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壁音

作者:伊野外
壁ドン、って知ってる?

異性を壁に追い詰めて脅すように、バン、と壁を鳴らす方じゃなくて、文句を言う代わりに音を出す方。壁一枚向こうにいる人に「ちょっと迷惑です」あるいは「こっち独り身なのにいちゃつきやがって」という恨みを込めて、思いっきり拳で壁を打ちつける行為。

僕は、産まれてからずっとそれを聞いていた。
たぶん、まったく聞かなかった日はないと思う。赤ん坊から小学校に上がるまで、常に壁ドンは僕の傍らにあった――とか書くと少しかっこいいのかもしれない。

まあ、当たり前だけど現実の音ってわけじゃない。
それは僕以外には聞くことのできない幻聴音だ。
イラッきてるな、と思った次の瞬間には、どん! と聞こえる。
音の強さは、ストレスに比例していた。

壁へ打ち付ける拳の音。
無意識の文句の意思表示。

超能力っていうには、ちょっと微妙だ。
だって、よくよく観察すれば誰にでもわかることを、僕は音として認識してるんだ。
非科学を持ち出さなくても理屈も付けることができる。無意識からの情報を、僕は壁への殴打の音として把握してるとか、そういう感じに。

だから僕は、呑気であんまり怒りを溜め込まない人としか会話ができなかった。
あんまりにもうるさいと、その人の言ってることがわからなくなるんだ。
「明日、どっか皆でいかない」が、「あしドンッ、どっかドンッなでいドドンっ!」になってしまう。
何回も聞き直さなきゃいけないから、さらに壁ドンが激しくなる悪循環だ。

こういう能力があるのに、むしろ僕は察しの悪い奴だと見られてた。
人って、ちょっとしたことで、簡単に苛立ちが膨れ上がる。


壁を叩く音は、人によってかなり違った。
頻度はもちろん、大きさも、音も、威力も、感情も――うん、けっこう色々個性的だ。
無言の教室、テスト最中とかだとあっちこっちからドンドン聞こえる。慣れれば誰かもわかる。
テスト結果と音の頻度や大きさは、比例もしてなければ反比例もしていない。
たぶんだけど、おおよそ富士山型のグラフになってるんじゃないかと思う、満点と赤点の人がだいたいストレスフリーだ。

そう、壁ドンは人によってまるで違う。
当り散らしてる怒りっぽい人は意外と小さくて、温和だって周囲から言われてる人が意外と乱打してたりする。

中には、とんでもない量の壁ドンをしてる人もいる。
隣のクラスの、いつもニコニコ笑ってるって評判の女子がそうだった

彼女からは、悲鳴まで聞こえた。

壁を叩く音は絶え間なく、マシンガン以上の連打で、本当に壁であればどんな厚さがあっても壊されてなきゃおかしい威力で。
その合間合間には、言葉まで聞こえた。
意味まではわからなかったけど、それは悲鳴みたいに聞こえた。

とてもじゃないけど、怖くて近寄れない。
それは、助けを求めているようにも聞こえたけど、僕にはどうすればいいのか、まったくわからなかった。

「彼女は苦しんでるんです、だってずっと壁ドンしてるから」
こんなことを言ってマトモに取り合ってくれる人なんて、どこにもいない。
そして、それ以外の根拠を、僕は持っていない。

この能力が正しいかどうかなんて、一体誰が保証できるんだ。
ひょっとしたら、ただの勘違いで、ただの錯覚で、僕の想像が「ものすごいストレスを受けてる彼女」を作り出してるだけなのかもしれないじゃないか……

どうすればいいのかわからないまま、隣のクラスからの壁ドンは鳴り響いた。
耳を塞ぐけど、『音』はすり抜けて頭の中心ではじけた。

でも、そう、これはストレスの表示だ。
時間が経てば、きっと収まる。そのはずだ――

甘かった。

放課後、なにかの拍子に、彼女とすれ違ったことがある。
接近に気づかなかったのは、いつも鳴り響いている音が、まったくしなかったからだ。
親に手を引かれていた。
いつもの笑顔を浮かべてた。

