ込みました。
「おじさま、無理しないで、ケガしているのじゃない?」
クラリスが駆け寄ると、ルピネーの脚は裂けたズボンの間から血がだらだら流れていました。
「たいへん! 手当しなくちゃ!」
「こんなのはたいしたこたあねえ、と言いたいところだが、参ったな、あいつら思いっきりついばみやがって・・」
強がっていますが相当痛そうです。
「待って。わたし、やってみる」
クラリスが手を当てて目を閉じ、一心に念じ始めました。
『痛みよ止まって。肉体よ、頑張って再生して・・』
「お、いいぞ、痛みが引いてきた」
ルピネーはそう言って笑いましたが、脂汗がだらだら流れて、とてもそうは見えません。
「ごめんなさい、おじさま。傷が深すぎて私の力では駄目みたい」
「そんなことはねえ。おまえにそうしてもらってるとすごく気持ちがいい。なーに、こんな傷、朝になればふさがってるさ。それよりもだ、今夜はここで野宿するより仕方なさそうだな」
「金貨!」
王子が素っ頓狂に叫びました。
「馬車には母上からもらった大事な金貨が積んであるんだ!どうしよう、あいつらに盗まれちゃった!」
どうしようどうしようと王子は哀れにうろたえてうろうろ歩き回りました。
「慌てるない。カラスが金貨を盗ったりするか。
・・いや、カラスは光り物が大好きか?」
「うわあー、どうしよう!」
王子はますますうろうろしました。
「落ち付けって。トランクの中に大事にしまってあるんだろう? 頭のいいカラスだってトランクを開けはしまい。
もっとも、あの不気味な御者はどうだか知らねえがな。あれが例の鳥人間か?」
クラリスがうなずきました。
王子はまだ騒いでいます。
「ああ、うるさいうるさい。奴らは別に盗みが目的じゃあるまい。どこかこの先に馬車は乗り捨ててあるだろう。近くじゃあねえだろうがな。他の人間に先に見つけられなけりゃあ金貨も無事だろう。
それよりもだ、」
ルピネーはぶるぶる震えているオデーレと名乗ったオデット姫そっくりの女に目を向けました。
「そうよ、あなたいったい何者なの? なんであいつらに追われていたの?」
再びクラリスがきつく問いただし、見かねたルピネーがまあまあとクラリスを抑えました。
「まずはゆっくり落ち着こうや。どこか適当な場所を見つけて火を起こそう。森の夜は冷えるぞ」
というわけで、ルピネーがちょっと木のばらけた場所を見つけてそこに場所を定め、みんなで薪を拾い集めました。
オデーレは、まだショックが治まらないのか、ぜんぜん手伝いませんでした。
組んだ薪に剣で削った木屑を乗せ、ルピネーがポケットから取り出した火打ち石をカチカチ打ちました。しかしどうもうまくいきません。実は腕もひどくケガをしていて上手く動かせないのでした。
「王子、頼むやってくれ」
火打ち石を渡された王子はカチカチ打ち合わせましたが、こちらはただへたくそで、ちっとも火は付きませんでした。
「あー、面倒くさい! おい君、魔法でちゃっちゃと付けちゃってくれよ」
クラリスはこの程度のことでと顔をしかめましたが、指先を木屑に向け、じーっと強く見つめました。
『火よ起これ、火よ起これ・・』
するとポッと赤い点が灯り、やがて広がって薪に火が付きました。
「ほーら、ついたわ!」
クラリスは得意になっていばりました。
「何言ってんだい。君は史上最強の黒魔女の娘なんだろ、このくらい出来て当然じゃないか」
王子は文句を言うだけでぜんぜん感謝しませんでした。
火が付いたところでみんなでたき火を囲み、さて、注目がオデーレ一人に集まりました。
「さあ、今度こそきちんと話してくれるわね?」
オデーレはうなずき、自分を落ち着かせるように一つ大きく息を吐きました。
「私はハルメイユーで母と二人で暮らしておりました」
ハルメイユーとはカカッサス山脈の西の果ての国で、北の海にも面しなかなか豊かな国です。
「母は、特に仕事をしているわけでもなく、まずまずの屋敷に住んで、ひたすら私の教育のみに日々の暮らしを過ごしていましたが、生活もまずまず不自由することもなく、毎月どこからかお金が届けられているようでしたが、それがどこから送られてくるものやら私には分かりませんでした。ただ、母はよく私に
『おまえはいつかお姫様になるかもしれない娘なのよ』
と、話していました。私はその話を子どもの頃は無邪気に信じていましたが、この頃はさすがに母の夢の中のお話だろうと思っていました。それというのも・・
私はどうやらどこかの貴族の隠し子であるらしいことにそれとなく気づいてしまったからです。
私には幼い頃から父はおりませんでした。母は、お父様は外国で大切なお仕事をしていらっしゃるの、と言っていましたが、それではなぜ私たちがその外国で父と一緒に住めないのでしょう?
