§呪いから始まることもある
学校に着くなり、チッっと舌打ちされ嵯峨源人はげんなりする。
「おはよう」
舌打ちした小野叶子は挨拶をしてきた。
「今日も、元気そうね」
源人はため息をつく。
「今日も、明日も元気だよ。俺は」
「なにそれ、馬鹿にしているの? これでも私は有能な呪術者なのよ!」
まくしたてられて源人は心の方でため息をつく。
何がきっかけか分からないが、この呪術師「小野叶子」に毎日呪われているらしい。
「はいはい。分かった、分かった」
「何そのいい加減な態度!!」
ムキになるあたりが結構面白い。
「よしよし、いい子だからハウスにお戻り」
源人は叶子の頭を撫でて言うと悔しそうに上目づかいで見てくる叶子が小さく『バカ』と呟いたのが分かった。
「授業始まるぞ」
「わかってるもん」
くるりと回って背を見せる叶子に構いたくなる。
「おお!!」
ぽんと手を打って家にいる飼い犬のポメラニアン、武蔵に似ているような気がした。だから、気になるのだとその時の源人は納得したのだ。
その次の日もその次の日も叶子は同じ登場の仕方で同じ言葉を言う。
源人はそれが日課をこなす犬のようで愛着を持ち始めていた。
「人間に犬とか持ち出すのはどうかと思う」
クラスメイトの飯塚は昼休みにパックの牛乳を飲みながら言ってきた。
「ん~、そうだな。確かに失礼かもしれないが……」
源人はそのあとに続く言葉を見つけられなかった。自分で何を言いたいのかが分からずにいたのに対し飯塚は「ま、いいけどね」と言う。
「なんか、引っかかる言葉使いだなぁ」
源人が不満そうに言うのと、飯塚は軽く笑った。
飯塚ははっきり言ってイケメンだと思う。ただ、身長が人より低めというコンプレックスを抱えている。源人は気にしすぎだと言っているのだが、飯塚本人が不満なのだから解決などしない。
「おーい、まだ購買に残っていた」
ニコニコ顔で食料を求めて旅に出ていた松本がパンを二、三個もって帰ってきた。
松本は運動能力が長けていてどこの部からも引っ張りだこだが一つに決めない。助っ人マンとして稼いでいるようだ。身長も高く、すらりとした体にはしっかりと筋肉がついている。
昔でいう男前って感じだろうか。
「あ、さっき珍しい人に会った。クラスの女子と小野叶子が一緒に歩っていた。あの調子だと行き場は体育館裏って感じの雰囲気だったな」
笑ってそう言った松本に源人は考えるよりも先に体は走り出していた。
「叶子!」
松本の言うとおり体育館裏でクラス女子は叶子を囲むように立っていた。
「なにしているんだ」
心の底から黒いものがもわもわと湧き出すのが分かった。女子に暴力など振るうことなどできない。だが、その黒いものはクラスの女子たちを恐怖に導いた。
「ちゃんと覚えていなさいよ! 二度と同じことしたら許さないんだからぁ~」
女子は早々と去って行った。
「小野? 大丈夫か? 怪我とか……」
「予想……外だわ……」
叶子は小さくそう呟いて去って行ってしまった。
追うこともできず、空気読めなさ過ぎただろうかと源人は軽く落ち込んだ。
それから、何週間たっただろうか。毎日朝の日課になった「呪い」がぱたりと止んでしまったのは……教室を見回すとポツンと一人で座っている叶子は源人が知らない叶子の一面であった。
声をかければよかったのかもしれない。
背筋をしゃんとして前だけを見る叶子に一言声をかけるだけで何かが変わったかもしれないのに、源人は何もしなかった。
そして、夏休みに入るちょっと前から叶子は学校に来なくなった。
なのに、クラスメイトも先生も何も言わない。誰も気づかない叶子の不在に源人は違和感を抱いていた。
叶子の家を知っているわけもなく、夏休みに突入した。
「ちょっと、源人。暇なら武蔵とどっかいってきな」
「えー、面倒くさいなぁ」
扇風機の前でごろごろしていた源人と犬の武蔵は快適空間から追い出されることとなった。クーラーを取り付けてあるのは夫婦の寝室だけであり、寝る時も源人は暑くてよく眠れないというのに昼間も、炎天下に出されることになるなど考えもしなかった。
しかし、行くあてもなく暑い中武蔵と歩き回っているのもつらいものである。のどを潤すための小銭など持ち合わせていない。恨めしそうに自動販売機を見るが何も起こらない。
それが当たり前の現実というものだ。
そして、ここまで来て馬鹿だと思うが、熱中症らしきものになっていることに気付いたのは動けなくなってからだった。
「む、むさし、お前だけは……」
力が出ない状態でそうつぶやいたが、ぐらりと平衡感覚が崩れた。情けない思いでその場に蹲る。武蔵もかなり体力を消耗していて動かない。
ここで武蔵を助けなかったら飼い主として失格である。助けられなかった叶子の顔が浮かぶ。
源人は使命感にかられぐらぐら揺れる地面を危なっかしい足取りで武蔵を抱き、日陰に避難する。
流石の源人もそこで意識が飛びそうになった瞬間だった。ヒヤリと冷たいペットボトルが頬に当てられた。
「ひゃっ!」
つい声が出てしまったのは冷たいペットボトルの感触と差し出してくれた人物を見たからだ。
