そして響くは狂騒曲
鈍い音をたてて血糊に塗れた剣が折れた。
その音に、彼女の静かな湖畔を思わせる翠―――いや、もしくは碧の瞳は翳り、今や深い真紅が生来の金色にこびりついた髪を、少女は再び後ろに払う。
そうして、そのまま飛びのくように一歩下がると、ゆるり、床に広がる猩猩緋の水鏡にその姿が映った。
長い金髪を緩くくくり、細い体躯に纏えるは漆黒の喪服。
しかし所々大きく布は裂け、場所によっては千切れてもおり、見るも無残だ。
半ばむき出しになった白い四肢には彼女のものではない絳にべっとりと濡れ、血を吸い込んだ黒衣は重い。
武器を失い、味方も失い、少し前までは恐怖と悲鳴とが支配していた館の中を、彼女はひとり襲撃者達の繰る刀剣を避けつつ廊下を駆ける。
半刻も前だろうか。曉、いいや、まだ夜半とも言える時刻に彼らが少女の住まえる館でその刃をひらめかせたのは。
列強の国々からも一目置かれる古い王国ヴィシュラーテ。その西方一帯を治めるセレステーゼ侯爵家の所有する、ミトス地方の『黒い森』の館に、彼ら―――襲撃者達は迷いも無く攻め込んできた。
そして、防備の隙を突き、反撃する間も無く正体不明の襲撃者たちは館の住人を惨殺していったのだ。
それでも、最後まで抗う者もいて。
それが今や廊下も駆け抜け、四階のバルコニーまでたどり着き、そう。襲撃者達から見れば、袋の鼠となった、少女。
ヴァレリア・イヴ・リーディエ。
次の満月で、ちょうど十八の齢を重ねるはずの彼女は、長い長い廊下の先から追ってくる襲撃者の足音にもおびえず、バルコニーから身を乗り出すようにして今や陽も昇りかけている昊を見据える。
「こいつで最後だ!」
後ろから、襲撃者達の頭領と思しき者の声が聴こえる。そして、次第に多くなっていく足音も。
血に濡れてはいるものの、彼女自身は傷一つ、そう、かすり傷さえ負っていないのは奇跡に近い。そして、この状況を傍観すれば、誰もがもうそんな奇跡も続かないと予想するだろう。
飛び降りれば即死する高さのバルコニーに、一人佇む少女の手にはもはや武器も無い。
追って来るは数十をくだらぬ正体不明の襲撃者の面々。館の腕の立つ護衛たちをも倒した彼らが、無力だと思う者はとてもいない。
それでも、少女はただ明けたばかりの空を見据えるばかり。
逃げようともせず、怯えもせず。
迫る足音に反応もせず。
そうして、ただただ見据える彼女の目に、目当てのものが映ると同時に。
「ラザ!」
彼女はバルコニーから身を乗り出し、叫ぶように、呼ぶ。
昇りかける太陽をその瞳に映し、そしてただ無言で刃をひらめかせて今にも彼女の息の根を止めようとする襲撃者が、バルコニーに足を踏み入れると同時に彼女は飛んだ。
バルコニーの手すりを軽々と越えて、地面に叩きつけられれば即死する高さを自ら落ちる。
「ラザフォード!」
少女は上になびく衣と髪を押さえながら、再び呼んだ。
「逃げるよ!」
彼女の言葉と同時に、完全に太陽が姿を現し、同時に彼女を受け止めるべく、黒翼の持者が中空に瞬時に顕現した。それと同時に少女の落下は止まる。
「ちょ、何やってるんだよヴァレリア!」
その広がる陽の光を見ると同時に、襲撃者たちが聞いたのは切羽詰った、悲鳴のような声。そしてそれは少女のものではなくて。
変声期前の少年の声。
「自由落下!」
「僕が間に合わなかったらどうする気だったんだよ馬鹿ー!ああもう君僕を殺す気!?心労で殺す気!?いや、今なら心労と過労のダブルコンボで死ねるけどね!?」
そして、続く漫才のようなやり取りを怪訝に思いながら少女の行方を捜そうと、襲撃者たちはバルコニーから見を乗り出し下を見て、そして目を瞠った。
「今この状況で死なれちゃうと、もれなく私も拒否権無しで死ぬから絶対駄目」
青ざめながらも、彼らがその息の根を止めるため追っていた少女を抱くように抱え込み、空中で静止している黒衣の少年は、そう、まさしく。
「化け物・・・・・・っ!」
額に宝玉を飾る、美しい翼を持つ異形。
「・・・・・・・・ヴァレリア。こいつら、誰?」
「見事に館の面々惨殺してくれちゃった謎の襲撃者。ついでにこのままだと私の殺害者予定」
白い闇のようなその白銀は、髪を彩る天性の色彩。
「ああ・・・・・・もしかしてそれで血まみれ?」
「うん。私は怪我してないけどね」
絳の虹彩の散る金色と、金の光彩の散る紅色は、そう、まさしく瞳の色。
「それとね、ラザ。よく聞いて」
そうして。襲撃者達を見据えて、異形に抱かれた、喪服の少女は密やかな笑みとともに言の葉を紡いだ。
「私は放棄する。今この時をもって」
すると、異形は瞳を閉ざして。
彼女を抱いたまま、音も無くバルコニーを見下ろせる位置に上昇し。
「・・・・・・・・・・・・・・なら」
睦言を囁くかのように、言った。
「もう一度、旅を始めよう」
言葉と同時に、未だ暖かな住人の骸も、白刃翳せる襲撃者達も。歴史ある調度も、何もかもを内包するその館は、白さえ帯びる高熱の焔に包まれる。
それを見ながら少年は、少女を抱えたまま、ふわり、今度は翼を羽ばたかせて燃える館の上空へ飛んだ。
異形は喪服の少女を抱き、二人はそれを中空で見据えて。
やがて、館が黒い残骸と化す頃、異形はまだ夜が明けたばかりの空の中、行くあても知らぬまま、白を内包する浅縹の中へ飛ぶ。
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