要は、追い払われたのです。
おそらく父の屋敷にお手伝いか何かで働いていた母が、父の恋人となり、私を身ごもったのでしょう。ところが母が私を身ごもると、父にとってはしょせん愛人の子で、邪魔な子どもだったのでしょう、母をハルメイユーに追いやり、母はそこで私を生んだのです。
生活費と私の養育費は毎月送られてきていましたが、母は父と何か約束していたらしく、ずーっと父が迎えに来てくれるのを待っていたようです。
その時に貴族の娘として恥ずかしくないようにずっと私の教育に力を入れていたのでしょう。
しかし、けっきょく父の迎えは来ず、母は一年前に急の病で亡くなりました。
私は途方に暮れてしまいましたが、お金だけはきちんと送られてきていたので生活に困ることはありませんでした。でも私はなんとか父のことが知りたくて、お金を運んできてくれる人に送り主のことを訊きました。でもその人は弁護士とかいうお仕事の方で、送り主のことは絶対秘密だからと、どんなに頼んでも教えてくれませんでした。
ところが、半年前になって、ぷっつりお金が送られてこなくなってしまったのです。
私は今度こそ本当に途方に暮れてしまいました。私は上流階級のたしなみを教育されていただけで、日々の生活のための知識はまるで持ち合わせていませんでした。
あっという間に蓄えはなくなり、私は泣く泣く生まれ育った屋敷を売り、いくらかのお金を得たのですけれど、それもいずれはなくなってしまいます。
私はなんとか私を教えてくださっていた先生のつてを頼ってさる商家のお屋敷にお手伝いとして雇っていただきましたが、私はそこで先輩のお手伝いたちにひどくいじめられて、こんな惨めな思いをするなら死んだ方がましだと、毎日一人になるとは泣いておりました」
オデーレはそのつらさを思い出してか、指を目に当ててぐっすんとやりました。
「ああ、なんとひどい話だ!」
王子が怒りに震えて立ち上がりました。
「自分の愛した女性とその女性との間にできた自分の子を遠くに追いやって顧みもしないなんて、その父親は最低だ! 騎士の風上にも置けない人でなしだ!」
王子は憤慨してその父親をののしりましたが、ルピネーはおいおいいいのか?という顔で眺め、クラリスはどうしたのか顔を蒼白にこわばらせてじいっと火を見つめていました。
「それで、それからどうなった?」
と、ルピネーが王子を座らせてオデーレに話の先を促しました。
「はい。
一週間前のことです、お屋敷に父の代理という方が私を訪ねてきました。
私はその頃にはすっかり父を恨んでいましたが、正直なところ、この不幸な境遇から救い出してくれる希望の光に感じました。
その方は立派な服を着た紳士でしたが、目がとても大きくギョロリとしていて、ちょっと不気味に感じました。
しかしその方の言った言葉! 私は天にも昇る気がしました! その方は言ったのです、
『あなたに王家を継ぎ、我がユークリナ国の女王になっていただきたい』
と!」
「でたらめよ!」
今度はクラリスが猛然と立ち上がりました。
「それじゃああなたはオデット姫の姉妹だというの? そんなのあり得ないわ!」