「ちょ、蝶子先輩!」
学校一の美少女といわれている一つ上の先輩は日傘をさしてにっこりと笑っていた。
「早く、ワンちゃんに水を」
冷たいペットボトルは水であった。水を見つけた武蔵は砂漠でオアシスを見つけたみたいに飛びついてきた。
「ありがとうございます」
武蔵が元気を取り戻す中で蝶子はもう一本のペットボトルを差し出してきた。
「はい、これは貴方の」
そう言って差し出したのはスポーツ飲料水だった。源人の体も心配してくれる蝶子の心遣いに涙で見えなくなるのではと思うほど感激した。
「あ、ありがとうございます」
あっさりと一本飲み干して生き返った源人に蝶子は驚きの事実を告げた。
「私ね、貴方を探していたの」
にっこり笑った顔に既視感を覚えた。
「え? あ、あの、何のご用で?」
まさか、探し物が自分だと思うとドキドキは止まらなかった。
「家に来てくれる?」
「はい!! もちろん、喜んで!!!」
興奮度マックスになった源人に不安げな視線を武蔵は投げかけていたが本人の源人が気付くはずもなかった。
考えてみれば蝶子とは面識がない。なのに、家に招待されるのはおかしすぎる展開だ。それすらも、考え付かなかったのは炎天下を歩っていただけではないだろう。
その考えにたどり着いた時には蝶子の家に上がって冷たい麦茶をいただいてからだった。
「えっと、あの、なんのご用で俺、いえ僕のことを探していたのでしょうか?」
そういったとたん、蝶子は大きなため息をついた。
「ちょっと、妹のことで相談があって……呪術師の家系なのは本当だけど、はまりすぎなのよね」
源人はなんとなく雲行きが怪しくなってきたのを察した。
「君の言うことなら聞くかなと、ね」
にこっと笑った蝶子の顔が可愛いとかそういうことを考えられる状態ではなくなっていた。
呪術師。
この言葉は何度も聞かされたある人の顔を思い出させる。
その名も小野叶子。そして、蝶子の名字も小野……。
考えればなんて簡単な構造だったのだろう。
「で、叶子は何を?」
「見てきてはいかが?」
そう言って叶子の部屋まで蝶子は案内してくれた。部屋の扉の向こう側で怪しげな声が聞こえる。
「叶子、あけるわよ」
そう言ってすぐ戸を開けた瞬間見慣れていた叶子が戸を閉めようとして駆けてきた。
「蝶ちゃん、だめだって言ったのにぃ。また、初めからやり直しじゃ……ん」
叶子は源人を幽霊でも見たかのように見てさーっと顔から血の気が失せていくのが見えた。ここまではっきりわかるとちょっとどう反応していいのか分からない。
「おす」
仕方なく、挨拶すると、叶子は顔を真っ赤に変えて大きな悲鳴を上げた。
そこまで嫌われていたのかと思うと悲しい。
「ちょ、蝶子ちゃん、なんでこういう状態になっているわけ! 説明してよぉおおお」
「何って熱中症の方を拾ってきた」
「はあ? 何言って、……」
「妹思いの姉をもって幸せね。叶子」
そう言って蝶子はにっこりと笑う。叶子は返答に詰まってしまう。
「いつまで突っ立っているの。早く入りなさいよ」
蝶子がいなくなってから五分ぐらいして叶子が源人に声をかけてきた。
「あ、ああ」
女子の部屋など初めてだ。
しかし、これは普通の女子の部屋とは違うだろうとすぐに源人は思い直す。
魔術の本やら怪しげなものが色々あり、なんといっても真黒なカーテンが閉まっている。叶子は電気を付けてくれたが、明るくても奇妙な部屋である。
「あの、聞かなくてもわかるけど、まだ俺を呪っていたの?」
「あ、あんたのは終わっているわよ! 今はあたしを敵に回したクラス女子!!」
「へぇー……」
いつもこの部屋で呪っていたのかと思うと嫌われ度が高すぎて泣きたくなってきた。
「クラス女子かぁー、ん? でも俺元気だけど」
ようやく話らしい話になるかと思ったのだが、叶子は顔を赤くして横を向いた。
「よ、呼び捨てにしたくせに! 責任取りなさいよね!!」
「は?????」
バシッと叩きつけられた本を見て目が点になる。
「恋の成就の呪い」
「叶子、それはノロイではなくマジナイって読むのでは……」
叶子はぽかんと口を開けて数秒して顔を手で覆ってしまった。
「あのさ、叶子って俺のこと……って聞くまでもないよな」
「バカバカバカバカバカバカバカ。うるさい、あっちいってよぉおおおおお」
叶子は半狂乱になって物を投げてきた。
その時源人は「ああ、可愛いなぁ」と思ったことはまだ叶子には伝えず、叶子を抱きしめて頭を撫でた。
叶子は反撃をせず体を固くこわばらせていた。
「いい子いい子。な、いい子」
武蔵にするようにやると叶子は大人しくなる。
「夏休み明けたら学校こいよ」
「それから、夏休みの宿題、分からないところ教えるし」
源人はこれっきりになるのを恐れて理由をつけていつでも会える状態に持って行った。
まだ、源人には恋という概念はなかったが、叶子という存在は特別なものになっていた。
恋の呪いは成就したようである。
ただ、叶子は能力に目覚めたと勘違いをしているようで、これからも呪いをしていくことに生きがいを見出していた。