楽しいから笑っているわけじゃないんだと、初めて気がついた。
他の表情を知らないからだった。

僕は、きっととんでもない顔をしていたんだと思う。彼女は、僕を見つめて小首をかしげ、そのまま歩いた。
壁を叩く音は、たしかに聞こえなかった。
だけど、押し殺したようなちいさな悲鳴が、壁の内側から放たれていた。

どうすればよかったのか、今でもわからない。

彼女は、翌週に転校することになった。
どんな事情があって、どうしてストレスを抱えていたのか、結局はわからなかった。


そんな後悔を乗せて始まった夏休みは、当然、浮かれきることができず、ダラダラと過ごすになった。
祖父母のいる田舎へ遊びに行くことにしたのは、ちょっとでも気分を変えたかったからだ。
文字通りのド田舎で、人の数そのものが少なくて、壁ドン聞かずに済んで楽だから、っていうのもある。

だけど、こうして夕立に降られると、雨宿りできるのは屋根つきのバス停くらいだった。
他には建物そのものがない。

雨はざあざあと激しく降り落ちてる。
遠く雷の音も聞こえるから、濡れるのを覚悟で帰るのもちょっと危険だ。

だから、こうして雨宿り。
たった一人だけで、目を瞑りながら。
トタンの屋根は雨音をダイレクトに伝えて来る。

それでも、他に人がいないのは――壁ドンの音を聞かずに済むのは、ほんとうにすばらしいことだと思う。

「日が沈む前までに、止むといいな……」

セミの声は、それでも元気に騒ぎ続ける。
葉っぱの裏とかで雨宿りしながら叫んでる。
一週間しか命が無いのだから、雨なんかに負けていられないってことなのかもしれない。

「あれ――」

暇だなー、ときょろきょろ見渡してると、椅子の上に聴診器を見つけた。
お医者さんが使うアレだ。

思わず手に取る。
耳につけて、体の内側の音を聞いてみた。

「おぉ」

ドクドクとした音がある。
おもわず興奮の言葉が漏れた。

ただ、一度離してしまうと、もうなかなか目当ての音にたどりつかなかった。
というか、心臓の位置が不明。

「えっと、心臓って右だっけ、左だっけ?」

音の断片は聞こえるけど、なかなかベストな位置取りができなかった。
雨音も気にせず、夢中で手を動かし、耳を傾け――

 どん

と音が聞こえた。
僕の内側から。

「え」

聞き間違い? と思う暇もなく。どんどん! と音が連続する。心臓音とはあきらかに違う。叩いた衝撃までもがきちんと伝わってくるそれは、聞き慣れた壁ドンだった。

フィルターがかかったように、まだ遠い。
雨音にまぎれてしまいそうなほど。

どうして、これがここに?
はじめはそう思ったけど、だんだんと興味にシフトした。

人がいないし雨は降り止まないしで、かなり暇だったのだ。
ひょっとして、僕の能力が新しい段階に!? とかも期待した。

僕の体のどこに聴診器を当てれば、一番よく壁ドンが聞こえる?

タイミングはかなりランダムで、連続したかと思えば、まったく聞こえない時もあった。
しかもこれは、僕自身が行なっているわけでもなさそうだった。
僕の苛立ちの感情と、壁ドンのタイミングがまったく一致しない。

そうして、わき腹やら足やらいろんなところの音を拾い、たまに壁ドンの音を聞きつけたけど、やがて妙に静かになった。しーん、という擬音が似合いそうなほどの無音となり、

 どうして助けてくれなかったの?

声がはっきり僕を糾弾した。
聴診器から聞こえたその意味を理解すると同時に背筋が凍る。
それは、転校した彼女の声だった。

トタンで出来た簡易な壁が、ガインッ――! とひしゃげた。外から内へと。
クレーターのような半球、その中心に、ちいさな拳の跡があった。

それは、座る僕をまっすぐ目指していた。

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