クラリスは怒りにぶるぶる震えてオデーレを睨み付け、オデーレはそんなクラリスに怯えて真っ青になって震えました。
「ああ、オデーレ姫、ご安心なさい」
王子がオデーレに駆け寄り、その震える肩を抱き、冷たい手を握りしめました。
「あなたの不幸な境遇には心からご同情いたします。大丈夫この僕がきっとあなたをお守りいたします」
「ジークフリート王子!」
クラリスは今度は王子に怒りの矛先を向けました。
「あなたはオデット姫に永遠の愛を誓ったのじゃないの?」
「それとこれとは話が別だろう?」
王子も怒ってクラリスを睨み返しました。
「騎士たるもの麗しき淑女の不幸を見過ごしになどできるものか。ましてやこの人は、オデット姫のお姉さんか妹さんじゃないか!」
「だから! それがでたらめだって言うのよ!」
「なんでだ?」
クラリスの激昂にルピネーが割って入りました。
「なんでその人がオデット姫の姉妹じゃいけねえんだ? そっくりなんだろう、オデット姫と? 姉妹と考える方が自然じゃねえか?」
オデーレはほっとして、王子の胸に寄りかかりました。その目がちらっと勝ち誇ったようにクラリスを見上げました。
「そ、それは・・」
ルピネーの指摘にクラリスも苦しそうに反論を探しましたが、
「オデット姫はそんなこと一言も・・・」
「そりゃそうさ」
王子もオデーレを抱きかかえながら得意になって言いました。
「オデット姫がそんなことわざわざ言うわけないじゃないか。それにきっと知らなかったんだよ。それはきっと国王一人の秘密で、だから事故で急に亡くなって仕送りが途絶えてしまったのさ」
まあそう考えるのが自然のようです。
オデーレがオデット姫の姉妹だという話を信じるならば。
クラリスもあきらめて座りました。
とても承伏しかねる顔ですが。
「それで、それからどうなったの?」
「それから・・」
オデーレはクラリスは完全に無視して、ルピネーと、胸にもたれかかった王子の顔を間近に見上げながら話を続けました。
「私はさっそく迎えの馬車に乗せられてユークリナ国に向かって旅立ちました。久しぶりにきれいなドレスを着せられて、ああ、まるで夢のようでした!」
オデーレは今は裾がずいぶん汚れてしまっていますが純白の地に赤で華やかな柄が染められたスカートと、胸に細かな黒の刺繍の入った腰回りの締まった細身のドレスを着ていました。
「馬車の中で紳士に父が半年前に亡くなり、跡を継いだわがままな姫も」
と、やっと意地悪な目でクラリスをちらっと見て、
「仕事を放っぽりだしてどこかへ雲隠れしてしまって、国はたいへん迷惑していることを聞かされました。生前父と個人的に懇意であった宰相が見るに見かねて秘密であった私の存在を明かし、私に王位を預ける決断を下したそうです」
話が怪しくなってきましたが、王子はいつまでもオデーレの柔らかい背中を胸に感じたままデレデレとうんうんとうなずいています。
「ところが!」
突然オデーレがガバッと起きあがり、両手を握りしめて怒りのポーズを取りました。
「この話には裏があったのです!
明日にはユークリナに着こうという今になって、あの男は私が王位につくための条件を出してきたのです!
