諦めと哀しみ。
「……。」
先輩の額に濡れタオルを乗せる。表情が和らいで見えた。
「お粥は後で食べてもらうか。」
俺はお粥の乗ったお盆を持ち、立ち上がった。
「……いで。」
「え?」
先輩が何か呟いた気がした。慌てて俺はベッドに駆け寄る。
「行かないで……」
「先ぱ、」
泣きそうな声に心が揺らめく俺。そのすぐ後――
「豪……。」
頭に鈍器で殴られたような衝撃が走った。
俺じゃない。先輩が呼ぶのはもう此処にいない人間。
「……。」
ただただ、悲しかった。選ばれることのない自分が。
「豪……っ。」
苦しそうな先輩。手は空を切り、必死に恋人を探していた。
「か、歌穂。」
どもってしまったが、名前を小声で呟く。空に浮いた手を両手で包んだ。
「豪……。」
汗ばんだ手が弱々しく握り返してきた。安心しきった顔を見せる先輩が嫌だった。それは自分に向けられたことのないもので、この先も向けられることはない気がしたからだ。
「……。」
安らかに眠る先輩の頬に触れた。
豪という人は、どれくらいこの肌に触れたのだろうか。どうして……こんなにも彼女の心に在り続けるのだろうか。
思わず泣きそうになる。代わりということを思い知らされるから。
「ん……山崎、君?」
「おはようございます、先輩。」
それから一時間くらい後、先輩はようやく目を覚ました。
繋いでいた手は数分前に離した。夢にいた人間じゃない奴に手を握られても嬉しくないと考えたのだ。
「お粥作ったのに先輩寝てるから……また煮込んだんですよ?」
「あ、ごめんなさい……。」
申し訳なさそうな表情に俺はため息をつく。
こんな顔も可愛いと思う自分が情けない……。
「どうぞ。」
「……美味しそう。」
意外そうな表情でお粥を見つめる先輩。
「これくらいなら俺でも出来ますよ。」
「あたし料理苦手でさぁ、目玉焼きしか作れないんだ。」
照れ臭そうに笑う。
「徐々に覚えれば大丈夫ですよ。これだってレトルトだし。」
「……うん、頑張らなきゃね。」
そう呟いて先輩はお粥を全て平らげた。
「お腹いっぱいだぁ。」
「薬飲んで早く寝てくださいね?」
「……山崎君帰るの?」
「もう六時過ぎましたから。」
手早く帰る支度をして部屋のドアノブを握る。
「あ、見送りさせて?」
先輩はパジャマの上に薄い上着をはおった。
「いいですよ、早く治して学校来てください。」
「……わかった。」
今、俺はちゃんと笑えてたか?先輩の気持ちの変化がないことに、動揺して見せたような気がして不安になった。
「それじゃ、また学校で……」
「待って山崎君、一つ聞いていい?」
俺の言葉に乗る形で先輩が尋ねてきた。
「何ですか?」
「もしかしてあたしの手、握ってた?」
「……いえ?俺はずっと学校の勉強してましたから。」
体の横にある拳をグッと握り締めた。
「そっか……じゃあ夢でも見たのかな。ごめんね、変なこと聞いちゃって。」
「いえ……じゃ。」
軽く頭を下げて、先輩の家を出た。
その瞬間、携帯電話に着信が入る。
「……もしもし?」
『もしもしじゃねぇだろ!!』
機械越しでも耳をつんざく大声。
「斎間?」
「斎間様だよ!!っていうかお前どうしたんだよ、普段授業サボっても学校は最後までいた癖に。」
「……ちょっとな。」
「何だよ、言えねぇってか?」
「……ああ。」
俺の返事を聞いた後、斎間は黙り込んだ。
「斎間?」
「前に電話で話してたのと関係してんの?」
「前って……」
「雨の日にどっかで飯食おうって決めてた日だよ。」
頭がその日を思い出させる。俺が先輩に強引に告白した日だ。
「ああ……そうだよ。」
「……。」
また斎間は何も言わなくなった。
「頑張るって、決めたんだろ?」
「……斎間……」
「だったらそんな暗い声すんなよ。」
「……無理っぽい。」
「あ?」
「俺ばっか頑張っても、相手に変化がなきゃ意味ないんだよ。」
「……。」
怒っている斎間の顔が嫌でも頭に浮かんだ。
「明日。」
「え?」
「明日必ず保健室に来い、って阿澄先生からの伝言。」
「……わかった。」
電話を切る。こんな沈んだ気持ちは久々だった。
「はぁ……。」
明日がどうなるか全く想像出来ない。ひとまず俺は家へ帰る道を早足で進んだ。
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