つまり、私が女王になるためには、宰相のロットバルトの妻にならなければならない、と!」
「なーんてひどい奴だ!」
と、王子が憤慨しました。
「私は怒りました。だって、ロットバルトという人はもう四十五歳にもなるおじさんだそうじゃないですか! 私はまだ十八歳ですよ!」
ロットバルトは四十五歳でオデーレは十八歳のようです。
「ああ、王子様あ」
と、オデーレは再び王子の胸にしなだれかかり顔をすり寄せました。
「ひどいですわ、私はその男が国を自分のものにするための道具に利用されようとしていたのですわ」
「うーむ、許せん! なんて非道な奴だ!」
王子のロットバルトへの評価はコロコロ変わっています。
「私、彼らの隙をついて必死で逃げ出しました。花の命をそのような男に摘まれてなるものですか」
「ええ、そうですとも! よくぞお逃げ出しなされた!」
二人は息ぴったりに見つめ合い、クラリスとルピネーはしらーっとした目で眺めていました。
「で、彼らっていうのは、何人いたの?」
「敵はちょうど十人いましたわ」
オデーレはもうまっすぐ見つめながら王子にしか話していません。
「馬車の中にその紳士を装った男と、その召し使いらしい男、私のお世話係の二人の女、馬車の前に御者と、後ろにもう一人召し使い、それと馬車の前後に騎馬兵が二人ずつ。私が妙に思っていたのはその紳士風の男以外誰も一言も口をきかなかったことです。それもそのはず、彼らは人間ではなかったのです!
私は少し休憩したいと馬車を止めさせ、あの、その・・」
と、ポッと頬を染めて、
「用足しをしたいと・・申しまして・・」
きゃっ、恥ずかしい、とオデーレは王子の服を揉んで顔を埋めました。
「それで、その、道から奥に入って彼らの姿が見えなくなると、私はそのままどんどん走って逃げました。走るなんてはしたない真似をしたのはこれが初めてですからもう苦しくて苦しくて。でも我が身の純潔を守るために必死になって駆けたのです。やがて彼らは私が逃げたことに気づくと後を追ってきました。それも、自分たちの本性を表して。
彼らは空を飛んで追いかけてきました。
彼らは、真っ黒な鳥だったのです!
私は恐怖に悲鳴を上げて、とにかく必死で逃げました。鳥たちは恐ろしく汚い声で鳴きながら私の髪や服をくわえて私を連れ戻そうとしました。私はそれを必死で振り払い、たまたま道に躍り出ました。
そこへ、王子様!」
と、ばっちり目を見つめ合わせて、頬を染め、
「あなた様が救いに現れたのですわ。ああ、あのときの王子のお姿のなんと凛々しかったこと!」
そう言いますがオデーレはたぶんキャーキャー悲鳴を上げている真っ最中で王子の姿なんてまるで見えていなかったと思われます。
が、そんなことを気にする王子ではありません。
「はい」
と力強く答えてぎゅっとオデーレの両手を握りしめました。
「ああ、ありがとう王子様。あなたは私の乙女の純潔を悪漢どもからお守りくださったのですわ!」
どうもこのオデーレという女性は、姿形はオデット姫と瓜二つでも、中身の方はだいぶ違うようです。
「なるほどなあ」
ルピネーが言いました。
「ロットバルトの奴、オデット姫が結婚を承知しなかった場合を考えて国王の隠し子をオデット姫に仕立てて彼女と結婚するつもりだったのか」
クラリスがじろりとルピネーを睨みましたが、
「だってよ、これだけそっくりなんだ、オデット姫だと言われれば、はいそうですかと認めるしかねえじゃねえか」
クラリスはまだ疑わしそうにオデーレをじろじろ見ています。
オデーレはもう周りのことなんてどうでもいいようで、王子にべったりくっついて、うっとりしていました。
王子もそんなオデーレにすっかりデレデレだらしなくなっています。
「さてどうする、ロットバルトに追われているとなると放っておくわけにもいかないが・・」
「いっしょに連れていきましょう!」
王子が張り切って言いました。
「オデーレさん、いっしょにラピスの都ペテロブラーグに参りましょう!」
「まあ、ペテロブラーグへ! 夢みたい! 王子様、どうか私をいっしょにお連れください」
行きましょう行きましょうと、王子とオデーレは手を取り合って喜びました。
クラリスは思いっきり不満そうな顔をしましたが、
「仕方あるまい。この辺りはまだロットバルトの目が光っているようだ。少なくとも安全だと確信が持てるところまでは連れて行かにゃあなるまい」
「どうぞお好きなように。でも、彼女にカカッサスなんて越えられるのかしら?」
クラリスはプイと横を向いてしまいました。 |